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豪商の末っ子は、窮地に立つか。  作者: デンノー


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 カーテンを払った窓の向こう、幻想的に城を照らしていた照明は消えていた。

 夜闇が主役の時間がやってきたらしい。


 吐いた特有の匂いが消えている部屋では、もう窓を開けている意味は無い。生温い空気が入り込んでくるのも煩わしいし、吸い込んだところで気持ちよくもない。

 もういいか。と、それなりに大きい窓を閉めて、さっきからやかましいベットに座る二人を見る。

 ディオネと少女――もとい、シンリーという名前の少女が彼女の膝に座って二人は向かい合って話していた。


 二人がどんな話をしているのかなんて興味ない。

 ただ、片付けがずさんなディオネの後始末をしているだけだ。


「どう? あたしの服可愛いでしょ! お母様の着ていた服らしいの!」

「可愛いね! すっごく似合ってるよ!」

「そうでしょ! お父様にも褒められたわ! ……でも」


 シンリーはディオネの細い膝に器用に座るが、彼女の話の振れ幅が大きい。


「お兄様は、全然可愛くないって」


 二言目にはこれだ。

 そんなシンリーの様子に神妙な顔つきのディオネは頷いた。

 あまり接点はなかったけど、俯くシンリーに優しく微笑んでいる彼女は、名前は忘れたが孤児院の保母をしていた女性が醸し出していた雰囲気と似ていた。


「えぇ! こんなに可愛いのに? ファビオもシンリーちゃんの服、可愛いと思うでしょ?」


 ただ、彼女はシンリーの話に大きく相づちを打ちながら、こちらに意見を求めてくる。とかく面倒だ。

 二人だけで会話して欲しいのに、僕は休憩室でも肩肘張らないといけないらしい。

 三人しかいないのだから、一人くらい空気の扱いになってもいいだろ。僕を空気扱いしても全然怒らないからさ。


「……初めて見た服だからよく分からないけど、似合ってると思うよ」


 可愛いかどうかまでは分からないし、本当に聞かないでくれ。

 正直に、本音で、僕の感想をディオネに言えば、分かってないと言いたげにため息を吐いては据わった目で僕を見つめた。

 ……求めている意見がどうも違うらしい。


「可愛いよね?」


 肩肘どころか全身を張らないといけないみたいだ。


「可愛いよ。うん。可愛い」

「そうよね! シンリーちゃんは可愛いよ!」


 この状況では、本当のことを言うのは間違っているのか。

 一つ賢くなったよ。ありがとう、ディオネ。

 だからもう、僕に意見を求めないでくれ。


「ありがと」


 褒め言葉が恥ずかしいらしいシンリーは、俯いたまま小さな声で返事をする。

 扉の前で僕と応対していた威勢なんて、休憩室に入ってから微塵も感じない。


 ディオネの方に顔を向けているから、僕には彼女の顔がよく見えないけど、金髪の間から見える小さな耳は程よく赤に染まっていた。


 褒められるのに慣れていないらしく、彼女も年頃の子どもなのは変わらない。

 

「それにね、男の子は女の子を褒めるのが恥ずかしいんだよ。だからシンリーちゃんのことをお兄ちゃんが褒めないってことはね、シンリーちゃんのことを可愛いって思っているってことよ!」


