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迷惑な一団が店を出てから、ディオネがメニューを決めたのはすぐ後のことだった。
店員を呼んで注文すれば、そこそこ時間のかかる料理らしく、店員は「お時間いただきますがよろしいですか?」とディオネに聞いた。
「大丈夫です!」
元気に返事をする彼女に、彼は微笑んで「そちらの方は?」と僕の方を見る。
これからの予定もないことはディオネも分かっていたが、直ぐに店員に返す彼女は、一緒にいる僕のことは気にならないのか。店員に言われるまで気がつかなかったのか。そもそも気にしていない様子ではある。
「僕は――」
「大丈夫だよね! ね!」
言おうとしたがディオネが遮る。メニューを見ただけではどんな料理かいまいち分からないけど、おそらく『ヌーの肩肉葡萄酒煮込み』のことだろう。
煮込み料理は時間がかかることを知っている。
それにしても『ヌー』か。大型の草食動物で、食肉用にどの国も畜産している。デミストニアでも畜産されているけど脂が多い。
あまり好みとは言えないけど煮込み料理なら大丈夫か。
あとディオネ、力強く見ても意味ないよ。この感じは拒否権がないことくらい分かっている。
だから自重してくれ。お前の食い意地が溢れているように見えるんだ。
「まぁ、大丈夫だけど」
「じゃ! それで!」
何を言おうとも止められるから、ディオネの注文を通す。
僕の一言で店員は「承りました」と言って、また会釈した。
その会釈って毎回するのか? 何度も挨拶するってことだろ。疲れないか?
「では、ごゆるりお待ちください」
そう言って店員は奥の厨房に戻っていった。
後ろ姿が見えなくなって、周りを見ればぼちぼちと他のテーブルにいた客も店から出て、空いたテーブルが目立っている。
会計とかしないんだろうか? と不思議に考えて、前を向けばディオネが僕を見ていた。
「ねぇ」
「なんだよ」
メニューに用がなくなったディオネは、それを置いて話しかけてくる。
「二つ頼んだけどさ、半分ずつにしない?」
「え? 嫌だけど?」
行儀の悪いことを提案しないでくれ。ピクニックじゃないんだぞ。
「なんでよぉ、少しくらいいいじゃん!」
「だったら店員に聞いてみろよ」
「……わかった。料理が来てから聞いてみる」
こんな店でそんなことできるわけないだろ。僕を巻き込むな。
唇を尖らせたディオネは興味なさそうに、それからつまらなそうにテーブルに置いたメニューを眺めている。
特に話すこともないからボーッと店内を観察していると、「そうだ」と何か変なことを閃いたようで、ディオネが口を開く。
「待ち時間も長そうだしさ、お父さんの話聞かせてよ!」
「……そのために時間のかかる料理を?」
「それは私が食べたいだけ」
変なことかくだらない話かと構えていたら、面倒な話を振られた。
ただ、食い意地とそれは全然違うようで、ディオネはテーブルに両肘をのせて前に体を傾けている。
まさに興味津々だな。
話したところで何かあるわけでもないが、一つ息を吐いて適当に済ませることにした。
料理がくるまでの辛抱だ。
時間がかかるといっても、夜までかかることはないのだから。
「大した話じゃないよ。それでもいい?」
「全然良いよ!」
輝く大きな金色の目に抵抗できない何かがあった。
別に見つめられたから恥ずかしいとか全然思っていない。
「あいつ……ザノ……父さんとは正直気が合わないっていうかあまり知らないんだ」
「なんで?」
「なんでって、僕を産んでから父さんも母さんも仕事で忙しくしていたから。だな」
「ふーん。……それで?」
できればディオネから具体的な質問が欲しいところだ。ザノアールのことをあまり知らないから。
それは本当なのだ。
おじいさんの葬儀に顔すら見せなかったことは彼女に言う必要もないし、あいつのどうでも良いことなんてそんなに知らないから逆に教えて欲しいくらいだ。
……そんなことディオネに言ってもどうしようもない。あと、何かあったか?
