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豪商の末っ子は、窮地に立つか。  作者: デンノー


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 心地よかった中庭の空気が、肌を刺すようなものに変わってから、僕はエレジア様が戻っていった扉を開いて廊下に戻った。

 もしかしたら閉められているかも。とよぎった悪い考えは、軽く開いた扉の前で恥ずかしくなった。

 僕相手にそんな子どものいたずらをするはずがなかった。

 相手を考えれば当然だった。




 お世辞にも明るいとは言えない中庭から、廊下に戻ったことで目をくらませていた僕は、休憩室の扉には一歩も近づかずに会場の方に足を向けた。

 なにせ、扉の向こうから物音が聞こえれば気になってしまうだろ?

 扉を開けた先で何があるか分からないんだから、すぐ帰った方がいいと思ったんだ。


 それに、離れたこの場所からでも、賑やかに聞こえていた多くの大人の声は、エレジア様と話した時間の間で静まりかえっていた。

 片付けの音すら聞こえなかったのだ。皆して帰った後では、エレジア様の善意を断った僕は大間抜け野郎になる。それだけは嫌だった。


 まぁ、そんなに時間経っていないと思っていた。だが、そうではなかったのだ。

 晩餐会に招待された僕が何もしないまま会が終わっても、まだここにいるのは些か腑に落ちない。

 結局、僕は何しに来たんだ。と借りた礼服の堅苦しさに我慢ができず、襟に通したタイを首元に二本差し込んで緩めた。

 これくらいの不格好は目を瞑って欲しい。




 誰もいない会場にあるのは、休憩用として残っている椅子と小さな机だけだった。

 明るさは晩餐会の時よりも落ちていて、僕とデュランが話していた時と同じくらいだった。活気もない。


 活気がなくて当たり前の話だった。

 晩餐会が終わっても後夜祭みたいにダラダラと会場に残っている人がいるんじゃないか、と考えていたのは甘かったらしい。


 会場の隅には果物とパンを載せていた机が壁に寄せられていたが、やっぱり食べ物などなく、酒や水の瓶もコップすらなかった。

 完全に撤収した後の会場に僕は一人残されたようだ。

 なんとなくエレジア様が言った『朝まで町とここを往復する』という話の信憑性が怪しくなってきた。肌寒くすら感じる会場にあれほどいた人が誰もいないのだ。少しばかり怖くもなった。

 まさか自分だけ取り残されたのか。と考えずにはいられなかったので、足早に会場を通り過ぎた。




 腹が減っているはずなのに、焦りと緊張でそれどころじゃなかった。

 息が上がっても足の回転を落とさずに歩けば、大きな会場を思いのほかすぐに抜けた。

 

 遠くに見えるのは、入る前に検査をしていた入口の扉。開いているその先には、揺らめく明かりが薄暗い廊下に一筋の光を照らしていた。

 歩く度に馬の嘶きと、馬車が砂利の上を進む大きな音が聞こえた。

 あれほど邪魔なものはないだろう。と思っていた砂利の音に感謝するとは、気が抜けて浅かった息から大きく深呼吸をした。




 それがいけなかったのだろうか。

 扉を通って見えるのはゾロゾロと城門の方に歩いて行く人の後ろ姿。

 人はちゃんといた。良かった。と扉に手をついた後、僕は僕を見ているロベットさんと目が合った。


「これはこれは、ファビオ様」

「どうも」


 彼はお疲れの様子だった。

 見たところ、額にまだ脂が残っていて、遠くの明かりを反射してテカテカと輝いていた。


「ディオネ様は」

「エレジア様から聞いてます。泊まると」

「そうですか。エレジア様からですか」


 彼は頷いて「ファビオ様は泊まっていかれないので?」と聞いてきたから「エレジア様からも言われましたが断りました」と返した。


「あら、そうですか。私はてっきりファビオ様も泊まっていかれると愚考しておりました」


 「申し訳ございません」と謝って頭を下げるロベットさんに、「そんな、頭を上げてください」と言って続けた。


「それに、ディオネだけじゃなくて父さんも休憩室で寝てるんで、迷惑ばかりかけられませんよ。僕の方こそ謝らないと」

 