 ディオネは一呼吸のうちに言葉を紡いだ。

 青い顔で近くにいても聞こえなかった小さな声が、今でははっきりと休憩室に響いている。

 もう大丈夫そうだな。


「本当?」

「ホント! 大丈夫! お姉ちゃんが保証する!」

「……分かった! 帰ったら、お兄様に聞いてみる!」


 シンリーの肩に手を置いたディオネは「はぁ、可愛い」と呟いて。


「ホント、食べちゃいたいくらい」


 信じられないくらい気持ち悪い言葉を平然と吐いた。

 彼女の顔はもう、晩餐会に出て良いような顔をしていない。だらしなく下がった目尻に上がった口角はピクピク痙攣している。

 挙げ句、目が晒すそれはとても他人様に見せられるような物ではない。


 だから、と言うべきか案の定、ディオネの膝に座っているシンリーは身の危険を感じたようだ。

 彼女から離れようと藻掻くが、肩を掴まれていた彼女は抱きつかれて離れなれないでいる。

 もうどうしようもない。


「ちょ、ちょっと! シンリーちゃん! 違うって!」

「ちがくない! ディオネ怖い!」


 シンリーは間違えていない。怖がって当然だ。

 それに関しては僕が保証する。


「ち、違うよ! えっとぉあれ、あれよ! 目に入れても痛くないってやつ!」


 藻掻くシンリーに抱きついたまま彼女は落ち着かせようと、ギュッと強く抱きしめては「だから離れないで!」と縋っている。


 まぁ、彼女が何を言っているのか意味不明なことを口走るのは、今に始まったことでもない。


 一つだけ、逃げようとするシンリーに言いたい。

 ディオネが一番不敬なことをしている。

 もう一回『不敬』の意味を学び直した方が良い。お兄様に可愛いかどうかより、そっちの方が重要だと思う。


「何やってんだよ。二人して」


 空いたベットに座る気にもならないから立ったまま二人のことを見ているとこれだ。

 ベットの上で、小さい子どもと大きい子どもの二人のじゃれ合いは程々に終わらせて欲しい。

 見てられないし、ベットの下に隠している吐き袋も片付けないとだし、もう早くそこから移動して欲しいな。






 もう二人のことは待ってられないので、じゃれ合いの合間に邪魔にならないよう、慎重に吐き袋を取った。

 余分に置いてあった未使用の吐き袋を何枚も重ねてかぶせ、棚の下に置く。

 こうすれば、片付けに来た使用人も、これが使用済みだと分かるだろう。

 誰が吐いたか分かるように名前も書いてやりたかったが、休憩室に筆がなかったから諦めた。


 吐き袋の片付けを終えると、シンリーは彼女のことを怖がることもなくなって、今度はベットで二人並んで座っていた。


 エレジア様と中庭で面談した時の構図と似ているが、今回はディオネがシンリーの肩に手を回して逃げ出さないよう押さえ込んでいる。


「へぇ、ファビオはディオネの助手ってやつなのね」

「そうだよ。私って結構本を書くの上手だからね。助けてあげてるのよ」


 彼女はゼクラット書店のことまで話していた。

 まぁ、言っていることはあながち間違っていないし、こいつのおかげって言うのは純然たる事実だ。

 けれど、本人に誇示されるのは少しばかり良い気分ではない。

 本を書くこと以外の雑務を引き受けている僕にとっては、言い返したい気持ちが湧いた。




 彼女たちには聞こえないため息の一つや二つ、僕の口から漏れても続く二人の話は突然の扉の音、五回と鳴ったノック音に遮られた。


「どなたかいらっしゃいますか」


 その声が聞こえた途端、シンリーはディオネの手を払ってベットの下に潜り込む。

 その様子に当のディオネは困惑しているようだが、僕にも聞き覚えがあった声に合点がいった。


「いますよ。全然問題ないので入ってもいいですよ」


 ベットに潜って隠れた彼女のことなど構うことなく、扉越しの声に返す。

 彼女の慌てようを見ると、この声は件の『じいや』なのは明白で、「ちょ、ちょっと!」と彼女は小さな頭を僕に向けた。

 僕が言った通りでしょ。

 もし嫌だったら隠れるんじゃなくて、僕たちにちゃんと黙って隠れるように言うべきだった。

 そもそもディオネと僕が隠れる場所なんてないけど。




「失礼いたします。ケイドリン伯爵家執事長のロベットと申します」

「あぁ、ロベットさん」


 扉が開くと、黒のジャケットに袖を通したロベットさんが入ってきた。

 以前見た埃一つないジャケットとはかけ離れた埃と土にまみれたパンツに、首元の蝶ネクタイは襟から外れかかっていた。

 整えていただろう髪はぐちゃぐちゃに乱れて、顔にも土が付いている。


 なるほど、お転婆で我が儘な誰かさんの付き人を彼がしているようだ。

 『じいや』がまさかロベットさんだとは思いもしなかった。これではディオネの言った通り、シンリーはケイドリン伯爵の隠し子か?

