19
嫌な汗が流れたのはさっきまでの話だ。僕たちは今、東屋の影に入っていた。
座っているのはディオネともう一人だけで、僕と父さんは屋根の端で立っている。
「やっぱり、メイルちゃんって天才ってことね!」
「あ、ありがとうございますぅ」
東屋にいる夫人が褒めて彼女がそれに返すやり取りは、もう数え始めてから十回はくだらない。
目の前で起こっている寸劇のような何かに、近くに立っている遠い目をしたロベットさんを見て何とか気を落ち着かせる。
座って談笑している二人を待っているのは苦痛でしかないが、今はロベットさんの無表情を観察するのが面白かった。
大変そうだよな。こんな寸劇――じゃなくて面談を、毎日のように見ているんだろ? 僕なら放り投げて辞めるね。
あとディオネに注意してほしいが、メイルちゃんは『名探偵メイル』の主人公だ。ディオネが褒められている訳ではない。
「そんな恐縮しないで! 私が悪いんだから!」
そうだそうだ。あなたのせいだ。こんな面倒ごとになったのはあなたのせいだ。
ディオネのせいで、とんでもない空気になってどうしようと困っていた矢先に、東屋から声が上がったのだ。
「あら、もう来られたの!?」と驚いた様子で僕たちを見つけた彼女は、大喜びで僕たちを歓迎した。
多分歓迎されたのは彼女だけだろうけど。
茶色の髪をまとめて流している彼女は、小麦の肌を晒す服装を着ている。
貴族と言えば重たい装飾品のついた長袖に着飾ったスカートを着ているものだと信じていたが、淡い緑色の半袖に薄いレースを着て、膝丈ほどの白いスカートと涼しげな服装で横に座っている。
そう、横に。
伯爵夫人と他国の平民という社会的地位の格差は、断崖絶壁で表現すれば、崖の上と谷底くらい離れている。
当然下がディオネだ。
「『名探偵メイル』ってなんかいいタイトルよね。ディオネちゃん考えたの?」
「まぁ、そうですね」
それはおおむね合っているが、少しだけ違う。
原稿が出来上がって、タイトルを考えるとき、マイケルの案では幼児向けすぎた。
だからディオネと別の案を考えたのだ。あいつの案は『魔法探偵メイリーちゃん――とその一行』である。
無茶苦茶だ。今思い出してもため息しか出ない。
結局、渋るマイケルの意見を一部取り入れて『名探偵メイル』と決めた。マイケルに気を使った結果だ。一から考え出したわけではない。
一悶着も二悶着もあったけど、その辺りは今は関係ない。
「『深窓の令嬢』のことも面白いし、ディオネちゃんは多才ね!」
「そ、そんなことないですぅ」
おいおい。今はお前が褒められたんだぞ? なんで恐縮するんだか。もっと自信をもって胸を張れ。
いつも思うことだけど、なんで彼女に売れっ子作家の自覚はないんだろうか。
影でも分かるくらいにディオネの顔が赤く染まっている。
恥ずかしがっているように俯いているが、口元はにやけている。
そんな彼女に話しかけ続ける夫人は、ディオネを覗き込もうと頭を下げると、それに気づいた彼女が頭を上げて対応した。
子ども染みた遊びすら夫人は楽しそうに笑っている。
まぁ、楽しいのであれば別にいいけど。
あと何回すれば満足するのか教えて欲しい。時間がもったいないって。
「そうだ! 今日食べようと思ってた菓子あるよね?」
目線を動かした彼女は、ディオネの膝に手を置いたまま、立っているロベットさんに聞いた。
菓子か。まだまだ話したいんだろうね。普通の面談で菓子なんて出ないから。
「えぇ、まだ手を付けられていない菓子がありますが――」
「だったら持ってくれる?」
「かしこまりました」
ロベットさんの話を途中で区切って、彼に有無を言わせずまた彼女の方を向いて話しだす。
ずっとこの調子で話しているのは母さんとディオネのやり取りに似ていた。
……何となくこの人と母さんを会わせない方がいい。
デュランも似たタイプだけど、あいつはこういう女性は苦手だから大丈夫だ。
僕も苦手だけど。
「そういえば、二人はどうするの? ディオネちゃんの付き添いよね?」
夫人はディオネと話していたが、急に僕と父さんの方を向いて声をかけた。
最初に自己紹介はしたけど、その時から夫人はずっとディオネのことだけ見ていた。
僕のことなど見てもいないような空気感だったのだ。なんとなく寂しい感じもあったけど、こんな寸劇を見せられるんだったら別に良い。
夫人は父さんの方を向いて聞いていた。周りの二人もつられたように目線を動かしたから、僕も合わせた。
「はぁ、……二人を送ってくれるなら帰るが?」
柱にもたれかかっている父さんが返す。
伯爵夫人に対する言葉遣いではないその態度は、違和感というより不敬と騒がれてもおかしくない。
ロベットさんにも同じような態度だったことを考えれば、伯爵家と父さんはそれほど悪い関係ではないらしい。
「だったら、残ってくれる? いつもごめんね。ザック」
「ふん」と鼻を鳴らして返す父さんの肝っ玉に、内心ビクビクする。
馬車酔いでムカついていた腹の調子が治ってきたと思えば、次は緊張で痛くなってきた。
「君は? 顔色悪そうだけど?」
彼女はよく周りが見えているようで、父さんの居残りが決定した後、僕に話しかけてきた。
ちゃんと空気扱いしてほしいが、彼女の大きな黄金色の目には僕が映っていた。
「わ、私はディオネの付き添いですので、お、終わるまで待ちます」
