30
招かれざる男が休憩室のベットに座っては、「水くれないか」と僕に使用人のようなことをさせた。
それに対して思うことなどない。訳などなく、水の瓶と空のコップを酔っ払いの近くにある机に置いて、可能な限り離れた。
僕のそれに「入れてくれないのか?」と怪訝な顔になって聞いてくるが、「どれくらい欲しいか分からなかったんで」と返す。
壁に背をつけて話す僕に悲しそうに「そうか」と言って、彼は自らコップに注いでいく。
目一杯に注いだ水を据わった目で、一息に飲み干す彼を見ると、ただ瓶とコップを置いただけで正解だったようだ。
少しばかり芽生えた罪悪感は、すぐさま宙に消えた。
コップに水を入れて、父さんの世話をしてから、もう一杯とか言われるより全然マシだ。
水を飲み終わった彼は、ようやく一息つけたらしい。
据わっていた目に力が戻って僕を見る。
「ディオネ嬢と彼女があれほどとはな。……お前は知ってたか?」
「彼女って何です? あの子……そんなに有名なところの子なんですか?」
いきなりの問いかけに前提となる知識のいくらかが抜けている。
こいつの言った『彼女』とはシンリーのことだろうけど、そこが違えば何も分からないし話はかみ合わないままだ。
あと、あいつってやっぱり結構凄いところの子ども? やっぱり、隠し子とか?
「そうだな。……まぁ、お前は知らなくても良い」
僕にそう返して頷く彼は、首を傾げて「敬語はやめろ」とらしくなく、いじけた顔をして僕を見る。
威厳とか雰囲気とか、ライフアリー商会の商会長として近寄りがたいそれは今の彼から出ていない。
どっちかと言えば、酔っぱらいのおっさん程度の鬱陶しさを感じた。
それに、敬語はやめろって。
母さんと同じことを言っているし、あの夜の焼き直しをしているみたいだ。
今回も夜だし。
「母さんと同じこと言ってま……言ってるんだけど」
「イレニアと? はは、さすがだな」
僕の言葉に満足げに頷いては、またコップに水を注ぐ。
今度は飲み干すんじゃないようで、口に少しだけ含んだ。
「まぁ、イレニアも来る予定だったんだが」
コップを手に持ったまま、下を向いて「アレックスの子どもと遊ぶってきかなくてな」と笑う彼はため息を吐く。
夫婦間の愚痴は聞きなくないんだが……まぁ少しくらいなら相づちを打ってやるか。
「彼女は本当に変わらない」
「子どもみたいですね」
適当に返しておけばいいかと、俯く父さんに返す。我ながらしょうもない相づちだこと。
ベットに座ったままの彼は、呆気に取られた顔をした後に笑って、頭を横に振った。
「違うぞ、そこがいいんだよ」
愚痴ではないらしい。
全くもって紛らわしい話し方をする彼は続けて「ほら、敬語になってるぞ」と僕をからかう。
「いいじゃ……いいだろ。いきなりそんなこと言われたって治らないし」
そもそもこの男とは一年に一回会う程度なのだが、ケイドリンに来てからもう今日で三回目だ。慣れろと言われても難しい。
いくら父親だとしても、いや、父親だからこそか。
一丁前に、いつもの態度ではない彼を見て緊張している。
全然そんなことはないはずなんだけどな。
「そうだな」
返した言葉は父さんに届いたようで、頷いては残っている水を飲む。
もう、そのまま寝てほしいが、彼の赤い目はまだしっかり開いている。
「……イレニアも嘆いていたぞ。ファビオが他人行儀だって」
「結構前の話じゃん。よく覚えてるよね」
「まぁ、それでもやっぱり家族に敬語はなぁ、貴族じゃないんだから」
苦言を呈されたと考えていいのだろうか。
貴族じゃないと母さんも言っていたけど、デミストニアでの影響力は未だ貴族と同じかそれ以上に大きい。
だが、それでも僕らは貴族とは違うのだと言いたいらしい。
だったら、ライアンさんとエリー姉さんの婚約とか貴族に近くなかったらできないと思うけどね。
「だが、まさかだな。ディオネ嬢は」
酔っぱらいの話の切り替えに僕はついて行けるのだろうか。「見事と言うほかない」と一人頷いては「お前も分かるか? ディオネ嬢の凄さ、私には真似できない」と得意げに聞いてくる。
真似できない癖してなんでそんなに得意げなのか。
両方の意味で「全然わかんないよ」と返す。
「分からんかぁ」
「うん、全然」
あんたのそれもディオネの真似のこともどっちも。
「まぁいいさ。そのうち、お前も分かる時が来る」
言外に、子どもだな。と言われている気がした。
……もういいだろうか、酔っぱらいの相手をするのは。
晩餐会に来ているはずなのに、僕だけがずっと関係ないことをしている。
一つだけらしいことをしたのは甘いブドウを食べたことくらいだ。……ここに来た意味あるか? ないだろこんなの。
何もかもが面倒になってきた。
窓から逃げ出してやろうかな。ちょうどすぐ窓があるし。
そう考えたら後は簡単だ。
城の周りには明かりが灯っていないが、壁伝いに歩けば最初に入った城の扉に行けるはず。
砂利のせいで、侵入者と疑われたところでどうとでもなるのだ。だって、僕招待客だし。
一旦、外の景色を見てみようと窓まで足を運ぶと、唐突に、そして突然に、頭に手を置かれた。
「ちょ、ちょっとやめろよ」
「少しくらいいいだろ? 久しぶりの水入らずだ」
頭にある手は父さんの手で、上から押されてぐちゃぐちゃに乱す撫で方をしている。
少しどころか一瞬たりとも良くないことに、水入らずなんて言葉は免罪符たり得ない。
「そんな子どもじゃないからだよ!」
距離の詰め方が下手なこいつに強く返しながら、撫でている手も払う。
僕の言葉も全く効いていないようで、振り返った父さんは悪びれた顔の一つもない。
というか、いつの間にベットからここまで歩いたんだよ。
「私にとってはいつまでも子どもで、息子だ」
一呼吸置いて、父さんは続ける。
「まぁ、あまり好いていないのも手に取るように分かるが……嫌だったか?」
そこまで僕のことが分かっているのなら、なんで頭を撫でた?
