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第二話

 百ゴールドは、思っていたより減りが早い。


 宿代、飯代、槍の穂先を研いでもらう代金。

 ついでに、昨日の「荷車の穴の件は忘れてやる」と言ったエモドラさんへのお詫び用に、安い酒を一本。

 机の上に残った金を並べてみたら、音が軽い。見た目も寂しい。

 金貨ってのは、まとまってる時は頼もしいのに、減ると急に薄情な顔をする。


 愛国心だけでは腹はふくれない。

 そして金は、あるだけ欲しい。


 というわけで翌朝、俺はまた城下町の通りに立っていた。

 

 看板を持って。


 ――仕事、何でもやる! 荷運び・店番も可!――


 昨日よりだいぶ現実的だ。


 『変異種討伐・応相談』も書こうかと思ったが、朝から物騒だし、商人に見せる看板としては縁起が悪い気がしたのでやめた。

 人間、学習は大事だ。


「増えたな」

「実績ってやつです」


 声の方を見ると、案の定エモドラさんがいた。今日は荷馬車じゃなく、分厚い帳面を抱えている。

 腹は立派、顔は丸い、目は細くて鋭い。忙しい日の商人の目だ。


「仕事だ。護衛じゃない」

「アルバイトですか?」

「店番、荷運び、倉庫の見張り、近場の納品。ついでに揉め事があったら間に入れ」

「何でもやる!の範囲内ですね」

「だから頼む。日当は百五十」

「やります!」


 食い気味で返した俺に、エモドラさんは人差し指を一本立てた。


「条件がある」

「またですか」

「今日は戦うな」

「え」

「戦わなくて済むなら戦うな。あと勝手に判断するな。まず聞け」

「聞いてますよ」

「今の返事がもう怪しい」


 失礼な。聞くくらいできる。

 ……多分。


 --


 エモドラさんの店は南通りの外れ、倉庫付きの問屋だ。

 店先には布、干し肉、油、鍋、縄、樽。奥の倉庫には木箱が山みたいに積まれている。

 昨日の「儲けは薄いが回転が命」って話、本当なんだなと思う量だった。

 俺の部屋の三十倍はある。俺の部屋と比べるなって話だが。


「ルーク、おまえは店先に立て。客の案内だけしろ。値段は言うな。勝手にまけるな。荷は勝手に触るな。あと――」

「分かりました。案内だけですね」

「最後まで聞け。あと、余計なことをしゃべるな」

「余計なことって」

「余計なことだ」

「定義が雑だなあ」

「おまえ相手にはそれで足りる」


 ひどい。


 とはいえ、店先の案内は得意だ。

 俺は人に話しかけるのが嫌いじゃない。むしろ好きだ。

  特に女性に話しかけるのが好きだ。

 むしろ女性が好きだ。

 ――あれ、何の話だ?


 なんてことを考えていると、早速客が来た。

 いや、お客様だ。

 普段思っていることは口に出てしまうからな、言葉遣いには気を付ける。


「いらっしゃい! 今日も――」

「油二本と麻縄」


 早い。

 言い切りが早い。

 客は染料屋の見習いらしい若い男だった。

 年は俺と同じくらいか、少し下。

 手に青や赤の染みがついていて、袖口まで色が飛んでいる。


「はい! こっちです!」


 油を取って、縄を渡す。

 ここまでは完璧。

 だが、袖の染みに目がいくと、話したくなるのが俺という男だ。


「染物屋の人ですか?」

「そうだけど」

「今日は降りますよ。空がそういう顔してる」

「え、マジで?」

「多分。うちもさっきから、エモドラさんが急ぐ感じ出してるし」

「急ぐ感じ?」

「はい。帳面をめくる手が速いんです」


 見習いは空を見た。たしかに雲が重くなってきている。


「やべえな。今日、布の荷が入るんだよ」

「じゃあ軒下あけといた方がいいですよ」

「そうするか……」

「あと、エモドラさん、近場の納品は雨前に片づけるタイプなんで、もし何か頼んでるなら、たぶん先に来ます」

「タイプで分かるのかよ」

「そこは人間力で」

「便利な言葉だな」


 そのとき、背後で帳面を閉じる音がした。

 いや、閉じるというより、静かに叩きつける音だ。


「ルーク」


 振り向く。

 エモドラさんがいた。

 顔はいつもの渋い顔だが、静かに怖い。

 こういう顔のときが一番怒ってる。


 ――僕、また何かやっちゃいました?