 

「ファビオ様とディオネ様でしたか。休憩中申し訳ございません。大きな袖の服を着た少女を知りませんか? 目を離した隙に走り去ってしまいまして」


 落ち着いてジャケットの埃を払いながら尋ねる彼を前に、ディオネは驚いた様子でベットから立ち上がった。

 シンリーを庇おうとしてベットから彼の目線を外すつもりらしい。


「大きな袖って、羽織のことですよ! ロベットさん知らないんですか!?」


 ……うーん、庇おうとしているのだろうか。


「羽織ですか、なるほど。……ディオネ様は博識ですね」


 埃を払い終わると、蝶ネクタイを付け直すロベットさんに彼の言葉に照れたディオネは「それほどでもないです」と笑う。

 多分、ロベットさんは羽織だということを分かっていたと思うよ。少し間があったし。


「それで、ファビオ様は知りませんか? 伯爵家の大事なお客様なのですが」


 パンツの汚れはもういいようで、ロベットさんは僕の方を向いて話す。……ディオネと話してくれればよかったのに。

 僕の立つ位置では、シンリーの嫌そうに歪んだ顔つきが見えだ。

 だが、彼の言葉もところどころ気になるな。


「大事なお客様、ですか」

「そうなんです。先日お着きになられたばかりでお疲れかもしれません」


 そう言って目を伏せる彼は「いやぁ、困りました」と頭に手を当てて休憩室を見回して続けた。


「もしかすると、休憩室で寝ていらっしゃると愚考したのですが」


 どうせこうなるのは目に見えていた。

 だから、善意で休憩室には入らないほうがいいって言ったのに。

 

「あぁ、やっぱり! シンリーちゃんのことですね!」

「はい、ディオネ様はご存じですか」


 まぁ、秘密にしたいことは大体がバレるものだ。

 今回に関しては、ディオネがいることそれ自体がシンリーにとっては全部を台無しにした。

 ざまぁみやがれ。と思えばいいが少しばかり可哀想でもある。ロベットさんも可哀想だから、ディオネだけ仲間はずれだな。


「お人形さんみたいに可愛いですよね! ちょっとベットに潜っちゃいましたけど」


「ダメだ、こいつ」


 隠す気も庇う気もサラサラない。

 おいおい。シンリーの顔がとんでもないことになってるぞ。


「そうですか、そうですか。ありがとうございますディオネ様」

「え? ……あ! シンリーちゃん! ごめん!」


 ディオネは自分が言ったことと今の状況をようやく理解したようで、口を押さえて自分でびっくりしていた。

 もう芝居をうったと言われたほうが納得できる彼女の所業にベットの下に潜っていたシンリーは「分かったわよ」と言ってため息をついて出る。


 埃で汚れているかな? と思って彼女の姿をしっかり見ると、丁寧に掃除がされているようで、服のシワができていただけでそれらしい汚れはなかった。


「私はここよ。ほら、どこでも連れて行きなさい」


 肩を落としたシンリーはディオネの横まで歩くと手を広げて、ロベットさんに拘束されようとしていた。

 

「そんな物騒なこと言わないでください。会場に行くだけですよ」


 全部が上手くいっていないから不貞腐れているシンリーに、彼は「まいったな」と頭を掻いた。ぎこちなく口角も上がっているから、どうしようかと悩んでいそうだ。


「面倒なのよ。笑顔を振りまくの」

「ですが、あなたの仕事です。これだけが仕事です」


 まぁ、とりあえず僕はシンリーが隠し子じゃないと思えただけでいい。

 大事なお客様だと言ったロベットさんの話はもう考えないようにする。

 

