豪商の末っ子の、後悔は先に立たない。1
時間の流れというのは、どうして一定ではないのだろうか。
そう感じずにはいられない今日この頃を、僕はゼクラット書店と共に過ごしている。
おかげさまというか、ディオネ様ありがたやと言うべき――いや、それは言わなくてもいい。
とりあえず、ゼクラット書店が赤字を垂れ流すようなことはもうない。
『深窓の令嬢』シリーズは安定して売れているし、ディオネがほとんど書き上げた『名探偵メイル』という新しい小説も好調に売れている。
あぁ、その『名探偵メイル』の話だけど、モデルはマイケルの妹――メイリーちゃんだというのだから、ディオネの悪い癖は全く矯正できていない。
なんであいつは、現実にいる人をモデルにして書くのか。
もっと空想的とまでは言わないけど、誰かモデルなのか分からないように書いて欲しい。
後始末は、全部僕に回ってくるのだから少々手加減というものをだな――。
「ファビオ君! ちょっと聞いてる!?」
「な、なんですか!?」
休憩室で一人考え事をしていたら、唐突に肩を揺さぶられた。それも思いっきりだ。
人の昼休憩を邪魔するとは、どんな商会員教育をしているんだ。
まぁ、この書店員のことだから一応は僕が責任者になるか。教育はちゃんとしているはずだけど。
「マイケルのヤツまたサボってるんだけど!」
アンナさんの怒号が僕の耳に直撃する。
揺れる頭にその声はクリーンヒットだ。エリー姉さんの拳の衝撃と同じくらいの衝撃に、久しぶりに意識が飛びそうになった。
エリー姉さんとライアンさんの婚儀の時以来だから、半年前になるのか。本当に、昨日のように感じる。
「え? なんですって? 揺らされて聞こえないんですけど」
肩を掴んで揺すっているアンナさんは「あぁ、ごめん」と言って手を離した。
いきなり離さないでほしい。揺れていた勢いで机に頭をぶつけそうになったじゃないか。
「それでさ! マイケルのヤツまただよ!?」
僕の視界が揺れたまま、最近髪を伸ばしているアンナさんはマイケルの勤務態度について文句を言っているようだが、僕は休憩中くらいはどうにかならないかと考えてしまう。
彼女にとっては、緊急と考えていそうなマイケルの勤務態度のことだが、別にいきなり始まったことではない。
採用した翌日くらいから、その兆しはあったのだから今更の話である。
「まぁまぁ、あれでもちゃんと仕事は――」
「本当にしてるとファビオ君は評価してるの?」
真顔で、感情のない顔つきに変わった彼女に口答えは良くないらしい。
座ったままの僕に、アンナさんはその顔のまま、ズイッと近づける。
その形相は一変して、まさに怒ってますと言わんばかりに目を見開き、眉間にはシワが深く刻まれている。
「そ、そんなに怒っても……」
「なによ。怒って悪いの?」
僕は全ての選択肢を間違えているようだ。
アンナさんはマイケルに怒っているはずだが、矛先は自由に変えられるようで、今は僕に向きかけている。
勘弁してくれよ。と思わなくもないが、彼女の怒りも分かる。
サボることの多いマイケルに、僕も思うことは勿論あるし言いたいことはあるけれど、それでもマイケルは書店を開業してからの仲間だ。
それに、僕が書店の経営者に戻る為の手伝いの約束までしているから、これからもマイケルには頑張ってもらわないといけない。
「やっぱり、あれのせいですかね?」
「……そうみたいよ。完全に浮かれきってるわ」
呆れたと言わんばかりに、僕の顔から離れて両手を挙げた。お手上げ状態だとアンナさんの悲しそうな顔も、マイケルの態度の悪さを物語っていた。
さすがに、即戦力のアンナさんがマイケルのせいで辞めるなんて言い出したら、ゼクラット書店の戦力としては大打撃だ。
そもそも彼女はマリーさんの付き添いのような形で、書店に入ってもらっている。いつ辞めてもおかしくはないけれど、だからといってその原因がマイケルにあるのはいただけない。
少しばかり、覚悟が必要になりそうな時間がやってきたのだ。
息を深く吸って、アンナさんに「マイケル呼びに行ってもらっていいですか?」と言えば、「買い出しに行ってから帰ってきてないわ」と言った。
「僕が休憩に入る前には出かけてましたよね?」
「そうね。もう結構時間は経ってるわ。明らかにサボリね」
力なく休憩室の椅子に腰掛けるアンナさんは、「あんな人初めてだわ」と呆れて果てていた。
相当に、マイケルの態度は最悪なのか。最近はディオネにかかりっきりだったから、昼からマイケルと話してみるか。面倒だけど。
全ての始まりは『名探偵メイル』の創作を始めた頃に遡る。
とはいっても、大して昔の話ではない。ディオネとホールス商会に行った翌々日あたりだったはずで、一年前くらいの話だ。
僕がディオネの作家業の補助を本格的に進めるということで、書店の売上計算や収支計算を勤続年数の長いマイケルに引き継いだ。
彼も教養はあるから問題なく仕事はできていたんだけど、その一年前の日にマイケルが言ったのだ。
『僕も、ディオネみたいに本を書きたいんだ。題材はあるよ! ディオネにいま読んでもらってるんだ!』
と初めて見るくらい明るい笑顔で、マイケルにそう言われて僕の手元に『名探偵メイル』の原型が手渡された。要は読んで感想を聞かせてほしかったらしい。
