10
賑わう乗り合い馬車馬で下ろしてもらい、うるさいデュランと一時ではあるが別れた。
過ぎていく魔道車を見送って二人で少し歩けば、ちょうど昼時だったようで大通りに入った僕たちに食欲を誘う良い匂いが腹の虫を刺激した。
肩が痺れるほど重たいディオネの荷物を担いで、フラフラと匂いに誘われている彼女の手を繋ぎながら、いや捕まえながらようやく『ラ・レビアン・ケイドリン』に着いたのだ。
「ここ? 私お腹が減ったんだけど」
「らしいね。腹が減ったのは僕も同じだけど、この荷物が先だ」
「えぇ、先食べようよ」
「だったら荷物持ちする? 僕は全然良いよ」
「先、荷物だね! 昼ご飯は抜いても問題ないしね!」
調子の良いことで。目先の問題を遠回しにしようとする魂胆が透けて見える。
大通りのデミストニアでもよく見た建築様式とは場違いなほど、浮いている目の前の門構えに僕とディオネは二の足を踏んでいる。
木の門か、初めて見た。
焦げ茶色に染められた門は、僕の身長を超える高さで、太い縦板が隙間なく並んでいる。その板一枚一枚には節目がなく、滑らかに磨かれていた。門の上部には緩やかに反った庇が張り出していて、その下には見覚えのない紋章――多分、ケイドリン伯の紋章が彫られている。
こんな立派な門が木で作られているとは、デミストニアでは当然見たこともない。ライフアリー商会の鉄の門よりも、かえって近寄りがたい。
商会でいつも使う小さい門より、また一回り小さいそれは開いていて向こう側が見える。
見たこともない木々と寂しく見える庭に、石畳の道が奥へと案内しているようで運転士が言っていた『格式張っている』という言葉がしっくりきた。
「やっぱり、ファビオが先に行ってよ」
「何でだよ。僕より荷物軽いだろ? 先に行けって」
こんな人の多い通りで大荷物を担いでいる僕に比べたら、ディオネが持っている荷物なんて少し遠出する人の荷物くらいしかない。
もちろん、それは僕の荷物だ。ディオネはそんなこと考えていないから、彼女の荷物が本当に重い。
この旅が終われば、もうディオネの荷物は絶対に持たないからな。
「それじゃあ、……中に歩いたらいいんだよね?」
「それしかないだろ。ほら、早く」
不安の表情がヒシヒシとディオネから伝わるが、それは僕も一緒だ。
だけど、このまま引き下がるのは恥ずかしい。
歩く道中でも明らかに田舎者のような目を向けてくる王国民がいたのだ。そんなヤツらにこのまま立ち去るところを見られるものなら確実に陰口の的だ。
「場違いじゃないかな?」
「……そう思ってたよ。でもねぇ」
ため息しか出ない。
いくら貴族直営と運転士が教えてくれたところで、僕はたかがしれてると思っていたのだ。町並みも通りの賑わいも案外デミストニアと変わらないなと思っていたら、まさかの宿の門が見ただけで高級に見える。まだ宿の建物すら見ていないのにもかかわらずだ。
母さんは高級宿って言ってたっけ? もうちょっと情報が欲しかったが、既にここまできてしまったのは仕方ない。横にいるディオネは頼れないし。
「は、入るね」
「どうぞ」
ディオネは意を決したようで、強ばったままの顔で足を進めた。
ぎこちない足取りは前を歩く彼女の緊張がよく分かって僕まで緊張が移った。
木の門から少し歩いても、宿らしき建物は見つからない。
進む僕たちに周りの木々は応援してくれているような気がするが、目的地がどこにあるのか分からないしんどさに、その応援も力にならない。
ただ、東屋で休む人の姿がちらほらと見えた。
「まだ?」
「聞かれても僕も知らないよ。……初めてだし」
口数が少なくなったディオネは順調に歩いている。
だんだんと階段状にゆっくり上っている石段は確かに丘を登っているように感じた。
その証拠に息が上がってきたのだ。
「休まない? 日陰の建物はたくさんあるし」
