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母さんは、話し出すと止まらないらしい。
目いっぱいに入れてくれた僕のコップの水も飲み干してしまうくらい、お説教なのかも分からない話を延々としていた。
「――最近のファビオもそうだけど、エリーも私を避けているような――」
僕の仕事に対する心の持ちようがどうとか、アレックス兄さんのやり方に文句を言って、ビクター兄さんの母さんや父さんに対する接し方がどうとか、どこにそんな元気があるのか分からないくらいに僕に話し続けた。
一応、僕も母さんへの接し方を怒られたような感じだったから、聞き役に徹していた。
でも、キャロン姉さんが冷たいとか父さんと全然会えないとか、デュラン兄さんの真面目さが行き過ぎているとか、エリー姉さんの態度がよそよそしいとか、本当に僕の話と関係あるのかそれ。って話が多くて、母さんが何度か同じ話をしていた時はさすがに引いた。
「――アレックスもそうだけど、ザックだって――聞いてる? ファビオ?」
「ちゃんと聞いてます。そうですよねアレックス兄さんは本当に――」
「そうなの。アレックスは――」
……聞いてません。って言えば良かった。
ずっと母さんが話し続けるせいで、相づちを打つくらいしかできない。
手洗いに行きたいわけでもないが、母さんの調子が朝まで続くのなら手洗いと称して抜け出すか。
いやぁ、でもなぁ。外なんて歩けないくらい寒いだろうな。
「それで、ファビオは――ってあなた、聞いてないでしょ」
「い、いえ! 聞いてましたよ、ちゃんと」
「だったら、私が何を話したか言ってみなさい」
聞いてませんので分かりません。って言えば良かったかぁ。
しくじったな。
適当なことを言って当たればいいけど、そんな感じで当たった試しはない。
耳には入っていそうだけど、都合よく抜けていった話題は、思い返しても分からなくて言い淀んでしまう。
母さんはそんな僕を見て、肩をすくめて「はぁ、そんな感じだとママは思いました」とわざとらしく口にした。
「……すみません」
ママって自分で言ってるよ。
そこまで僕にママと言って欲しかったのか? それでも言わないけどね。
「さっきはね、あなたの書店のことを言おうとしてた」
「じゃあ、何も言ってないんですか?」
「そうよ。水飲んでたもの」
してやられた。
僕の耳には何も入ってなかったし、抜けるどころかそもそもなかったのだ。
「本当、あなたの考え中って顔は若い頃のザックに似ているわ。瓜二つってところね」
そう母さんに言われても嬉しくはない。
「まぁ、父さんに似ているって言われても……。ですけど、書店のことって何ですか?」
今からまた父さんの話を聞かされるのは御免だ。
そういう話は時間制限付きの時に話して欲しいのだ。例えば昼休憩中とか。
こんな夜中に延々と、惚気話かもよく分からない話を聞かされる側になってみてよ。滅入って仕方ない。気がね。
「……変なこと考えてそうだけど。……まあいいわ、あなたの書店のことね」
「はい」
「本の申請、まだなの?」
「はい?」
「だから、新作はどうなの?」
「新作って、それは……」
書店のことって言って新作?
どういうことだ? 母さんは何を言いたいの?
「ここ一年は新作の申請してないでしょ。内務局と話していたのよ」
「新作は、今原稿段階でして……」
「一年経って、まだ原稿? あなた仕事サボっているの?」
「そ、そんなことないですよ。作家が学生でして単位取得の関係で控えてるんです」
訳も分からぬうちに詰められている僕に、母さんは何かを思い出したように手を叩く。
キラキラとした目で僕を見る姿は、悪巧みを考えたエリー姉さんに似ていた。
「そうそう、私も読ませてもらってるの。ディオネさんの本をね」
身内に『深窓の令嬢の知られざる本性』の読者がいるとは。
主人公のモデルがエリー姉さんと知っているのだろうか。
けど、どこか気恥ずかしくなる。本を出しているから当然母さんにもだし、他のきょうだいに父さんだって読む機会はある。
それは分かっている。だけれど、面と向かって言われるとね。
「いい本ね。面白かったわ」
「ありがとうございます」
突然の褒め言葉に、少し頭を下げて母さんに返す。
いやいや、お礼してどうするんだ。だから、なんで――。
「母さんが何で書店の本のことを?」
「ビクターから教えてもらったからよ」
キラキラとした目のまま、母さんは続ける。
「だって、子どものことは心配ですもの。六人とも」
細めた金色の目が、明かりに反射した。
母さんは空になったコップを軽く振って、「あら、なくなっちゃった」とわざとらしく言って立ち上がる。
水瓶が置いてある机までゆっくりと歩いて、片手で水瓶を持ち上げ、「こっちもないわ」と僕の方を向いた。
「替えを持ってきましょうか?」
「いいわ。私も明日は議会の委員会で一日仕事だから。今日はこの辺りで寝るわ」
僕の言葉に、母さんは欠伸をして「ファビオも寝なさい。明日は……」と言い淀んで窓の方を見た。
母さんの目線につられて僕も窓を見れば、薄明るくなっていた。
うんうん、薄明るくね。ってもう朝じゃないか!
