6
デミストニア自治国には、霊峰デミストニア山しか名所といえる場所はない。
そんな国だから、観光に行こうとしても毎日見ている山を登ろうとはしないから、結局は他国の名所に行くしかない。
出国許可証の発行は厳しい審査を通過する必要があるが、アレックス兄さんは別だ。通運の許可証はいつでも他国と出入りできる特別製らしいから。
だけど、僕のような普通の人はおいそれと気ままに他国に行くことはできない。それでも人の性というべきか、欲望には際限がないと感じる。
だって、こんなにも――。
「うへぇ。……人多すぎて……酔っちゃうかも」
「……人酔いって言うんだっけ、それ」
「そう。……ちょっと気持ち悪い」
人が多くて仕方ない。
ディオネと二人で大荷物を持って、早朝の乗り合い馬車場に来たらこれだ。
おい、吐きそうな顔をするな。吐き袋は今荷物の中なんだ。我慢してくれ。
まだ薄暗い早朝でも凄い賑わいを見せるここは、デミストニアでも一番の馬車場であちらこちらと馬車の出入りが止まらない。
どこか通運のそれに通ずるものがあるけれど、それにしたって熱量が凄い。
真夏だし、まだらに雲のかかっている空でもこんな時間にかかわらず暑いことこの上なかった。
「こっち! トレンティア行き! もうすぐ出発だよぉ!」
「タングリング行きに乗る奴いるかぁ!」
「デミストニア山! 山師組合までの馬車だよ!」
色々な所に向かう馬車が一斉に集まっているから、先導する整理員が必死に声を張り上げている。
別に催事はないはずだが、いつもこんな調子なんだとしたら頭が下がる思いになる。
「こんなことだったら、アレックスさんに馬車でも借りた方が……」
「二十日もあんな馬車に乗るくらいなら、今しんどくてもケイドリン行きの馬車を探すよ」
「……えぇ」
箱詰め状態の人混みをディオネとなんとかして進むが、一向にケイドリン行きの先導も看板もない。
既に疲れた様子のディオネを横目に、背伸びをしながら進む。
僕だってこんなに人が多いと思わなかったのだ。
でも、ケイドリンまでどうやって行くかディオネに聞いた時は、「なんでもいいよ。安い馬車でもなんでも」と僕に任せたのだから、文句を言われる筋合いはない。
「おい! 足踏んでるぞ!」
「あぁ! すみません!」
「ったく……気をつけろよ。嬢ちゃん」
ディオネが見ず知らずの男の足を踏んだようで、叱られていた。
小柄な彼女だから、痛みはなさそうで軽く注意している程度だったが、その男の顔に見覚えがあった。
最後に見たのは確か商会の鉄門でおとなしく座っている彼の姿だ。派手な服を着ていたことしか記憶に残っていないから、最初は誰か分からなかった。
「たしか……オーゲン商会のマックスさん?」
「おん? 誰だてめぇ」
背の高い彼から見下ろされるが、着ている服が質素だ。羽織っている馬車場整理員用の服も身の丈に合っていないし、子供用の服を着ているみたいなちぐはぐさが派手な服を着ているよりも一層おかしく見える。
人混みに揺られながらもマックスを見て笑ってしまった僕に、彼は顔を近づけて眉間にシワを寄せた。
「本当に誰だ?」
「忘れました? ライフアリー商会のファビオです」
「……ん?」
「だぁかぁらぁ、ライフアリー商会でゼクラット書店のファビオですって」
「……あぁ。……あぁ! あの時の小生意気なクソ坊主!」
だれが、小生意気なクソ坊主だ。あんたもそうだっただろ。
ようやく僕が誰か思い出したマックスだったが、「おい! 整理員のあんちゃん!」と呼ばれた挙げ句、手を引かれて僕たちの目の前から消えた。
少し強引に手を引かれたようで遠くから「いてぇ!」とマックスの声が聞こえた。
「あの人誰です?」
ディオネは僕の服の裾を掴んで離れないようにしていて、首をかしげる彼女に「一旦、手を離してくれる?」とお願いしても「迷子防止。ファビオの」とさも当然のように言った。
この服、おろしたてなんだけどな。……ケイドリンで服買うか。これじゃあ、向こうに着くまでにビロビロになってどうしようもない。
「だから、あの人って誰です? 知り合いの人?」
ディオネは本気で言っているようだ。
三年か四年前の出来事を彼女は忘れているのだろう。興味のないことは全く覚えないディオネだ。マックスのこともオーゲンのこともこの調子なら覚えていない。
というかマックスのやつ、労役から戻ってきたんだな。
