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豪商の末っ子は、窮地に立つか。  作者: デンノー


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18


 突然の扉の音に、少し寝ていた僕は、その音にびっくりして体を起こした。

 机に突っ伏して、腕を枕に寝ていたみたいでよだれが口元と腕についていた。


 霞んでいた目を擦る。会議室の照明がぼやけて見えるが、扉の方を見れば、向こうの明かりに人の影が映る。

 焦点の合わない目をもう一度擦って、ようやく黒髪の人が立っているのが見えた。目を凝らせば、口元を覆っているアンナさんだった。


「……寝てたところごめんね。ノックしても返事がなかったから心配しちゃった」

「だ、大丈夫ですよ。どうしました?」


 急に起き上がったせいか、揺れる視界のまま彼女に答える。

 少し喉が渇いたようで、僕の声はしゃがれていた。


「大丈夫ではなさそうだけど」


 僕の声に反応したのか。アンナさんは心配そうに言って、「マリーが置いた白湯はまだある?」と僕に聞いた。


「……ないです。飲んですぐ寝たみたいで」

「じゃあ、おかわり持ってくるから。待ってて」


 そう言って彼女は扉を閉めて出て行った。会議室の照明だけになって、ようやく部屋の全体が見えた。

 浅くなった息を整えて、いきなりのことに意識がおぼろげなまま外を見ると、眠る前と変わらない景色があった。

 手先から震える体を擦る。窓も同じように震えている。枯れ葉が舞っている空は薄く曇天模様。


「まだ、昼でもないな……」


 震える窓から見える外は、白湯を飲みきる前と変わらない。寝て起きたら夜になっていてもいいじゃないか。

 なんでこんなにしんどい時に限って、時間の進みが遅いのか。

 集中して作業をしていたあの日々の、時間の進みとまるで違う今日に嫌気がさす。


 ただ、寝ていたおかげか体の怠さは少しマシになったように思える。

 震える手先も節々の痛みは起きてもそのままではあったし、痛めた手のひらも意識がはっきりとしてくれば鈍い痛みが残っていた。


「今なら……」


 いや、書店に帰れるとは限らない。

 瞬間で思いつきはしたけど、歩いて通運まできたせいで調子を崩したかもしれないし、朝の二の舞だけはごめんだ。


 少しボサついた髪を手で梳くが、まだ、馬車酔いの感覚は残ったままだ。




 これからどうしたものかと悩んでいれば、扉から四回ノックが鳴った。

 一拍おいてから、扉が開いて向こう側の明かりが会議室に差し込む。

 今度は視界もはっきりとしていて、盆を持ったアンナさんが慎重に会議室に入ってくる。


「白湯、持ってきたから」


 そう言って、アンナさんが盆を持ってゆっくりと僕の方まで歩く。


「考え事でもしてた?」

「……はい。書店に帰ろうかなって考えてました」


 僕の言葉にアンナさんは「それは……もう少し待ったほうがいいね」と近づいて白湯の入ったコップを机に置く。

 恐る恐るコップに触れてみれば、マリーさんが淹れてくれた白湯よりも熱くない。

 いい感じの温かさにすぐ両手で抱えるように持った。

 

