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僕とアンナさんで、マイケルを注意した日から二日経った。
特に変わったことはないけれど、しっかり働いてくれる彼の姿を見れば面倒だったあの日の話し合いは間違っていなかったと思う。
「アンナさぁーん! 明日の予定部数ってどれくらいでしたっけ?」
「三十部よ!」
「了解でーす!」
勤続年数でいえば、明らかにマイケルの方が長いはずだけど、今ではアンナさんの方が上司然としていて職場全体を見て彼を働かせている。
僕らの話し合いの後、泣きそうな顔でディオネと原稿料の交渉をしたマイケルは、渋るディオネになんとか雀の涙――一日の食費程度の原稿料だけをもらうことができたらしい。
それでもマイケルの妹で『名探偵メイル』のモデルであるメイリーちゃんはマイケルに怒り心頭だったらしいけど。
メイリーちゃんに関しては、モデルになるっていうことで僕も彼女に断りの連絡とそれこそ少しだけの協力金という名目でお金は渡している。十中八九、そのお金のことをメイリーちゃんはマイケルに言っていないようだった。
さすがである。
マイケルのことをよく知っている。
そんな彼女たちの仕事風景を休憩室から聞いていれば、昼休憩中のマリーさんが僕を見てなにか言いたそうに目線を動かしている。
彼女も結構分かりやすい性格をしているが、最後の一言が足りない。だから何が言いたいかが、分かりにくい。
マイケルみたいに一言が余計じゃないから幾分とマシに感じるのは、僕も相当に毒されているような気がした。
「どうしたの? なにか言いたいようだけど」
「いや、あの……」
マリーさんは、僕と目を合わせない。何が言いたいのか僕が予想しないと話が続かないのか?
面倒だ。マイケルとは真逆のそれに頭が痛くなる。
「あの……『名探偵メイル』って……」
ごにょごにょと口の中に物が入っているような感じで話す彼女に、僕はディオネの新しい『深窓の令嬢』シリーズの出版申請の書類から目を離す。
ながら作業でマリーさんと話していると、間違えて申請しそうになる。
経済広報課にはあまり行きたくないんだ。……あの岩頭がまだいるから。
今回の修正もあの岩頭じゃなかったら、絶対問題ない申請書類のはずだった。
なんだよ。単語のスペルミスが三個見つかったくらいで目くじら立ててさ。伝わるじゃん、どんな小説なのかって。
まず、そもそもの話。なんで経済広報課が校正してるんだよ。その仕事は各書店の仕事のはずだろ。『これは意味が違う表現です。直してください』って言われてもさ。分かってそう表現してるんだよこっちは。
それもあの岩頭は『なら、そういう表現を使います。と別の申請を行ってから、再度出版申請をしてください』だってさ。
ふざけんじゃねぇぞ! 頭でっかちクソ野郎!
なんて、叫びたくなってもちゃんと笑顔で別の申請用紙をもらってきた僕はとても偉いと思う。
誰も褒めてくれないけど。
まぁいいや、話が逸れた。今はずっとチラチラ僕を見ているマリーさんの話だ。
あの岩頭のことは一旦忘れよう。
「『名探偵メイル』がどうしたの?」
「あの……私も……アイディアを出したいなって思って……」
なるほどねぇ。マリーさんも原稿料を欲しがっているんだ。やっぱりお金か。
そうだよね。まだまだマリーさんは若いからお金が欲しいことも納得できる。
「……やめといた方が良いと思うよ。ディオネのヤツ全然渡さないから」
「そうじゃないです! 私もディオネちゃんのお手伝いがしたいんです!」
急な態度の豹変にびっくりした。
気を抜いていたから、机を叩いて立ち上がる彼女に僕の顔が引きつった。
「マイケルみたいな自分のことしか考えてないスッカラカンとは違うんです!」
「わ、分かった。ディオネに言っておくから――」
「ファビオさんは分かってないです! あれほど頑張ってるディオネちゃんにあの空っぽ野郎は!」
怖いって。人格変わったみたいな感じで話すのやめて欲しいんだけど。
あとさ、休憩室の扉閉めてるけど、そんな大声はやめといた方が良い。スッカラカンの空っぽ野郎にも聞こえるよ。
落ち着いた方がいい。頼むよ、マリーさん。
「そもそも、年上のあいつがなんでまだ学生のディオネちゃんに原稿料が欲しいって泣きつくんですか!? みっともないですよ! 聞いてます!?」
「大丈夫。ちゃんと聞いてる。だからさ、落ち着こ、ね?」
「ファビオさんもですよ! あいつに好き勝手させたらああなるって分からないんですか!? わたしたちよりあいつと関わってる年数はファビオさんが一番長いのに!」
矛先がこっちに向いた。
……最近の女性は、怒りの矛先を可変式にできるようだ。
僕だって、マイケルがあんな程度の低い勘違いをするようなヤツだと思わなかったんだ。
普通に考えて、アイディア出しただけで本にも名前載せてないし、契約書すら交わしたはずなのに勘違いをするって分からないじゃん。そんなの。
「……ちょっと話したらスッキリしました。すみません、余計なこと言って」
マリーさんはそう言って休憩室の椅子に座る。
ふぅ。と一息つく彼女の情緒はどうなっているんだと聞きたい欲を抑えて、あまり話しかけない。
今は小爆発っぽいけど、次の爆発はそうじゃないかもしれない。
マイケルやアンナさんとは違い、鬱憤を溜め込んで一気に放出するマリーさんには困ったものだ。
それでもマイケルより仕事ができるから、やっぱりライフアリー通運で鍛えられていた人は違うんだと思った。あいつ通運に修行行かせようかな?
