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豪商の末っ子は、窮地に立つか。  作者: デンノー


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20


 母上が部屋に入って座ってからというものの、黙ったままで時間だけが過ぎた。

 外の明かりも消えつつあって、この部屋の明かりだけが僕と母上を照らしている。

 早々に部屋から出て行ったビクター兄さんは、戻ってこないから、言った通り既に彼の部屋に戻って明日に備えているのだろう。


「起き上がっても大丈夫ですか?」

「えぇ、大丈夫ですよ。ビクター兄さんが過保護なんですよ」


 何を考えているか分からない無表情な顔で僕を見る母上。

 ……大丈夫かと聞かれればもう大丈夫だ。


「それなら良かったわ、倒れたと聞いた時は私も倒れそうになりましたから」

「ご心配かけました、思っていたより体力がなかったみたいで――」

「あなたは、ザックと似ていますね」


 なんとなく、話がかみ合わない。

 別に、頑張って話を続けようとしているのなら、もう僕は話す事ないので母上もお休みになってください。


 少し話して、まだ黙る時間。

 これなら、ずっと寝たふりをしていた方が良かった。面倒で仕方ない。

 それに父上と似ていると言われても。嬉しくともなんともない。

 全然会っていない男と似ていると言われても、そもそも僕はあなたと父上の人となりをよく知らない。

 言い返したい気持ちはあったが、そのせいで話が続くのもよろしくない。僕の精神衛生上の問題だけど。


 仕方なく、本当に仕方なく黙ったまま僕を見る母上に、「そうですかね?」と話を合わせてみれば「えぇ、よく似ています」と応じて、すぐまた黙った。

 そんなに黙る人だったか?

 おぼろげに憶えているのは絶え間なく、僕たちきょうだいに小言を言っていたくらいで、今みたいに黙る人ではなかったと思う。


 本当に、面倒なことになったなと思う。

 カーテンが開いたままの窓から外を眺めても、さっきと代わり映えのしない景色が映るだけだ。

 ため息をつくのもどうかと思い、持ったままのコップを揺らす。入っている水は底から小指の爪あたりぐらいまでしかなかった。


 起きたばかりで、まだ喉が渇く。

 母上の手を見れば、両手を左膝に置いていた。


「お水、入れましょうか。ビクター兄さんが母上の分のコップを用意していますから」

「えぇ、もらおうかしら」


 それだけ言って、また黙る母上を横目にベッドから立ち上がる。

 水瓶を置いている机まで歩こうと一歩進むが、母上が急に立ち上がって僕の前に立った。


「私がやります。あなたは座って……いえ、ベッドで寝ていなさい」


「ほら、コップ貸して」と僕が持っていたコップを差し出すように手を出す母上に、「あ。ありがとうございます」とそのまま母上の手に渡す。


「あなた、まだ病み上がりみたいなものでしょ」

「まぁ、そうですけど」


「寝ていなさい」


 そう言って、母上は水瓶を手に持ってコップに注ぐ。トコトコと注ぐその後ろ姿に手持ち無沙汰になった。

 黙ったままの母親に、どうしたらいいか全然分からない。

 言われたとおりベッドの横になるが、ゆっくりと注ぐ母上の姿を見て、結構な量を入れるんだな。とどうでもいいことが浮かんだ。


「ファビオ、これくらいでいいかしら」


 と、母上は注ぎ終わったコップを僕に持ってきて渡す。

 並々と注がれたコップを見て、一瞬頬が引き攣った。


「あ、ありがとうございます」

「飲んだら、ちゃんと横になって寝なさい」


 この量を飲み切ったら、寝られないんじゃないかな。

 寝たとしても尿意で起きる気がする。


 あぁ、意識したせいでお手洗いに行きたくなった。


「母上、すみません。お手洗いに行っても……」


 一応、本当に一応母上に聞いて見て顔色を伺えば、「そうね。起きたばかりのようだし、どうぞ。いってらっしゃい」と少し笑った。


「では……すみません」


 何に謝っているのか分からないが、コップを備え付けの机に置く。

 扉の方までゆっくり歩いて取っ手に手をかければ、「ちゃんと戻ってくるのよ」と後ろで座ったままの母上が僕に言った。


「……えぇ、もちろん」


 振り向いたら怖い顔をしているんだろうなと思い、そのまま扉を開けると、冷えた空気が廊下から差し込む。

 ヒヤッとする廊下に、少し身を震わせて踏み出す。


「すぐ戻りますんで」

「待ってますよ」


 振り向いても母上の顔は見ない。多分、僕の方を向いているだろう。母上の膝に置いた手だけを見て、そっと扉を閉める。

 本当に、ビクター兄さんがいてくれないと母上との話が持たないのに。

 寒い廊下を進んでお手洗いの場所まで歩くが、さっきのビクター兄さんのニヤけた顔が僕の頭をちらついて離れなかった。

 





 * * *







 別に、母上のいる僕の部屋に戻らず書店に戻ってやろう、なんて考えていない。

 だって、外は本当に寒かったから。


 少し夜風にあたりたい時は、人間誰しもあるだろうし。

 だから、少し戻るのが遅れたのを勘ぐるのはやめてくれませんか? 母上。

 