「待つって、何でです?」

「ビクターさんが昼から空いてるそうだから、ファビオ君の代わりをしてもらえるようになったんだ」


「大丈夫なんですか?」

「……大丈夫って、君が休んでいる間はそうやって進めてたから問題ないよ」


 その話は朝に彼女から直接聞いたのは憶えている。

 僕が治癒院に行ったその日から、ビクター兄さんとゾトーさんが来てくれて助かったと笑っていたから。

 けど、それが待つことと何が関係しているのか。


「……待つってビクター兄さんを待つってことです?」

「そ、ファビオ君を書店まで送ってくれるって」


 なるほど、それだったら僕は昼までここにいればいいのか。それで待ってか。


「あとどれくらいです?」

「昼まで?」


 それしかないけど、僕の聞き方が悪いな。


「時間です。あとどれくらいの時間待てばいいですかね?」


 尋ね方を変えた僕に、アンナさんは少し考えて「わからない……かな」と肩をすくめた。

 その仕草に僕も肩をすくめた。


 忙しい人だから仕方ないとはいえ、出来ればすぐにでも来て欲しいな。と思ってしまう。

 だって、しんどいから。






 * * *







 アンナさんから、昼に来るビクター兄さんを待つよう言われてから彼女は会議室を出て、本来の仕事である受付に戻った。

 この会議室にいるのは、彼女が出て行って以降は僕しかいない。


「鐘の音……まだか」


 昼休憩の鐘の音は鳴らないまま、僕は座って待機している。

 書類の整理とか決裁は、もう今日はしない。一眠りする前に押した決済印の雑さを考えれば、それが一番だと思う。


 手に持つコップの白湯は既に冷めていて、アンナさんが多めに入れてくれたからほんの少しは残っていた。

 僕の横にある鈴も、鳴らしてみようか手に持っては考えては、やっぱり机に置いた。アンナさんが来てからそこまで時間も経っていない。

 そんなときに鈴を鳴らしても、仕事をしている彼女たちに面倒をかけるだけだ。


「それにしても、暇だなぁ」


 びっくりして起きた時から、眠気が来ない。

 机に突っ伏しても、ゆっくり背もたれに寄りかかっても意味がなかった。


 別に寝たいとも思ってないが、やることがない。

 これなら、途中まで読んだディオネの原稿を持ってくれば良かった。どうせ下書きだし、雑に扱っても文句はないだろう。予備に一部刷っているのだからなおさらだ。





 眠れもしないまま。会議室で座ってジッと待っていれば、どことなく体が熱くなってきた。

 熱も出だしたようで、汗が滲んできているのが自分でも分かった。


 休憩と言っていいかは怪しいが、充分に休んだおかげで体は動かせるくらいには回復した。

 一度外に出よう。閉めきって空気の悪い会議室から出たい。窓を開けたらすぐ寒くなるだろうし。


 立ち上がって一歩踏み出せば、軽く立ちくらみはあったがそれくらいでは問題ない。

 十日間はもっと酷かったから。




 病んでいる最中ではあるし、慎重に会議室の扉を開ける。受付から応対の声が止まることなく聞こえてくる。

 突然の耳鳴りが襲ってくるが、まだ耐えられた。


 見渡すと、カウンターは全て応対に使われていて、近くの机には今日の決裁書類が積まれていた。


「あれ、ファビオ君。大丈夫なの?」


 受付を後ろから立ち止まって見ていれば、横から書類を抱えたアンナさんが僕に気づいたようだ。


「まぁ、ちょっと外の空気を吸いたいなって」

「そうなの? 寒いから気をつけてね」


 彼女はそう言って、書類を机の上の山に重ねて「もうすぐ昼だから、もう少しね」と笑いかけて受付に戻った。

 後ろ姿の彼女を見て、どこか悪い事でもしたかと身構えてしまった。

 別に悪い事でも何でもないけど。


 外に行こうと思えば、受付を通るのは無理だ。人が多すぎる。

 僕の目的は熱い体を冷やすことだけだ。それなら裏手の扉から出ればいい。

 うるさい受付を横目に、扉に手をかける。




「何回も言ってやるけど、責任者を呼べ」

「ですから、一度落ち着いて……」


 扉を開ければ、相応に冷たい風が僕の体を包もうとして、熱い体の熱を溶かしていく。

 扉の近くで何か話し合っているマリーさんと、よく知らない男は僕に気がついていない。

 苦情? それとも別のこと? と少し考えたが、変な事に巻き込まれてしまう前に戻ろうと扉をゆっくり閉めれば――


「落ち着いてって、俺はずっと落ち着いてんだよ!」

「ちょっと上の者呼んできます!」


 男の声にマリーさんが耐えかねたようで扉の方に振り向いた。


 振り向いた先に居た僕と目が合ったマリーさんに、大声を出した男が僕にも気づいた。

 ……遅かったな。これは。どう見ても巻き込まれた。


「なんだぁ? 見世物じゃねえぞ?」


 そう凄む男は、着古した厚手の上着に手袋を着けて、靴も冬用のブーツを履いていた。

 短髪の黒髪は刈り上げて、目付きは眉間に皺を寄せて無精髭を生やしていた。


「いえ、たまたま開けただけなので」

「ファビオさん……」


 男の横で彼女が、険しい顔を僕に向ける。

 許してくれ。マリーさん。僕、今、病人なんだ。苦情なんて対応できないんだ。

 