「……ねぇ? 何考えてるの?」
「何って、父さんのことだよ。思い出してるんだ」
「この話も時間かかるの?」
この話もってなんだよ。……あれか、料理のことをかけているのか。
料理に関してはディオネが選んだんだ。それにあいつとの思い出話も特にないんだから仕方ないだろ。
「一つだけなら……」
「なになに!?」
「酒に弱いってことくらいかな?」
「なんで疑問形?」
それは僕も思った。
何回も言うけど、本当に当たり障りないことだとそれくらいなんだ。その話もビクター兄さんから何気なしに聞いたくらいだから。
「じゃあ、ファビオも弱いの?」
「そんなことない。人並みには飲んだりする」
「本当に?」
「本当だって」
ディオネが面白そうに見た。少し興味が湧いたようだ。……僕の話になってない?
それに酒の強い弱いは個人差だ。
僕は本当に人並み程度には飲める。あまり好きではないだけ。
「晩餐会、楽しみだね!」
「なんで?」
「お酒も出てくるでしょ? じゃあ、ファビオの醜態を見られるかもしれないから!」
意地汚いぞ。
でも、そう考えれば楽しみになってきた。
晩餐会にはあいつも出るってデュランが言っていたし、とんでもない醜態をさらしてくれたら僕の気持ちもスッキリするだろ。
その時にならないと分からないけど。
* * *
時間がかかると言っていてもやっぱり昼食だった。
酒の強い弱いの話の後、ディオネとゼクラット書店のくだらない将来の話をしていれば『ヌーの肩肉葡萄酒煮込み』と『ヌーのもも肉のロゼ焼きーケイドリンのハーブを添えて』という長い名前の料理が配膳された。
店員に「小皿で分け合っても良いですか」と不安げに聞いたディオネに対して、「ではこちらで分けてからもう一度持ってきます」と柔やかに対応した店員に高級店は凄いなと底知れない対応力を見せつけられて、ディオネは恐縮していた。
聞いた本人がその態度はおかしいが、彼女も無理かもしれないと考えていたということだろう。
少しは常識を分かっていたようで安心した。
結局、多めと少なめで配膳された二つの料理が四つの皿に分けられて、心置きなくそれに舌鼓を打ったディオネと店を後にした。
二つ分の料理とその対応力に敬意を込めて、少し多めにお金を渡した。
思ったより高かったけどちゃんと払えるのだ。舐めてもらっては困る。
「本当にお腹すいてない? 大丈夫?」
「大丈夫だって、少なめでも結構な量だったから」
少なめの方で腹がいっぱいだったから、多めの皿を食べていれば確実に食べ切れていなかった。
案外ああいった店は値段も高いけど満腹になる量はきっちり出てくる。
そう思えば、ぼったくるような店ではない良識のある店だ。
「ディオネこそ大丈夫か? あんなに食べて――」
「食べてないけど? 全然大丈夫。お腹いっぱいなのは確かだけど、別に食べ過ぎた訳じゃないから」
「お、おう。……そうなんだ」
「うん、そうだよ」
早口で返すディオネと共に歩いているが、昼も過ぎて夕方の赤みが空に浮かび始めている。
横で腹をさする彼女に、やっぱり食べ過ぎてるだろ、と言いたくなった。一人で食べるにはやっぱり多かったんだよ。
ディオネの話しぶりを考えてみるとどちらかを味見程度に食べて、気に入った方の料理を食べるつもりだったらしい。
両方とも同じくらいの量を食べるなんて考えていなかったから、恐縮したように見えた彼女は考えていたことと違うことになった対応に困っていたのだ。
だけど、少なめの皿を選んだわけじゃない。多めの皿を選んだのはディオネだ。因果応報だな。
「けどさ、あと十五日でしょ? 建国祭ってさ」
「そうだけど? なんで?」
膨れた腹をさすって吐き出さないように、慎重にケイドリンの大通りまで戻ってきた僕たちは来た道を歩いている。
観光なんてする気力も湧かないし、体の軽さもないから、どこも寄り道することなく宿まで戻っている。
「なんていうか、祭りの雰囲気がないなって」
そう言ったディオネを見ると、町を見渡して首をかしげていた。
確かに、町全体を巻き込む祭りにしては浮かれた空気感はなかった。
「デミストニアとは違って祭りは当日にって感じじゃない?」
「そうかな? あれでしょ? この通りも馬車が通れないようにするらしいよ」
「通りも?」
「らしいよ、結構大きい祭りになっているらしいけど……こんなに静かなんだね」
馬の嘶きも車輪が回る音も、賑やかに笑う住民の声も聞こえる。
静かという例えは間違っているんじゃ?
