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せんぱいは鼻水の季節

作者: 戸川くじ
掲載日:2026/03/22


保健委員会が終わり、会場だった2-Dの教室から出た。


同じクラスのミカと別れて、ひとりコツコツと階段を下りていく。その時、(あ、そうだ)と思い出す。


今日、ドラッグストアで目薬を買わないと。

最近スマホを見過ぎてドライアイだから。


生徒玄関を出て、校門へ向かおうとした時だった。


彼がいた。


高校2年生にしては高い身長。

そして、猫背気味なのと、細身なせいでいつも不安定そうに見える立ち姿。

彼は片手で持ったスマホを、忙しく操作していた。


「久しぶりです」


立ち止まり、自然に笑った。


すると「おう」と低い返事が返ってくる。

私が目を逸らさないので、彼が先にすっと視線を外した。


直毛の黒髪がさらりと揺れる。

トリートメントの仕方にとびきりこだわりがあるのだと、前に本人から聞いた。


「……俺に、なんか用____」


「じゃあまた!」


彼の言葉を遮り、私は校門へと早歩きで向かう。

顔がじわじわと灼かれるように熱くなってきた。

(やめよ、次から。次からやめよ)


2週間前と全く変わっていなかった____風宮先輩の、少し冷たい瞳を思い出す。


その口角が1ミリも上がっていなかった事もついでに思い出し、私はカバンを抱えて近所の商店街まで駆け続けた。



*******



「人前で騒ぐのやめない?あれ、うるさいから」


きっかけは風宮先輩のその一言だった。


田舎でもないが、都会でもない。

そういう垢抜けしていない地元で、1番大きいショッピングモールがスカイだった。


映画館もないし、雑貨屋は2つしかない。

けれど私は、フードコートで塩の薄いポテトを2人で分けるのが好きだった。


私は声が大きかったらしい。

ゲームセンターや、図書室、図書館。

あと、私が先輩に会いに2-Aの教室へ行った時。


先輩はその時、いつもの、冷静な表情だった。

そして、向ける視線がスマホのゲーム画面なのも。


私は先輩に、何を言ったのだろう。


スマホの事を言って、それから____「じゃあ、何でオッケーしたんです」と言った。そんな気がする。アホとまで言った気がする。


私は走り去り、その瞬間、先輩と私を繋いでいた赤っぽい糸はぷつんと切れた。



*******



「あれ」


先輩に挨拶してから、1週間。


廊下を歩いていて図書館のドアのガラスを覗いた時、偶然見覚えのある背中が見えた。風宮先輩。


「運命のチカラってすごいね。またアタックしたら?次、多目的室だけど、トイレ行ってましたって言って授業は遅刻してさ」


「バカ言わないでよ、ミカ」


「てゆーか……泣いてない?あんたの彼氏____じゃなかった、春くん」


「うそ?」


よく見ると、先輩はテーブル席に1人で腰掛け、自分の右手首で目を擦っていた。


「行っちゃえ!」


「もー……あー……ちょっと待ってて!」


ドアを開く。

あ、何て言えばいいかな。「大丈夫ですか?」か。


「大丈夫ですか?」


私は喉と膝に力を入れながら、ハンカチを差し出した。


顔を上げた先輩は、目を大きく見開いた。

その周りは腫れぼったい。


「どうしている?」


「たまたまです。先輩が泣いてたから」


「泣い……て、ないよ。ただ」


その声は萎むように小さくなって途切れた。


「ハンカチ、いいよ」


先輩は制服の袖で目元を抑えて、ポケットから小さいものを取り出した。

目薬だ。


上を向いて、ぽちゃん。


うっすら目を開いたその顔が、梅干しを食べたみたいに酸っぱいブサイクな顔で、思わず鼻でふっと笑ってしまった。


「ごめんなさい」


「笑うなよ。死にかけてるのに」


「え?」


「花粉症」


「あぁ……だから」


初めて知った。


でも納得した。

さっきから風宮先輩の声がおかしいと思っていたから。


先輩は元々低い、輪郭がぼやけた声質をしている。

それが鼻声になって、更に聞こえずらくなっている。


「……行ったら?授業始まるから」


「えっ」と慌てて壁掛け時計を見た。


入り口のドアを振り向くと、"急げ!"とミカが肩まである茶髪を揺らしてサインしていた。


「か、風宮先輩は」


「俺、次、ここで授業」


(み、ミスリード)


「じゃ、ごめんなさいっ」


私はノートと筆箱を抱え、背中を向けて走り出した。


(私、今日も走り去ってない?)


