12
ビクター兄さんと話し合いをした後、僕とカーラさんはディオネが出てくるのを待っていた。
程なくして、二人が出てきたが、その後は全員が黙ったまま、解散することになった。
今も、ビクター兄さんから教えてもらった商会関係の状況は、頭が追いつかない。
ただ、自分がやるべき事をしているうちに三日が過ぎて、いつも通り学園で講義を受けた。
三日が経っていれば、やらなければならないことへの焦りもあり、ディオネのことが気になっていた。
以前書類作成を頼んだ事務員に、彼女の受講している講義を教えてもらえば、すぐにその講義室に向かう。
僕とすれ違う学生は、何も悩みがないように暢気に笑い合っていた。
だけど僕は、全くそんな気分にならない。だって、これからエリー姉さんに会いに行く日取りを、調整しないといけないからだ。
「すみません、ディオネ嬢はまだいますか?」
講義室には、数人の学生がまだ残っている。見渡してもディオネの姿はない。僕は、笑い合っている数名の男子学生に近づいて声を掛けた。
「あぁ、彼女なら終わってすぐここから出て行きましたよ」
「そうですか」と僕がその学生に返せば、他の学生から「そういえば、アースコット教授に呼ばれたみたいですよ」と教えてくれた。
何で、アースコット教授なのか分からない。さっきまでの講義は、アースコット教授の講義ではない。
だが、とりあえずディオネの居場所が分かればいい。
「ありがとう、助かりました」
教えてくれた数人の名前も知らない学生に挨拶をした後、僕は逸る足を抑えてアースコット教授の部屋に向かった。
僕がディオネを探すこの時間は、講義の合間で少し長い休憩時間がある。
僕は急がずに歩いて向かっていれば、ちょうど別の講義室から出てきたライアンさんと出くわした。
三人くらいの男子学生と談笑して歩いていたところだったが、僕を見たライアンさんは、その三人と別れてこっちに向かってくる。
「ファビオ君、もう怪我は大丈夫かい?」
「ええ、大丈夫です。ライアンさんこそ、学園のことで色々助けていただいて」
ライアンさんには、僕が療養中に学園で色々と便宜を図ってくれている。
やむを得ない僕の休学と、エリー姉さんの謹慎の件。確かエリー姉さんも今は休学中のはず。
前から考えていたことを彼に話した。
「エリー姉さんに、謝りに行かせようと思ってる人がいるんで、もしよかったら、時間合わせて一緒に行きませんか?」
もちろん謝るのはディオネだ。
僕たちだけじゃ、怒ったエリー姉さんを抑えるのは無理だろう。ライアンさんがいてくれれば心強い。
ライアンさんは、僕の言葉を聞いてから少し考える。
「考えていますけど? なにかあったんですか?」
「いや、最近もエリーのところに行っているからね。今なら二人だけでも問題ないかなと思ってさ」
何を言っているんだか。絶対に暴れるって。
それともあれかな? 僕を殴ったことを反省しているのか? 僕に何の謝罪もないけれど。
「そんな面倒そうな目をしても変わらないよ。エリーとも話してるし、さ」
「でも、次殴られたらそれこそ死んでしまいますよ?」
僕の問いに「殴られないって」と返すライアンさん。堂々巡りの様な話を二人でしていれば、廊下の向こう側から、見知った女学生が歩いてきた。
俯いて歩くその姿は、三日前に会った時より雰囲気が暗い。
ビクター兄さんとの話し合いが、終わってからも相当にまいっているようだったけど、今の彼女は特に暗い。
ただ、眼鏡を掛けて前髪も下ろしきっている彼女のその格好に、特徴的なところがなさすぎて、だから記憶に残らないんだな。と一人納得した。
俯いたまま、まっすぐディオネが歩いてくる。僕らが、前にいることを分かってないんだろうか。