ライフアリー商会の襲撃とか孤児院の襲撃の共犯じゃなかったっけ? なんでも良いけど、微かに聞こえる「ばあさん! あっちはケイドリン行きだから違うって!」というマックスの声は、僕も覚えてないけど、ゼクラット書店で初めて会った彼よりも元気そうに見えた。
「ファビオ聞いてる? あの人って――」
「オーゲン商会にいたマックスだね。覚えてないでしょ」
「ん? マッキン?」
「マックスだって! 派手な服着てた背の高い孤児院出身の! 覚えてる!?」
聞こえてないようだったから耳元で叫んでやれば、ディオネは掴んでいた裾から手を離して耳を押さえた。
「うるさいよ! マックスってあのちゃらんぽらんのノッポのことでしょ。思い出したって」
「あぁもう!」と頭を振ってまた僕の裾に手を伸ばして掴もうとする。こいつ本当に僕を何歳だと思っているんだ。君よりも大人だっつうの。
『それにちゃらんぽらんのノッポ』って何だよ。初めて聞いたよ、そんな言葉。
「迷子になるよ! いいの!?」
「迷子になるか! もういいから、マックスの所に行こう」
「なんで?」
「あいつの場所にケイドリン行きの乗り合い馬車があるみたいだから」
僕たちは、結局乗り合い馬車を選んだ。
だって、安いし。
まさかマックスがいるとは思わなかったけど、ありがたいことに彼の身長のおかげで目的の馬車を見つけられそうだ。
「ファビオ! ちょっと歩くの早いって」
「……ほら、裾でも腕でも掴んで良いから」
不満げに裾を掴むディオネ。何をそこまで裾を掴むことに執着するのか。これでは迷子になるのはディオネの方だな。
安い馬車を選んで良かった。替えの服をケイドリンで買う余裕ができたし。
……でも、送迎馬車ならこんな目に遭わずに済んだのか。……それは考えないようにしよう。心に傷ができそうだから。
デミストニア自治国はワグダラ王国から三百年程度前に独立した国で、実態は属国と言っても差し支えない。
そもそも面している領土の過半がワグダラ王国で、それ以外には国じゃない集落がある程度だ。
だから、王国の各領土行きの馬車は多い。
デミストニア山があるおかげで一丁前に王国と取引できているが、産出される魔鉱石が枯渇すれば王国に取り込まれて終わり。それくらいの国である。
「こっちは首都ワグダラ直通便!」
「レミド行きはこっちだ!」
活発に声を張り上げる整理員とその声に集まる人。
さっきの馬車場よりか人混みは少ないが、あくまで比較して感じるだけでまっすぐマックスの声の方には歩いて行けない。
微かに聞こえる彼の声だけが頼りだ。
「まだ?」
「まだだって、着けば分かるから。ノッポさんが見えるはずだから」
未だに裾を掴んで離さないディオネを引き連れて、担いでいる荷物をもう一度担ぎ直す。
肩にかかる尋常じゃないくらい重い荷物はディオネの分の荷物もあるからだ。
僕の荷物なんて大した量じゃない。彼女の荷物が重すぎるのだ。何を入れてきたのか今晩の宿で確かめてやろうと思う。
「やっと試験が終わってこれよ、まいった」
「でも、卒業見込みはもらえたんだろ?」
「当たり前でしょ。私、優秀なんだから」
優秀であれば、進級できるか怪しくなりはしないが、力なく胸を張る彼女に「そうだね」と返す。
別に思っていないけど、癪に障るようなこと言っては面倒だ。彼女と二十日も顔を……違うな、往復して滞在もするから倍以上は一緒に過ごす事になる。
嫌になるね。本当。
「早く進もうよ。歩き疲れたし気持ち悪い」
「だったら早く着いてきて。ディオネに合わせて歩いてるんだから」
「そんな気遣い……要らないね」
うるさいな本当に。
まあいいや、ようやくマックスの頭が見えてきたから、うるさいディオネの子守は終わりだ。
「ケイドリーン、ケイドリーン行きー」
……ちゃんと仕事してるのかこいつ? 適当さがマイケルとよく似ているマックスは、馬車の車体にもたれかかって声を上げている。
馬車の中には少なからず人が乗っていた。賑やかに話している彼らと比べてマックスのそれは取り分け酷くサボっているように見えた。
「あの人かぁ」
腕にかかっていたディオネの力が抜けて軽くなる。
肩に掛けていた荷物が腕までずれていたから、また担ぎ直す。辛そうな顔をしていたディオネには分からないと思うが、多分明日は僕、荷物を担げない。
体中が痛いから、そうなれば明日はディオネが荷物係だな。
「やっぱり覚えてないや」
「思い出したって話は?」
「うろ覚えみたい、正直分かってなかったけど勢いだね」