「はぁ、少し鼻声になってますよ。明日も休みなさい。あなたがいなくとも問題ありませんよ」


「……母上、残った仕事くらいはやっておかないと――」

「大した仕事でもないでしょう? なら寝ておきなさい」


 そもそも、鼻声は起きてからずっとだし、気を失う前から鼻声だから。

 仕方ないな。と母上は言いたげに部屋に戻った僕を「横になりなさい。夜からこれからもっと冷えますよ」とベッドに腰掛けている僕に言って、足元に避けていた毛布を持つ。

 僕に毛布を掛けるつもりだろうけど、気恥ずかしい。


「それくらい、自分で出来ますから」

「させなさい。母なんですから」


 母上は僕の言葉に聞く耳を持たず、毛布を僕に掛けようとにじり寄ってくる。


「本当に、いいですから。そんなに子どもじゃないですよ」

「……そうね。あなたも大人に近づいているものね」


 僕の言葉に少し落胆したような母上は、持っていた毛布を置いて椅子に座り直した。

 大人に近づいてるって、僕ももう学園を卒業する年だよ。子ども扱いは遠慮したい。


 母上と話しすぎたみたいで、喉を潤す為にコップを持って一口飲む。

 前に座る母上も僕と同じだったようで、二人して少し水を飲めば、また黙った。

 話が続かないのは僕がお手洗いから戻ってきてからも同じだ。


「でも、もう寝なさい」

「そうですね。明日もありますから」


 と僕は母上に返す。

 明日になればさすがに体調も戻っているだろうし、二日分の遅れはすぐに取り戻せるのだ。

 それに、実家で寝ているから通運の事務所まで歩いてすぐに着く。


「明日も一日、外出はやめなさい」

「何言ってるんです? もう体調も戻ってきていますから、問題ないですよ」


「そんな鼻声で問題ないとは。……まだまだ子どもですね。ファビオ、休みなさい」


 ……鼻につく言い方だな。

 まるで、少し機嫌の悪い時のビクター兄さんを相手にしているみたいだ。

 あと、子どもだなって言わないで欲しい。お酒は飲めない年齢だけど、それなりに責任のある仕事をしているんだから。


「母上。僕は大丈夫ですから」

「気を失って、うなされていたあなたが大丈夫なわけないでしょ。よく考えなさい」


 僕、うなされてたんだ。

 初めて知った。まぁ、あれだけ揺らされればうなされても仕方ないな。




「本当、アレックスが絡むと余計な事が次から次に……」


 そう呟く母上は、手を額に当てた。まさに、困ってます。と言わんばかりな困り顔も明かりに照らされてよく分かった。

 でも、アレックス兄さんが絡むとって。


「アレックス兄さんは、母上の見合いが嫌で逃げたんですよ」


 困った様子を崩さない母上に、今はこの国にいない彼の事を悪く言われたような気がして、言い返してしまう。

 僕の言葉に目を開く母上は、僕が言い返すのは想定していなかったようだ。

 黙っていた母上が僕をまっすぐ見て、口をゆっくり開く。


「ファビオ。あなたがそんな目に遭っているのは、アレックスのせいでも――」

「これは僕のせいです。アレックス兄さんは関係ないです」


 言い返さないといけないと思う。

 いくら苦手な母上だろうと、僕が体調を崩したのは僕のせいだし。

 こんなことでアレックス兄さんを責めても、僕が彼の立場だったら困ると思う。だって、体調悪くしたのは僕の管理不足だからだろって。


「……ファビオ。あなたねぇ、母から見れば色々な事があなたに巻き付いているようにしか見えないのだけど」


 困った顔をして僕を見ていた母上は、真剣な眼差しで腕を組んだ。

 少しばかり怒っているようにも見えるその姿ではあったが、母上の言っていることがいまいち理解出来ない。

 巻き付いてるってなに? それを言うなら、僕よりもビクター兄さんの方がぐるぐる巻きだと思うけど。


「なんで分からないの? それでもライフアリーの人間ですか?」

「そうですよ。あなたの腹から産まれたはずですよ。僕は憶えてないですけど」


 母上の言い方に、ものすごく鼻につく。

 何だよ。『それでもライフアリーの人間ですか?』って、それが怒っている言い方をですか? 母上?

 あなた、性格悪いですよ。


「何です? その目は」

「いえ、別になにも」


 それから、また黙った母上は、深く息を吸って吐いてを繰り返している。

 なにか言いたげな母上は、最後にため息をついた。


「教育が良くないのかしら……」


 小さく呟いた彼女のその言い方。苦手ではあるが、さすがに。


「物の言い方は、教えてもらっていないですね。あなたには。いや、そもそも何も教えてもらっていないですね」


 こんな夜に言い争うなんて、バカみたいだけどどうしようもない。

 こんなに母上と話す事もなかったけど、癪に障るのだ。


「……本当にそう思ってるの?」

「思っているって言うか、事実でしょ? 思い出してもあんまり会っていないでしょ。僕たち」




「親に向かって! そんな物の言い方は直せ!」


 いきなりの母上の大声に、僕の部屋に響く。

 残響が残っているままに、母上は見開いて僕にまくし立てる。


「そもそも! ファビオ! アレックスの事も、他の事も何もかもを知っているような口をするな!」


「お前は何も知らない子どものままよ! ファビオ!」

「はぁ!? じゃあ、僕の事は全然知らないあんたは何様なん――」


「そういう所が! あんたの……」


 途中まで言って、椅子に座り直すイレニア。

 落ち着こうとしているようだけど、先に大声で怒鳴ったのはあんただ。

 朝まで言い争うなら全然いいよ。そのまま手伝いに行けるからな!

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