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デミストニアを出て十日後、僕たちを乗せた魔道車はワグダラ王国に入った。そして今日、ケイドリンに到着する。
初めて見たワグダラ王国の景色はデミストニアと変わらず見慣れた田畑が広がって、王国といっても辺境に位置するケイドリンとデミストニアの境はこんなものかと感じた。
道中ではデュランが相変わらず話し続けたが、宿や魔道車の食事の時だけ静かになることには三日もあればディオネも慣れた。
そんなディオネは魔道車の中でネタ帳を広げ、車酔いしながらもデュランの話を参考に創作を続けていた。僕は、ただひたすら父さんと会わない方法を考えていた。
そして――。
「ファー君? おーい、おきてー」
うるさいデュランが僕を呼ぶ声が聞こえた。
今日ケイドリンに着くというふざけた速度の魔道車に、いまだ父さんへの対応を考え中だったから、到底間に合わないその答えに現実逃避を込めてふて寝してやろうと、目を瞑って仮眠をとっていたらこれだ。
本格的に寝てしまった。
「やっと起きた! もうすぐケイドリンだよ!」
重たい瞼を開けて、車窓から顔を出しているデュランが外から僕に言う。
高速で走っている魔道車ですら、こいつはおもちゃのように扱っていた。
危ないと再三注意していた運転士は既に諦めて、デュランの危険行為を見てため息をついている。
こいつに注意する時は何百回と注意をする覚悟を持たないといけない。本当に言うこと聞かないから。それでも至って真面目なんだから質が悪い。
どうせこいつは魔道車よりも早く走れるから、どうとでもできるのだ。
四日目の旅の時にはデュランは、鼻歌を口ずさみながら魔道車と併走していたのが全てだ。その時から運転士の苦労が始まった。
魔道車に供給するマナと自分で使うマナを両方調節しながら笑っているこいつを見て、やっぱり僕は出がらしなんだと痛感した。少しだけ目頭が熱くなったのは、僕だけの秘密。
「デミストニアと全然違うじゃん!」
横に座ってネタ帳を広げていたディオネは、持っていた筆を膝の上に落として車窓の外を食い入るように見ていた。
興奮している彼女の顔は外を向いてよく見えないが、その声色はここ最近で一番明るい。
うるさい二人にこれ以上は寝てられないと手の平で目を擦った。
「見てみなよ! 国境の時と全然違うよ!」
興奮したディオネは僕の膝を叩いてくる。
軽く叩いているつもりだろうが、気分が昂ぶっているせいで加減を間違えている。
「痛いって。……それに、ワグダラ王国なんだから当たり前だろ」
叩く腕をとって彼女に返す。
どこも遠目から見れば綺麗に映るが、近くで見ると案外似たり寄ったりなのだ。それはワグダラ王国に入ってから、泊まった宿場町で分かっている。
ディオネは「面白くない」と言って僕の手から腕を外して、自分が見ている車窓に戻した。
「そうなんだけどさ。ファー君も外見てみなって」
「そんな感動するようなものでもないでしょ」
デュランに言われて、車窓からケイドリンを見る。
ざっと見た限りではデミストニアと似ていて、これまで泊まった宿場町と過ぎ去った集落の中では一番栄えている印象があった。
ただ、赤茶色の屋根に立ち並ぶ家屋。道ばたで話し込む夫人たちにその周りを遊ぶ子ども。着ている服もデミストニアと同じくらいの品質であるようだった。
感動するようなところはない。十日前に見た景色とそこまで変わらない。
ただ、魔道車が道を走っているところを彼女たちは見慣れている様子で、気にすることなく話し合っている姿はいままでの宿場町と違って新鮮に見えた。
「魔道車に見慣れてるんだね」
「ファー君のそう見えた? 俺もそれ思った」
僕の言葉に楽しそうに返すデュランは、車窓から顔を引っ込める。風になびいた短い髪に癖ができていた。
「髪に変な癖できてるよ」
「本当?」
彼はそう言って頭を触れば「本当だ。ありがとう。ファー君」と両手で髪を溶かし始める。
短い髪の些細な癖は気になるデュランに、正直そんなところは誰も気にしないと思う。それよりも少しは自重する方が何倍もいい。
「城壁はないんですね」
外から目を離してデュランの方を見て尋ねるディオネに、「こんなもので良いかな?」と髪を整えていたデュランが気づいた。
「城壁? そんなのないよ?」
「え! あ、そうですか。ちょっと期待してたんですけどね」
「なんで?」
「……創作のネタにできたらと思って」
デミストニアでも町の境には城壁がないが、ライフアリー商会の敷地には大きい壁がある。ネタにするならそれでいいだろ。
別に大した問題でもなさそうに、ディオネは「やっぱり平和ってことなんですかね」とあっけらかんに言ってまた車窓から外を眺めた。
ディオネの言葉にデュランは感慨深そうに頷いているが、正直、ディオネの意味不明な話に得意げな顔をするデュランの態度が気持ち悪く見えた。
「なんだよ、ファー君。そんなこと言ってさ」
「なんでも」
余計なことを言った僕に突っかかるデュランは、「まぁいいや。運転士さーん!」と前で綽々と運転している彼に話しかける。
運転士の彼は凄いよ。十日間もずっと運転し続けているんだから。
こんな二人の訳の分からない会話をよく聞いてられるよね。
「乗り合い馬車場までどれくらいですぅ?」
「もう、すぐですね。大きな通りの手前に馬車馬があるんで」
「じゃあ、そこで一旦停まってくださぁーい!」
デュランはそう言って僕の方を見た。
「それでいいよね? 宿まで歩いていける? たしか……えっと」
「『ラ・レビアン・ケイドリン』って宿」
うろ覚えでデュランは覚えていない様子だったからもう一度教えた。
二、三回は夕食の時に話しているはずだが、なんでそう忘れっぽいのか。興味ないってことか?
