22
ケイドリンの町も、見渡せば四日後に迫った建国祭の準備を始めていた。
ディオネの希望で以前食べに行った店でまた、昼食を済ませたのだ。
宿に戻る途中ではあるが、通りには彩られた飾り物が陽の光で煌めいている。時折、飾り物に反射した光が目に当たって眩しく、思わず目を瞑る時がある。
夜なら照明の明かりに照らされて綺麗なのだろうが、今は昼だ。
綺麗どころか、ケバケバしい。
あと、行き交う住民の服も店の従業員の服にも、手作りの小さな鶴嘴が胸元に飾ってあった。
色は人によって違うようだが、大体は銀色が多い。多分あれ、ケイドリン伯爵の家紋のモチーフだな。
ただ、蹄と花はないから本当にそうかまでは分からない。
「ねぇ、私たちも買ったほうがいいかな?」
「どうだろうな。まぁ、別になくてもいいだろ」
一緒に歩いているディオネは、すれ違う人の胸元を見て僕に言う。
「えぇ、晩餐会にも付けて行った方がいいんじゃないの?」
「そんなの知らないよ。僕」
つい昨日までエレジア様に会っていた彼女の方が知っているはずだが、この調子では聞いていないな。
それに、僕も鶴嘴を付けて行けと誰にも教えてもらっていない。
宿の人に聞いてみるか、だが。
「どうせもらえるんじゃない? 僕たちみたいな人多そうだし」
「……僕たちってなに?」
「他国っていうか、他の場所から来た人ってこと」
そうなのだ。
『ラ・レビアン・ケイドリン』に泊まっている間も、大きな荷物を持って宿に来る人は多かった。
見るからに上流階級の人って感じの雰囲気もあったから、伯爵様に招待された人だとなんとなく分かる。
名前とか全然知らないけど。
「ふーん、私たちだけじゃないんだね」
「まぁな。大規模の晩餐会なんだろ?」
そのせいで、今日から伯爵家は本当に大忙しで準備を進めているらしい。
ディオネから『もう入れないから面談もなしって言われた』と朝に彼女から聞いたのだ。
昼飯を食べて忘れているんだろうな。今日もたくさん食べてたし。
「あぁ、そうらしいよ。毎日使用人さん走ってたの見えてたわ」
そう言う彼女は通り沿いにある小物店を見つけたようで「やっぱり鶴嘴買う?」と僕に聞いた。
心配になっているようだが、僕にはディオネのドレスが入るかが心配だ。
元々痩せ気味の彼女だが、ケイドリンに着いてから今までで少しふっくらした。
顔も以前よりいい具合に赤く見えるから、血色もデミストニアにいたときより幾分か良かった。
「買わない。もう戻って仕事しようよ。原稿の校正でしょ?」
小物店の方に足を向けていたディオネの腕を掴んで僕の隣に戻す。
やけに熱い腕は汗を掻いているように思えた。
日差しはそこまで強くないのに、ここまで汗が出るか? 周りにいたっては長袖の服を着ている人もいるくらいだ。
「熱いの?」
「熱くない。ちょうどいいけど」
「汗掻いてるけど?」
小物店の前を過ぎ去って、もうすぐ大通リに出る。
だが、彼女の腕は熱いし、熱もあるようだが……。
「ちょっとごめん」
そう言ってから彼女の前髪を上げた。
いきなりのことでびっくりしているディオネの金色の目が僕を綺麗に映す。
あれ? 僕もちょっと太ったか?
「なに? こんなこと、はしたないからやめて」
「うるさい、ちょっとだけだから」
そう思えば、外に出る時も椅子に座る時に立つ時も、少し時間がかかっていたように思う。
目の前でよく通る鈴の音のような声も、かすれているように感じた。
「おいおい、おアツいね」
「こんなところで何やってんだ」
「勘弁してくれよ」
と周りの男から聞こえるが無視だ。無視。確かに端から見れば、そうなのだろうけど、腕を掴んで彼女の額に手を当てる姿に僕も思うことはある。
でも、そんな些事はどうだっていいのだ。
こいつの体温めちゃくちゃに熱いから。
「戻るぞ!」
「だからなんでよ!」
彼女の腕をしっかり掴んだまま、忙しなく人の往来が多い大通りに入る。さっきまでの通りと全然違う人の多さに行き交う彼らを抜けて歩く。
木の門が遠くに見えるが、そのまま歩く僕にディオネは「ちょ、ちょっと早いって!」と後ろで声を上げた。
「いいから! 門まで入ったらおぶっていくからな!」
「なんでよ!」
「熱だよ! とんでもなく熱いぞお前!」
「熱くないって! 私が触っても全然普通よ!」
「お前の体温だからだろ!」
さすがに異常な程の体温は見過ごせない。僕が顔を近づけただけでそんなことになるのなら可愛いものだ。その時は謝ってやるよ。
「そんなに引っ張らないでも歩けるから!」
「そんなこと言って誤魔化されないからな! 何だったらここからおぶってやるぞ!」
僕に捕まれている腕を離そうと振っているがこれくらい大したことない。
「分かったから! ちょっとだけゆっくり歩いてよ!」とディオネは折れたようだ。一度振り返って彼女の顔を確認すると、薄ら赤かった顔が一段と濃くなって息を切らしていた。
ロベットさんについて行った時より遅いはずだが、やっぱり体調は良くない。
別に試したわけじゃないけど、こうして肩で息をしているディオネは、間違いなくまずい状態だ。
「門からは本当におぶっていくからな」
「……ふぅ、いいよ。どうせ言っても聞かないんでしょ? ……ちょっと目が回って……しんどいや」
「よし、もうおぶる。ほら」
苦しそうに顔を歪ませるディオネの前で膝を折って、背中に覆いかぶさるように腕を引く。
途端にかかる体重と熱。
それと息使いから心音まで聞こえた。
「悪い。ちょっとだけごめん」
「なによ」
「やっぱり太ってないか?」
「死ね」
その言葉の後に続くものはなく、端的な罵声を浴びたが、それは甘んじて受けよう。これは僕が悪いから。
だけど、言っておきたかったし、言いたかったんだ。仕方がない。
「揺れてしんどかったら言えよ」
ディオネの膝裏に腕を通して、折った膝を伸ばす。
彼女からの返事はないが歩こう。
でもどうしよう、晩餐会。あと四日だけど間に合わないんじゃないか?
