27
改めて会場を進むが、やっぱり城の中にもかかわらず木陰のような暗さが心地良い。
デュランと別れてから、歩きつつも彼女の様子を見ているけれど、さっきから全く動いていない。
ずっと上を向いたままだ。
「飲み物いかがですか?」
彼女が立つ場所のすぐ近くまで歩くと、手にコップを乗せた盆を持つ使用人に声をかけられた。
黒いロングスカートは足首まで丈のあるワンピースのようで、柔らかく僕に微笑む彼女に「大丈夫です」と返す。
「そうですか。ではご用がありましたらお呼びつけください」
と軽く会釈をして、会場を練り歩いていく彼女のあとには晩餐会らしい光景が見えた。
彼女に話しかけて飲み物をもらっていく人がいる。
……僕ももらえば良かったな。宿から一杯も飲んでなかったことを今になって思い出した。
「でも果物あるからいいや」
そうだ。僕の目の前には、何十種類とある山積みされた果物とパン。
ただ、パンからは湯気が出ていないのは見て取れたし、大皿にのっているそれは少しばかり数が少ない。
焼きたての匂いなど全く無いから多分冷めている。
そんな中で、果物だけは山積みなのだ。
それ専用といってもいいくらい、果物を置いている机には他のものが置ける場所はない。
ケイドリンって果物が特産だったか? まぁ、気が向いたら調べてみるか。
「けど、凄いな。見たことない果物もあるじゃん」
僕が見た限りでは、一番前に色違いのリンゴとブドウが陳列されているが、色が違った。
形はそれだと分かる。だが、リンゴの赤は緑になって、ブドウの紫も明るい緑に変わっている。
全然、酔ってもないはずだし、そもそも酒すら飲んでいないのに、見間違えたかと思った。
目を擦っても緑のままだから、見間違いではないらしい。
少しどころか大いにどんな味がするのか俄然興味がある。勿論、視界の隅でディオネをちゃんと見ている。
果物置場の机の向こうで、まだ立っているだけだ。
だったら、一つだけもらおう。
「リンゴかブドウか」
初めて見る色に選ぶ楽しさも出てくる。
あいつのことも忘れていないよ。
ディオネの体調が変わって悪化していたとしても、果物くらい口に入れさせてほしい。
昼食から何も食べていないから。
よし、ブドウに決めた。
「……あっま」
一番前に並んでいて、房から何粒か取られていたブドウを、僕も粒をひねって取る。
そして、そのまま取った一粒を口に入れれば、溢れる果汁がなんと甘いことか。
甘酸っぱい紫のブドウでは到底叶わない、酸っぱさを抜いたとても甘いこのブドウにもう一粒だけ手に取った。
緑のリンゴも興味があるけど、さすがにそんな時間はかけられない。
口を動かしながら、果物置場を超えた先を見れば、机に置かれた様々な色の瓶と埃一つない多くのコップ。
その前に彼女は立っている。
嗅いでみると……酒臭いな、ここ。
……おいおい、ディオネ。
伯爵様の晩餐会で……いやいやいやいや、待て待て僕。
彼女に聞いて、ちゃんと判断しないと。
「おい、ディオネ。お前やったな?」
天井を向いた姿勢で固まっている彼女の手元には、コップが一つ。
しっかり握られては、微かに揺れている彼女に合わせて中に水面を揺らしている。
彼女は話しかけた僕に気づいたようで、黒い目を器用に向けた。
「……何が? なにもやってないけど?」
うん、やったな。
「それ、酒だろ? 飲むなって言ったのに、飲んでるじゃん」
「え? ……これ酒なの?」
分かっていない彼女に「え?」と返せば「え?」と返ってきた。
「分からないまま飲んだ?」
「……飲んだ」
「もしかして、下向いたら……」
「うん、吐きそう」
そっか、吐きそうか。そっかぁ。
小さな声で返したディオネの声に笑いそうになる。不謹慎だが、真剣に上を向いている青い顔が間抜けなのだ。
「休憩室、行くか?」
「……行く」
楽しみにしていた晩餐会が、もう終わりとは。
こいつも運がないというか何というか。
「やっぱりバカだな」
僕の呟きに彼女は「うるさい」と返すだけで、上を向いたまま動かない。
一人で動けそうもないから彼女が持っていたコップを取って、空いた手を握る。
「ほら」
「……ありがと」
握った彼女の手は冷たく、僕には具合も悪そうに思えた。
* * *
時間的に僕がディオネを連れて行ったのはギリギリだった。
なにせ、一際明るい会場の中央で、ケイドリン伯爵とエレジア様が手を取り合って踊り出したのだ。
会場で見ていなかったから別の場所にいるのかと思えば、普通に会場にいたようだ。全然分からなかったよ。
それに気づいた招待客が一斉に会場へ戻っていき、休憩室にいた貴族や商人とはすれ違いで部屋に入れたのだ。
一度冷め始めた晩餐会の雰囲気は、ぐんと盛り返して熱気が戻っていた。
けれど、僕にはやっぱり音楽がないと盛り上がりが欠ける様に感じる。
ディオネを連れて会場から出る僕の背中には、そんな些細なことを気にするような雰囲気は微塵も感じないほど熱くなっていたが物足りない。
「とりあえずは大丈夫だな?」
「うん」
前に来た城の間にある中庭の花畑で見た、渡り廊下の部分。