ただ、そんなマイケルに書店に来たディオネは『駄作』と二文字を突きつけた。
たしかに、あの出来ではな。といまでも思うし、あれでは出版しようとしたところで経済広報課の岩頭に笑われる。
それで、結局マイケルのそれを大幅に書き直して手を加えたのが『名探偵メイル』という小説になった。
思いのほかいい出来になったのは、悔しいけどマイケルの考えた事件の内容が良かった。
マイケルが考えた事件は、送迎馬車での窃盗事件だった。老夫婦の結婚指輪が盗まれ、偶然乗り合わせた少女メイルと父親バージが犯人を捜しだす――そんな脚本だ。
最初は殺人事件を題材にしていたけど、惨いので辞めさせた。
せめて、娯楽本くらい明るい題材が良い。窃盗事件だったら僕も許せる。
だからか『名探偵メイル』は、思いのほか売れた。ホールス商会と制作した新しい版画機のおかげで、表紙も挿絵も綺麗になったのだ。
だから遺憾ながら続編を出そうとしている。
マイケルも乗り気だったから、僕はあんまり関与しなかった。――それが悪かったのかもしれない。
「ふーん、それが理由なの?」
僕の昼休憩が終わってから程なくして、マイケルはのほほんと書店に戻ってきた。手ぶらで戻ってきた彼は買い出しすらしていなかったのには、さすがに口が塞がらなかった。
僕とアンナさんは、早速マイケルを休憩室に呼び出して座らせた。
なにが始まるのか戸惑っていたマイケルに、「最近の勤務態度、よろしくないんじゃないか?」と聞けば、「だって、原稿料入ってくるからそんなに働かなくてもいいと思ったらやる気が、ね?」と頭を掻く。あとは、アンナさんがさっき言った言葉に続く。
「まぁ、そうっすね。当分遊んで暮らせそうなくらい、原稿料をもらえそうだったから」
「……そんなにもらえるの?」
なぜか、アンナさんがマイケルの話を聞きたがっているように聞こえるのは僕だけだろうか。
休憩室で座って話をする僕たち三人のうち、僕だけがマイケルの勘違いに気づいてしまった。まぁ、アンナさんは原稿料がどういったお金か分からないから仕方ない。
それにしてもマイケル、ちょっと君にお金の管理をさせるの怖くなってきたぞ。僕。
「なぁ、マイケルさぁ」
「ん? なんだよ」
「勤務態度は改めてくださいぐらいなんだけど。原稿料云々の話でね」
「ファビオ君? マイケルの勤務態度の話だよ? なんでそんな軽く流すの?」
マイケルに言えば、アンナさんから返ってくる。あんた、原稿料の話に食いついてたじゃん。
だらしない経営者を見るような目で僕を見ないで欲しい。まだ、僕は経営者じゃないんだよ。
「まぁまぁ、ファビオ君だって色々とあるんでしょ? ね、アンナさん」
「……あなたが庇ってどうするの?」
マイケルが軽はずみに言うから、アンナさんの機嫌は悪くなった。
本当、そういうところだぞ、マイケル。
まぁ、いいや。
「マイケル、その原稿料の話だけどさ」
「そうだった。なんだい?」
「多分、マイケルは、ディオネに払ってる金額を見て自分もやりたいってことだったんだよね?」
そうとしか考えられない。それに、僕の言葉に頷く彼を見て呆れるほかなかった。
時期的にも、ディオネに書店から支払っている金額を見ることができた時から、マイケルの創作意欲が上がったのだ。
それに言ってるし、『原稿料入ってくるから』って。
でも、マイケル。違うんだ。
「落ち着いて聞いてほしいんだけど、原稿料の取り分はディオネにほとんど渡すんだ」
途端に瞬きが多くなるマイケルに、とりあえず全部言ってしまおう。あとで言った言ってないの話をするのは面倒だ。
「『名探偵メイル』の原案は確かにマイケルだし、アイディアもマイケルだ」
「そ、そうだよね。だって、僕が――」
「でもね、小説の執筆と表紙に挿絵の作成はディオネが全部やったし、『名探偵メイル』の発売もディオネの名前だけで売ることをマイケルも了承したよね? あぁ、そんなことしてないって言うのは無駄だから。その契約はカーラさんと書面に記しているのは僕も知ってるし、写しも書店に保管してるから」
すまない、マイケル。契約書の写しは十部くらい刷ってるし、原本はビクター兄さんに渡してるから、探そうとしても無駄なんだ。
「ま、まぁたしかに、そんな感じの契約はした覚えはあるけど……」
「うん、だからマイケルと作家としての契約はしてないことになる。だから、書店がマイケルに支払うお金は――」
「待ってくれ! そこから先は言わないでくれ!」
僕の話を遮るマイケル。椅子から立ち上がって見開いて頭を抱えている彼を見ると、僕も悲しくなってくる。
可哀想だけど仕方ない。だって、『名探偵メイル』をディオネに書かせたのはマイケルだから。
「そうか。作家の契約をしてないんなら……あぁ、やっばい。メイリーちゃんに怒られる」
立ち上がって、座ってを繰り返すマイケルを見るだけの僕とアンナさんは、結局マリーさんが書店の受け付けの応援を呼びに来るまで黙っていた。
マイケルのことはご愁傷様としかいえないけど、これからもサボらずにちゃんと働いてね。
これ以上サボると、カーラさんに報告しないといけないから。




