18
明らかに僕とディオネの歩幅とロベットさんの歩幅は違った。
僕はまだ問題ないけど、ディオネの二歩が彼の一歩だと、二人を後ろから追いかけて分かった。
城の正面にある大きな扉まで進んだロベットさんが扉に手をかけたが、開ける前に手を離して急いで右に逸れてからというものの、僕たち三人は建物の外壁沿いを歩いている。
彼は独り言のように、それでいて僕にも聞こえるくらいの声で、「危ない危ない。怒られるところだった」と進んでいく姿には眉をひそめた。
どうも晩餐会の準備で城の中は大忙しらしく、そんな慌ただしい中でも彼に叱りつける人がいるんだなと思った。
多分だけど。
壁沿いを歩いているけど全然音が聞こえてこないから、本当に慌ただしいのか分からないのだ。
城の玄関口から遠くで見ていた時と壁は同じ印象で、小さなひびが所々にできていた。
だが、ひびすら模様になっているように見えるのはどういうことだろう。
壁の作り方なのか白の塗料の材質が違うのか、ライフアリー商会の壁はどちらかと言えばツルツルだが、こちらの壁を触ってみるとザラザラとしている。
国によってそういう違いがあるんだと新たな発見をする僕をよそに、ロベットさんとディオネはどんどん前を進む。
持久走しているわけじゃないんだけどな。
とりあえずロベットさんに声をかけようと息を吸い込んだ瞬間、二人は左に曲がって消えた。
正面の扉から考えればなかなかの距離を歩いたわけだけど、まだまだ続きそうで吸った息が抜けた。
「あの二人、やっぱりおかしいって」
そう呟くのも仕方ない。
歩く速度がおかしいロベットさんはともかく、ディオネはずっと小走りのくせに、一言くらい「待ってください」すら言っていない。
彼についていくことで頭がいっぱいのようだ。
どうやら、探検ができると喜んで走っているらしい。もう、そうとしか考えられない。
大きな城だということは分かっていたし、玄関口でライフアリー商会の敷地より広いことも分かっていた。
だが、二人が曲がった奥には、同じような建物がもう一棟建っているのが見える。
……さすが伯爵様だ。ライフアリー商会とは規模が違う。
だが、とりあえずしなくてはいけないことをやろう。
「走るか」
二人を見失っては恥だ。それもデミストニア自治国の住民が王国貴族の敷地で迷子など、墓場まで持っていく秘密が出来上がる。
まだ馬車酔いから本調子とはいかないが、二人が曲がった角まで走れば、ディオネとロベットさんの話す声が聞こえた。
そうなのだ。僕は馬車酔いをしているんだ。少しくらい気をつかってくれませんかね?
ディオネも『しんどくなったら言ってね』って馬車の中で言っていたことを忘れたのか? 忘れてるんだろうな。面談のことも忘れていたんだから。
「すごーい! 本当に絵本みたいです!」
「えぇ、ケイドリン伯爵家の自慢の中庭です」
建物の影から進むと、陽光が中庭を照らしていて、二人は曲がり角のすぐ近くで立っていた。
先に見える中庭には、色とりどりに咲き誇る花と手入れの行き届いた散歩道、そして中央に東屋が一つある。
中庭の奥に建物があることも驚くべきことだが、建物の間でこんな庭があるとは、寂しく見えた玄関口とは全然違う光景が目の前に広がっていた。
白い壁がキャンバスの役割も兼ねているように感じて、より一層絵画の中にいる感覚が強くなる。
止まって立っている二人に近づく僕を見たロベットさんは、ディオネの反応が気持ちいいらしく、胸を張っている。
「本当にすごいですね! 庭師の方は天才じゃないですか!」
「それほどでもありませんよ、ただの趣味ですから」
ディオネは僕を置いて走ったことなど忘れて花畑に見入って、そのまま花畑の方に歩いていく。
二人に追いついたわけだけど、ロベットさんの言い方は手入れをしている側の人だ。
ディオネは全然気づいていない様子だから、代わりにロベットさんに聞こうと、隣まで歩いた。
「趣味って、ロベットさんが?」
「えぇ、代々執事と使用人の……暇つぶしと言いますか。……時間の有効活用と言えばいくらかマシに聞こえますね」
「有効活用ですか」
「はい。……そういえば、私の名前をどこで?」
彼の顔のシワも柔らかく見えて、年相応に感じる。優しいおじいさんのように見える。
昔のおじいさんの雰囲気にも似ていた。
「は……御者さんがあなたの名前を」
「あの時ですか。どうもすみません、昨日言いそびれていたことを忘れておりました」
「いえ、とんでもないです」
伯爵様と言いかけたが、何とか修正した。
あくまで気づいていないふりだ。ボロがでかかったが寸で止められた。
「……その言い淀み方では、ファビオ様は御者の正体を見破られたんでしょうか?」
ロベットさんはそんな僕のボロをかすめ取ったようだ。
笑顔の彼が僕を見ているのが分かって、失敗したと思った。
「ぎょ、御者さんですよね。べ、別に正体を見破っただなんてそんな――」
動揺というか言い訳というか、とりあえずその類のことには慣れていない。
昨日が初対面の人だからなおさらだ。
彼は「かまいませんよ。こういったことはよくある日常ですから」と僕に微笑んでいる。
よくある日常ではダメじゃないか?
