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豪商の末っ子は、窮地に立つか。  作者: デンノー


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 僕たちが『ラ・レビアン・ケイドリン』に泊まれた日からもう五日経った。

 その間宿から外に出ない僕は、積極的に観光しているディオネを見張ることもせず、だらだらと過ごしていた。

 そもそもの話、十日も早くケイドリンに着くことを父さんは知っていたことについて、僕なりに考えたかったのだ。


 悶々と考える時間だけはあったが答えは出ない。途中の宿場町で日時変更を宿に知らせようとしたが、どこの役場でも魔道車の速度では間に合わないと返された。

 だから、本当にどうやって? としか考えられない。


「考えたところだな」


 その答えなんて本人にしか分からない。

 現実逃避のいい課題だったが、それも今日でお終いだ。今日はディオネと原稿を確認する日だから。




 泊まらせてもらっている『ラ・レビアン・ケイドリン』の客室は、とにかく居心地がよかった。

 寝るベットもくつろぐ椅子も、全て文句の付けようがないほど気持ちのいい家具だ。

 本当に僕だけが場違いなほど――というより、この部屋は人がいない時の方が完成されていると思ってしまう。


「この椅子くれないかな」


 起きた直後ではあるが、頭まである背もたれ付きの椅子に座った。こんな贅沢な椅子に座れたのはいつぶりだろうか。贅沢にもほどがある。

 こんなに良い部屋に居ては十日の旅の疲れなどとうに消えて、体の調子は万全である。

 ディオネは宿泊した日の翌日には、『ラ・レビアン・ケイドリン』の建物を隅から隅まで観察して、夕食の時にずっと騒いでいた。

 気分が上がっている彼女の元気の底はどこにあるのか。少しだけ興味が湧いた。


 座っていると、美しい花畑を一望できる大きな窓には柔らかい朝日が差し込んだ。

 この部屋に泊まってから思えば、初めての朝だ。

 四日間は昼まで寝ていたから朝食を食べ損なったが、この調子なら今日は大丈夫だ。

 今日からは三食とも食べられるのだから、僕の気分も少しは上がってきた。




 この宿では三食とも食事が出される。話を聞いてびっくりしたが、ディオネはそうでもなかったようだ。

 デミストニアでそんな宿は聞いたことがなかったから、僕もビクター兄さんに相談してみようかな。宿の経営とかしてみませんかって。


 一階に大きな食事専用の会場があって、宿泊者が各々好きな料理を取って食べられる形式だ。昼と夜の食事の豪華さは全てが美味しそうに盛られていて、一日目はついつい僕も食べ過ぎた。ディオネは毎日たくさん盛って好きに食べているが、マナーの悪さで追い出されることは今のところない。

 ただ僕だけがヒヤヒヤしながら彼女と食事をしているだけだ。

 

 彼女は町で食べ歩きもしているらしいから、どこにそんな余裕があるのか。腹回りは大丈夫なのか。果たして建国祭の晩餐会で貸してもらう予定のドレスは入るのか。興味は尽きない。


 くだらないことに興味が出ているのは僕に余裕が生まれ始めた証拠だ。だから、朝の目覚めもこの一年の間で一番いいくらいだ。


「よし! 食べに……行く前に身なりだな」


 ついつい家にいるような感覚が僕に芽生え始める。

 昨日なんて、夕食の時にゼクラット書店をケイドリンに移そうか本気で考えるくらいだ。

 ……でも、今僕が泊まれているのが誰のお金のおかげか考えないようにしている。気分が落ちていいことはない。






 軽く髪の癖を直して、服は宿から支給された薄い布地で裾の長い服。

 着方が分からない僕に、宿の人から教えてもらったディオネが僕にしたり顔をして教えてくれた。

 暑い日にはもってこいのこの服のおかげで、五日間をゆるり過ごせている。外に着ていきたいくらいだが、ディオネには「恥ずかしいからやめてね」と釘を刺された。別に良いと思うけど、よろしくないみたいだ。

 宿の廊下でよく見るけどねこの服で歩いてる人。


 ゆっくり首を回して背伸びをする。

 客室の扉を引き込めば、明るい廊下に出た。



 食事の会場に向かう廊下を歩いていれば、楽しげに笑う老夫婦とすれ違い頭を軽く下げられた。


「ど、どうも」


 すれ違いざまに頭を下げるのはワグダラ王国では挨拶という習慣らしい。

 やけに詳しいディオネが張り切って言い切るくらいだから、とりあえずそうなのだろう。

 最初は気恥ずかしくて珍しく見えたが五日も経てば慣れてくる。デュランの長話に慣れたディオネもこんな感覚だったんだと思った。


 初めて見る朝の廊下は人通りが多い。すれ違う人から朝食の微かな匂いが僕の鼻をくすぐる。

 食事の時間が長いのも僕には好感触だ。不用意に食べ逃すことがない。さすがに昼まで寝ていれば食べ損なうが。


 ゆっくりと歩いていれば、一階に上がる階段が見えた。

 この宿のおかしなところは、五日前に見た一階が最上階になっていることだ。

 この宿は丘の頂上に建てたことで、斜面を利用して階を下げる方に作っている。だから、地上一階地下五階の建物らしい。ややこしいな。

 