 頭を上げた彼は僕の言葉に口元を隠すように笑った。


「ザノアール様のあれはいつものことですから」


 そういう彼の平然とした応対に頭を抱えた。何度かは世話になっているとは思っていたけど、毎回だったとは。

 酒を飲む練習をした方がいい。……もう飲まない方がいいか。


「すみません、本当に」

「全然問題ないですよ。それに今回はディオネ様が彼女と一緒ですから」


 シンリーのことを言っているのは分かる。

 だが、そこまで頑なにあの子の名前を呼ばないのは、興味が出てきた。

 肌寒い夜に、一人ぼっちじゃないだけでここまで温かくなるとは、一つ新しい発見ができた。


「シンリーの名前ってロベットさんは言わないですよね」

「えぇ、それが決まりですから」


 さも当然に、この世界の理のように僕に微笑みながら話す。

 この時はエレジア様と話したせいで一歩踏みこみたくなったのだ。


「シンリーってケイドリン伯爵の隠し子ですか?」


 絶対に聞いてはいけない無礼な質問をした。

 いつもなら、気を回して聞こうとすらしなかった僕の口は、中庭のお話で軽く油を差されたようで滑るようになった。


「違いますよ。あの方は当主様よりも、お上なんです」


 柔やかに話す彼は続けて「ですから、伯爵様の一執事がお名前をお呼びするのは」と懐から布きれを一枚取り出して額を拭った。


 なるほど、僕は余計なことを聞いた。

 そこから先はあまり覚えていない。

 伯爵の上といえば数はしれているから、それを考えるだけで回らない頭を必死に動かしていたからだ。


 これ以上は。と言いたげに困った顔をしたロベットさんに別れを告げて明かりが灯った城門の方に歩いた。






 * * *






 子どもの頃は全くなかったはずだった。

 ケイドリン伯爵の城から『ラ・レビアン・ケイドリン』まで馬車で送ってもらった時も、違和感もなかったのだ。

 ……いや、覚えていないだけかもしれないが。


 宿に着いてからは、夜も更けた頃で、唯一開いていた裏口の扉から建物に戻った。

 馬車の停留場所から少し歩いたが、寝られる場所まで少しと考えればどうさもなかった。

 それがいけなかったのか。それとも既にダメだったのかもしれない。


 それで、翌朝というか、今日。

 起きた時にとんでもなく熱い自分の体に『かかってる』と諦めて、部屋の天井を眺めるしかなかった。


 いや本当、前の過労で熱を出した時とは違う辛さが僕を包んでくれている。

 ありがたくもなんともないけど、『ゆっくり寝れば治る』と朝に来てくれた治癒院の人が言っていた。

 「ヨハンセンさんはいないんですか?」と聞いたけど、「あの方はもうケイドリンから出て行かれましたよ」と笑顔で返されれば、諦めもつく。


 僕は、流行り病にかかった。

 めでたくもなく病人になったわけだが、昼を過ぎた辺りから僕の部屋にうるさい二人が手土産を持って押しかけているのはなかなかに頭に響く。


「この果物、美味いじゃん!」

「そうなんです! エレジア様が持って帰っていいって言ってくれて!」


 デュランとディオネの二人な訳だけど、エレジア様からもらった果物をかご一杯に持ってきたディオネと、宿で売っている酒の瓶を一本だけ買ってきたデュラン。

 こんな病人に対して酒とはなんだ?


