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面倒極まりないケイドリン行きの事情を、カーラさんに相談したら「いいじゃない。良い休暇になりそうで」と話が伝わってないような感じで僕に悪態をつかれた。
別に僕は休暇に行くんじゃないと話しても、カーラさんは「いいわねぇ。男と女二人で旅行なんて」と冷やかして「書店のことは順調だし、申請中の原稿だけちゃんと引き継いだら問題ないわ」と言って、彼女自身の商会の仕事に戻っていった。
カーラさんがそんな他人事のように僕と接するから、ビクター兄さんにも母さんの用件を相談しようとしたが、忙しいと面会すら断られた。
別に商会の繁忙期でもないはずだが、僕に運が回ってこないような感覚は気持ち悪い。
まるで、ケイドリンに行かせようとする母さんの策略かと考えもしたが、実家で暢気に暮らしてる彼女にそこまで考えて実行しようとはしないと思ってケイドリン行きの調整をこの数日一人でしていた。
そう、一人で。
「ファビオ君? 大丈夫かい?」
ゼクラット書店の休憩室。半ば僕の作業場みたいになっている部屋で、珍しくマイケルがここで昼休憩を取っている。
最近は版画機のある作業部屋でサボりを謳歌していた彼だったが、そんな部屋があるからいけないというアンナさんの案で、作業部屋への出入りを制限された。
まぁ、版画機の音やインクの臭いがあるから、部屋自体はなくならないのは良かった。
もし作業部屋がなくなるようなことがあれば……マイケルは降格処分にしていたところだ。良かったなマイケル。
「大丈夫もなにも、僕は大丈夫ですよ。そっちこそ、どうなんです?」
目の前に座るマイケルは、僕が机に広げている申請関係の手引き書を読んでは「どうって、僕もどうってことないよ」と書類を雑に置いた。
その書類、結構高いんだから丁寧に扱って欲しい。ただの手引き書でも役所は金を取るのだ。申請自体も金を取るから、僕みたいな出版商会には良いところが何もない。
挙げ句、申請先があの岩頭だ。どうなってんだよ、人の心があったらあんな仕打ちはできないだろ。普通は。
「そうじゃなくて、ケイドリン行きの準備は順調なのかい?」
「順調どころかもう終わってますから」
僕の言葉に「そうなの? それで?」と詰めるように聞いてくるマイケルに少しだけ苛立ってしまう。
彼は休憩中だけど、僕は仕事中なのだ。アンナさんに僕が不在中の申請業務をしてもらうから。本当は、マイケルがするべき仕事だけどね。
「それでってなんです? 別にケイドリンに行って貴族様が持っている宿に入るだけですよ? 諸々の準備はあちら様持ちらしいので」
そうなのだ。母さんから後日送られて来た概要の手紙には、ご丁寧にケイドリンの宿『ラ・レビアン・ケイドリン』というところの行き先が書かれた案内図も入っていた。
母さん曰く、高級宿らしい。夜盗を気にせず寝泊まりできればどこでも良かったけど、一応僕たちは来賓という扱いらしい。
……主にディオネが主役で僕はそれの付き添いというのが肝心なところだ。
彼女が粗相をしないように監視するのが仕事ということだ。
「へぇ、いいじゃん」
「なんですか? ケイドリンに行きたいんですか?」
「別に行きたいとは思わないね。メイリーちゃんが心配だし」
まぁ、お前が行きたいとお願いしてきても、僕は断るけどね。マイケルに行かせるくらいならマリーさんを僕は行かせる。
どっちもあれだけど、まだマリーさんの方がマシだ。
あと、メイリーちゃん基準で行動するのは、ちょっと気持ち悪い。
「じゃあいいですか? 僕これから清書したいんで」
「えぇ、少しくらいは話し相手になってよ」
「それなら、アンナさんといつも話してるじゃないですか」
「あれを話というならファビオ君。君、治癒院に行った方が良いよ」
なんだこいつ。喧嘩売ってるのか? 僕の耳は至って正常だぞ。目は偶に霞むけど。
まぁ、確かにマイケルとアンナさんの話というより指摘? いや、命令だなあれ。
サボリ癖がマシになってきたマイケルだけど、予防したいというアンナさんがマイケルに休む暇を与えないよう仕事を割り振っている。
店仕舞いをする頃には、疲れた顔のマイケルとイキイキしているアンナさんを見ることになるが、最近は特にアンナさんは張り切っている。
良いことだけど、ちょっとぶり返しが怖くてアンナさんに理由を聞けば「家の鬱憤もちょっと貯まってるから、いい発散になってるのかしら」と微笑んでいたのは、心底肝が冷えた。ちなみに、それを横で聞き耳立てていたマリーさんが身震いしていたのは見なかったことにしている。
そんな発散の標的になっている可哀想なマイケルには、アンナさんの理由を伝えるわけにはいかない。そのせいで彼女の標的が変わってしまうのは、僕とマリーさんには良くないことだから。
「まぁまぁ、マイケル。そろそろじゃない?」
「え? まだだと思うけど?」
いや、そんなことはない。
それなりに、マイケルが休憩室に入ってきてから時間が経っている。だって、部屋の向こうから書店の賑わいが良く聞こえるじゃないか。
「悪いことは言わないから、扉を開けてみたら?」
「そう言って僕を押し出す気だろ? そうはいかな――」
「マイケルー! 休憩終わりだよ!」