「そうそう! そのや――」
「『ラ・レビアン・ケイドリン』ですかぁ! 良いところですよぉあの宿は! ちょっと格式張ってますけどね! あそこは良い宿だ。さすがは貴族直営だけある」
今まで寡黙に運転していた彼から大きく陽気な声が聞こえた。
途端に堰を切ったように話し出す。
「ちょっと変わった建物ですけど、中は凄いですよ! 一見の価値がありますしなんといっても宿のもてなしですよね! いやぁ、私も嫁と新婚旅行で泊まったんですけど、まぁ良かったですわ!」
「そんなにかい?」
おいデュラン、相づちを打つな。せっかく止まりそうになってただろ。
「少し小高い丘に建てられているんですけどね! 部屋から見たケイドリンの町並みは圧巻でして、夜なんて明かりの芸術かと思うくらい綺麗なんですよ!」
「へぇ、そんなところにファー君とディオネちゃんは泊まるんだね」
運転中でもそんなに話せるんだと、違う意味で感心する。
大げさに言ってそうな彼は「お二人がですか? いいですねぇ」と勘違いしたような話し方をした。
「違いますからね。二部屋とってくれてるらしいから、僕とディオネで一部屋ずつ――」
「だったら俺、一部屋ちょうだいよ!」
「うるせぇ! デュランは父さんのところの宿だろ!? こっちは貴族様の招待なんだ!」
「そんな怒らなくてもいいじゃん」
デュランが来たら、ずっと話し続けるだろ。絶対に寝られないじゃないか。
「すごいですね! ケイドリン伯は気難しい方だと噂がありますが、招待されるとは。あれですか? 建国祭に?」
「そうなんだよ! 俺もファー君もディオネちゃんも建国祭にでるんだ!」
「いいですねぇ。今年の建国祭は大々的にするようですから、私も当日はお休みをいただいてまして」
「運転士さんも貴族の建国祭に!? すげぇじゃん! な! ファー君!」
なにが「な! ファー君!」だ。そんなわけないだろ。
この人はただの運転士だぞ? ……そうだよね? まさか偉い人じゃないよね?
「いえいえ、私は町の祭りの方ですね。さすがに貴族様の建国祭には招待されませんよ」
「そうなんだぁ。じゃあ、父さんに言っておくよ」
「お気遣いは大丈夫ですから、私はザノアール様の運転士というだけですから」
この人は偉い人ではなさそうだ。ただ父さんの運転士ってことは……それなりに給金もらってそうだな。
「建国祭って何日後でしたっけ?」
今までよく隠していたなと思うくらいに話す運転士の話がようやく止まって、ディオネは口を開いた。
僕たちを乗せた魔道車はケイドリンの町を進んで、舗装が綺麗にされている道に出た。
道ばたには忙しなく歩く王国民の姿と、通り沿いに並ぶ木々が夏らしく青々と葉を広げている。
「あと二十日くらいじゃないかな?」
「そんなに時間あるの? ファビオ、ちょっと時間に余裕を持たせすぎじゃない?」
「……乗り合い馬車だったら、昨日ようやく国境を越えたくらいだからね。早すぎなんだよ魔道車が」
走る魔道車はどう考えても馬車のそれとは違う。
二十日の旅で計算していた予定が、十日で終わった。ディオネは僕にどうしろって言うんだ。こんなこと予想できるわけないだろ。
「確かにねぇ。でもそれじゃ宿の予約とか大丈夫なの?」
「……分からない」
「は?」
それだけは考えないようにしていた。
この十日間、頭を巡るそれを見て見ぬ振りをしていたのだ。本当に分からないから。
「そ、それじゃあなに? 野宿ってこと?」
「最悪の場合はそうだね。まぁ、十日間の間だ。適当に雨風凌げればいいだろ?」
「私、女ですけど?」
「そうだね。悪いとは思ってないよ。だってデュランが迎えにきたからこうなったんだし」
ディオネは「終わった」と呟いて上を見上げた。だらしなく下がった肩を見るに、比喩じゃなく本当にそう思っているようだ。
分かったか? 僕がなんで気が重かったのか。父さんの件もあるけど、これが一番なのだ。本当にどうしよ。
「そろそろ着きますよ」
運転士の声が聞こえて、デュランは「とりあえずさ、宿に行ってみたら?」と引きつった頬をそのままに僕たちに言う。
そこで『だったら父さんがいる宿まで行くかい?』と言わないだけマシか。そう言われれば僕なら迷わず自分で宿を探す。
「そうですね。とりあえず……はぁ」
ディオネはネタ帳をたたんでため息をついた。久しぶりにディオネのため息を聞いた。
相当にまいった様子に僕も居心地が悪い。これなら先に言った方が良かった。
そんな幸先の悪さでも魔道車はちゃんと馬車馬まで走った。
デミストニアの時の喧騒はないが、確かな賑やかさがあるケイドリンに僕とディオネは予定よりも十日早く到着してしまった。
こんな調子で、建国祭まで無事でいられるのか。
僕には分からなくなった。




