豪商の末っ子と、能ある兄は姿を隠す。27
「ディオネちゃん? その話、本当?」
休憩室からカーラさんの不安げな声が、カウンターで店番をしている僕にまで聞こえた。
カーラさんに返すディオネの声も聞こえてくるが、休憩室から遠いカウンターにいては、何を言っているか分からない。
ただ、部屋の扉を閉めないカーラさんには困ったものだ。
重要そうなことが店中に聞こえたらどうするんだと思うけど、今日も書店には客はいない。
なぜなら、明日が『深窓の令嬢と憂う騎士』の新作発売日だから。
「けど、そういったことはあんまり分からないし」
ちらちらと二人の話が聞こえるが、カーラさんがよく分からないこと? 何でも知っていそうな彼女でも分からない?
まぁ、母さんもアレックス兄さんにも思っていたより人間味があったし、当然カーラさんも人間だ。
分からないことの一つや二つくらいあるか。
「どうしたら!?」
「どうって……別にいまでも問題ないと思うんだけど」
「カーラさんは良くても……」
もう、気になって仕方ないじゃないか。僕の我慢も限界だね、休憩室に行こう。
原稿のことだったら僕も聞く必要があるし、それ以外のことでも学園のことなら僕でも力になれる。
「マイケル、今いいかな?」
「なんだい? ちょっと待って、あと少しで掃除終わるから」
僕の言葉に返すマイケルは、本棚から顔を出して、また本棚に戻った。
「終わったら、店番変わってくれる?」と朝から掃除を続ける彼に言うと、「……いいけど」と顔を出して、僕に不満げな顔を隠さない。
ちょっとくらいは取り繕ってくれてもいいんじゃないか?
母さんと議事堂で、話してから十日経った。
結構な時間が経ったのは、ディオネが原画を一部修正したがったからだ。議事堂から戻ってくるなり、『あれじゃダメだ!』と書店に戻ってきた時には、心の底から嫌な予感がした。
結局、ディオネが強硬だったせいで原画を修正してから、原板を緊急で手直ししてもらった。それをまた、経済広報課の岩頭に修正申請をして今日に至るのだ。
あと、アレックス兄さんとエルマリカさんの結婚の話や、アースコット教授の見合いの話はディオネの頭から飛んでいるようで、まだ聞かれていない。
そこに関しては、聞かれるまで黙っているつもりだし、聞かれたとしてもしらばっくれてやろうと思う。
すでに昼休憩も終わって、今日まで全力で稼働していた版画機の掃除も終わったから、今日はやることがなくなった。
店先にも、明日刊行する本の宣伝ポスターを貼り終わっている。
これは、ディオネの案だが、思いのほか人の食いつきがよかった。
今日の開店前から貼り出すと、気になった様子の人が店に足を運んで「新作って本当ですか?」と聞いてくるのだから間違いない。
ただ、気風のいい格好をした人が多く尋ねてくるのが困りものか。
「終わったよぉ」
「あぁ、お疲れさま」
本棚の掃除が終わったマイケルは、疲れた顔でカウンターまで掃除道具を持って歩く。明日から当分は掃除なんてできないのだ。
忙しくなりそうなのは、マイケルも分かってくれているけど、そんな顔しなくてもいいだろ。こっちまで疲れてくる。
明日刊行の『深窓の令嬢と憂う騎士』は、エリー姉さんの宣伝もあって、それなりに予約も入った。
前作が一年と少しくらいの流行りだったし、それ以降の新作も出していなかったから忘れられているかもしれないと弱気になっていたけど、最初の制作費くらいは採算が取れた。
『吟遊詩人の吟誦集第一巻』と同じ道筋にならないだけで大成功といったところだ。
これなら、第二巻もしれっと出せるかもしれない。
「あれ、カーラさんとディオネは?」と不思議そうに聞くマイケルに、「休憩室で話し合ってますよ」と返す。
掃除道具を所定の位置に戻したマイケルは、「そうなんだ」と面倒臭そうにカウンターに戻って僕の横に座った。
「いってらっしゃい」
「……マイケルは気にならないの?」
切迫した様子の二人が話していることを、マイケルが気にならないはずがないと思っていたが、外れたか。
「えぇ、気にはなるけど……巻き込まれるのは性分じゃないし、面倒臭そうじゃない?」
僕も、そう思う。大いに。
この時期に深刻そうに話す二人に混ざるなんて、単純に気落ちをしてしまうが、もし『深窓の令嬢と憂う騎士』のことを話しているのなら、やっぱり僕も知っておいた方がいい。
ディオネのデビュー作『深窓の令嬢の知られざる本性』に続いた続編でもあったから、カーラさんも初めが肝心と慎重な姿勢を見せていた。
以前の、売る前から評判になっていた本とは違うのだ。
扉が開いたままの休憩室から、二人の声が聞こえなくなった。ちょうどいいか、僕が部屋に入るんだったら今か。
カウンターの椅子から立ち上がって、そのまま休憩室に入ると、対面で座る二人がいた。
首をひねって、考え事をしている二人に「二人して、どうしたんです? 何かありました?」と続けて、「もしかして、ディオネの単位ですか?」と少し冗談めかして言った。
「はぁ、そんなわけないじゃないですか」
と、僕の話にため息をついて、ディオネが返す。
カーラさんは難しい顔をして腕を組んだまま、ディオネは前髪を上げて眉間にシワを寄せていた。
「ファビオ君。……まぁ、いいわ」
そう言ったカーラさんは、僕の方を一瞥して、また考え込んだ。
あれ? 部屋に入ったらダメだった? それとも、冗談がダメか?