 ちなみに最下階の地下五階はケイドリン伯専用客室らしく、一般の宿泊者は泊まれない。


 下りるほど数字が上がる仕様には、いまも頭がこんがらがる。

 素直に五階建てにしておけよ。ややこしいのはよくない。


「おぉ、匂いがここまで……」


 廊下の階段に足をかければ朝食の匂いが一気に来た。

 小麦の焼けた匂いだから、パンだな。宿場町で特産と言っていたパンより遙かに良い匂いだ。

 あのパンは冷めてたから比べるのは良くないか。高級宿だから焼きたてだろうし。


 僕が泊まっている客室は地下二階に当たるので、階段は一階分だけでよかったりする。

 そう考えれば、最下階に泊まったら五階分の階段を上るのか。貴族だから違う何かがあったりするとは思うけど、なかったら大変だな。


 匂いに誘われるまま軽い足取りで階段を上りきれば、ディオネが朝食の会場に歩いているところを見かけた。

 声をかけようとした僕より早く、彼女は振り返って僕を見つけた。


「あ! 今日はファビオも朝食べるんだ!」


 朝は食べない。朝食を食べる。

 別の部屋に泊まっているはずのディオネは運良く――はない。

 夏にも関わらず長いスカートと長袖を着ている彼女の顔つきは寝起きとはほど遠く、額には汗が滲んでいた。


「散歩でもしてた?」

「なんでわかるの?」


 朝から健康的で結構なことだが、その格好は暑すぎるだろ。


「もうちょっと涼しい格好にしたら?」

「わかってないなぁ、ファビオは」


 肩を上げたディオネは僕の隣まで歩いて言った。


「晩餐会で日焼けしてるの見られたら恥ずかしいからに決まってんじゃん」


 なんだそれ。それこそ長袖のドレスで良いだろ。

 エリー姉さんだって、社交会には決まって長袖のドレスを着て行っている。彼女曰くだが「私綺麗だから、他の男に言い寄られては、ね」と含み笑いで話すその格好に寒気を催した。あの人にとって、社交会は自分を見せつける舞台なのだそうだ。

 でも、隣でいじけている彼女はただ純粋に日焼けを気にしているだけらしい。

 こういう自然体なところが、ディオネらしいというか。


「まぁ、なんでもいいけど食べ過ぎんなよ」

「なに? 太ってきてるって言いたいの?」


 どんな拡大解釈をすればそうなるのか、ただ太ったらドレスが入らなくなるぞって遠回しに言っただけだ。……拡大解釈じゃなかった。ちゃんと遠回りに言ってた。

 二人で歩いていれば、朝食の会場に着いた。疎らだが他の宿泊者が和気藹々(わきあいあい)と食事を楽しんでいるのが目に映った。


「ごめん、頭回ってないや」

「別に良いわよ。太ってきたのは事実だし」


 なんだよ。太ってんのかよ。

 会場の中を進んで、ディオネと僕は盆を一人ずつ手に取った。

 

「宿の貸し出しドレスは母さんが予約してるからサイズの変更は厳しいぞ」

「痩せるから大丈夫。私、まだまだ若いから」


 若いから痩せるか。なら僕も痩せられそうだな。少し体が重たいのだ。だが、ディオネの散歩は痩せるための運動でもありそうだ。

 これ以上はあまり口出ししないようにしよう。付き合わされそうで怖い。


 持った盆で、朝食の料理が並んでいるカウンターまで歩けば、色々と食欲をあげる匂いとともに鮮やかな色の料理がたくさん並んでいた。

 焼きたてのパンの香ばしい匂いが鼻を強く刺激した。

 隣では野菜のスープが湯気を立てていて、その優しい香りが食べずとも満腹感をあげてくる。

 

 ディオネは迷わずパンのコーナーに向かって、四種類のパンを次々と盆に乗せていく。

 そんなに食べて大丈夫か? さっき「太ってきた」って言ってたのに。

 僕は少し迷う。蜂蜜がけのナッツ入りのパンは甘そうだから、シンプルな全粒粉のパンにしよう。それと塩気も欲しいから、チーズのパンも一つ。どれも手に取るとまだ温かいパンは、実った小麦の色のように輝いている。


「そうだ、今日原稿の確認だよね?」

「そう、昨日言った通りよ」


 ディオネは話しながらもスープをよそっている。僕もパンの隣にあったオムレツを一つ取る。

 ハーブ入りのオムレツらしい。緑と黄色の彩りが見事だ。


「時間聞いてなくてさ、いつからする?」

「あぁ、時間ね」


 ディオネは果物のコーナーで少し悩んでいる。リンゴとブドウのどちらにするか。

 僕はもう選び終わった。赤いリンゴを手に取ってディオネを待つ。

 これ以上盛ると食べ過ぎだ。


「昼からにしようよ。町で美味しそうな店があったからそこで」

「別にここでも――」

「ファビオは外出てないんだから、少しは歩いたら?」


 余計なお世話だが、彼女の提案を否定する理由もなかった。

 ディオネは赤いリンゴとブドウを盆に乗せて、カウンターから離れていく。僕も彼女の後を歩いた。


「そうだ! 今日は外で食べようよ!」

「暑いじゃん」

「まだ朝だし大丈夫だよ!」


 ディオネは僕のことなど気にせず会場からそのまま出られる外の庭に進んでいった。

 器用に盆を片手で持って外につながる扉を開けて、出て行ったディオネに面倒だったが僕も外に出た。


「気持ちいい!」

「暑いけどね」

 

 庭には、会場にいる宿泊者よりも少ないがほどほどに人が居て、庭の花畑を見ながら朝食を楽しんでいた。


 このケイドリンも夏日のようで、明るい日差しが庭に咲く花を照らして輝かせている。

 隣で目を輝かせるディオネは「綺麗だねぇ」と感動していた。綺麗な花畑に微笑む彼女を見て、不覚にも綺麗だと思った。

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