そう思って愕然と瞬きを繰り返した時。


「別に、謝る事じゃないだろ」


硬い声の呟きが、背後から聞こえた。

いつもツンとしていて、そこに柔らかさはない。


けれど、どこか心が落ち着いて。


ドアを開くと、ミカは満面の笑みで私を迎えていた。

"グッジョブ"と、グットサインを掲げて。



*******



『ラジオネーム、三角さんからのお便り。私には好きな人がいます。でもその人には、別の好きな人がいます。本来、人はそこで諦めるのが普通でしょう。しかし私は、未だに恋が報われるのをひな鳥のように期待してしまうのです。恋はエゴで、私のこういうところが____』


驚いて、スマホをタップしラジオを切った。


午前5時。空が、暗い青の時間。


試験1週間前だから早く起きて勉強していて、そのかたわらラジオを聞いていた。


顔をノートにうずめる。


エゴ。嫌いな言葉だ。


環境がどうたらとかのニュースで人間のエゴと聞く度、心がどこかきしむの、私だけなんだろうか。


私は万引きもポイ捨ても、した事がない。


のに、いつのまにか"人間"の一部としてくくられて、誰かに強い意思を持って糾弾されてる感じ。


私、普通に生きてるだけなんですけど、そう言いたくなる、理屈抜きで。


珍しく難しく考えてしまった。きっとダメな兆候だ。

考えちゃ病んじゃう。


この間薬局で買った目薬を制服のポッケから取り出す。


目が乾いて……ふと、風宮先輩の事を思い出した。


私は花粉症じゃないから、「辛い辛い」と言われてもどんくらい辛いのかよくわからない。


おまけに、馬鹿だから風邪も引かないし。


(……)


私は視線をノートへと戻した。


ほとんど白いのは、勉強してないからじゃなくて、ページをめくったばかりだから。


ほぼ無心で、ネイルをつけた指で最後のページをピリピリっと破り取る。

まさか先生にバレて咎められたりはしないだろう。


花粉症の辛さなんて、分からない、でも。


もし分かったら____分かってもらえるだろうか。


私は目薬とともに、ボールペンと折り畳んだページを、ポッケへ差し込んだ。



*******



【花粉症患者① 相澤(2年)】

・小2から花粉症

・春になると目が充血。

・アイマスク(おかーさん手作り)←あずき

◯メモ

クラスメイトの男。

1時間目が終わって話しかけに行ったら、目がほんとにまっかだったので、ウソはないっぽい。

ラグビーか野球かは忘れたけど、体育会系。花粉症にはそういうのは関係ないっぽい。

うち、体育会系ばっかだけど、校庭をくるくる回ってる花粉症の陸上部員はどうしてるんだろうね。

ゲホゲホなってるなら、かわいそう。


【花粉症患者④ 真田さん(2年)】

・気づいた時から

・夏になるまで、春はマスクしっぱなし

・横にカバーがついたメガネで花粉をブロックしてる←100均

・アレルギー薬と、手洗いうがい

◯メモ

A組の子。

まえ、文化祭でイラストを頼んだことがある。

見かけによらずクールなキャラばっか描いてて、ゆるキャラよりそっちの方が好きだったから。

まじめだから、ウソはない。相澤がふざけすぎなだけ(怒)