「へぇ、さすが伯爵。太っ腹だね」


 ベットに寝ている僕と窓際の椅子に座っている彼ら。

 ディオネの持ってきた果物を手に取って食べている。


 僕の分も欲しいのだけれど、二人は気づく事もなく部屋で寛いでいる。


「それで? なんでここにデュランさんが?」


 ディオネは座っているデュランに聞いた。

 今頃になってデュランが気になるとは、部屋で会った時にすぐ気がついて欲しいものだ。


「ファビオが呼んだんじゃないの?」


 緑色のリンゴを食べているデュランに聞いていたはずが、僕の方を向く。

 昨日の晩餐会の後で呼べる訳ねぇだろ。寝て起きたら、動けなくなった僕にそもそもどうやって呼ぶというのだ。


「あぁオレは勝手に来ただけ」


 頬張っていたリンゴを飲み込んだデュランが続けて「ちょっと野暮用でね」と椅子から立ち上がってベットに腰掛ける。

 手には割っているリンゴがあった。

 くれるのか。けど、丁度半分は多いな。切って欲しいが……デュランは察してくれないだろうな。


「でも、ファー君が流行り病にかかったって、めっちゃ面白いんだけど!」


 うるせぇ。バカ兄。

 あと、持ってるそれを自分の口に入れるな。お前の物じゃないだろうが。


「まぁいいや」

「よく、ねぇよ」


 僕のことはまだしも、リンゴというか食べ物をくれ。

 昨日の晩から食べてないんだ。これじゃあ、治る病気も治らない。こんな時は食欲がなくなるのが普通なんだろうけど、今は何でも良いから食べたい。


「まぁまぁ落ち着いてよ。これからの話なんだけどさ」


 腰掛けたままのデュランがリンゴを持っていない手で僕を静止する仕草をとる。

 そんなことしなくても、僕は動いていない。

 動こうとも頭を叩いてやろうとも思わない。これ以上このおかしいこいつをおかしくしてしまっては可哀想だ。


「ファー君はこんなだし、父さんは二日酔いでダメだからディオネちゃんとオレの二人でデミストニアに帰ろうと思うんだけど」


 勝手に話すデュランは「どうかな?」と僕を見る。

 どうもこうもないんだが。


「僕に聞かれても、なんだけど」


 高熱で呂律が怪しいのに、よく僕に話させようとするよな。

 ちょっとくらいは僕の容体を(おもんばか)ってもらいたい。


「ディオネ、は?」

「私は別にデュランさんと二人でも良いですよ」


 僕のことなど聞いたところでどうしようもないし、今日から七日はこの宿のこの部屋で療養しなくてはならない。

 僕に構わずディオネに聞いたら決まりなのに、なぜ僕に聞くのか。

 

「じゃあ、それで」

「分かった! ファー君の大事なディオネちゃんはオレがちゃんと送ってあげるよ!」

「利き腕に怪我でもさせたら、損害賠償ものだからな」

「大丈夫!」


 そう言ってベットから立ち上がったデュランは何が大丈夫なのか分からない。

 彼はさっきまで座っていた椅子まで歩いて、近くにある机の上のブドウを一房取った。


「じゃあ、今度実家でね!」


 そしてそのまま部屋を出て行くデュランを追いかけていくディオネ。


「また、書店で」


 と言って彼女も出て行くようだが、扉の前で足音が止まると、僕の方に顔を出した。


「七日ぐらい?」


 傾けた顔に合わせて金髪が流れているディオネは、目にかかった髪を耳にかける。

 彼女は僕の療養期間を聞いているようで「そうだよ。お前と同じ病気らしい」と返す。


「そっか。……夕方に鳴ったら結構辛くなると思うけど、頑張ってね」


 経験者のありがたい助言に「わかった」と返せば「またね」と言って、今度こそ扉を開いて出ていった。


「なにしに来たんだよ、あいつら」


 部屋に一人になって、僕の呟きは寂しく消えていく。

 嵐ではなく、向かい風の突風が真正面から吹いたような疲労感が、ドッと体にのしかかった。


「……え? もう帰るの? 昨日の今日で?」


 驚きというより、その速度感は疑いを感じずにはいられなかった。




 だが流行り病が治るまでの間、デュランとディオネは一度も見舞いに来なかった。既にデミストニアに帰ったのだろう。

 本当に大丈夫だろうか。

 馬車か魔道車で帰るあの二人の珍道中に、御者か運転士は正気を保てるのか。

 可哀想なことにならないことを願うしかない。

 ただ、僕の帰りは何を乗って帰れば良いのだろうか。ちょっと不安になった。

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