「三日ぶりだね」
ディオネに話しかける。その声に彼女は、足を止めた。
横にいるライアンさんは、ディオネが誰なのか聞いてくる。
「彼女があの本の作家ですよ」
「あぁ、……あの本の」
ディオネのことを、彼女には聞こえないよう小声でライアンさんに紹介した。
ディオネが僕の声に気づいたのか、暗い雰囲気のまま顔を上げた。
「あぁ、ファビオさん。それと……」
「この人は、エリー姉さんの婚約者のライアンさん」
初対面の二人は顔を見合わせて、恐縮した様子だった。
一応、貴族の後継者ではあるライアンさんだが、貴族らしくない振る舞いをよくするのだ。
まぁ、貴族の取り消しが、決まっているからか誰も気にすることもない。
ディオネは、『深窓の令嬢の知られざる本性』で参考にした人物だと、分かっていない様子だけれど。
教えたら、謝り続けそうだから言わない。
「良かったよ、君を探していたんだ」
ディオネに言えば、「何で、ですか?」と返してくる。
表情は暗いままのディオネ。多分アースコット教授に叱られていたのかな? あの人、講義態度のことは厳しいし。
「エリー姉さんには、謝っておいた方が良いでしょ。だから、いつがいいか君に聞こうかなって」
「今日決めるんですか?」
「まぁ、早いほうがいいでしょ、ビクター兄さんにも言われてたしね」
そうなのだ。あの話し合いの後に、途中で「そんなことより」って言われたけれど。
別にもう良いかなって、商会ギルドのことを聞いた時に思ったけど。そのあたりの、けじめと言うか礼儀は欠かすな。ということらしい。
僕の言葉に、ディオネは嫌そうな顔を隠しもしない。そんな顔をする彼女に、僕は少なからず腹が立った。
少しは改めてもらおうと、口にしようとしたら学園の屋上に設置されている鐘が鳴る。
講義の時間が、迫っている合図の鐘の音だ。こんなことで、三人とも講義に遅れる訳にはいかないか。
「とりあえず、講義が終わってから屋上の鐘の前で集合しましょう。ライアンさんもよろしくお願いしますね」
僕の提案に、二人とも嫌そうな顔をする。ライアンさんが嫌そうにするのは分かるけれど、ディオネまでずっとそんな顔して良いのか?
君が全部の元凶だろ?
* * *
今日の講義も全て終わって、僕は休憩時間に言った通り、屋上に向かう。
三階まであるこの学園の建物は、相応に古い。
階段もそうだが、そのほとんどが木で出来ていて、木の日焼け跡が所々にあったり、廊下を歩けば床から音が鳴る場所もある。
聞いた話では、もうすぐこの学舎が建ってから百三十年くらいになるそうだ。
屋上には、三箇所ある階段から上がれる。この屋上では今回の僕たちのように、待ち合わせなどによく使われて、学生の憩いの場でもあった。
僕は、初めて使うけれど。
階段を上がりきって屋上に出れば、ライアンさんが屋上で待っていた。
ただ、見渡せば彼一人だけだったようで、対して大きくもない鐘を見て回っては、暇そうにしている彼の方に歩く。
「待たせましたか?」
「全然待ってないよ、私も来たところなんだ」
僕に返すライアンさんは、見ていた鐘に背を向けて僕を見てくる。
彼の方向に夕日があったから、僕は眩しくて目を細めた。彼は眩しそうにしていた事を察してくれたのか、立つ場所を変えてくれる。
「僕の頭に何かありました?」
「いいや、綺麗に治っているんだなってさ」
ライアンさんが、僕を見ていた視線がちょうど頭にあったので聞いてみた。
僕の頭の怪我を気にしてくれているようだ。
僕が殴られた時に、彼は応急処置をしてくれていたらしいけど、僕の頭がどんなことになっていたのかは、いまも誰も教えてくれない。
「もう、あの夜のことは一年前の事みたいに思ってしまいますよ」
