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終焉の聖殿

 大陸の聖地オルタリア。

 古より大陸全土で信仰されるオルテス神の「代理」である王が治める不可侵の土地であり、幾世代もの間、何人(なんぴと)もその地を侵すことは無かった。

 しかし時の王は心を病み、奸臣につけこまれて次第に暴君へと変貌した。重税と圧政は国を疲弊させ、聖地に生まれ育ったことを誇りとしてきた民さえも周辺諸国へ逃げ出し始めた。そして民の流出と共にオルタリア王の独裁による悪影響は他国にも及び始める。

 暴君と化した王の唯一の肉親であった王弟——セレーネの父は幾度も王を諌めたが、敬虔な信仰心ゆえ、神の代理である王の命に抗うことは難しく、結局その暴走を止めることはできなかった。

 聖地の凋落と看過できなくなった王の暴走ぶりに、ドルワース帝国は遂に不可侵とされてきたオルタリアへの侵攻を開始した。

 帝国軍を率いるのは百戦錬磨の大将軍と二人の皇子たちだった。一方、オルタリア軍を率いるのはセレーネの父だ。オルタリア軍は地の利を活かし奮戦するも、帝国軍の兵力は圧倒的で、戦局は極めて厳しかった。劣勢のまま戦い続け、遂にセレーネの父は戦闘の最中で命を落とした。総帥である王弟を失ったオルタリア軍はみるみる勢いを無くし、帝国軍の包囲網は城を目前に迫っていた。




 ——夜。セレーネは幼い弟と、その母である父の妃と共に、侍女長に導かれ城を抜け出した。目指したのは城下の古い聖殿。侍女長にゆかりのあるそこに身を隠すことになった。


 「きっとオルテス神が守ってくださるはずです」


 侍女長もまた、敬虔な信徒だった。神を信じ神の代理たる兄王を止めきれずに死んだ父を思うと、セレーネのなかでは最早神を信じる気持ちは失われかけていた。

 聖殿の奥で息を潜めていると、見張っていた兵士たちの気配が俄かに騒がしくなった。時間の問題だったが、どうやらこの場所にも帝国軍の捜索が及んだようだった。

 男系が優先的に王位を継承するオルタリアにおいて、セレーネの腹違いの弟は王家唯一の男児だ。城内で継承順最上位の王子が見つからないとなれば、帝国軍は血眼になって城下を探すはずだ。やがて聖殿の周囲で怒号が飛び交い、激しい戦闘が繰り広げられる。

 

 ——ここまでか。

 

 セレーネが観念して立ち上がろうとすると、その腕を侍女長が泣き笑いのような表情で引き止めた。異様な気配を察し、セレーネは思わず息を詰めた。


 「……姫様、行ってはなりません。神の一族とあろうお方が、辱めを受けるようなことがあってはなりません。ならばいっそ、ここでっ……!」


 侍女長はいつの間にか握っていた短剣を振りかざした。


「——っ離して!」


 セレーネは咄嗟に侍女長を突き飛ばす。体勢を崩して腰を床に打ち付けた侍女長は痛みでその場にうずくまった。ふと視界の隅で、恐ろしい光景を見た気がして、セレーネはそちらを振り返った。妃が震える手で弟の首を絞めようとしていたのだ。


 「やめてください!」


 絶叫し、セレーネは弟を奪い返す。まだ幼いその体は熱を帯び、必死に彼女の衣を握りしめていた。泣き崩れる妃と、突き飛ばされて床にうずくまったままの侍女長をそこに残し、セレーネは弟を抱えて部屋を飛び出て礼拝堂の方へと向かった。




 礼拝堂に入ったところで、暗闇から突然予期せぬ人物が目の前に現れた。


「——!」


 突然のことに心臓が縮み上がり、弟を抱きしめる腕に力が入った。

 うっすらと礼拝堂に差し込む月明かりで確認できたその人物は、父が王の側近の中で最も警戒していた奸臣の一人だった。

 セレーネ自身も、時折城内や行事で顔を合わせた時にその男から向けられる、全身を吟味しているかのようなじっとりとした視線に不快感を抱いていた。


「……あなたが、なぜここに、」


 「お二人ともご無事で良かった……!」


 男はこの状況において、気味が悪いほどの笑顔を浮かべていた。

 