「だ、だったら! 私も行きます!」

「あなたも?」

「そう! シンリーちゃんの横で一緒に笑うよ!」


 さっさとシンリーを連れて会場に行けばいいものが、彼が何を悩んでいるのか分からない時間のせいでディオネがこれまた馬鹿な提案をした。

 二人が言っていたことを聞いてないらしい。


 ディオネからすると地位の高い貴族を相手に笑うのだ。誰とも知らない女の笑顔で一体誰が喜ぶのか。

 まぁ、僕に集っていた連中くらいか。


 彼女の提案にシンリーが「ふーん」と嬉しそうに笑っていたのが見えると、ディオネの手を握って前に立つ彼に口を開いた。


「いい?」

「エレジア様に確認は必要でしょうが、問題ないでしょう」

 

 ディオネの提案は何の障害もなく受け入れたようで、「喜ばれるかもしれませんし」と彼は二人に微笑んだ。


「よし決まり! だったら一緒に行こ!」


 気分がずっと高い今のディオネなら問題無いだろう。

 けれど、さっきまで晩餐会に戻れそうになかったはずだが、どんな体調の変化が起こったのだろうか。やっぱり人間の体は不思議に満ちあふれている。


「ちっちゃくてあったかぁい」


 早速、会場に戻ろうと歩き始めるディオネの呟きが聞こえて、彼女たちはもう開いている扉から廊下に出ていった。


 ディオネだけ、なにも話さず笑顔だけで乗り切ってほしい。もう面倒を見きれない。


「ファビオ様はどうされますか?」


 出ていった二人に付いていこうとしたロベットさんが歩みを止めて僕の方に顔を向けた。

 どうするって、どうもしないよ。

 ディオネの面倒を彼が見てくれれば、僕は休憩室で一人休める。

 

「僕は休憩室にいますよ。思いのほか疲れました」

「そうですか、では」







 シンリーが見つかってからのあっけない幕切れに、出ていった三人の残り香だけが漂う休憩室で本当に疲れてしまった。

 ロベットさんに軽食を持ってきてもらえば良かったか。まったく考えもしなかった。


「ふう。しんど」


 無意識のうちに呟いて、ディオネが使っていたベットに腰掛ける。もう二人が座っていた温かさもなくなり、シワになっているだけのベットに手をついて天井を見上げた。

 張り詰めた気が解れていく。深く息を吸ってゆっくり吐けば相応に眠気すら出てきた。


 このまま寝てしまっては朝まで起きそうにないからベットから立ち上がると、扉が音もなく開いた。


「あ」

「お」


 黒の髪を後ろで一つに結んで、額を見せるように髪を上げている中年の男。少し痩せ気味に髪と同じ色の服を着こなしている彼は僕と同じ赤い目でこっちを見ていた。


「お! ファビオ! 休憩室で休んでたのか!」


 今一番見たくない顔があった。

 声は最近聞いた中で一番大きく聞こえて、ディオネといい勝負の大声が休憩室に響く。

 部屋の扉は開いているから廊下にも聞こえているんだろうが、そんなことはこいつにとってはどうでも良さそうだった。


「いやぁ、見かけないと思って歩いていたけど、ここか!」


 笑って進む彼の後ろで無情にも閉まる扉。

 誰でもいいからもう一人だけでも入ってきてほしい僕の思いは届かない。


「楽しんでるか?」

「おかげ様で楽しかったですよ、父さん」

「楽しかったって、まだ晩餐会は終わってないぞ」


 勘弁してくれよ。

 ディオネの介抱から始まって、シンリーの件といい、次はこいつの相手なんて。面倒ごとの波は絶え間ない。

 というか、こいつ酔ってるだろ。近づいてきたら結構匂うぞ。


「ファビオは酒飲まないのか? もう飲めるだろ?」


 僕が座っていたベットに父さんは座って聞いた。

 まぁ、飲めるがあんたらのことを介抱したら飲める物も飲めないだけだ。

 そんなことなら、もう寝ててくれないか? こんなことだったらディオネについて行ったらよかった。


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