15
待ち遠しくない、どちらかと言えばなくなって欲しい嫌な予定ほどなくならない。
さらにその嫌な予定が迫ってくる感覚は、いつまで経っても慣れない。別に慣れたいとも思わない。
僕はまだ二十歳だ。慣れてたまるか。
「送迎馬車みたいだよね! これで一番汚い馬車なんて、やっぱり貴族様はちがうんだね」
「当たり前だろ。ケイドリン伯だぞ。デミストニアの木端貴族と一緒に考えること自体間違ってるからな」
それで、僕たちは馬車に乗って目的地を目指している。
昨日の夕方にケイドリン伯の執事と会って、もう今日の昼なのだ。時間は日によって変わっているように感じる。
朝から『ラ・レビアン・ケイドリン』の木の門の前で待っていたらしく、昼ご飯もゆっくり食べていた僕たちは御者に平謝りして出発した。
もう馬車は大通りを颯爽と抜けて、郊外を走っている。
当然、ケイドリン伯の邸宅に向けて。
あとは、ただただディオネが失礼をしないか祈ることだけだ。
昨日の夜に言葉遣いとか色々と教えたつもりだけど、やっぱり心配になる。それでもディオネ一人で行かせるよりもマシだと思おう。
じゃないとやってられない。
「ねぇねぇ、ケイドリン伯の家までどれくらいかな?」
「知らない」
「結構走ってない? もしかして……このまま……」
御者が言うにはケイドリン伯の邸宅は町から離れている。
なんでも、町の開発の時に邸宅を含めて考えなかったらしい。
気づいた時には邸宅用の敷地はなくて、代替案で『ラ・レビアン・ケイドリン』の丘が候補に挙がったが、当時のケイドリン伯は町から離れた自然豊かな森の小高い丘に邸宅を構えたと御者の人から聞いた。とんでもない大バカだと思ったけど、さすがにそれは胸の内に秘めている。
ちなみにディオネはそんな昔話に、偉く感動していた。
どこに感動する要素があるのか教えて欲しいくらいだが、口を滑らせてしまったら大問題だからデミストニアに戻ってから聞くことにした。
「やっぱり……このまま、誘拐とか」
二人乗りの車内で、ネタ帳を膝の上に広げて対面に座っているディオネはキラキラした目で呟いている。
僕の方を見ていないから独り言だな。
あと、誘拐されるわけない。
馬車にはケイドリン伯の紋章があるし、宿の人とも知人のように話していた御者が?
大通りを走るこの馬車から遠ざかるように、馬車や魔道車を走らせている光景を見ても?
そんな訳あるか。
そもそも誘拐して誰が得をするんだ。……僕が一番得をするかもしれない。
だって、今日の招待も晩餐会にもでなくてもいい口実ができるから。
でも、御者の彼の風貌が怪しいのは確かだ。顔を隠す頭巾を被っている。なんで? と聞きたい気持ちもある。
貴族様の御者なのにそんなことして良いのか、とも。
「まぁ、ちゃんとケイドリン伯の馬車だと思うよ」
「思うじゃダメじゃない?」
うるせぇ。ちょっとばかり気分が昂ぶってありえもしない妄想をするくらいなら、言葉遣いの練習しておけよ。
昨日、教えたばかりだ。
「面白そうじゃない? 貴族に招待された一行の馬車が行方不明になったってさ!」
「……そうか?」
「そうだよ! その馬車には貴族様の愛人相手もいて、貴族の夫人が私怨で計画的に事故死に見せかけるの! でもその馬車にはメイリー一行もいて!」
おいおい、こんな所で変な事を言うな。あと『名探偵メイル』の話にメイリーちゃんはいない。
とりあえず向かいのディオネの頭を一回小突く。本当は二回小突いてやりたいけど、一回で済ませる。ちょっと強かったかもしれないから。
あと、ケイドリン伯の前で絶対言うなよ。
「いったいなぁ。なんで? 良い感じなのに!」
「良い感じでもさすがにお前! メイリーちゃんとメイルは別人物だからな。それに……今はまずいだろ」
ディオネはよく分かっていないようで、小突かれた頭を抑えて睨んでくる。
「なんで? 新しい本ができるかもしれないのに?」
「かもしれないけど、状況を考えろよ」
ケイドリン伯の好意というか我が儘に付き合っているが、そもそも貴族の馬車に乗るなんてとんでもない話だ。
それに僕たちは王国民じゃない。