「はい」

「今、何をしゃべった」

「雨が降りそうだって話と、軒下を――」

「余計なことをしゃべるなと言ったよな」

「でも、親切で」

「親切と口の軽さは違う」


 見習いは「あ、俺、急ぐんで」と油と縄を抱えて逃げるように出ていった。

 逃げ足が速い。

 見習いのくせに生き残るのが上手い。

 むしろ俺が見習いたい。


 エモドラさんは俺を倉庫の陰に引っ張っていき、声を落として言った。


「いいか。商売では、誰に何をいつ届けるか、それ自体が信用だ」

「……はい」

「順番も中身も、勝手に外へ漏らすな」

「でも相手、納品先の人でしたよ」

「だからだ」

「え」

「『うちは先に回してもらえる』と他所で言いふらされたらどうなる」

「……揉める?」

「揉める。『うちは後回しか』で機嫌を悪くする客もいる。『うちの荷の中身を他人が知ってる』で気味悪がる客もいる」

「う」

「値段をしゃべるのと同じだ」

「そんなにか」

「そんなにだ」


 ぐうの音も出ない。

 大して悪いとは思っていないが、俺は反省した。

 商売、思ってたより怖いな。


「おまえは悪気がない」

「はい」

「そこが一番困る」

「昨日も言われました」

「今日も言う。覚えるまで言う」


 エモドラさんはそこで一拍置いて、さらに指をさした。


「あと、『俺は空で分かる』みたいな顔をするな。俺は帳面で動いてる」

「でも、空も見てましたよね」

「見る。だが先に帳面だ」

「はい」

「よし。じゃあ店先戻れ。今度は本当に案内だけしろ」

「分かりました。余計なことは言いません」

「その宣言が一番不安だ」


 信用って、すぐには増えないらしい。


 --


 そのあとしばらく、俺は本当に「案内だけ」をした。

 客が来たら場所を教える。聞かれたことだけ答える。

 つい「今日は安いですよ」と言いそうになって飲み込む。そもそも値段知らないし。


 つい「それよりこっちの鍋、頑丈そうです」と勧めそうになって飲み込む。

 勝手に勧めるなって言われたし。

 口って、閉じてるだけで疲れるんだな。


 昼を少し回ったころ、空が一気に暗くなった。南の雲が分厚くなって、風が湿る。

 通りの商人たちが一斉に動きはじめる。

 店先の布をしまうやつ、樽に蓋をするやつ、怒鳴るやつ。

 最後のやつはだいたいどこにでもいる。


「降るな」


 エモドラさんが言った。


「言った通りですね」

「だから黙って荷を出せ」

「はい」


 帳面が閉じる音がした。

 今度は普通の音だ。

 仕事の音だ。


「ルーク! 納品一本、先に出す。今すぐだ」

「はい!」

「近郊の染物屋に、上等布三反、乾燥薬草二箱、紙包みの染料」

「……さっきの見習いのとこ」

「今は反省してる場合じゃない。聞け」

「はい!」


 俺は背筋を伸ばした。ここからはちゃんと聞く。

「布は濡らすな。薬草も濡らすな。染料は落とすな。順番は布を下、薬草を奥、染料は手前。幌は二重。縄は固くしすぎるな。納品先でしゃべりすぎるな」

「分かりました!」


 分かったつもりで動く。

 まず重い薬草を先に――


「逆だ! 話を聞け!」

「はい!」


 今度は復唱した。


「布が下、薬草が奥、染料が手前、幌は二重、縄はほどける固さ、口は軽くしない」


 難しいな。

 だが、指示どおりに積むと、たしかに荷の収まりがいい。

 幌もきれいにかかる。

 俺が勝手にやるより速い。悔しいが、事実だ。


 南門を出るころには、ぽつ、ぽつと降り始めていた。


「急ぎます?」

「急ぐ。ただし揺らすな」

「その注文、毎回難しいですね」

「できるから言ってる」

「期待が重い」

「荷も重い。押せ」


 言ったそばから、雨脚が一気に強くなった。

 幌を叩く音が重くなる。

 土の道がぬるっと色を変え、車輪が横に滑った。