ただの廊下と思っていた場所にもちゃんと部屋があって、その一室に連れて入る。
ずっと上を向いたままの彼女を慎重に、仮眠用らしいベットに座らせ、「吐き袋要るか?」と聞けば「お願い」とさっきよりもか細い声が聞こえた。
扉の向こうから聞こえる会場の声よりも、こいつの声の方が小さい。
「分かった。とりあえず横になるなよ」
多分、歩いて気持ち悪くなったんだろうな。
明らかに会場で見た時よりも彼女は弱っている。
様子を見ているだけではどうにもならないから部屋を物色すると、用意の良いことに壁掛けの棚には吐き袋らしい茶色の紙袋があった。
「よし、後は水だな。……って、ディオネの近くにあったか」
僕も吐いたことくらいはあるから終わった後の口の中の惨状を知っている。
水が入った瓶とコップはベットの横にある机に置いていた。
だから、吐き袋を持って一旦休憩室の窓を開けて、それからディオネの座っているベットに戻る。
「ほら、ここに吐いて」
ディオネの手に吐き袋を持たせてから言えば、すぐさま彼女は顔を袋に突っ込んだ。
気持ちの良いくらい早いそれと袋の中から聞こえる汚い声。
「水はコップに入れておくから」
未だに袋から顔を離さない彼女は袋越しに頷いた。
「部屋出とくから片付けはできるな?」
「できる。終わったら呼ぶ」
ディオネのそれは一旦治まったようだ。
まぁ、少しはマシになって良かった。
吐いたところを見られたことに、今気づいたようで「早く出てよ」といくらか大きい声で僕に言った。
「分かったよ。片付け終わったらちゃんと呼べよ」
一丁前に恥ずかしくなった様子のディオネにそう返せば、「子どもじゃないんだから。早く」と袋越しに聞こえた。
いつも通りの言いように調子も戻ってきた彼女に、僕は肩をすくめて部屋を出る。
晩餐会に戻れるか分からないけれど、この調子だったらこの城に泊まらせてもらう羽目にならずにすみそうだ。
「……後悔したくないのにな」
扉を開けた時に聞こえた彼女の声に振り返って様子を見れば、袋に貼り付けていた顔を離してコップの水を持っていた。
どこか寂しそうにも聞こえるその声はただの独り言のようで、水を口に含むディオネの背中を見ただけでなんと声をかけて良いか分からなかった。
一旦、休憩室から出れば会場の方から拍手が聞こえた。
この感じでは、伯爵様の踊りが終わったのだと思う。
「人を入れるのは……よろしくないな」
まだまだ続く晩餐会で休憩を取る人もいるだろうけれど、吐いたディオネと吐き袋に、窓を開けてはいるが匂いが残っている部屋に入れるのは良くない。
「しょうがない。ここで見張るか」
独り言を呟いて閉めた扉に背中を預けて息を吐く。
そういえば、休憩室から出る前に彼女が言った『後悔したくない』とはどういうことだろうか。
彼女の様子を見られてなかったから詳しくは分からない。
だから、誰かと話してみたり会場の雰囲気を観察してみたりと、色々やりたいことができなかったのだろう。
あいつは、流行り病で寝込んだ時も『晩餐会に出たい』と事あるごとに口にして、ヨハンセンさんに治療してもらった翌日には『良いことってあるんだね!』と笑っていた。
だから、待ち遠しかったのも分かる。
それがまさかの酒を誤飲して潰れるとは、良いことの後に良くないこともあるようだ。
マインさんには悪いが、あの時の人集りは無理にでも抜け出すべきだった。
ちゃんと、あいつのことを見ておけば良かった。可哀想なことを僕はしたかもしれない。
「あぁ、あれだ。『後悔先に立たず』ってやつだ」
おじいさんに教えてもらったことわざ。
思い出すのが幾分遅いが、今の気持ちを表現するならこの言葉が一番合っている。
彼女の楽しみをこんな形で棒に振ることになるとは――って、僕が悪いかこれ?
「さすがに誤飲する方がまずいだろ」
飲んだのが酒か酒じゃないかの話で、酒さえ飲んでいなかったらなんでもなかった。
「じゃあ、いいや」
考えるのはやめよう。
ディオネが落ち着いても彼女は酔っているだろうし、今日は休憩室から会場の盛り上がりを聞くだけで終わりだ。
この会が終わるまで、僕がすることはこの休憩室に人を入れないようにすることだけ。
無駄だな、この時間。
とりあえず、使用人さんがここ通れば軽食を持ってきてもらおう。やっぱりブドウ二粒では全然腹の足しにならない。
あと飲み物も欲しいな。
「ねぇ、この部屋入って良い?」
ゆっくり会場の喧騒というか、賑やかな声でも聞いて時間を潰そうと腕を組み目を瞑るところで、下を向いた先に少女がいた。
「聞いてる? その部屋って入って良いわよね?」
会場で子どもは見かけなかったが、ケイドリン伯爵の子どもか?
いや、あの人たちの子は今ワグダラ王国首都の学園に通っていることは調べていたし、十歳程度の子どもはいなかったはずだが?
「ねぇってば!」
そう言って足を踏み鳴らす少女を見て、僕の一難もディオネの一難も去ってまだ面倒なことは残っている気がした。
漏れたため息に「なによ!」と突っかかる少女にエリー姉さんの影がちらつく。
……なんか、腹一杯かもしれない。