「こんなうるさいのに?」
ディオネは一つため息をついて僕を見た。
「風情がないよ。静かって言うのはさ――」
「失礼。ゼクラット書店のディオネ・スカンタール様でしょうか?」
『ラ・レビアン・ケイドリン』の木の門まであと数歩というところまで戻っていた僕たちに、後ろから声がかかった。
落ち着いた男性の声だったし、ディオネのことを様付けで呼ぶ変わった人は誰だろうと思って振り返る。
「どうも、そちらはライフアリー様のご子息様でしょうか?」
「え、えぇ末の子どもの――」
「あぁ、ファビオ・ライフアリー様ですね。ザノアール様には格別の奉仕をいただいております」
灰色の埃一つないジャケットと同色のパンツ。首元には黒の蝶ネクタイに輝く下襟をつけた一人の男が見ていた。
綺麗に整えている眉毛に総白髪が夕焼けに染まっている。
見るからにどこかの上流階級の執事って感じの出で立ちに、頬が引きつり始めた。
なにか厄介事の気配がする。
「あなたは?」
「はい、私はケイドリン辺境伯夫人の遣いです」
上流階級といっても上から下までピンキリだけど、この人の言ったケイドリン伯はこの町で一番上の階級の人だ。
……上流階級の上から下ってなんだよ。僕たちから見れば全部上だろうが。
あと、さらっと僕のことも知っているんですね。
「……その僕……私たちに何か?」
「えぇ、特にディオネ様に用がありまして、ファビオ様も合わせてご招待したいのですが」
合わせてか。バーターみたいなことだな。じゃあ、ディオネが主役だ。
こんな耳元で「ディオネ様って言ってくれてるんだけど!」とうるさく話すディオネ。
というか人見知りしてんじゃねぇよ? なんで背中に半身を隠すように移動してるの?
鬱陶しいんだけど。
けど招待か。
それなら、母さんから聞いているから問題ないけど、夫人ってなに? 全然接点ないじゃん。
「招待って、晩餐会のことですよね?」
「いえ、晩餐会にはお二人は既に出席名簿に載っておりますので、懇親会といいますか……」
まずい言い回しだったようで執事服に身を包む彼は微笑みを崩さずに黙った。
なんで言い淀むんだ? その顔で見られても怖いんだけど。
「面談のようなものです。夫人はディオネ様の本がお好きのようで……」
そういう言葉しか表現できない、といった感じに笑う彼は続ける。
「お二人のご招待も夫人の口添えで決まったものですが、今回についてはただただ夫人が待てなかっただけなのです」
どこか辛辣さすら感じる言葉に、声も出せないまま引きつった頬を触る。
後ろでモゾモゾと動いているディオネは彼の言葉に反応して前に出た。
「じゃあ、今からですか! 貴族様のお宅って、私、初めて行きます!」
「いえ、明日です。今日はもう夜も近いですから」
そう言われたディオネは固まる。出鼻を盛大に折ったようで、「え、あぁ」と言うだけの人形になった。
「では、明日の昼に宿に遣いを行かせますので」
そう言って礼をする彼に倣って礼を返した。
別に良いことなんてないけど、ディオネの様子に笑ってしまいそうになる。
「それでは」
彼は踵を返して歩き出す。
歩いてここまで来ているんだとすれば、なかなかの健脚だ。
「なぁ、もういいだろ」
固まったままのディオネに言って、僕の肩を掴んでいる彼女の手を払った。
ケイドリン伯夫人もこんな奴の本が好きとは、なかなかの物好きだと思う。
僕が言える立場じゃないけど。