「まずい、ぬかるむ」

「押します!」


 俺は荷車の後ろに回ってぐっと押した。

 車輪が半回転して、ずぶっと沈んだ。


「余計沈んだ!」

「なんで!?」

「力任せにやるな! 荷を少し降ろす、板をかませる、車輪の前の泥をどける!」

「はい!」


 雨の中で荷下ろしは面倒だ。

 布は濡らせないから幌の内側で抱える。

 薬草は軽いがかさばる。

 紙包みの染料は滑る。


「槍を渡せ」


 エモドラさんが言った。


「またですか」

「今日は車輪相手だ。モンスターより話が通じる」

「確かに!」


 槍を車輪の下に差し込み、てこにする。

 エモドラさんが板をかませ、馬の向きを変える。合図で馬が踏ん張り、車輪がぬかるみを抜けた。


「おお」

「おお、じゃない。次も同じだ」

「槍、便利だな……」

「今日だけはな」


 今日の槍、完全に便利棒である。


 武器としての自尊心が少し傷つくが、役立つならいい。

 仕事だし。

 俺、剣士だし。


 なんとか進み、染物屋の屋根が見えたころ、最後の段差で荷台が大きく揺れた。

 幌の下で荷が片側に寄る。紙包みの染料が崩れたら終わりだ。

 俺は反射で荷台へ飛びつきかけて、足を止めた。


 まず聞け。


 今日、何回言われた。


「エモドラさん! どうする!?」

「いい、今のは正しい!」


 褒められた。

 今日三回目だ。

 雨より珍しい。


「左を押さえろ! 上じゃない、下の縄だ! 槍を横に渡せ、荷台の縁に噛ませろ!」

「はい!」


 言われたとおり、槍を横木みたいに差し込んで荷のずれを止める。

 エモドラさんが縄を締め直す。

 俺は荷台に肩を入れて、体ごと支える。

 幌から流れた水が首筋を伝って冷たい。


「そのまま!」

「うっす!」

「返事は短くていい!」

「うっす!」


 うっす、しか言ってない。


 数息ぶんのあと、揺れが止まった。


「……いけた」

「いけたな」


 敵を倒したわけじゃない。

 でも、これはちゃんと勝った感じがした。

 しかも、仕事として。


 さすが、俺。


 --


 染物屋の前に着くと、店の戸が勢いよく開いた。

 朝の見習いと、親方らしい男が飛び出してくる。

 しかも、最初から段取りができていた。軒下には荷を置く場所が空けてあり、木板まで敷いてある。


「こっちだ! 布から中へ!」

「板、空けといてよかった!」

「言っとくもんだな!」


 最後のは親方の声だった。

 何のことか一瞬考えて、朝の俺の余計なひと言を思い出す。あれか。

 エモドラさんが一瞬だけ俺を見た。

 怒ってる顔ではない。渋いけど、まあ、さっきよりは丸い。


「ルーク! 幌押さえろ、布を濡らすな!」

「はい!」


 俺は荷台に半分よじのぼるみたいな格好で幌を持ち上げた。

 見習いが布を抱えて走る。

 店主が薬草を受け取る。

 紙包みの染料はエモドラさんが自分で運ぶ。雨はまだ強いが、受け渡しは驚くほど早い。


「布、奥! 薬草は右!」

「染料、滑るぞ気をつけろ!」

「兄ちゃん、そこもうちょい上!」

「おう!」


 俺は言われたとおりに動く。

 今日は、言われたとおりが多い。でも、それで上手くいってるから文句はない。


「最後、薬草二箱!」

「よし、全部入った!」


 店主が戸を閉める。俺はその場で大きく息を吐いた。前髪から水がぽたぽた落ちる。腕はだるい。だが荷は無事だ。


「馬を軒裏へ回せ! 車輪の泥も落としとけ!」


 エモドラさんが言う。


「はい!」


 俺は手綱を引いて店の脇へ回った。

 軒裏で車輪の泥を落としながら、俺は広場の方をぼんやり見た。

 雨でかすんだ先に、木の台と旗が見える。

 大きな告知札には、でかい字で『武闘大会開催』。その下に細かい字がびっしりだ。