控えめに言っても伯爵様だよな? 凄く偉い人だろ。
ロベットさんは少し笑って続けた。
「当代の伯爵夫婦は、お遊び好きといいますか。歴代の当主と比較しても十分優秀なお方々ですが……」
彼は一呼吸おいて、「我々使用人一同は、お二人についていくだけでヘトヘトなんです」と言った。
「歳ですかね」と言う彼にどう返事をしていいか分からなくて笑って誤魔化す。
正直笑い事ではない気もした。
「申し訳ありませんが、このことは言いふらすことはないようお願いします」
そう言うロベットさんは射貫くような見透かすように僕を見る。
目はさっきまでの柔らかさがなくなって、警備の男と同じように感じた。
いきなりの変化に慌てて、下を向いた。
「も、もちろんです。墓場まで持っていきますから」
猛禽類を思わせるロベットさんの雰囲気に、緊張して声が出にくい。
脅しに聞こえるが、そんなことをしなくとも言うわけがない。そもそも言ったところで信じてもらえないから。
「墓場までですか。それはありがたいことです」
場の雰囲気がさっきまでの柔らかい雰囲気に変わる。
とりあえず、気づかないふりは失敗した。
あまり隠し事をしたい性分じゃないが、仕方ない――いやいや、僕が隠しごとする前にちゃんと注意してくれよ。
どうせ初めてのことじゃないだろ。何度もやっている感じだったぞ、あれ。
「ですが、よく気づかれましたね」
「少し違和感というか、言動が……」
「なるほど、完璧主義ではないのは良いところであり、欠点でもということですか」
完璧主義はどこから出てきた?
ロベットさんの雰囲気に押されて下を向いたまま話すが、正直ちゃんと受け答えできているか怪しい。
尋問を受けているわけではないけど、気分は尋問だ。面談を控えているというのに、内容が濃すぎてめまいを起こしそうになる。
「そんなに緊張なさらなくとも、十分ちゃんとされてますよ」
「……色々とすみません」
元気づけようと声をかけてくれるロベットさんには悪いけど、こんな気持ちになったのはあんたのせいだからな。
あと伯爵様。もっと言えば、今日面談をしようと提案した夫人が一番悪い。
「あなたのお父上とは長年お付き合いさせていただいてますが、見比べればあなたが一番ザノアール様と似てらっしゃいますね」
ロベットさんはそう言った後、僕の肩に手を置いて「ほら、ザノアール様がいらっしゃいました」とさも当然のように言った。
え? という声すら出す間もなく、前を向けば東屋から赤い目で鬱陶しそうに僕を見る父さんがいた。
「こんなところで会うとは。……ロベット、こいつに粗相されなかったか?」
「何も、よくできた息子さんですよ」
息子に会っていきなり粗相の話とは、面白いくらい喧嘩を売られている。
僕は粗相をしていない。ディオネはした。関係ないこともないが、ばれなければどうということはないのだ。
だからまだ粗相はしていない。断じて。
「そうか」と一言だけで、今日初めて会ったのに挨拶すらないこいつは僕の方まで歩いてくる。
待ってくれよ。なにか言いたそうな感じで近づいてくるな。これ以上の厄介事など僕の頭が破裂してしまうだろ。
「夫人とはもうよろしいので?」
「あぁ、くだらない世間話と今日の目玉の組の話だ。ただの時間潰しをさせられたよ」
「それはそれは」
「どうせ貴様は分かっていたのだろ? どこまでも食えないな」
「食おうとしてもまずいだけですよ。私の旬は過ぎていますから」
夫人の先客は父さんのようで、デュランの姿は見当たらない。
まぁ、ロベットさんの言う夫人様の性格では、デュランがいると帰り時を見失うからそれに関しては英断だと思う。
「旬など知らん」
「そうでございますか。それではもう帰られるので?」
「そうしたいのは山々だがな」
と腰に手をつく父さんはロベットさんを一瞥して僕を見た。何を考えているか分からないと思っていたが、僕と同じように気が重たそうにしているのが分かった。
そんな父さんは度々ため息をついて近づいてくる。
だが、歩く彼の横から走って向かってくる足音が聞こえた。
僕も足音の方に目を向けるが、ロベットさんも父さんも気になったようで、足音の方に目を移せば飛びっきりの笑顔のディオネがいた。
「ねぇねぇ! 『ハクメイ』の花も咲いてるよ! すっごく輝いてる! 宝石みた――」
花畑の散歩道から戻ってきたディオネが僕と父さんの間に入った。
交互に首を回すディオネは次第に状況を整理できたようで、背筋を伸ばして後ろに下がった。
「……失礼しましたぁ」
そくさとまた花畑に戻っていく彼女を、僕も父さんも目で追った。
父さんは何を言いたいかも忘れたようで、首を振ってため息を漏らす。
とんでもなく冷たい空気感の中庭には、ただただ陽光が照らされているが、何も知らない陽光が羨ましくなった。
暑いくらいの季節なのに、この先のことを考えるだけで僕の背筋は凍えそうだ。




