33
楽しそうなおばさん――もとい、エレジア様は僕の近くまで寄った。
柔やかな笑顔の裏では、ディオネのことを聞き出そうとしている下心が透けて見えている。
あれ? 『ハクメイ』の花言葉もそうじゃなかったっけ? ……って、どうでも良いんだよそんなことは。
「ほら、話しなさいよ」
「……すみません。……どうとは?」
高圧的に命令されている気がしないのだ。
だから僕も、気後れもせずにそのまま返す。
格が違う相手だが、感じる雰囲気は庶民的なそれだ。
彼女には結構失礼かもしれないけど、そう感じているのは仕方がない。
「何? 言いたくないの? なら私も言わないわ」
手の届く距離まで近寄っては、面白くないと言いたげにエレジア様はまた離れる。
僕の話を聞いてくれるはずなのに、いつの間にか僕が話さないといけないのはどういうことだろうか。
いつ変わった?
「どうなのよ? 一緒に仕事をしてるって、ディオネちゃんも言ってたけど、……それだけじゃないんでしょ?」
別に彼女が想像している仲ではない。
話してもつまらないから話したくないだけだ。
「本当に話さない気?」
突き放すように僕に聞く彼女から、離れた場所でも大きなため息が聞こえる。
そこまで期待されても困るんだけど。
はぁ、こんなことに興味を持たれてしまった僕は可哀想だよ。
これで話さなくとも、ディオネにあることないこと言われる方が、面倒だな。
これっぽっちも気乗りしないが、やむを得ない。
「いえ、一緒に仕事をしてるだけなのは、彼女が言ったことと同じですね」
僕が言えるのはこれだけ。言いたいことが浮かぶことも少なくないが、自制できている分、言う必要のないことは言わない方がいい。
「まぁ、そうよね。……面白くないわ」
ほら、面白くない。
「予想はできてたけどね、あの子の書く恋愛模様って綺麗過ぎるもの」
彼女はうんうん。と頷いた。
僕の答えに納得出来る要素なんて無かったはずだが、「もしかして、あんたも?」と、驚くより信じられないといった表情で顔を歪めた。
何を考えているのか定かではないが、僕にとって良いことではないのは間違いない。
「えっと? ……なにがですか?」
僕とディオネに共通点はないはずだけど、「……初々しいわね、物心ついた子どもみたいに」と僕が返した言葉にため息付きの呟きが返ってきた。
そんながっかりするほどのことか?
「なにか失礼を?」
まさか二人きりで、ましてこんな時間に中庭に出るとは思いもしなかったから、僕の口から失礼な言葉が出てきてもおかしくない。
もっと気を引き締めていけ、僕。
「いや、本当に固いわ。と思ってね」
怒ってはなさそうで良かった。
ただ、頭を振って目を伏せる彼女からは期待感よりも諦めに似た雰囲気を感じる。
「でも、ちゃんと気持ちは伝えた方が良いわよ」
彼女の目線は花畑に向けてまま、また続ける。
「ゼクラットのじいさんは死んでから伝えたらしいけど、あんたは真似してはダメよ」
寂しそうに、でも諦めているような、輝いていた二つの月は雲がかった。
月明かりが少しばかり消えただけで、中庭の温度が下がったように感じる。
彼女は花畑から僕の方に目線を移して肩をすくめた。
「ディオネちゃんとあなたの事情は正直ね。どうでもいいの」
「あの子がケイドリンに居てくれないのは残念だけど、これからは分からないわ」
薄い雲にかかっていた月がまた輝く。
「あら? 不安じゃないの?」
彼女は僕に試しているようだが、腹が減ってボーッとしているのだ。
ちょっと考える時間が欲しいよね。甘い物も欲しいし。
「専属作家がデミストニアから離れるって、不安じゃないの?」
「全然不安じゃないですね。どのみち僕は彼女に付き合わされそうですので」
とりあえず思ったことを、丁寧に言葉で包んで返す。
正直自分でも何を言っているのか怪しいところではある。もう無理なんだって、集中できないからしょうがない。
機嫌を損ねれば元も子もない状況で、僕の話を聞いたエレジア様は腹を抱えて笑った。
それも中庭に響くくらいに大きな声で。
「そうかもしれないわね! あなた、案外面白いこと言えるじゃない」
「ありがとうございます」
そんな面白いか? いままで一緒に仕事をしてきた仲で、ディオネの習性というか行動はある程度把握しているし、人見知りをする彼女がケイドリンに行くとなっても、誰かは一緒について行くだろう。