「すごかったよね」
何がですか? とは聞かない。
僕の頭がすごい事になっていたのか、エリー姉さんのドレス姿がなのか、エリー姉さんの馬鹿力のことか、色々含んでいるような気がした。
「もういたんですか?」
後ろから掛けられた、ディオネの声に振り向く。
僕とライアンさんから見て逆光になっているディオネは金色の髪を輝かせている。
僕の金髪はくすんでいるから輝かないけれど。
「私たちも着いたところだ。じゃあ、ファビオ君」
ライアンさんが、ディオネが尋ねたことに返す。僕も言おうとしたけど、そのあたりの返答の早さは、さすが貴族だと思う。
ただ、貴族っていうのは本当に、進行したがりが多いのだ。偏見だけど。
「じゃあ早速ですけど、お二人ともいつが空いてます? 僕は――」
それから、僕とライアンさんは日取りのことで話すが、ディオネは全て都合が悪いと却下する。
ライアンさんの顔は、終始穏やかそうだったけど、僕はそうじゃない。
そろそろ怒ってしまいそうだった。
「もういいんじゃないですか? 売った分のお金は私が工面して返していきますから」
「正直、ここにも来たくなかったんですけど」と続けざまに、そして吐き捨てるように言うディオネ。
何を言っているのか、一瞬理解できなかった。
ただ、彼女が言いたいことを考えると、エリー姉さんに謝りに行きたくないし、本を売って売り上げたお金で賠償します。ということか。
ディオネの言いたいことを理解すれば、とにかく腹が立った。
「君のせいだろ、全部」
「はぁ、そうなりますね」
なげやりに応じるディオネ。ライアンさんは落ち着くように、僕の事を見てくるが、正直もう無理なのだ。
「商会ギルドに、襲われるのが怖いから嫌なの? 全部、自業自得じゃん」
「怖いですよ? 女の子ですし私」
クソが。
ディオネの出す態度が、徐々に横柄で険悪になってくるが、知ったことじゃない。
「女の子だから怖くて謝れないの? それで恥ずかしくないの?」
ディオネが僕を睨んだ。今にも殴り掛かってきそうだ。
来るなら来いよ! お前なんかエリー姉さんに比べたら、全然怖くねえぞ。
ライアンさんが、落ち着くように僕たちに言ってくるが、拳じゃなくて僕に向かって彼女が口を開いた。
「はぁ!? 私が今どれだけ辛い思いをしてるか、分からないんですか!?」
「そんなの知らないよ!」
「じゃあ放っといてくださいよ!」
ディオネと僕は、それからも言い争う。僕もそうだし、彼女も気に入らない事が多いのだろう。
言っていることは僕たち二人とも、子どもの口喧嘩程度が良いところだ。
ただ、孤児院の古くさい小屋で取っ組み合った時よりも、幾分平和に喧嘩している。
「もうやめておきなよ、そんなに言い争って何になるんだい?」
「何なんですか、邪魔しないでください!」
ディオネが下手を打った。ライアンさんを、怒らせるような事はしたらいけない。
ただでさえ、僕たちよりも一回りも大きい体で向かってこられたら、ひとたまりもない。
ライアンさんは僕たち二人を見て「分かった。じゃあ」と言った。
「それ以上口喧嘩するなら、今からエリーの所に行こう」
「それが一番いいね」とライアンさんが、僕たち二人の腕を掴んで引き連れるように、屋上から一番近い階段に向かって歩き出す。
僕とディオネは、ライアンさんに向かって、「もう大丈夫ですから、落ち着きますから」と言って止まるよう願う。
ライアンさんの体の大きさでは、僕たちは何も出来ないし、掴んでいる腕の太いこと。
痛くならないギリギリで、僕たちを掴んで離さない。
僕も行く覚悟が必要なんだ。頼むから、せめて明日にしてほしいんだ。
ゆっくり階段を下りていく彼は、結局僕の実家まで止まることはなかった。