 こういう細かい字には、だいたい大事なことが書いてある。


 読むには読める。

 だが、面倒だ。

 しかも今は仕事中だ。


 今の俺は、聞いて動ける男である。

 勝手に読んでる場合じゃない。

 たぶん。


 店の中から笑い声が聞こえた。

 商談が終わったらしい。

 しばらくしてエモドラさんが出てきた。


「戻るぞ」

「はい。……怒られませんでした?」

「誰にだ」

「朝の余計なこと」

「あとで怒る」

「まだ怒るんですか」

「当たり前だ」


 だが口元は少し緩んでいた。

 全部が全部、悪かったわけじゃないらしい。


 --


 帰り道、雨は小降りになった。

 行きでぬかるみに沈んだ場所も、帰りは少しだけうまく越えられる。

 車輪がはまりかけても、もう俺は反射で押したりしない。


 まず見る。

 次に聞く。

 それから押す。

 ……成長ってやつかもしれない。


「なんかニヤニヤした顔したな」


 前を歩くエモドラさんが言った。


「しました?」

「だいたいそういう時はろくなこと考えてない」

「失礼な。今日はちゃんとやってます」

「今日は、な」


 今日は、がつくあたり、信用はまだ薄い。


 城下町に戻るころには、広場のあたりがやけに賑わっていた。

 雨上がりの石畳に、屋台の木箱や旗竿が並んでいる。

 木槌の音、呼び込みの声、炭の匂い。祭りの前みたいな空気だ。


「なんかすごいですね」

「武闘大会だ。明日から」

「おお」


 胸の奥が、ちょっとだけ熱くなる。

 武闘大会。強い連中が集まる、あの舞台だ。

 広場の端には大きな告知札。でかい字で『武闘大会開催』。


 その下に、細かい字がびっしり。部門とか規定とか、参加のなんとかとか、そういうやつだろう。

 読むには読める。


 だが、細かい字は時間がかかる。

 しかも今は腹が減ってる。

 読むなら見物のついででいい。


「いいなあ」

「出たいのか?」

 エモドラさんが言った。


「いえ、別に」

「なんでだ」

「軍の連中の大会みたいなもんでしょう。それに俺、もう軍じゃないし」

「そういうもんか?」

「そういうもんです。たぶん」

「最後のたぶんが嫌だな」

「だいたい合ってますって」

「そのだいたいも嫌だ」


 細かいことを気にする商人である。

 とは言え、軍に残っていたら今年は俺が出ていただろうが、そこまでは言わない。


「見に行くのは?」

「朝の仕事が終われば」

「終わるのか」

「聞いて動くんで」

「そこだけ聞くと、うちの部下みたいだな」

「いい響きですね」


 エモドラさんは鼻を鳴らした。

 否定しないあたり、ちょっと気になる。


 --


 店に戻ると、片付けの続きだ。

 幌を外して干す。縄をほどいてまとめる。

 車輪の泥を落とす。槍も拭く。槍を拭きながら、俺は思った。

 今日の槍、完全に武器じゃなかったな。

 てこ、支え棒、ぬかるみ測り。

 便利棒だ。


「その顔、またろくでもないこと考えてるな」

「槍の可能性について考えてました」

「余計な可能性を広げるな」


 全部終わって手を洗っていると、エモドラさんが小袋を投げてよこした。

 受け取る。

 ずしりと重い。


「百五十……と、四十?」

「雨手当だ」

「そんな手当あるんですか」

「今作った」

「あんた最高だな!」

「あと十は、荷を濡らさなかった手当」

「それも今作った?」

「もちろんだ」

「あと十くらい、聞いて動いた手当も出ません?」

「出た。気づいてないだけだ」

「マジで?」

「気づかなくていい」


 気づきたいんだが。

 袋の中で金貨を指で弾く。いい音だ。

 数え直したら二百だった。二百ゴールド。


 エモドラさんはただのおっさんじゃない、いいおっさんだ。

 長生きしろよ!