その上で、彼女の隣に僕がいる想像は容易にできただけだ。そんなおかしい話ではない、と思う。
「いいわね。本当」
一通り笑った彼女は僕にもう一度笑いかける。
夜闇に場違いなほど彼女の真っ白の歯が見えた。
まぁ、機嫌が良いことは僕もありがたいことだけど、そんな笑いを取ろうとした話じゃない。
それなのに笑われると、もうちょっとマシな話し方があったんじゃないかって考えてしまう。
『どのみち僕は彼女に付き合わされそうですので』じゃ、語呂が悪い気がした。
「じゃあ、あなたが聞きたい話の番ね」
そう言ったエレジア様は花畑の前で屈んで、目の前に咲いている花を一輪だけ茎から外した。
ポキッと鳴ったそれに一つため息をつく彼女は、その体勢のまま、顔だけを僕に向けた。
「私の出生のことはザックから聞いたでしょ?」
「……はい」
いいえ。なんて言えない。
茶化す雰囲気など花を折った時に一緒に折れてなくなったのだ。
「だったら、その話は飛ばしましょう」
「あいつのことだけを知りたいんでしょ?」
嫌々ながら。
まさにそんな声色と僕に向ける顔、そして彼女の目線は厳しい。
「そんなに固くならないでよ。私もつられちゃうじゃない」
「すみません」
彼女から漏れるため息に唇を噛む。
下手なことは言えない。
「まぁいいわ。そうね」
僕から目線を外した彼女は、夜の空を見上げた。
言おうとしている何かのために、少し時間をかけている彼女は「あいつ、ゼクラットは」と続ける。
「なにも決められなかったのよ」
過去を思い返すように、そしてどこか悔しそうなエレジア様は、肩を落とした。
快活にはっきりとした物言いをする彼女にしては、言葉を選んでいるらしい。
僕にとっては、全然遠回しな言葉を選んだように聞こえないのは、聞き方が間違っているのだろうか。
手に持っていた花を地面にそっと置いたエレジア様は首を傾げるしか、していない僕を見て、数秒止まった。
多分僕が分かっていないか、彼女の言った言葉に腹を立てていると考えたらしく、手を振って困ったように笑う。
「優柔不断とかそういう話じゃなくてね」
と言って「なんと言えば良いのかしら」と晒している小麦色の首元に手を当てた。
別に怒ってもないし、彼女の早とちりなだけだ。
さっきから返す言葉が見つからなくて、少しずつ冷ややかな空気が入ってくる花畑で、ただ黙って突っ立っているだけだ。
目の前で考え込むエレジア様は「うーん」と言うだけだったが「そうね」と一人呟く。
「ゼクラットは責任を持つことができなかった男ね」
「だから、何もかもが後手の対応だった」
ちゃんと考えて言ったのか。と喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
そんな僕のことを見ずに、また空に目を向く彼女は。
「あいつがちゃんと決断していたら、あの国の反乱はなかったかもしれないのに」
つまらないわ。と続きそうな語り口に、僕は全く返す言葉がない。
エレジア様の言うおじいさんのことが今のところ全部悪口なんだけど、それでも、聞こうと決めたのは僕だ。
反論なんてできるはずもない。
そもそもそれができる程の相手じゃないことは、最初から分かっている。
「そんな顔をしなくてもいいわ。全部が後の祭りよ」
「だから、あなたの覚えているあいつのことは間違いじゃないし、私とザックが知ってるあいつと違うことも十分あり得るの」
ゆっくりと、僕に聞かせる台詞の後に吐き捨てた「憎らしいけどね」という一言に、どれほどの思いを込めているのだろうか。
具体例は一つも出ていない。僕が納得できる何かを教えてほしい。そんな彼女に少しだけ踏み込んで聞いてみる。
「ちなみになんですけど、おじいさんの決められないって話は、どんな事があったんですか?」
「あまりいい話じゃないけどいいの?」
尋ねた僕に彼女は「……やっぱり私が話すと悪口しか言えないのは、良くないわ」と一人で結論づけて頭を振る。
「そんなことないです」
「あるわ。あなたのおじいさんのことよ。いい気にならないことくらいは分かるわ」
微笑む彼女は続けて「今もそうでしょ?」と言った。
僕の感情は、彼女には手に取るように分かるようだ。父さんといい、エレジア様といい、僕の周りの大人は皆おかしいんじゃないか?
というか、そこまで分かられるってことは顔に出てたりするのか?