 「少し前に私もこちらへ駆けつけましてね。正にドルワースの兵どもがやって来る、ほんの少し前のことでした。いやあ、こうしてまたお会いできて、幸いです。これもきっとオルテス神のお導きでしょう!」


 顔を紅潮させ、男は大仰に腕を広げて天を仰いだ。


「城は既に帝国軍によって制圧されてしまいました。王弟殿下に続き、陛下もよもやオルテス神のもとに還られたことでしょう。となれば——」


 男の視線はセレーネの脚にしがみついている弟に注がれた。セレーネは男への警戒心から弟を自分の背後に庇う。


「この子は、どうなるのですか?」


「王位継承者が生き長らえれば遺恨を残すと警戒されるでしょうから、どこかに幽閉されるか、最悪の場合は刑に処されることも……私の方でも王子様をお救いするべく、あらゆる手を打ってみましょう。私の母は元々ドルワース貴族の出身なのです。その伝手を使い、皇帝に助命を乞うこともできるでしょう。私が王子様の後見人となり、お二人をお守りいたします。——ですので、セレーネ様。あなたは私の妻になっていただかなくては」


「……何を」


 –––言っているの、

 

 セレーネは理解が追いつかず、後の言葉が続かなかった。


「奇しくも、ここは聖殿……!ドルワースの兵が雪崩れ込んでくる前に、神の前で誓約を交わさねば!」


 気が触れているとしか思えない男の言動に、セレーネは呆気に取られて反応が遅れてしまった。次の瞬間、男の腕が伸びてきて彼女を強引に祭壇の前へ連れて行こうとする。セレーネが体勢を崩した拍子に、弟の小さな体は石の床に投げ出されてしまった。背後から不安に震える声で「あねうえ」と呼ぶ声がするも、その手を取ることはできない。

 祭壇の手前には数段の階があり、セレーネは必死に踏みとどまろうとするも男の力に抗いきれず引き摺られ、石段の角に体を打ち付けて呻いた。男は意にも返さず歩を進める。痛みと冷たい石床の感触、かろうじて視線を上げると、うっすらと月明かりに照らされた白亜のオルテス神像と目があった。最早助けを乞う気持ちにはなれなかった。自分の身も、幼い弟も私が守らねば。

 

 耳元に荒い息遣いと共に男の顔が近づいてきて、囁く。


「さあ、誓いを交わしましょう」


 ——その時、指先に金属の感触が触れた。父から護身用にと以前から持たされていた小さくて細い剣だった。上衣を腰で留めている幅広ベルトの内側に紐で括って潜ませていたが、激しく動いた拍子に本体が飛び出したようだった。致命傷は負わせられないが、状況を変える一手にはなるかもしれない。


「——っく!」


 思い切り男の顔目掛けて剣を握りしめた方の腕を振るった。呻いた男が一瞬の隙を晒し、顔を押さえたまま後退りする。セレーネは起き上がり、無我夢中で男が腰に下げていた長剣を引き抜いて奪った。少し重いがしっかりと両手で柄を握り、体重を乗せて渾身の力で男の胴に突き刺す。


 「———っぐはあ!」


 鮮血が傷口から滲み、みるみる男の足元に血溜まりを作る。体が大きく揺らぎ、彼女を押し潰すように倒れ込んでくる。しがみつかれ、セレーネは咄嗟に剣から手を離して避けることができず、そのまま一緒に床に倒れこんだ。




 ほぼ同時に轟音と共に教会の扉が打ち破られ、帝国兵たちが雪崩れ込んできた。

 兵と共に現れた少年——帝国の第二皇子ウィルヘルムは、華奢な影と貴族らしき男が共に倒れ込む瞬間を目撃した。

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