「もう朝ね。ちょうどいいわ」
と言って一拍置く母さんは、「起きたら書店に戻りなさい。あと、アレックスには書店に行くよう話しておくから待ってなさい」と言って、最後に付け加えた。
「あなたはよく頑張りました。ママはちゃんと知ってるわ」
言いたいことが言えてすっきりした様子で、部屋に入って来た時より軽い足取りで扉を開けて、何も言わずに閉めて出て行った。
ちょっと、待って欲しいんだけど、状況が理解出来ない。
でも、何故か。涙が溢れてくる。
多分、外から入ってくる日差しが眩しいのかな。それとも、目に埃でも入ったか。
どっちでもいいけど、この涙が止まらないのは何故だろうか。
* * *
母さんと話し終わった後、もう一度泣いていることを隠したくて毛布にくるまっていれば寝ていた僕は、もう一日だけ実家で世話になった。
長居するつもりはなかったし、エリー姉さんがタングリング家にお呼ばれしていたこともあって、家族の誰とも会わずに気を失ってから三日と少しを過ごしてからゼクラット書店に戻った。
当然、その間の学園の講義は休んでいたから、補習だ再試験だと、病み上がりにしてはよく動いた。
特筆するようなことが起こったわけでもない平和な日常に、物足りなさはあったが、僕の性に合っていた。
色々な後始末も終わって、今日は一日マイケルとゼクラット書店で店番をしているが、ここは今日も閑古鳥が大合唱中らしい。
僕が戻ってから、ずっと鳴っている気がする。だけど帳簿は怖いから見たくない。
一人でも客が本を買ったら帳簿を開こうと朝に決めたから、あと少しで見なくて済む。
ただ、あまりにも暇すぎて、カウンターに頬杖をついて外の通りを通り過ぎる人を数えてみたけど、虚しくなってやめた。
「ファビオくーん。今日、帰っていいかい?」
「いいわけないでしょ」
マイケルが阿呆なことを売り場から言うから、即座に返す。
「えぇ、客一人もいないよぉ」と思ってもいない泣き言をマイケルが言って、立ち上がった。
屈んで清掃をしていた棚は綺麗になっている。この調子なら、あっちの棚のできるな。
「次、あっちもお願いします」
「……戻ってきてから、人使いが荒くなってない?」
「なってないです。いつもこんな感じですよ」
失礼なやつだ。
書店の経営のことで手伝ってくれるんだろ。
だったら、雑務くらいとっとと終わらせたらどうだい? マリーさんならもう終わっているよ、こんな雑務。
マイケルは、ぶつくさと僕に聞こえないくらいの声量で僕の文句を言って指定した棚の前で屈む。
聞こえなくてもそれくらいは分かる。どうせ、僕もしろよ。と言っているようだけど無理だ。清掃用具は一つしかないから。
屈んだまま本を取り出して空いた棚を拭いているマイケルは、「でも、良かったね」と前触れもなく言った。
頬杖をしたままの僕は、マイケルの言葉の意味不明さに眉間に皺が寄った。
「何がです?」
とマイケルに返すと、彼は笑って「だってファビオ君、今楽しそうだよ」と、拭き掃除の最中にもかかわらず立ち上がれば、「交代」と言って、マイケルは僕に雑巾をふわりと投げてきた。
「いやいや、交代って――」
「お手洗いでーす」
……だったら仕方ないか。でも、そんなに跳ねて嬉しそうに歩いて行かないでくれ。
「アレックス兄さんが今日来るから、戻ってきてくださいね」
「分かってるって、ちょっとだけ交代だから」
すれ違って書店の奥に歩いて行くマイケルを見送って、代わりにマイケルが屈んでいた棚に腰を落とす。
角も綺麗に拭いている棚を見れば、彼も結構な時間、書店で働いてくれていたことを思い出す。
最初なんて、「角なんて誰も見ないから適当に拭きまーす」なんて言って、本の表紙まで拭き始めた時は、採用しなければ良かったって思ったけど。
夕暮れが近づいている時間に、こうして本棚を拭いているのが性に合っているように思える。
前は、時間も忘れて「通運の決裁がどうだ」「荷運びが遅い」だのとガヤガヤしていた時に比べて、何倍も心の余裕が出来たように感じる。
正直全くもって認めたくないけど、母さんと話した夜もそうだし、十日間寝込んだ時もそうだけど、限界だったんだと思う。
体力的にしんどくなって、次に心が疲れていった。
多分、それがアースコット教授にも、ディオネにも、ビクター兄さんにも、それから母さんにも伝わったのかもしれない。
ディオネに気づかれるのは癪だけど。
「ファビオ君、交代した方がいい?」
少し物思いにふけっていると、お手洗いから戻ってきたマイケルが、カウンターに肘をついて聞いた。
「当たり前ですよ。ほら」
マイケルの言葉に返すと同時に、僕も彼がしたように雑巾を投げる。
「やっぱりぃ」と肩を落としつつも、僕が投げた雑巾を掴んだマイケルは、トボトボと僕の方まで歩いてきた。
「あのさぁ、やっぱり人使い荒くなってると思うんだ。僕」
「だから、荒くなってないですって」
恨み節のように、僕の人使いが荒いと言うマイケルに、さっきと同じように返す。
本当に、荒くなった自覚はないよ。マイケルが日頃サボっていたせいで本棚が汚れていたから、今日掃除してるだけじゃないか。
あの忙しくて、あまり記憶がない手伝いの時間でもいいことはあった。
マリーさんとアンナさんと一緒に、仕事が出来たことだ。だって、いかにいつもマイケルがサボっているかよく分かるようになったから。