「……あの」


 ただ、ここまでやってもらったら、少々ばつが悪い

 朝のことを思い出した俺は、一応言ってみた。


「朝の件、すみませんでした。余計なこと」

「どの余計なことだ」

「全部です」

「範囲が広いな」


 エモドラさんは帳面をめくりながら、面倒そうに言った。


「まあ、分かってるならいい」

「でも、少しは役に立ちましたよね」

「どうだかな」

「軒下あけとけってやつ」

「どうだかな」

「二回言いましたよ」

「そういうしつこさは商売向きだな」

「褒めてる?」

「半分な」


 半分でも今日は上等だ。

 俺は小袋を握ったまま、倉庫の荷を見た。

 布、薬草、油、縄、樽。どれも剣みたいに派手じゃない。だが、どれも遅れたら困るものばかりだ。ひとつひとつは地味でも、町はこういうので回ってる。


「商人って、すごいですね」


 思わず口に出た。

 エモドラさんが帳面から顔を上げた。


「なんだ急に」

「いや、戦わなくても勝ってるなって」

「勝ってる?」

「だって今日のあれ。雨の前に荷を出して、順番決めて、ぬかるみも読んで、納品先の動きも考えて。俺が槍でどうこうする前に、半分勝負ついてたじゃないですか」

「……珍しく、まともなことを言うな」

「俺、たまに言いますよ」

「たまにだな」


 いつでも言ってるつもりだが。

 謙遜しただけだが。


 エモドラさんは帳面を閉じた。

 今度は柔らかい音だ。


「商売はな、段取りで勝つ。喧嘩になった時点で半分負けだ」

「かっこいいな……」

「今さらか」

「今さらです。今日やっと分かりました」


 本気でそう思った。

 剣で勝つのも気持ちいい。

 だが、雨の中で荷を守って、時間に間に合わせて、相手の商売を止めないってのも、別のかっこよさがある。


「商人、いい仕事っすね」

「だろう?」

「はい。国を回してる感じがします」

「そうだ」

「表に出ないのに、めちゃくちゃ重要だ」

「そうだ」

「俺、ちょっと向いてるかもしれない」


 エモドラさんの眉がぴくっと動いた。


「……ほう」


 帳面を脇に置く音。

 さっきまでの音じゃない。

 何かを決めて、一区切りつけた音だ。


「ルーク」

「はい」

「明日も朝から来い」

「え、仕事あります?」

「ある。店先、倉庫、納品。ついでに荷の数え方も教える」

「数え方」

「客の顔も覚えろ。誰が何を買って、誰がいつ支払いを渋るか、そこも見ろ」

「急に深いな」

「商売だからな」

「おお……」

「雨の読み方も、そのうち教えてやる」

「顔で読むやつですか」

「帳面だと言っただろうが」

「そっちか」


 エモドラさんは腕を組み、やけに満足そうにうなずいた。


「よし。まず三日だな」

「三日」

「慣れたら十日」

「十日」

「その次は、店の鍵の場所も――」


 エモドラさんは見えている。

 一人前の、商人までの道筋が。


 そこで、俺は首をかしげた。


「……あの」

「なんだ」

「俺、用心棒ですけど」

「…………」


 店の中が、すっと静かになった。

 外の通りからは、誰かが武闘大会の屋台用の木箱を落として怒鳴られている声が聞こえる。

 エモドラさんはしばらく黙って、それから深く息を吐いた。


「そうだったな」

「そうなんです」

「しかも元兵隊で」

「剣士です」

「槍は」

「今日はかなり役に立ちました」

「そこは認める」


 俺たちは顔を見合わせた。

 なんだかおかしくなって、先に笑ったのは俺の方だった。


「でも、商人の仕事、ほんとすごいっす」

「だろうな」

「戦わないで勝つの、かっこいいです」

「そうだ」

「……でも俺、剣士なんで」

「知ってる。残念だ」


 残念なのかよ。

 エモドラさんはわざとらしく渋い顔を作って、帳面を抱え直した。


「まあいい。剣士なら剣士らしく、まずは明日も荷を濡らすな」