「止まったらもう動けない。とりあえず行こう」
彼女は一休みすれば歩けそうなくらいだけど、僕は無理だ。
「さっさと進もう。登り切ったら宿あるだろ」
「えぇ、しんどいよぉ」
そう言いつつも、ゆっくりと石畳を上がっていくディオネ。
前に上ったデミストニアの山よりも今回の方が余程しんどいのは、お前の荷物のせいなんだからな。
寂しく見えた最初の庭から、石畳を進めば徐々に華やかな庭に変わっていった。
緩やかに上がっている石畳の階段も慣れればなんとか登り切れそうに感じる。
「綺麗、だね」
「なんで、……お前の方が、息上がって、るんだよ」
「しかた、ないでしょ。作家は、運動が苦手って……決まってるんだから」
そんな決まりがあることを僕は知らない。初めて聞いたくらいだ。
「でも、こんな庭園があるなんて、やっぱりさ」
「なんだよ」
「いい宿そうだね」
「泊まれるか分からないけど、ね!」
緩やかでも階段は階段だ。馬車場から歩き通している僕の足もそろそろ限界だった。
「綺麗な花」
「おい、止まるな。前歩け」
「もう分かったから押さないでよ」
ディオネが突然足を止めた。そのせいで彼女が担いでいる荷物と僕の顔が衝突する。
花を見て止まったようで、しかめっ面のディオネはため息を吐いてまた歩き出す。
「この花、何の花か知ってる?」
ディオネが一面の花畑を指差して、手前に咲いている透明がかった花を手に取っていた。
その花を見て、僕は珍しいなと思った。
植物図鑑を読んでいたおかげで、その花の名前が分かる。
「たしか、ハクメイって花だね」
「ハクメイ?」
「そう、自生しているのは山の麓が多いらしい。栽培は時間がかかるって読んだ」
そのくらいしか僕には分からない。ディオネは「へぇ」と一言呟いただけでその花から手を離した。
ちなみに、ハクメイの花言葉は『清潔』と『見透す』だ。
今の僕たちにとって、なかなか皮肉の効いた花言葉で、他に植わっている庭には、ハクメイだけじゃなく色々な花があった。
ついでに石畳から明らかに寄り道のような小道も延びて、散策するにはもってこいの庭だと思う。
「ハクメイか」
「気に入った?」
「いや、全然」
そう言ってまたディオネは歩き出す。
僕も彼女の後について歩くが、さっきまでよりも足がずっと重く感じた。
息も絶え絶えに僕とディオネは石畳を登り切った。
途中ですれ違う人もいたが、そんなことは気にする余裕もなく、二人して下を向いて歩くのに精一杯だった。
「宿、見えたぁ」
ディオネの方が先に息が整ったようで、丘の上にある宿を見ているらしい。
僕はまだ無理だ。平時はそれなりに運動しているはずだが、しんどいものはしんどい。
「……凄い宿だよ! ファビオも見なよ!」
「先に行っててくれ。本当、限界だから」
気分が上がっているディオネには悪いけど、足が震えて歩けない。
もう少しちゃんと運動していればよかったかもしれない。
「仕方ないなぁ、先行ってるね!」
そう言ってディオネの歩く足音が聞こえた。そこは『待ってるよ』じゃないのか、薄情者。
「すごーい!」
遠くまで歩いたディオネの明るい声が聞こえた。
一気に観光気分のディオネに、そのまま宿に泊まれるか聞いてほしいところではあるが、それをしないのがディオネだ。
大きく息を吸い込んで、ゆっくり吐く。
花の匂いがよく香ってきた。
数回の深呼吸の後、歩く力も少しは戻った。
先を行くディオネに追いつこうと顔を見上げれば、視界が開けて陽光が僕の視界を照らした。
「ま、まぶしいな」
チカチカする視界に目を塞ぐ。チリチリと頭が痛むが、ゆっくりと塞いだ手を離した。
「なんだ……これ」
目の前には、入口の門とは比べものにならないほど綺麗な建物が、頂に堂々と鎮座していた。
まるで陽光を一身に浴びるために、選ばれた場所に建っているかのようだった。