「あら、そうなの? ザックに会いに来たと思ったんだけど?」
そう言って父さんの方を一瞥した。
隣からため息が聞こえたが、一旦無視して口を開く。誤解があってはいけない。
「い、いえ。父上とは昨日会ったばかりですので――」
「あまり仲が良いわけじゃないのね」
「そんな、ことはないですが――」
「まぁいいわ。ロベット」
僕のことなど興味ないらしい。
そこそこ心が痛いが仕方ない。だって、偉い人だから。
僕の話の途中で東屋を出ようとしていたロベットさんに、彼女は呼び止める。
振り返ったロベットさんの目は哀愁が漂っている。
その目をする理由はよく分かる。面倒事の予感を感じているのだ。
「ザックとその子の分までよろしくね。あと菓子と飲み物と」
「かしこまりました。お時間いただきますがよろしいでしょうか?」
「えぇ、よろしく」
今度こそロベットさんは屋根の影から出て、城の間にある渡りの廊下に向かっていった。
あまり菓子は食べないけれど、伯爵家の菓子には興味がある。
面談の時間はとんでもないくらいに長くなるかもしれないが、そのあたりは父さんが何とかしてくれるのを期待するしかない。
頼りたくないけど、仕方ない。
* * *
ロベットさんが菓子と飲み物を東屋に持ってきてからも、夫人とディオネのやり取りは全然減っていない。
会話というには、夫人から話しかけるのが多い。ディオネは聞き役に徹している。
「それでここのお菓子はね、ディオネちゃんの泊ってる宿の料理人のお手製なのよ!」
「……なるほど」
もっと話すべきだと思うが、緊張しているディオネにそこまでのことをさせられない。
変なことを口走られても困るのは彼女だけじゃない。僕も巻き添えだから。
それと彼女の調子の良さは、すっかり沈んでいる。時間はあまり経っていないはずだが、伯爵夫人が醸し出す雰囲気に負けていた。
僕は最初から負けてるけどね。
「いっぱい食べて! 宿の人からいっぱい食べるって聞いてるのよ!」
「あ、ありがとうございます……」
彼女は隣で小さくなりながら座っているディオネに、菓子の箱を渡した。
「奥様、そんなには食べられないかと」
ロベットさんは夫人に注意するが、「良いの。ディオネちゃんに食べてほしい菓子よ」と続けて、「菓子もいっぱい食べる女の子の方が好きに決まっているわ」と彼を黙らせた。
「礼なんていらないわ。私に気にせず食べて」
と続けて父さんと僕を眺めた夫人は「あなたたちの分もあったわね」と思い出したようでディオネが持っている箱に目線を移して考えた。
「別に要らないわよね?」
当たり前のように話す彼女に「欲しいと言ってないからな」と父さんが返した。
僕は興味あったけど、この感じでは僕は菓子を食べられないらしい。
なんせ僕の意見は聞かれないから。
「良かったわ。それでディオネちゃんは次の本って書いているの?」
「……えっとぉ」
話が変わった。さっきまでの感想会は終わったようで、これからは次回作、つまりこれからどうしていくかの話だ。
彼女には是非、展望を語ってもらいたい。目先の原稿の話はたくさんしているけど、十年、二十年先の話は全くしていないから。
だからディオネよ。僕に助けて欲しそうな目を向けないでくれ。夫人が気づくだろ、お前が――。
「君が知ってるの? 確か――なんだっけ? 名前忘れちゃった」
まぁ、伯爵夫人であれば、目線一つでディオネのことが分かるようで、彼女の興味ありげな目が僕に向いた。
さっきまでディオネに向いていた目だ。チラッとロベットさんを見てみるが微笑んでいるだけで何も反応はない。
というか、名前くらいは今日くらい覚えてもらえませんかね?
「ファビオ・ライフアリーです」
「そうそう! ファビオ君ね!」
手を合わせて笑っている夫人と、横で聞こえたため息。
「それで、新作の予定はあるの?」
「はい、『深窓の令嬢』シリーズの三作目を申請中です」
「へぇ、『名探偵メイル』はどうなの?」
「今、原稿を執筆している最中で――」
「ちょっと遅くない?」
ちゃんと受け答えしたが返事が遅いのだろうか?
いや、違うか。本の出版頻度の話か。
「まぁ、彼女一人で仕上げているので」
「なるほどね。ディオネちゃんは忙しいのね」
「い、いえ! 私は……」
僕の回答に納得した彼女は、またディオネの膝に手を置いた。
夫人が僕から彼女に目線を移すのを見て、嫌な流れを感じた。
だが、一番執筆の早いディオネにも、色々と優先すべきことがあるのだ。まぁ、学業の話だけど。
「だったらケイドリンに移りなさいよ。あの宿の最下階をディオネちゃんのものにして良いから」
夫人の言葉にびっくりして今日一番に目を開く彼女は僕を見た。
引き抜きか、ありがた迷惑か。
そういう話があることは想定していたから問題ない。言葉遣いも何もかも昨日の内に万全に考えた。だから大丈夫。
「エレジア。商会に喧嘩を売っているのか?」
答えようとした僕の横から声が聞こえた。僕は一言も言ってない。
父さんの口から聞こえたのだ。
いやいや、こんな強い言葉を僕が言うわけないじゃん。
まぁ、考えた言葉は端的に言うと『金積まれてもお断りだ。ばぁーか』だ。
でも、父さん? あまり親しいとは言えない僕たちに肩入れしてくれるんですか? ありがたいけど、きもちわりぃよ。