「えぇっと、どうしました?」と頭を掻いて二人に聞くと、ディオネがカーラさんに「いいですか」と言い、カーラさんも少し考えて「まぁ、いいんじゃない」と諦めた様子で返した。
……やっぱり、僕出ていこうかな。厄介事っぽいし。
「あの、最後まで聞いてほしいんですけど」
と、上げていた前髪を下ろしたディオネが僕を見て口を開いた。
「結論から言いますね。私、『深窓の令嬢の知られざる本性』を修正したいんです」
「は?」
「最後まで! ちゃんと理由も聞いてください!」
「ご、ごめん」
そんなに睨まなくてもいいじゃないか。怖いって。
「……それで、理由なんですけど――」
と冷静にディオネは話し出す。途中で苦いものでも食べたような顔をしても止まらず話す彼女は、相応に覚悟があるように見えた。
修正するのに、どんな覚悟が必要か知らないけど。
ディオネの言いたいこと、それは、続編の『深窓の令嬢と憂う騎士』を書いている中で、設定の矛盾がないように前作の『深窓の令嬢の知られざる本性』を読み返していると、アラが目立ってしょうがなかった。だから、修正したいとカーラさんに相談したそうだけど……。
「明日、刊行だよ?」
「分かってます。だけど……」
到底納得なんてできない、と言いたげに不満な顔をするディオネに、僕もため息をついてしまう。
そもそも、出版して時間も経っている本を、『修正版を刊行します』って宣伝したとして、「じゃあ、買います」とはならないんじゃないか?
だって、その修正版の修正もしたいとか言い出したら、キリがない。
目の前で、どこか祈るように目を瞑るディオネには耐えてもらうしかないけど、僕は反対だね。
どう理由を付けて、修正しないように言おうか考えていると、「だったら」と、僕らの横で考え込んでいたカーラさんが、顔を上げて口を開く。
「明日の刊行はそのままで、その次の時に修正と新しいシーンを追加したらどう? それなら、単純な修正版じゃなくて再構築した『知られざる本性』だってならない?」
「再構築……いいかも」
「いい考えだと思うんだけど、ファビオ君はどうかな?」
どうかな、って言われても、カーラさんがいいのであれば僕が口を出すことでな……くはない。
「正直、僕は反対ですよ」
「なんで!? いい考えじゃないですか!?」
正直に反対した僕に、ディオネが吠えた。
あと、カーラさんも「やっぱりか。ファビオ君、なんでかな?」と僕が反対することを分かっていた口ぶりで返すから、正直に理由を話す。
「だって、最初に買った本はどうなんです? 再構築した本の方がそりゃいいでしょうけど、最初の本を買ってくれた人に『この本の内容は古いですよ』って言いたくないですから」
僕の反対理由に言い返せないディオネは黙ったまま、肩で息をしている。
カーラさんも、「そうなんだよねぇ」とひとりでに呟くだけ。
少しの時間、僕を含めた三人が休憩室で黙っていた。
多分、ディオネは不出来なデビュー作の烙印を『深窓の令嬢の知られざる本性』に押しているのは、容易に想像がつく。変なところで完璧主義の彼女にとっては我慢はできないだろう。
「ちなみに聞くけど、修正したい内容ってどれくらいの量なの?」
「……全部です」
全部? 文章も絵も? え?