「はい」

「あと客に余計なことをしゃべるな」

「善処します」

「それは『やる』って言え」

「……やります」

「よし」


 小袋の金を握り直す。

 二百ゴールド。重い。いい重さだ。


 用心棒ってのは、斬って勝つだけの仕事じゃないらしい。

 商人ってのは、斬らずに勝つ仕事らしい。

 どっちも、悪くない。


 ……まあ、俺は剣士だけど。


 仕事、何でもする。


 看板に書いたその言葉が、俺の脳裏をよぎった。


 ________________________________________

 その夜。店を閉めたあと、雨上がりの湿った路地で、エモドラは染物屋の店主に呼び止められた。


「さっきは助かった、エモドラ」

「こっちも商売だ」

「いや、あんたのとこの若い兄ちゃんにも礼を言っといてくれ」


 エモドラは眉を上げた。


「ルークに?」

「ああ。朝、うちの見習いが油を買いに行ったろ。あの時、『午後は降るから軒下あけとけ』って言われたらしくてな」

「……余計なことを」

「その通りだ。余計なおしゃべりだ」


 店主は笑った。染みだらけの手で頭をかく。


「でも、助かったのは本当だ。どうせ半信半疑だったが、念のため片付けておいて正解だった。あの雨で半刻違えば、布はやられてた」

「ふん」


 そこで奥から、昼の見習いが顔を出した。袖に青い染みを増やしている。


「あの兄ちゃん、強いっすね」

「どこ見てた」

「荷台っすよ。雨の中で、幌ずっと押さえてたじゃないですか。親方、布から先って怒鳴ってたけど、あれ兄ちゃんが先に崩れ止めてなかったら、たぶん間に合ってないっす」

「見てたのか」

「見ますよ。ああいうの、なんか……かっこよかったっす。兵隊って感じで」


 エモドラは少し黙って、鼻を鳴らした。


「礼なら本人に言えばいい」

「もう帰ったでしょ」

「だろうな」

「明日も来る?」

「来る。多分」

「多分なんだ」


 店主が笑って戸を閉める前に言った。


「次もあの兄ちゃん連れてこい。口は軽いが、仕事はいい」

「褒め方が雑だな」

「的確だろ」

「それはそうだ」


 戸が閉まる。

 エモドラは一人で路地に残り、しばらく雨の匂いを吸っていた。


 その足で、詰所の裏口へ向かう。

 ジョージは、いつもの渋い顔で立っていた。

 怒ってるのか、疲れてるのか、考え事してるのか、相変わらず判別しにくい顔だ。


「今日の分だ。荷は無事、雨も無事、穴もなし」

「最後のが一番信用できる報告だな」

「口は滑った」

「想像できる」

「だが、滑った口で客の段取りが早まって、結果助かった」

「それも想像できる」


 ジョージの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。


「武闘大会の準備、見てたか」

「見てた。出ないつもりらしいぞ」

「……そうか」


 ジョージは短く返しただけで、それ以上は言わない。

 詰所の向こうから兵たちの笑い声、遠くの広場から木槌の音。明日の町の音が、夜に混じっていた。

 エモドラが肩をすくめる。


「おまえの元部下、面倒だな」

「知ってる」

「でも、現場に出すとちゃんと拾う」

「それも知ってる」

「ついでに、商売の筋も悪くない」

「そっちは知らん」

「一瞬、うちの部下にしようとした」

「やめろ」

「『まず三日、慣れたら十日』まで言った」

「おい」

「そしたら本人に言われた。『俺、用心棒ですけど』って」

「……だろうな」


 今度はジョージが、はっきり笑った。

 ほんの一瞬だけだが、確かに笑った。

 そして、いつもの調子で低くつぶやく。


「……目立つなよ、ルーク」


 言い方はいつも通りだったが、声は少しだけ柔らかかった。

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