「マリー! 昼休憩終わりよぉ!」
一人で店番をしているアンナさんが書店のカウンターあたりからマリーさんを呼んだ。
その声に息を整えている彼女は「あっという間の休憩でした。先に失礼します」と椅子から立ち上がって広げていたコップやら食事の皿を片付ける。
「いま行きまーす!」
と休憩室越しにマリーさんはアンナさんに返して、そのまま休憩室から出て行った。
途端、僕一人になった休憩室。集中力が切れた。
申請する原稿はまだなにもできていないが、このまま書類を作成してしまうと、また岩頭に呼び出されると思った。
今日はもうやめだ。
ディオネも学園から戻ってくる時間だし、とりあえず明日に回そう。マリーさんの口撃に今日の元気が全部持って行かれたような気がする。
* * *
マリーさんが出て行ってから少し経った昼下がり。
『女は、口達者』
この言葉をゼクラットおじいさんから聞いていたことを思い出す。
聞いた時は、笑ってエリー姉さんは口達者というより殴り屋だと返したが、その意味をようやく理解できるようになった。
それでも、口達者というか暴言一歩手前の口撃を乱射する彼女たちには、僕の気分は上がりようがない。
ディオネと打ち合わせをしていても、どこか集中できないのはアンナさんとマリーさんの二人のせいだと責任転嫁したいが、言ってしまうとダメなので心の中でそう思っておくだけ。
けれど、原因は全部マイケルにあるから、結局は全部マイケルのせいだ。給金渡す時少なめに渡してやろうかな。
「それで……って、話聞いてる?」
「聞いてる」
休憩室で原稿を何枚も広げるディオネの問いに返す。
最近はディオネと一緒に仕事をすることも増えて、彼女は僕に対して敬語からタメ口に変わった。
その影響か、セイラちゃんとレイラちゃんも僕にタメ口で話すようになった。
あの子たちも学園とか、その辺の教育機関に入れて矯正してもらおうかな。アンナさんとカーラさんにも影響され始めている気がするから。
「本当に聞いてる?」
「聞いてるって、『深窓の令嬢』の挿絵をどこにするかって話でしょ?」
「……違うんだけど、そのカットはもう決まってるんだけど」
……なるほど。
全然ディオネの話を聞いていないようだ。
「ごめん。聞いてなかった」
「そんなことだろうと思った」
休憩室の椅子に背を持たれる彼女は「はぁ、『名探偵メイル』の執筆とかアイディア出しに忙しいのになぁ」と続けた。
「なんで、こう……楽しい忙しさと楽しくない忙しさがあるんだろうね」
「なんだよいきなり哲学的になって。でも、どうして今そんなことを?」
聞いていないのは誠心誠意謝る。僕に非があるから。
でも、前に座るディオネは心底やる気がないと言いたげに頭に両手を置いたまま、口を膨らさせた。
「楽しくないからだよ、今」
「なんで? 版画機も新しくなったし『名探偵メイル』も売れてるし『深窓の令嬢』だって三巻目を今出版しようと――」
「『深窓の令嬢』シリーズさ、次で終わりにしない?」
至極簡単に、彼女の口から軽はずみに出たその言葉に僕は「……は? 終わり?」と言いはしたが、いきなりの提案に面食らった。
「そ、終わり。エリザベスさんだって婚約したじゃん? じゃあ、令嬢はいないしこれから先の話もあんまり想像つかないし」
「それだけのことで? なんで? それのおかげで全部上手くいってるのに?」
「そうだけどさ、元々は趣味の範疇で書いた本じゃん?」
「趣味って……それ目当ての客だっているんだ。今さら……」
どんな心境の変化でディオネがそういう結論に至ったのかは分からないけど、金なる木が今一本枯れようとしているのは確かだ。
ディオネはもう決めてますと言わんばかりに表情を変えない。
多分、僕がどれだけ反論しても、彼女は折れそうになかった。
「なんか……不服そうだね」
「……じゃない人間がいたら、そいつは君を批判している人間だろうね」
「上手いこと言うじゃん。それ、ネタ候補に――」
「それ、なんで持ってるの?」
懐から出した紙束には、ビッシリと色んなことが書かれている。彼女のネタ帳である。
それはディオネが大切にしているものだ。安易に持ち出すような彼女ではない。
ネタを見せるのを極端に嫌うディオネなのだから。
「いいじゃん。学園も順調に卒業できるようになった心境の変化。ってやつだよ」
「……本当?」
「本当だって」
嘘くさい。
ここまで流暢に話できるか? まるで最初からこう話すって決めてたような――。