自分たちで手配して来い。と言われてもおかしくないのだ。
その辺りのことをディオネは分かっていない。
「……ふかふかの馬車に乗って貴族様の家まで連れてってもらってる」
「そう、こんな馬車は二度と乗れないかもしれないんだぞ?」
「でも、送迎馬車もこれくらいふかふかだよ?」
そういう話ではない。
こんな調子では刻々と迫っている面談も失言しないか気になってどうしようもない。
「とりあえずさ。乗ってる間はネタ帳広げても良いから」
「いいの?」
「じゃないと、邸宅にお邪魔させてもらう時に広げるだろ?」
「うん」
うん。じゃないんだよ。
それはしてはいけないって昨日の夜言ったのにもう忘れてる。
勘弁してくれ。
「お二人さん、仲良いんですね」
「え? あぁ、まぁ仕事仲間ですから」
町を出てから速度を上げて走る馬車の前から、御者が声をかけてきた。
着ている服と頭巾がなびいているが、御者には関係ないらしい。
そんなに速くても息ができているのは、さすが貴族様の御者か。
ネタ帳を広げて彼の声も聞こえていないディオネを置いて、外の風景を見ながら話す。
「いいですね。私も職業柄結構な人を関わりますけど、面白い話は聞いていて楽しいものです」
「時と場合によりますけどね」
「えぇ」
「ですが」と御者は続けた。
「時と場合は自分たちで作れる時もありますよ」
「そうなんですか?」
「はい、力さえあれば……ですけどね」
そう言って笑い声をあげる彼に合わせて僕も笑っておく。
なんか、怖い話になった。
その力ってあれだ。権力とかその辺の僕には良くない力だ。
「それにしては、あなたはあまり……」
「なんですか?」
チラッと一瞥するように見た御者に返したが、彼は「もう、直に邸宅に着きますからご準備を」と言って、一段と速度を上げた。
そんな、ご準備を、って言われても全然準備なんてできていない。
あなたはあまり……から話の続きを聞きたいんだけど、外の音がうるさくなり始めたら声なんて聞こえないか。むしゃくしゃするが印象をこれ以上悪くしてはいけないので、安全にケイドリン伯の邸宅に着くまで外の風景を見ておこう。
全然ゆっくり走らない。これでは入れ替わる景色に目が回りそうになる。
問題ないけど、ネタ帳に筆を走らせて集中しているディオネの器用さには少し引いた。
揺れる車内もある程度走れば慣れた。
一息ついて椅子にもたれれば、丘の上に建っている石造りの城壁が見えた。
あれがケイドリン伯の邸宅か。
けれど、あれは邸宅というより城だな。普通の邸宅に城壁なんてない。
結構遠くに見えた城壁など、この馬車にとっては近いらしい。
あの城壁はケイドリン伯の私有地の一部で、丘全体がケイドリン伯の敷地らしい。さすが王国貴族、町に邸宅がなくてもやっていることは大掛かりだ。
止まらない馬車の中から城壁が見えなくなった。徐々に大きく見えた城壁だったが、丘を登る手前で見えなくなった。
もうすぐそこが今日の面談と晩餐会の開催場所か。
なにも不自由することなく、なにかを通り過ぎたから、最初はそれがよく分からなかった。
何だ? と後ろを見て、ようやくそれが検問所だったと知った。
守衛の男たちがうなだれる様子が馬車の中からでも見えたが、通り過ぎた馬車に慌てない守衛を見て不思議に感じた。
「あのー! すみませーん! 御者さぁん!」
「はい! 何でしょう!」
御者の声と一緒に速度が少しだけ落ちた。
腕の良い御者だということは、ここまでの道のりでよく分かったつもりだったが、それにしても馬の扱いがアレックス兄さんよりも上手だ。
さすがは王国貴族の御者なだけある。……ってそんなことじゃない。
「いいんですか!? 検問所を通り過ぎて!」
「あぁ……」
大声で話せば伝わったようで、御者は座ったまま手綱をしっかり握りながら空を見上げて考え始めた。
そんな感じ? いいの? 走っている二頭を見なくても。
「うーん。……まぁ、いいんじゃないですか? 何度も通ってますから」
「いいんですか!?」
「いいですよ。肝心なところで間違えなかったら」
「いやいや!? 検問所ってちゃんと肝心なところですよね!?」
本当に怖いんだけど!