なんだそれ。結局マックスのこと覚えてないじゃん。どうでもいいけど。
探していた目的の馬車が見えた僕たちは、依然として減らない人の間を抜ける。
早朝からまだ陽は出ていないが、ようやく僕たちはケイドリン行きの馬車まで到着した。
「あん時の坊主と生意気なガキ、お前ら何のようだ?」
気怠そうに話すマックス。それでいて少しの警戒心からか、もたれていた馬車から離れて僕たちの前に立つ。
「何のようだって――」
「悪かったな」
「はい?」
首を掻く彼に、僕もディオネも謝られることなどない。ディオネが謝るのならなんとなく話は分かるけど。
あの……なんだったっけ。……ライアット通りの悪口を書いた本のことだ。ディオネはまだなにも謝ってなかったはずだ。
「別に謝ることなんて――」
「いや、謝ったらもう良いんだ。俺の自己満足だから」
そう言って、また馬車にもたれるマックスは「ケイドリン行きの馬車に乗るんだったら早くしな」と面倒そうに僕たちを見る。
彼のその対応というか謝罪を受け取って良いのか分かりかねるが、横に立つディオネは「はーい」と馬車へ進んでいった。
ディオネのやつ、考えることを辞めたな。そそくさと馬車に乗り込む彼女の後ろ姿を見て、マックスの前まで歩いた僕は彼に聞いた。
「荷物は車体の上に?」
「おう。それは俺の仕事だな」
マックスが僕の荷物を代わりに持つ。
「重てぇな、これ何入ってんだ?」と聞いてくるが、そんなこと聞かないでくれ。僕だって気になっているんだ。
「ほとんどディオネの荷物なんで」
「そうかい。あのガキも作家だろ?」
事も無げに荷物を担いで馬車の上に上ろうとするマックスが僕に話しかけてきた。
「まぁそうですね」
「あのガキには苦い思い出しかないけどよ。良い本書かせろよ。俺も読んでるからな」
「……はい、肝に銘じます」
言い捨てるように僕に言ってから、淡々と荷物を固定したマックスは馬車から下りて僕の後ろを見て僕に指を差す。
「あれもお前のつれか?」
「あれ?」
「向こうで手振ってる奴だよ」
誰だよ。こんな早朝に僕に用がある奴なんていない。書店の引き継ぎも完璧に終わらせたし、ディオネだって学業を追い込まれながらも終わらせた。
あいつは勝手に追い込まれただけだけど。
「振り向いて確認しろよ」
「厄介ごとに巻き込まれたくないんで、このまま馬車に――」
「おーい! ファーくーん!」
「呼ばれてねぇか? お前のことだろ?」
「呼ばれてないです。僕の名前はファー君じゃなくてファビオですから」
「いや、略称じゃ――」
「なんで無視するんだよぉ! お兄ちゃんが迎えに来たんだからさぁ!」
遠くから聞こえたはずの声がもう近くで聞こえた。後ろを振り向きたくないからマックスの顔を見ていたけど、後ろの男を見て驚いている顔をしているのは容易に想像が付く。
……どうして……どうして、僕にはこうも面倒事が降って湧くのだろうか。
顔を覆いたくなる羞恥心を抑えて馬車に乗り込もうと、足を馬車に掛ければ腕を掴まれた。
「ファー君! 久しぶり!」
掴んだ男を見れば、短く刈り上げている金髪と同じ色の金色の目。ビクター兄さんに似ている背格好ではあるが雰囲気が決定的に違って、ビクター兄さんが陰気だとすれば、こいつは陽気。夏仕様の薄い服を着ているようで、アレックス兄さんのような筋肉質な体も見えた。
僕の顔を見てすっごい笑顔なこいつは、僕にとっては山でおとなしく魔物狩りをしていてほしい男である。
本当に、あんたとここで会うとはさすがに思わなかった。
「久しぶりです。エリー姉さんの婚約以来ですか。デュラン兄さん」
「そうだね! ファビオ! おはよう!」
うるせぇし、騒がしい。
早朝から会うのは劇薬なのだ。
ほら、そんな大声出すから馬車に乗っている人たちも僕たちが気になってるじゃないか。
「ちょっと、僕これからケイドリンまで――」
「一緒に行こう! ファー君!」
「遮るな。人の話を最後まで聞け。あとむさ苦しいから離れて」
「は、反抗期かい?」
な訳ねぇだろ。ぶっ飛ばすぞ。
デュラン兄さんは僕の腕から手を離せば、うろたえた様子で顔を引きつらせた。
本当に子どもみたいな兄さんだ。
目の前の彼、デュラン兄さんは僕の兄で三男のデュラン・ライフアリー。一応は、デミストニア山師組合で働いている魔術師である。
そして、僕にとってはきょうだいのなかで一番距離感がおかしいドが付くほど真面目で面倒な男だ。
だから! 山に帰れ! あんたと話す元気は僕にはない!