「まさか、ネタがないから『深窓の令嬢』の続編やめたいんじゃないか?」
「そ、そんなこと! な、な、ない! 私、売れっ子作家だし!」
すっごい分かりやすい動揺だな。見ていて気持ちいいくらいに。
キョロキョロと動くディオネの視線には、マリーさんとは違った感情が入っているのはよく分かった。
ネタがない、か。まぁ、三作目は書き終わってるから四作目のネタねぇ。
「どうすんの!? 次の本もまた時間かけたら厳しいって!」
「し、仕方ないでしょ! 沸き立つあれがないんだから!」
「あれってなんだよ!」
「あれはあれよ!」
「説明になってねぇよ!」
『深窓の令嬢』の三作目。『深窓の令嬢は屈しない』は『深窓の令嬢と憂う騎士』の発売から一年と長い時間をかけた。
『名探偵メイル』と制作期間がかぶったことも一因だし、新しい版画機の完成を待ったことも大きな要因ではあったが、それに隠れてディオネのネタ切れも被っていたようだ。
そんなの僕に分かるわけないじゃん。
「だ、だからさ――」
言い訳に苦労してそうなディオネは、ずっと早口でまくし立てているけど、怒りというよりは……保身だな。僕もその気持ちはよく分かる。だって、僕がエリー姉さんに言い訳していたような感じでディオネも話しているから。
「とりあえず、落ち着きなよ。それに……ネタ切れなら、最初からそう言ってくれよ」
「……ごめん」
別に怒っているわけではない。僕も動揺しているだけだ。
ただ、目の前のディオネの激しい動揺具合に僕は冷静になれただけで、一人になったら冷や汗をかいて風邪を引く自信はある。
少しの時間、静かな休憩室で僕とディオネが黙っていれば、扉からノックの音が聞こえて「入っていい?」とアンナさんの声が聞こえた。
返事する間もなく、扉を開けたアンナさんは顔だけ休憩室に出して僕を見る。
「お二人さん、忙しそうな所悪いけどちょっといいかな」
うるさかったのかな? ちょっと大声で話しすぎたのかもしれない。
注意されたら素直に謝ろう。やっぱり言い訳は見苦しいから。そうだよね、マイケルにディオネ。お前らのことだぞ。
「忙しくはないですけど、別にいいですよ」
「そうなの? まぁいいわ。ビクターさんの使いから手紙を預かってね。ファビオ君にすぐ見せろってさ」
「僕に?」
「そ。はいこれ手紙」
アンナさんは僕に手紙を渡す。
ライフアリー商会の手紙だけど、商会の封蝋がされていない所を見れば、ビクター兄さんの個人的な手紙だと分かった。
なんだろ? あれかな? 条件のこと。
まだビクター兄さんから条件達成の連絡はもらってないけど、この手紙がそうかな?
……そんなわけないか。あの人のことだ。別の厄介事を僕に押しつけようとしているんだ。
「渡したからね! それじゃ、ごゆっくりぃ」
何が、「ごゆっくりぃ」だ。
ゆっくりする空気感は休憩室にない。見てみなよ、ディオネの引きつった顔。給金を前払いしてほしい時のマイケルと同じ顔してる。
まぁ、ディオネのことは一旦別にして、手紙の内容を確認しよう。
多分今しないとディオネのネタのことで考えることが一杯になりそうだから。
アンナさんから受け取った手紙を丁寧に破って中を確認すれば、少ない文字で『ファビオへ。明日の朝もしくは夕方に母さんに会ってください。ディオネ嬢を連れて。ビクター』と書かれていた。
母さんに会いに行けって? 明日? それも、ディオネと一緒に? 全然嫌なんだけど。
けれど、ビクター兄さんが手紙で連絡してくることを考えれば、執務室に母さんが突撃して彼に詰め寄ったのは想像できる。
それくらいのことは息をするように実行する母さんだ。そう思えば、ビクター兄さんが可哀想に思えた。
まだ視線をキョロキョロと動かしているディオネに、「明日、空いてる?」と聞いた。
空いてなければ僕が一人で会いに行けばいい。彼女と母さんの長話に付き合うのは御免だからね。
「あ、明日ですか? 一日空いてますけど……何かあったんですか?」
……そうか。一日空いてるんだぁ。面倒だなぁ。
「いや、僕ら二人が母さんのところに会いに行けってさ。ビクター兄さんからの手紙に書いてあるから」
僕の言葉にディオネは「イレニアさんとお会いするの久しぶりだ」と明日のことを少し考え始めた。
どうせ、どんな服装で行こうとか考えているんだろうけれど、君は服装よりもネタのことを考えて欲しいな。
本当にネタのこと、どうするんだよ。
これならマリーさんに手伝ってもらおうかな。あの人原稿料要らないみたいだし。