「たまたま開けただけって、お前らの体たらくのせいで、俺らの商品が届かないってずっと言ってんだよ!」

「ですから……」


 彼女は言い切る前に、閉めている途中で止めた扉を開けて、僕の横を通って事務所に入った。

 すれ違いざまに「お願いします」と小さく言って抜けた彼女を見る隙もなく、男は顔を真っ赤に染め上げていた。


「おい! あんた、ライフアリーの坊主だろ!」

「えぇ!? 僕!?」


 僕の事知ってるのか? 何で? 違うと言いたいのは山々だけど、男も確信しているようで、僕の方に歩いてくる。

 マリーさんが開けた扉が、勢いよく開きすぎて戸先にある取っ手を握ろうとすれば男に胸元の服を捕まれた。

 凄んでくる顔に腕っ節があるのか、僕の体が少し浮いて扉口に居たはずが、全身が外に出た。

 冷たい空気に鳥肌が立つ。逃げることも出来なさそうで、睨んでくる男に嘘はつけない雰囲気があった。


「……まぁ、そうですけど」

「だったら! まずは謝れや! そっからだろ話し合いは」


 話し合いはって、出来るような体勢でもないだろ。せめて、胸元を掴み上げるのはやめて欲しい。ちょっとばかり気持ち悪くなる。

 

「一応僕、通運では働いてなくて――」

「だったらどうして裏手から出てきたんだよ!」


 ちょっと、笑いが込み上げてくる。

 あんたの聞いたこと、全くもってその通り過ぎる。


「一応、お手伝いさんなので僕」

「俺はそんなこと知らねえ」


「……なので、謝るって言っても何に? って感じなんですけど」

「……喧嘩売ってんのか?」


 ぐぇー。僕を持ち上げるなって。

 首が絞まるように僕を持ち上げ、顔を真っ赤に染めた男は、「あぁ、すまん」と自分のしていることに気がついたのか、少しだけ緩めた。

 そう、少しだけ緩めただけでまだ胸元を掴んで離さない。

 ただ、その顔は全くといっていいくらい反省しているようにも見えない。


「……一旦、離してもらえません?」

「逃げる気か?」


 逃げないって、それに事務所の方で知らない人が見てるでしょ?

 ほら、事務所からこっちに来る足音が聞こえるよ。誰でもいいから助けて。


「ファビオ君!? ちょっと、話は私が聞きますから。とりあえず中に――」

「だから! 俺はこいつに話があるんだって!」


 話なんてないって。

 あんたと僕、今ここで初めて会ったんだから。

 それに揺らすのやめてくれません? 目が回って気が遠くなるんで。


「落ち着いて、話しましょう。苛立っても――」

「うるせぇ! 女は引っ込んでろ!」

「はぁ!? れっきとした職員だよ! 私は!」


 アンナさん。来てくれてありがたいんだけど、逆なでするのはやめて欲しいな。

 さっきから揺らされ続けてるんだ。僕。助けて。


「だったら、なんでちゃんと対応しねえんだよ!」

「それは! あんたがちゃんと受付に来ないからだよ!」


「受付に行った! それでも昨日付の荷物が届いてねえんだよ!」


 ほんと、むり。きもちわるい。


「配送は遅れることがあるって最初に言ってるはずでしょ!」

「俺が悪いってのか!」

「悪いね! ちゃんと聞いてなかったの!?」

「こっちは、遅れたせいで取引がなくなったんだぞ! どうしてくれんだ!」

「知らないわよ! そんなこと!」


 ……たのむ。だ、れでも……いいから。……たすけて。

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