「もう良いかしら。あとの詳しい話はザックから聞きなさい」
エレジア様は膝に手をついて、屈んでいた体を起こした。
なんとなく、もっとこじれた話を聞かされると思っていたが、あっさりと父さんに後のことを任せた。
「あいつのことを話していいって私が言ってたって言えば嫌でも言うわ」
嫌でも、か。それはそれで面倒そうだ。
父さんから直接聞けるとしても、また今日みたく酔いながらの話は懲り懲りだけど、今夜のこれを無駄にするにはもったいない。
「ありがとうございます」
「礼なんて要らないわ」
素直に礼を言う僕に素気なく返したエレジア様の表情は、さっきよりも幾分柔らかい。
礼が要らないとは思えないが、これ以上食い下がる場面でもない。
「でもね、知ろうとするならどんなことでも受け止める気概は必要よ」
軽く言っているように聞こえるが、彼女なりの注意だ。
「はい」
それ以上は返せないし、返しようがない。
「もう、大人なあなたには分かりきってると思うけどね」
そう言って、彼女はふぅ、と小さく息を吐いた。
立ち上がり、月に晒される彼女の顔からは、さっきまでの話の重さが少しずつ抜けていくのが分かった。
「なんか、話してたら疲れたわ」
それはこっちも同じだ。
腹が減っている上に、頭まで使わされた。
「中の様子も見ないとね。あなたはどうする? 中庭の扉は開けておくけど?」
「……少しここにいます。馬車の時間だけ確認しないとですけど」
体の向きを扉の方に変えた彼女は、軽い口調で僕に聞いた。どうするも何も、まだ宿への帰り方すら把握できていなかった。
「それなら心配しなくていいわ。朝まで町とここを往復することになってるのよ」
僕の方に歩き始めた彼女は、僕たちが出てきた奥の扉に目を向けて「だから、いつでも帰れるわ」と微笑む。
それは助かるな。
自分で言っててなんだけど、真っ暗な中を一人で宿まで歩くか、頭を下げてここに泊まらせてもらうか、二択しかないと思っていたから。
「それとも泊まってく? ザックもディオネちゃんもいるからちょうどいいじゃない」
「いえ、帰ります。デミストニアへの帰り支度もあるので」
差し障りのない理由でうまく断れたとは思うが、彼女は小さく首を傾けて、片方の眉を上げた。
「あなたもケイドリンに居れば、ディオネちゃんは居てくれたのかしら?」
予想外の問いで言葉が詰まった。そんなこと、考えたこともなかった。
それに、ちょっと考えてみれば僕だけでもここに――ダメだ。
ディオネはデミストニアがいいと言っているんだから、僕が違うことをしてどうするというのだ。
断らないと。
「すみません。私には彼女のことがまだよく分からないので」
正直なところ、おじいさんの話の後でディオネのことまで頭が回っていない。
「そう、残念ね」
残念、か。どちらにとっての残念なのか、聞き返す勇気はない。
「また会いましょう」
「ありがとうございました」
僕の肩を叩くエレジア様に会釈をして、歩いた散歩道を戻る彼女がすれ違うのを待つ。
彼女が横を通れば、強い花の匂いが僕の鼻を突き抜けた。
彼女の香水はそれなりに強力なようで、この匂いは当分忘れられそうにない。
さっきの話と合わせて、ずっと覚えていそうなほどだ。
ディオネのことを気に入っている彼女なら、あと一回か二回くらいはまた顔を合わせることになりそうだ。
あ、大事なことを忘れてた。エレジア様に言わないと。
僕の後ろで歩く足音に振り返ると、帰り道は特に早いらしい彼女は、もう花畑を抜けたところにいる。今言っておかないと、それこそ後悔するかもしれないから。
「すみません! ディオネの体調も、宿のことも全部ありがとうございました! とてもいい経験になりました!」
彼女の背中越しに僕は声を張って頭を下げた。
ただ、いきなりの声に驚かせてしまったようで、彼女の肩が大きく跳ね上がって僕に振り返る。
怪訝そうに眉をひそめた顔が月明かりでうっすらと見えた。
「何? 急に怖いわ」
「いえ、言っておかないと後悔すると思って」
別にやましいことではない。手紙では済ませていたが、面と向かっている今も言うべきだと思ったのだ。
おじいさんがどうのこうのと、『死んでから伝えた』と訳の分からないことを言ってくれたから思い出せたし、彼女に言うことができた。
ありがたがることではないけど、心はスッとする。
そして、話を聞いた彼女は離れた僕にも微かに聞こえる程度に、クスクスと笑って言った。
「やっぱり、あなたはザックによく似ているわ」
そう言ってもう用はないと、彼女は振り返ってそのまま階段を上がる。
開けた扉から廊下の光が差し込んで、一瞬、目がくらんだ。
「じゃあね」
と言って流れるように、彼女は空いた左手を上げた。
僕への挨拶のようで、もう一度「ありがとうございました」と言って頭を下げる。
閉まる扉の音に顔を上げれば、廊下からの光はなくなっていた。
ここにはもう月明かりと『ハクメイ』の花が反射する微かな光だけが僕を照らしている。
満足感など何もある訳がない。
エレジア様の言った話が偏見だとも思えない。
そう思いたい僕の身勝手さのせいか、思い出の中のおじいさんの姿が途端に朧気になった。
優しかったあの笑顔が、僕の頭の中では幾分不気味な笑顔に変わったのだ。
「おじいさん、……なにがあったんだよ」
答えなど出るはずもない思い出の中のおじいさんを考えるだけで、今は精一杯だ。
気がつけば中庭の生ぬるい空気は夜風に靡いて、夏にも関わらず肌寒くなる。
だが、これくらいが逆に心地良かった。
何もかもが裏返りそうな話を聞かされて頭が熱くなっていたから。
張り詰めた体をほぐすように、さすがにこれ以上の出来事なんて起こらないと、冷たい空気を目一杯に吸い込むと、柔らかな花の香りに少しだけ心が癒やされた気がした。




