幕間 第二回 ゼクラット書店 採用面接1
あれは十日前のことだ。
休憩室に集まった四人——僕と、カーラさん、マイケル、ディオネ。
いつもの顔ぶれだったが、その日は様子が違った。
これまで何回も集まって話してきたから、三人の性格は分かっているつもりだった。
だけど、カーラさんの顔が見られない——いや、見るのが怖い。
「それで? ファビオ君?」
目の前でカーラさんが腕を組んで僕を見つめている……はずだ。顔を上げてないから確認できないけど。
「どうするの?」と聞かれてから、僕はずっと黙ったままだ。
良くないことは、僕も分かっている。
でも――。
「ファビオさん? どうします?」
「頼むよ、ファビオ君」
カーラさんに続いて、ディオネとマイケルも僕に言った。
不安そうに聞くディオネと、耐えられないといった様子のマイケル。
正直、横と斜め前に座っている二人には分からないだろうけど、カーラさんの圧が凄いんだ。
そのせいで顔を上げられない。……いや、別に逃げようとしてるわけじゃない。休憩室の扉から、一番遠い椅子に座らされた時点で諦めたから。
「あのぉ、本当にやらないといけないんですか?」
もしかしたら、少しの時間で心変わりしてるかもしれないとダメモトでカーラさんに聞いてみる。
もちろん、顔は上げてない。怖いもん。
「当たり前でしょ。じゃないと、こんなことしないわ」
カーラさんは腕を組んで僕を見る。
「それとも何? マイケル一人に任せ続けるつもり? いつか倒れるわよ、ファビオ君みたいに」
「そうですよね……はは」
「笑い事じゃないわよ」
気を抜けばこれだ。
参ったなぁ、本当に。
「カーラさん、新規採用って本当に……」
勇気を出して、顔を上げた。
僕の答えを待つ三人に、もう一度考え直す余地があるんじゃないかと確かめようとしたが、やっぱりカーラさんの顔が怖かった。
堀が深い顔をしているから、特に凄んだら目力が強烈なのだ。
「本当に? 何?」
僕にだけ注がれるその目力に僕は座ってからずっと押されている。
横に座る二人は、僕の何を期待しているのか分かるだけに、余計に口に出しづらい。
「何って……そんなこと――」
書店員の人手を増やすのは、反対だと言える空気じゃなかった。
反対する理由を丁寧に潰されていく中で、「あぁ、もう終わった」と気づいたから。
おかげさまで、ゼクラット書店の経営は順調に黒字になってます。
でも、正式な書店員は僕とマイケルだけなので、人手が全く足りません。
嬉しい悩み事だと皆は言いますが、それよりも、ゼクラット書店はライフアリー商会への返済がまだまだ残ってます。ですから、人員を増やすということは、利益が減るということです。
故に僕は反対なんです。分かりますか? 人を雇えば、経営者に戻れる日が遠のくんですよ。
勿論、書店の状況は理解していますけど、納得しているかと聞かれれば、全くもって納得出来ません。
* * *
四人がゼクラット書店の休憩室に集まった日から、既に十日を過ぎていた。
僕も半年前に学園を卒業して、晴れて大人の仲間入りをしたし、ディオネだって無事に進級できた。
それからというものの、ゼクラット書店の売上は好調で右肩上がりだった。
特に何かが変わったということは、書店の中ではない。
ディオネの他に専属作家が増えてもないし、ゼクラット書店の新作はディオネの頑張り次第であるのは、今も変わらずだ。
じゃあ、右肩上がりの要因は何かというと――。
「もう! 僕は一日中版画機で製本したくて、ここに入ったわけじゃない!」
「マイケル! 売り場まで聞こえてるから! 静かに!」
うるさいぞ、マイケル。
黙って作業してくれ。愚痴は後で聞いてやるから。
「ああああ! もう!」
機材室からマイケルの雄叫びが聞こえる。
朝から昼休憩を除いて、ずっと作業しているから相当疲れているんだろう。
……でも、本当にうるさい。最近で一番うるさいかもしれない。
……気を取り直して、気を取り直して、右肩上がりの要因——それは、ゼクラット書店の出版物が国外に輸出されるようになったことだ。
結構な量の本が、この書店から通運を使って王国や帝国の書店に運ばれている。
ほとんどが『深窓の令嬢』シリーズで、ディオネ様々である。
まぁ、それも僕が彼女と専属作家の契約をしたからであって、もっと元を辿ればエリー姉さんとライアンさんが学園で言い争ったおかげだ。
ありがとう、エリー姉さんとライアンさん。
あなたたちのお陰で、ゼクラット書店は好調です。
あぁ、そうだ。前に参列した婚約式の祝義の返しはまだか聞いとかないと。
「……失礼しましたー」
売り場にいる客の視線が僕に集まっていた。
最近よく、マイケルが爆発するからいけないのだ。それに、もうこんな状況も慣れてしまった。
慣れていいのか分からないけれど。
「もう限界! 明日まで待てない!」
マイケルの声と共に、機材室の扉が勢いよく開いた。バン! と大きな音が響く。
大丈夫か? 扉、壊れてない?
あと、走るのと床を踏み鳴らすのやめてくれマイケル。うるさい。
「ファビオ君! 変わってよ!」
「いいですよ」
「やっぱりダメか。……っていいの!?」
「いいですって、引き継ぎだけ教えてもらえばやりますから」
その引き継ぎを面倒くさがってやらないから、マイケルが機材室に籠りっきりになるのだ。
いい加減、それを自覚して欲しい。明日からはもっと大変だよ?