頭おかしいだろ。
「誰でも嫌だろ」
きょうだい全員が嫌うと断言できる。
幼いシンリーくらいの年なら違うのかもしれないけど、もう酒を飲めるくらい大人な僕には、気持ち悪さすら感じた。
「あぁ、じゃああれだ。親父のことか」
まだ酒臭い声には、僕を嘲笑うような声色も感じた。
手に取るように分かっていると言いたいようだ。
「お前は親父が大好きだったもんな」
こいつは僕の言葉を待つことなく続ける。
「デュランからも言われたよ。ちゃんと話せって」
デュランのせいか。
こいつは僕に何を話すというのだ。
どうでもいいことはともかく、おじいさんの悪口は聞きたくない。
だが、こいつの軽くなった口からどんな言葉が出てくるのかは気になる。
「だったら何だよ。晩餐会が終わったらすぐ帰るよ、僕。……話したかったら聞くぐらいはしてやるさ」
「ありがとう」
父さんの顔は僕の近くにあって、前に見た時より顔のシワが増えていた。
まぁ、僕が大人になればこいつも相応に年を取る。
そう考えれば、母さんの顔にはシワとか全然なにもなかったのはおかしいが、あれを真剣に考えるのは今はやめよう。
家族の中で一番おかしいことだから。
頭を撫でていた父さんは、満足したのかどうかは何も話さないまま「のどが渇いた」と言ってまたベットに座った。
「ファビオは知らないが、親父――いや、ゼクラット・ライフアリーは歴代の商会長の中で、一番愚かだ」
水をコップに注ぎながら、いきなりおじいさんの悪口から始まるとは。
こんな話なら、聞こうと思った僕が間違いだったか。
おじいさんのことを悪く言うこいつは、最初の入りを盛大に間違えた。こっちの方が愚かだと思う。
……酔っ払いでもそうでなくとも、聞く姿勢になった僕も同じだ。愚かでどうしようもない。
「おいおい、そう怒るな。まだ話し始めたばかりだろ?」
「だったら、その始まり方は悪意がある」
腕を組んで、壁にもたれかかる僕に「違う違う」と言って手を降るこいつは続けた。
「別に悪意もなにも、お前のおじいさんであるなら私はあいつの息子だ」
「ファビオよりもあの男のことはよく知ってるさ」
もったいぶって話すこいつに少しずつ苛立ちが大きくなる。
おじいさんの晩年も最後も、何も知らない癖に。葬儀のことだって、火葬された後すら葬儀の場に居なかったじゃないか。
唯一の息子のはずなのに。僕に『あいつの息子』などとよく言えたものだ。
「そう黙るな。話しづらいだろ?」
「あんたが!」
まるで僕が考えていること、思っていることを分かってるような目を、こいつは平然と向けてくる。
今、怒鳴ってもどうもならない。休憩室の生温い空気を深く吸って「……いいよ、続けて」と返した。漏れ出るため息には熱が入っている。
ダメだ。頭を冷やさないと。
カッとなって組んだ腕を解いていたが、気を取り直そう。
話を聞いてやるのは、こいつの言うことが気になったほかにもあるだろ。晩餐会が終わるまでの暇つぶしだ。
「本当に悪意はないからな」
ベットに座っている父さんにも僕の怒りが伝わっていたようだ。
別にどうかしてやろうとは、もう思ってないから「分かったから」と返して続きを促す。
「まぁ、なんでそう言うかってことだけど、ファビオは不思議じゃなかったか? エレジアのこと」
「不思議というかおかしいとは思った」
「そうか。それなら充分だな。本当に賢くなった」
いちいち感傷に浸ってそうに頷くのはやめてくれないか? さっさと話してくれよ。
「難しい話は端折って、端的に言うとだな」
僕の願いが通じたのかは怪しいが、座っている彼も腕を組んで口を開く。
重要そうなことをこれから言うようで、そんな彼に面と向かって身構えた。
「エレジアの出生について知っていたのは、デミストニア家が反乱で族滅するまでゼクラットしか知らなかったんだ」
「……それ、聞いたけど? 中庭で面談した時に。覚えてないの?」
さすが酔っ払い。全然言ったことを覚えていないようだ。
顎をさすって僕に「言ったか?」と聞く父さんに自信を持って「言ってたよ。おじいさんがくたばった時に初めて知ったって」と返す。
「そうか。言ったのか」
そう言って頭をひねる彼は「だったら」と言って手を叩く。
「親父の遺言のことは聞いたか?」
「誰から?」
「私からだが?」
さも当然のように言わないでほしい。
全然、自分の話したことに責任がないらしい彼に「聞いてないけど?」と返せば、「そうかそうか」と満足げに頷いた。
まだまだこいつの話は続きそうだ。
もう素面ではやってられないな。酒が飲みたい気分だ。
誰か持ってきてくれ。頼むから。こいつの相手も一緒にしてくれよ。