「本気なの?」
「本気じゃないと言わないです」
俯いたまま話すディオネに「いやいや、全部って」と返せば、黙ったまま睨まれる。
僕は悪いことしてないから、そんな睨まれることは心外ではある。
「じゃあ、ファビオさんはどうなんですか!? 私の新作とデビュー作を見比べて」
「全然気にならないよ。修正とかする必要性を感じない」
「はぁ!?」と大きな声を出すディオネは、「あれの……どこが」と消え入る声で話す。
俯いて顔の表情は読めないけど、カーラさんは「青春だね」と傍観者然と僕たちを見ている。
「カーラさんは、修正は必要だと思います?」
「うーん、どうだろ? でも、ディオネちゃんが修正したいって望んでるからね。……どうする?」
だから、どうする、って聞かれても、だ。
僕は反対だと言っているけど……僕に決定権はないはずだから、「……ディオネ」と俯いたままのディオネに続けた。
「君が思っているより、大変な作業になるかもしれないけど、本当にやるかい?」
「だから! 本当にやりたいんです!」
ディオネは、僕の言葉に声を張って返す。
決意に満ちた目をしているディオネに押されそうになるけど、「新作はどうするの? それに学園は?」と一呼吸置いて返す。
彼女はまだ、自分が学生なのだ。不足単位が取れたとしても、気を抜いてまた同じことの繰り返しにはさせられない。
次の年は、卒業がかかっている年でもあるのだ。気を引き締めて臨んでもらわないと。
「何言ってるんですか。ファビオさんも手伝ってくれるんですよね」
僕の方に首をかしげて返すディオネに、目を丸くした。
えっと、確かに、通運の手伝いをする前にそんな話をしたような……。
「もう、通運の事務所じゃなくて、ファビオさんはこの書店にかかりっきりなんでしょ? じゃあ、私の補助してくださいよ」
「店番とか、色々――」
「そんなのセイラとレイラもいるし、マイケルだっているじゃないですか」
「いや、そういうわけには……」
あれ? できるの? でも、いいのか?
「僕が君を管理するようなことになってもいいってこと?」
「ギチギチに管理されるのは、やめてほしいですけど」
と続けて、「ファビオさんは、私が出す本でこの書店をどうしたいんです? 経営者に戻りたいんですよね?」
有無を言わせないようにまくし立てて話すディオネの気迫に押される。
まさか、修正版やら、再構築版を出すかどうかがこんな話題になるとは。
「まぁまぁ、ディオネちゃん。飛躍しすぎよ」
そう言って、ディオネを落ち着かせるカーラさんの言葉に、彼女は「……すみません」と素直に謝った。
色々と考えようと頭を回すが、別にいいか。アレックス兄さんも自由にしているし。
「じゃあ、修正版じゃなくて再構築版でいきましょう。あと、刊行は次の続編の前で、その続編の伏線も再構築版に入れたら面白そうかも」
僕の言葉に、次はディオネが目を丸くした。
何だよ、そんな驚いて。お前がやりたがってるから仕方なくだぞ?
「いいんですか?」とディオネは恐る恐るといった表情で僕を見て、カーラさんは笑った。
「いいじゃない! それで決定ね」
とても愉快そうに笑うカーラさんは、そう言ったあと立ち上がって、「解決ね。私、商会に戻るから、あとよろしくね」と僕たちに口にして部屋から出て行った。
「……本当にいいんですか?」
と、ディオネが不安そうに聞いた。
そのことに、お前のあの啖呵は何だったんだ、と言いたいところだったが、彼女を見ると金色の目をキラキラと輝かせていた。
「いいもなにも、ディオネがしたいんだろ? 専属作家の補助くらい、どうってことないよ、僕は」
と言って、椅子から立ち上がる。
あの通運での百日間を乗り切った僕に、ディオネの補助なんて本当にどうということはないのだ。
「じゃあ! 修正版とか新作の筋書き、たくさんあるんで明日持ってきます! 打ち合わせしましょう!」
そう言ったディオネは、勢いよく椅子から立ち上がって、「明日は無理だ! 今日しかない!」と焦点の合っていない目で僕を見る。
ちょっと待って。補助ってそういうこと? いやいや、展開が――。
「商会から持ってきますから! 今日は夜通しやりましょう!」
と捨て台詞を吐くように休憩室から出て行った。
既に、言い返しても彼女には聞こえないだろうし、狭い書店を走るディオネはもう玄関の扉に手をかけている。
「またあとでぇ!」
と大声で扉を開けて外に出るディオネを見送るだけしかできない僕に、カウンターにいたマイケルは面白そうなことになったと分かったようで、僕を見て笑っている。
マイケル、君も手伝ってくれるよね? 三人みんなで書店を盛り上げていこうね。
……おい、ずっと笑っているけど、てめぇも道連れにしてやるからな。
後書きを活動報告に投稿しました。
良かったらどうぞ。