静閑な出で立ちを思わせる色の主張がない建物には、沿った勾配の大きな屋根と太い屋根材が乗っている。その屋根には、レンガに似た何かが並んでいた。だが平らではなく、緩やかに波打つように曲がっていた。
こんな屋根材は初めて見る。
深い灰色のそれが、建物全体に落ち着いた雰囲気を与えているようだった。
「……すげぇ」
思わず声が出た。
たかを括っていた僕の高級宿の想像を容易く超えているその建物に息をのんだ。
漂白した麻布のような純粋な白さは、デミストニアの議事堂やライフアリー商会の外壁の白さよりも一段と白い。
等間隔に建てられた黒塗りの大きな柱には意匠が彫ってあって、彫刻の意味は分からないが、これが価値あるものだということは分かる。
大きく張り出した屋根の下には広い玄関があり、その横の地べたに座り込んでいるディオネの姿が見えた。僕に手を振っている。
彼女の脇には投げ出された荷物があった。
……せめて外から見える場所では行儀よくしてほしい。こんな立派な宿でも、いつも通りの彼女の様子は追い出されても不思議じゃない。
建物は一階だけのようで横に長く伸びている。壁には窓が並んでいるが、細い縦桟が密に施されて中を窺うことはできなそうだ。
等間隔に並んだ窓が、単調に見える外壁に心地いい強弱をつけている。
「はーやーくー!」
手を振っているディオネが僕を急かす。
もう少しだけ、日差しを反射して輝く建物を見ていたい気持ちがあったが、ディオネが暢気に待っている。
仕方なく残念だけど、また見られると考え直して、もう一度重たい荷物を担いでディオネの待つ場所まで歩く。
大きな屋根の下に重い荷物を下ろして息を整える。
ディオネが座り込んで「もう立てなーい」と言い訳がましく僕に言ったが、全然立てると思う。だって、膝を動かして遊んでいるから。
だが、彼女に言い返す気持ちを抑えて僕は待つ。
運良くというかいきなりのことだったが、ディオネと僕に気づいた宿の人が声をかけたのだ。
「泊まれたらいいんだけどなぁ。こんなに組んだ軒は……」
「軒?」
「そう、軒。凄いよね」
感嘆した表情のディオネはそのまま屋根裏の木を見上げている。木が組まれていることをノキというのだろう。
変な言葉だが、さっきまで屋根裏を見ていた他の人の会話でも盗み聞きしたようだ。そういうところは本当に目敏い。
「凄いなぁ」と呟くディオネに、中からバタバタと足音が聞こえた。そろそろ宿の人が戻ってきそうだ。
「ディオネ。そろそろ立って。荷物もちゃんと持ってね」
「分かってるよ。私、大人よ?」
ディオネは僕の言葉が子どもに話しかけているように聞こえたようで、素早く立ってはお尻の砂を払っている。
……どこが立てないんだよ。やっぱり大げさに言ってたなこいつ。
少しだけ、ほんの少しだけディオネにイラッとするが、宿の玄関が引かれてさっき声をかけた宿の人が出てきた。
「ライフアリー様一行ですね? えぇ、ファビオ様とディオネ様ですか?」
「そうです。十日後に来る予定だったんですけど……」
「ザノアール様より詳細は聞かせていただいてます。長旅、お疲れ様でした。どうぞ」
そう言った宿の人は玄関を開けきって僕たちを出迎えた。
中を見れば、建物の外観に並ぶくらい静かで、威厳的な木が横に架かっていた。
「建国祭まで、『ラ・レビアン・ケイドリン』でごゆるり過ごしてください」
そう言って微笑む宿の人に、僕たちはものすごく場違いなところに来てしまったと痛感した。あと、父さんがなんで僕たちが早く着くことを知っているのか。父さんに見張られているような気がして寒気がした。
「すっご! でっかい梁じゃん!」
今だけは、横で騒がしいディオネが頼もしく思えた。
でも、もう少しだけ静かにしてほしい。こんなところまでデュランに似ているのは笑うしかないが、対応する僕の身になって欲しい。