「うーん、やっぱり自分でやるよ」
「いや、明日からのことを考えれば、僕も分かっておいた方がいいですから」
反論する僕に、マイケルは「えぇ、面倒だよ」と返して僕の隣に椅子を持ってきて座った。
「はぁあ、やっぱり新人の採用辞める?」
「決まったことです。それに、僕に採用面接をさせようとしたのはマイケルでしょ?」
十日前より以前にマイケルがカーラさんにお願いしていたのは、彼女から直接聞いたし、その場にマイケルもいた。芝居がかった動きで「僕、もう体力がぁ」と泣きべそかいた時のカーラさんの引いた顔をマイケルも見たら良かったのに、人間を見る目じゃなかったよ。
それに、今更カーラさんに「やっぱり採用するのなしで」なんて言ってみろ。本気で治癒院送りにされるから。
「だよねぇ、はぁ」
カウンターで頬杖をつくマイケルは、売り場で本を物色している客を見ているのか、それともそうでないのか分からないような遠い目をした。
「それに、明日ですよ。採用面接。本当に今更な話ですね」
「……分かってるよ、僕も。でも、面倒なんだよね他の人に使われたらさ、僕の思ってる道具の位置に戻らないじゃん」
「だから、それを含めて引き継いだら――」
「それが面倒なんだよねぇ」
じゃあ、もういいわ。
こんなことになるんだったら、マイケルには版画と製本の担当を外していれば良かった。
誰だよ、僕の横でふて腐れているマイケルに担当させたの。
あぁ、ディオネか。じゃあ、いいや。
どうせ、「ファビオさんより、マイケルの方が製本するの上手ですから」とか言われるに決まってる。
僕、まだあのこと忘れてないから。
何だよ、「言うほど上手じゃないですね。なんなら、下手です」とか、もうちょっと遠回しに言えないの? あれだけ原稿を執筆しているんだったら、ちょうどいい言い方くらいあるだろ。
「明日って何人面接に来るんだろね」
「それなら、四人って聞いてますよ。言わなかったっけ?」
「言ってないね」
「じゃあ、今言いました」
別に、マイケルに言うほどのことではないとカーラさんも言っていた。
だから忘れていただけだ。他意はないよ。……本当に。
マイケルは僕の態度に呆れたようで、「前にもこんなことあったような気がするよ」とため息をつく。
「でもさ、本当にファビオ君はいいの? 人雇ったら、経営云々の話が遠のくでしょ?」
「それを知っていてカーラさんに言う人がいるらしいんですよね。どこかに」
こいつ、僕からカーラさんに言わせようとしているな。
そんなの無理だ。もう昼も越えて夕焼けが見え始めているのだから。
そもそも時間がない。
「そ、そんな人がいるんだねぇ。ファビオ君も大変だ」
分が悪くなった様子のマイケルは、立ち上がる。
「じゃあ、僕製本の続きを終わらせてくるよ」
「まだ終わってないんですか。あとどれくらい残ってるんです?」
マイケルはそのまま椅子を片付けて、機材室に向かおうとしていた。
せめて、今日の製本を終わらせてからここに来て欲しい。
明日は採用面接だから、明後日の分を今日と明日で作業するのだ。いつもより少ないはずだが、まだ終わらせてなかったのか、あんたは。
僕の言葉に少し思い出すような仕草をする彼は、僕の方に振り向いた。
「えぇっと、あと二十部くらいかな」
「それくらいなら、さっさと済ませてください。そのうち閉店時間なんですから」
本当にそれくらいの量なら、終わらせてくればいいものを。
当のマイケルは「はぁーい」とやる気を微塵も感じない返事をして、のそのそと戻って行く。
ようやく静かになった。マイケルが横にいたらどうにも話をしてしまうから困ったものだ。
これから来る人は、マイケルと真逆の真面目な人が来てくれたらいいな。
カーラさんも、そう考えて書類選考をしてくれたと思おう。じゃないと採用面接しても僕にはその人となりがよく分からないから。
だって、一回目の面接でマイケルを採用する僕なのだ。そこに関しては、絶対の自信がある。
一人になったカウンターで頷いていれば、本の物色を終わらせた一人の客が「いま、大丈夫ですか?」と聞いてきた。
さっきまでマイケルと話していたから待ってくれていたのかな。だったら申し訳ない。
「全然大丈夫ですよ。持たれてる本をお預かりしますね」
「あ、ありがとうございます」
とカウンターの前で、オロオロしている女性に返す。
彼女が持っている二冊の本を手に取ってからいつものように会計金額を言う。
「二冊の合計で二千ベントになります」
「あぁ、はいこれ」
と小さな手持ちの鞄から二千ベントをカウンターに置く彼女を見て、本を袋に入れて渡す。
「二千ベント、確かにいただきました。お買い上げありがとうございます」
と椅子から立ち上がって、袋を鞄に入れている彼女に会釈をする。
恐縮した様子の彼女は、「すみません、ありがとうございます」と言って、足早に書店から出て行った。
うーん、どこかで見た感じの人だったけど、誰だったっけ?
「やっちゃったぁ! もう!」
機材室から、マイケルはまた大きな声で叫んだ。
「マイケル! うるさいよ!」
このやり取りが終わるなら、是非とも優秀で真面目な人を採用したいね。
本当に。