メガネは元からかけてたけど、確かに今はぶ厚いとう明のメガネをしていた。

いつもの方がかわいいって言ったら、照れてた。

◯その他メモ

3/22、午後2時。しけんが終わったらまたスカイで遊ぼって言ったら、オッケーもらえた。

お母さんが最近口うるさいから、クルマで送迎してもらえるかな。そういえばお父さんもうるさい。

最近受験受験って…。

青春に受験勉強はギリ含まれないっつの。

大体自分はどうなんだって話じゃん。先生殴って中学転校ってアホか。オヤジってほんと、

チョコ買った方がいいのかな、遊ぶまでに。

ほんとに、心当たりないんだけど…お返しのお返しで。

ちょっと早いけどいつものおかえしって、割と高いのをくれたけど。

よくわからないままに受け取っちゃったけど。

わたし、何をしてあげたんだろ。


【花粉症患者⑩ ミカ】

・気合いで耐える

・トマトは栄養が高い←知らんけど

◯メモ

しけんが終わった直後でハイになって、まじめに答えてくれなかった。ミカ勉強嫌いだから。ソーラン節まで歌ってたし。

薬局に薬あるじゃんねってだけまじめに教えてくれた。

どうしよう。少し相談した。わたしっていいことしてるのかなあって。

でも、そんなの気にすんなよおって言ってくれた。

先輩ツンデレなんだよ。恋はなんでもありだもん、やっちゃいなよって。

だから校門を出てあぜ道までは元気いっぱいの気持ちになれたんだけど…。

何でも、ありなのかな、ほんとに。

ミカは男なんかに恋したことないらしい。けど、だからそう言えるんじゃないかな。

恋がエゴの押し付け合いなんて思いたくないのは、わたしが少女マンガ脳なのかな。



その割に____



*******



遠くでなんかの鳥が鳴いた。


花粉症の事を聞き取り始めて、1週間ほど過ぎた。

ミカに聞いて最後、メモは1人で捨ててしまったけれど。


ピンクの梅が咲いているので、もうそろそろ桜がちらほら開花するのだろう。


クラスメイトから校舎前の花壇の水やりを頼まれ、私はジョウロをちょろちょろっと傾けていく。


「……」


俯いて観察する花はどれもまだつぼみだ。


花は好きだけど、もしこれが咲いたら……咳き込む人が、目が真っ赤な人が出てくるんだろうな……。


顔を上げて自然に校舎に目線が移った時、私の心臓は一瞬ドキッと跳ね上げた。


3階の窓から、風宮先輩の姿が見えた。


窓についた転落防止の柵に両腕を預け、そこに頭を突っぷしている。


ぴくりとも動かず、暗いオーラが漂っているのは私の勘違いじゃない……はず。

死のオーラといってもいいほど暗いのも、勘違いじゃない……はず。


私はすはぁっと息を吸い、勢いまかせで気づけば叫んでいた。


「せんぱぁいっ!!」


風宮先輩はぎょっと目を見開いて、首をキョロキョロ回す。


私に気づくとまたぎょっとしなおし、口を開いた。


「ぁ……ぇ……」


先輩の、元々低くて輪郭がぼやけた声質。

それが花粉のせいなのか鼻声になって、更に聞こえずらい。


私は一歩前へ踏み出し、耳を傾けながらもう一回叫ぶ。


「聞こえませぇん!」


少しナメた態度に、いつも飄々としている先輩がムッとするのがわかった。


「こっ……。こえっ。出しす____」


「出しますよ!____そっちこそうるさい!」


セリフを遮られ、先輩は弾かれるようにびくんと肩を跳ねさせた。


大きい声だすよ。ふざけんなだもん。


だって先輩、耳悪いんだもん。


イヤホンだかヘッドホンか知らないけど、家で爆音でゲームしてたら、そうなるでしょ。


先輩の周りに、わいわいと数人のクラスメイトが集まってきた。


窓の下にいる私を見てから、風宮先輩に何か言い立てる。


それが少し続いて、先輩はやけになってクラスメイトを一斉に追い返し、また私に向き合った。


「どうしたんだよ」


「……。理由はなくて」


「……ないのかよ」


さっきまで私の中で吹き荒れていた衝動感は、いつのまにか凪のように消え去っていた。


2人して沈黙する。

一瞬一瞬が別ものとして切り替わっていくような妙な静かさに襲われる。


でも不思議と、気まずくなかった。


沈黙を"選んだ"のが、私だけじゃないから?


その時、ふと、風が吹いた。


花の、どこかツンとして甘い匂いが私の鼻腔をくすぐる。


先輩、花は好きなのかな。花粉抜きで。


「花、好きですか。……いや。春、春好きですか」


「……。藪から棒すぎない」


先輩は柵に顎を乗せ、だらんと両腕を出していた。


「花粉症だから?」私は嫌い前提で話を進める。


「……まァ」


「私も嫌いです、春」


「……」


「しおらしいし。先輩」


「……」


先輩は両腕に顔をつっぷし直した。


何を考えてるのかな。


数分経って顔を上げた時、先輩は目の焦点がどこかぼやけていた。


「俺は、うるさいんだよ、おまえ。俺は。俺はっ、ずっと根暗で____」


「待っててください」


えっ、と先輩の口がまるの形になった。


あと、目も、まる。


「俺の話邪魔すんなよッ!!」


やっぱり話を始める気満々だったらしい先輩が柵から右腕を出しブンブン振ってきた。まさか3階から届くわけもないのだが。


「今、そっち行きますから」


また、先輩がぱちぱちと瞬く。かわいい。


先輩はデート中、黙る事が多かった。


半ば冗談だったのに、押し気味に言ってプリクラを撮ってくれたのも。

私は、余裕があってカッコいいと思っていたんだけど。


ふっと鼻から息が漏れた。


俯いた時、花壇の花がそよ風に揺れていて。


花粉症のことはなしで、話したいなぁ。


先輩の返事も聞かずジョウロを置いて駆け出す。


廊下を一心不乱に走っていると同級生たちがなんだなんだと視線を向けてくる。


けど、こういうのって、疾走感がないとつまらないから。


早く行かなくちゃ。

先輩は花粉で、泣いちゃうかな。


そこまで貧弱じゃないわな、と私は階段を駆け上った。


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