この人ってちゃんとケイドリン伯の御者か? 確でも、確認する術はないし、本人に聞いてもどうせ、そうだ。と言うから分からない。
横にいるディオネはネタ帳にまだ書き込んでいるから使い物にならないし、困ったな。
「大丈夫ですって。何回も通ってるのは間違いないんですから」
そういう問題ではない。
「それに、もうすぐですから」
「え?」
「登り切れば直ぐですよ。伯爵様のお屋敷は」
そう言った御者は手綱を捌く。
「ハイヨー!」と大きな声で二頭を刺激した。
途端にまた速くなる馬車。
大きな揺れに僕とディオネは、その急な加速についていけない。
「え!? ちょっと!」
ネタ帳と筆を落とした彼女は揺れる車内でなんとか拾った。服にはインクが付いていないが馬車の壁に――。
飛んでるじゃん。終わったぁ、大粗相かまされたぁ。
「なんで? え? 本当に誘拐ってこと!?」
そんな訳ない。
さっきまでの話は聞いてたかな? 絶対に聞いてないだろ。いい加減無視するのは何とか許せるけど、聞き耳くらい立ててくれ。
二回も同じ話するのはしんどいんだぞ。あと、そのインクって水で消せるインクだよね?
「ケイドリン伯の屋敷まで飛ばしてるんだよ」
「なにが?」
こいつは……本当にこう、黙っていれば可愛いのにな。
「え? なに? なんか変なところあった?」
「ない。あととりあえずネタ帳と筆は片づけて」
「こんな揺れるのに?」と聞くディオネ。話せる元気もなくなりそうだから彼女の返事に首を横に振って答える。あと、揺れている車内でなんとか手すりを掴んだ。このままではインクは乾いてしまうが……謝ろう。どちらかと言えば、いきなり速度を上げた御者が悪いのだ。
乗ってから思っていた。
馬車にしては速くないかって。
父さんの魔道車から見た景色と同じくらい外の景色が過ぎているのは明らかに馬車の速度じゃない。
というか、丘を登っているはずだろ。
あのデミストニア山の峠を越える馬車もこんな感じなんだろうか。
「それじゃあ、減速しますよぉ!」
御者から聞こえた言葉にしっかり手すりを掴む。
ディオネは掴み損ねたようで、減速する車内の壁に頭をぶつけた。
「ダイ!」
年頃の女の子から聞くことはない野太い声が彼女の口から出た。
そんなディオネでもネタ帳と筆はちゃんと小さな手提げ袋に納めている。やっぱり器用だな。揺れても片付けられてるじゃないか。
「大丈夫ですか!? 頭打ちました!?」
ディオネの声に反応した御者から声がかかるが「大丈夫です! ちょっとだけなんで!」とディオネが返す。
頭を打ったのにちょっとだけとは意味が分からないが、少し涙目でもそう言っているんだったら大丈夫か。
面談で緊張していたはずの気持ちは既にこれから先を憂う方に変わっている。インクのこととか。
減速はしつつも止まっていない馬車の先を思うと、どうにもならなそうだ。
ただ、今日僕たちを呼んだ夫人がディオネのファンで良かったと思う。
……だからディオネ一人で面談して欲しい。やっぱり、僕は馬車で待っているから。
「ファビオ、頭見てくれる?」
「なんで?」
「たんこぶできてないかな?」
揺れがおさまった車内で立っているディオネは僕に頭を近づけた。
金色の髪から花の匂いが漂ってくる。くすぐる匂いに鼻がムズくなるがこの程度は問題ない。
ただ、そんな無防備に近づくのだけはやめて欲しい。
本当に、なんで僕はこんな奴のことが気になり始めたんだよ。