* * *
ディオネが泊まっている部屋に彼女を下ろして、水を飲ませてからベットに寝させた。
小高い丘を上って宿に戻ると、宿の人は彼女をおぶっている僕を心配してくれたようだ。「大丈夫ですか?」と聞いてくれた。
だから、そのまま「熱があるみたいなんで治癒院の人呼んでもらえます?」と返したのだ。
正直もう足は震えている。最初に宿に来た時よりも今日が一番疲れた。
「大丈夫か?」
「今のところは」
返事はまだできているディオネは横になった後からずっと、僕に背を向けている。
さすがに着替えとか諸々は部屋から出て終わるのを待ったが、治癒院の人が来るまでディオネを見張っておかないといけない。
そうでもしないと、動き回った彼女の様態が余計に悪化するのは避けたいから。
「何か欲しいのある?」
「ない」
ちなみに僕はベットから一番遠い椅子に座っている。そこから見えるディオネの部屋は、僕の部屋と同じ間取りで外が見える大きな窓には陽の光が差し込んでいた。
大通りで見た彼女のしんどそうだった顔色は、宿に着く頃には治まっていたが、「大通りまで引っ張って歩いたせいだ」と嫌みを言う元気は時間が経つほどなくなっている。
やっぱり熱だぞ、これ。
「もうすぐ治癒院の人が来るはずだから、一緒にいるよ」
「……自分の部屋に戻らないの?」
「元気だって嘘つかれても嫌だからだよ」
あと、事あるごとに「晩餐会には行けるから」と言い張っている彼女を見てると、無理そうだなと思う。
子どもの無理した強がりにも感じるそれには笑ってしまうからもう言わないで欲しいくらいだ。
「それにしても、部屋あんまり使ってないの? 結構綺麗に住んでるようだけど」
「……別に何でも良いでしょ。そんなこと今言わないといけないわけ?」
「ないな。ごめん」
正直、間が持っていないから話しただけだ。
想像していたよりずっと綺麗な部屋に、少しばかり驚いたとは言わない。
ただ、原稿とか物が散乱していると思っていただけだから。
彼女のかすれた呼吸音が聞こえるくらい静かになった部屋で、待とうと腕を組むと、ため息をついた彼女は「……デミストニアに帰るんだから、ちゃんと綺麗にしてるのよ」と吐き捨てるように言った。
「そうなんだ。僕は散らかしてるな」
「……そうは、見えなかった」
「あの時は綺麗にしただけだから」
「そう」
そして、また黙ったままの時間になる。
彼女に気を遣わせたようで申し訳ない気持ちが湧くが、ディオネのことを考えれば黙った方がいいに決まっている。
治癒院の人に診察してもらわないといけないから。寝られたら困るのだ。
「……大丈夫だよね」
小さな声で呟く彼女に「知らないよ。とりあえず診てもらわないと」と返せば、返事をしないまま僕の方に寝返りを打った。
少しだけ潤んだ目が僕を捉えた。
「……そうだよね。ごめん」
そういう彼女は弱々しく僕に謝って、また寝返って背を向けた。
少しドキッとしたのは腹が立つが、まぁいい。
とりあえず早く来てくれないか?
明るく照らしていた陽の光は消えて、夕焼けも落ちた頃にようやく治癒院の人の診察が終わった。
女の人を手配するのに時間がかかったらしく、そもそも来るのが遅れたことに宿の人から謝られたが、そこは急な対応をしてくれたことに感謝しかない。
彼女に関しては、診察と応急処置を終えてすぐに寝入った。
時間が経つごとにしんどくなっていったようで、やっぱり無理にでも宿に戻って正解だったと思う。
まぁ、朝の内に気づけば良かったという話だけど。
「晩餐会、なぁ」
ディオネが寝てすぐ、宿の人と一緒に部屋から出て、僕も自分の部屋に戻った。
治癒院の人が言うには季節外れの流行り病らしい。命に関わることではないと教えてくれたのは僕もディオネも安心した。
多分その言葉で気が抜けて彼女は寝たんだと思う。
「いやぁ、無理かなぁ」
命に関わらないが、七日間は熱が引ききらない特徴の病気だと僕にだけ教えてくれた。
それは僕が部屋から出た後で教えてもらった内容だから。
ディオネは知らないことだ。
「仕方ないよなぁ。当の本人が寝込んでしまったらなぁ」
仕方ない仕方ない。本当に残念だけど、僕だけでも晩餐会に出席しないといけないかもしれないけど、専属作家の体調不良で僕にも移っていたら最悪だから。
いやぁ、ただケイドリンに泊まりに来ただけなのはいたたまれないけど、これは不可抗力だ。しょうがない。――っと。
「……口元が緩んできた」
よだれが出そうになった。
別に晩餐会に出なくてもいい理由ができたことに嬉しくなってない。本当だぞ。