受付の方からアンナさんの声が休憩室まで響いて、座っているマイケルは驚いて急いで立ち上がる。ガタッと椅子が転けたが気にする素振りもない。
「い、いま終わりまぁす!」
「早くね!」
扉越しの会話に、マイケルは「本当に終わりなの? さっき休憩室に入ったばかりだと思ったんだけど」と呟いて椅子を戻せば、「ファビオ君? 本当に終わり?」と聞いてくる。
だから、言ったじゃん。そろそろじゃないかって、少しは信用してよ。こんなことで嘘なんかマイケルみたいにつくわけないだろ。
「ほら、終わりだって」
「本当に?」
「本当だって、アンナさんが嘘つくわけないでしょ」
僕の言葉に上を向くマイケルは、諦めた様子で休憩室の扉を開く。
よく聞こえる売り場の喧騒は、心地良いくらいに客が入っている証拠だ。ありがたいことだ。
「じゃあ、また後でね」
「マイケルも頑張って」
彼は惜しむように休憩室の扉を閉める。途端に聞こえづらくなる売り場の喧騒。
もう少しだけ聞いておきたいと思うのも贅沢なことだと思った。
アンナさんが放つマイケルの命令も落ち着いた夕暮れ。
マイケルには、ケイドリン行きの準備は終わっていると話はしたが、本当は少しだけ残っている課題がある。
ケイドリンに行くまでの宿の手配とか諸々は問題ないはずだけど、移動手段の品質のことだ。
送迎馬車をデミストニアからケイドリンまで使うとなれば、アレックス兄さんに聞いたけど、ちょっとばかりどころか結構な金額を提示された。
あれでも身内割引を適用してるとは、送迎馬車の品質はとんでもないくらいに良い物なのかと興味が湧いた。
アレックス兄さんからは「俺の使ってる馬車を貸そうか?」と提案してくれたけど、絶対にあの変な形の馬車だと想像できるから断った。
誰があんな馬車で二十日も移動するのか。気が触れているとしか思えない。
「改造してもいいんだったら、ホールスさんに頼んだんだけどなぁ」
無理な話だ。あんな気狂い馬車でもアレックス兄さんは好んで乗っているはずなんだから、返す時に変わり果てた馬車を見て涙するのは見たくない。
可哀想なのはビクター兄さんとマイケルで十分だ。
そういった経緯もあって、どうするか決めかねている。
別に、乗り合い馬車で気ままに馬車を乗り継いでも、ケイドリンには予定日より前に着くように考えて出発日を決めている。だから、それに間に合うようにすれば良いだけだ。だけど、それが決められないから困ったものなのだ。
ケイドリンにただ行くだけなら、こんなに迷うことなどない。
母さんの口添えで出国許可証を二人分用意できたし、諸々も本当に問題ないが、ケイドリンには来賓扱いで行くのだ。低品質の乗り合い馬車で行って良いものなのかと考えてしまう。
ただでさえ、行くところはワグダラ王国のケイドリン領なのだから僕だって少しは緊張する。
母さんは何でもないように話していたけれど、相手は経済的にも権威的にも、格上の位に座るお人たちだ。デミストニアのなんちゃって貴族とは訳が違う。
何百年と血を繋いできた彼らの機嫌を損ねるようなことは、断じてしてはいけないのだ。
そのところをディオネは分かっていないようだし、父さんも母さんも何を考えているのか僕にはサッパリ分からない。
普通に考えれば、ワグダラ王国とデミストニア自治国の関係性を考えれば、僕らにも相応の位が必要なのは明白だというのに。
まぁ、そもそもの話だけど、そんな貴族様がディオネのファンだというのも、僕にとっては正直怪しいところはある。
時期を考えれば、二年前に母さんと面談して「ディオネのファンだから会いたい」という話はおかしいのだ。
ゼクラット書店の出版物が、国外輸出を出来るようになって二年も経ってない。
それだけでおかしい。考えるだけで億劫になるくらい誰でも分かる矛盾点だ。
僕の頭がおかしくなる。だから嫌なんだ、父さんの絡んでいる案件は。大体が彼の手のひらの上で動かされている感じがする。今回だってそうだ。
本当に行きたくない。父さんはあまり関わらないで欲しい。母さんもそうだったけど、あの人は本当に考えていることが読めないし話す内容が一々的確だから面白くないのだ。
「あぁ、カーラさんが行けば良いのに」
王国出身の彼女であれば、礼儀も何もかも大丈夫だし、ライフアリー商会の偉い人でもあるから何も問題ないはずだけど、普通に断られた。
母さんにも翌日に話してみたら、僕が行くことも貴族様のお願いに入っているらしい。あくまで主役はディオネだけど。
そのディオネだが、今は学業に励んでいる。僕はもう学生ではないから学園の中を自由に動くことはできないけど、アースコット教授との仕事で赴いた時に見かけた彼女は、いつか見た死人の雰囲気をそのまま醸していた。
口を半開きで廊下の真ん中をボーッと歩いている姿は、恥じらいの一つもないように見え、小綺麗に整えている身嗜みの差が激しくてやっぱり近づきたくなかった。僕のことなど気づかずに横切った時は、ホールス商会で見せた快活さは微塵もなく目だけが焦点が合わずにギンギンと見開かれていた。
ケイドリンに行くんだから、その間の学業とか試験を前倒しに実施してくれる理解ある学園のおかげで彼女は卒業できる一歩手前まで来ているはずだけど、正直あの調子で卒業できるのか不安になった。




