豪商の末っ子は、背に腹は代えられない。1
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完結することを目標に、章単位二十話前後で区切りを付けるようにしています。
「あなたとの婚約は解消するよう、父上に提言する!」
学園の廊下に響く声。僕僕も含めて廊下にいた生徒たちは、思わず足を止めた。声の方を見ると、黒髪の女生徒と茶髪の男子生徒が激しく言い争っている。
僕は彼らをよく知っている。その声の主は義兄予定のライアンさんと――。
「はぁ!?解消するぐらいその口で言えないわけ!」
我が家で一番危険な三女、エリザベス。
はぁ。なんでこんな人の多いところで喧嘩するんだよ。二人とも。
みんなざわざわして見てるじゃんか。もう恥ずかしいよ。
周りの視線に居たたまれなくなる。
こういう時、おじいさんがよく言っていた「初心忘るべからず」という言葉を思い出す。我が家がどこから来て、どうして貴族の子どもが圧倒的に多いこの学園でこんな状況になったのか――。
僕の家は、この小さな国で一番の商家だと思う。
ご先祖様のファーガソンさんが、鉱石掘りですごく珍しい魔鉱石を掘り当てたことが商家の始まりだ。それから、この国を興す貴族様を援助して優遇してもらうことで、順風満帆で家を大きくしてきたけど、それも僕が生まれる前に終わってしまった。
反乱で貴族様が全員亡くなり、つられて我が家の栄華も消えたのである。
「あと十年もしたら貴族特権がなくなるんだよ! 君と僕では釣り合わないんだ」
たしかに、国はこれまでの貴族様の統治でなく議会制を導入し、二十年程度だが国を存続させている。
議会制に変わったせいか生き残った少数の貴族は、時限的に貴族の権利を取り上げられていった。
ライアンさんのところは言った通り、あと十年で貴族としての統治や税収とか議会参入権とかが軒並み取り上げられる。
それでも国の経済は昔より成長しているらしい。
ちなみに、我が家は議会の発言力は高い。反乱前から貴族様だけではなく色んな人や事業に援助とか融資とかやっていたおかげらしい。僕も全容はわからないけど、家業を継いだ兄さんが頭を抱えながら勉強していたのは本邸で何回も見た。
そんな代々の頑張りのおかげで僕はこの国立学園に通えている訳だ。
けどさ、そんなデリケートなことを朝から言わなくてもいいんじゃないか?
「お父様も承知で婚約したんじゃない! そんなこと言ったって婚約解消などできやしないわ!」
「そんなことなどではない!」
初心を忘れない冷静な僕とは対照的で、周りがあまり見えていない顔を真っ赤に染めてまだ言い争う二人。
「何回も言っていうが、すぐに婚約解消ができるわけないだろ!」
「エリーも、そちら側で話を通しておいてほしいだけなんだよ!」
決まってねぇのかよ。とは思うが彼がそう言うことも分かる。あくまで議会の末席にいる一家の主たる彼の父親にお伺い立てることは間違っていない。
まぁ、こんなこと言う前にその父親と話しておけとは思うが。
「それにだ! この婚約は、父上が決めたことだ! 私が決める権限はない!」
それはそう。ライアンさんは正しいよ。でも相手が悪い。なんせ今、彼が対峙しているのは我が家の猛獣なのだ。
「だったら、好きにしてちょうだい! もう知らないから!」
出たぁ!必殺技【私は知らない】。ちなみに僕はその必殺技を受けて兄さん達に怒られなかったことはない。
他の生徒と一緒に見てはいたが、まさかの出来事でいくら冷静な僕でも頭がおかしくなりそうだ。
あ、猛獣と目があった。
「ちょっと!見てたんなら何か言いなさいよ!この人に!いいわね!」
エリー姉さんは僕の肩を結構な力でド突いた。小突く程度ではない、ちゃんと振りかぶって僕の肩を殴った。体の芯に響くような痛みが肩を襲う。そんな華奢な体のどこに力があるのか、すごく痛い。
エリー姉さんは猛獣じゃなかった。魔獣だ、小さな魔獣。見たことないけど。
わかりました、姉さん。とエリー姉さんに言えば、すごく不服のようだが母譲りの赤くパチリと大きな目が合う。
ふん! と、彼女が黒く長い髪を振り回した。髪が顔に当たる。これも結構痛い。
「あんたら!そこどきな!」
小さな魔獣は、周りの生徒に一喝してから小走りで廊下を進んで消えていった。
まさに嵐だ。局所的過ぎて被害は甚大である。僕の。
「本当にすまない。こんなことを見させて」
「けれど、見ていたのなら助かるよ。本家の方と日程調整をお願いしたい」
エリー姉さんの婚約者で、今回の嵐の原因でもあるライアンさんが僕に近づいて言う。
間の悪いことに僕は今日、商会本部に行く用事がある。ついでの用事が今出来た。
胃が重くなるようなどんよりした気分になるけど、断るわけにもいかない。
この婚約解消騒ぎの話。彼を見れば淡い茶色の目は、申し訳なさそうに伏せられている。
眉間から額にかけて深いシワが刻まれ、相当に困り果てている様子だった。
「ライアンさん。そっちは大丈夫ですか?僕のほうは七日後で問題ないと思いますけど」
「こちらはなんとかするから七日後で頼む」
ライアンさんは、エリー姉さんが通ったあとを、周りの生徒に見られながらも堂々と歩いて消えていった。
当事者がいなくなったからか、一部始終を見ていた周りの生徒も次第に歩いて消えていく。
僕も講義に遅れるわけにはいかないので、廊下から講義室まで歩く。周りの視線が少し冷たいのは、エリザベスのせいだからね。
なるほど、おじいさんの座右の銘、触らぬ神にたたりなしとはこのことか。神じゃなくて魔獣だけど。
あと、小さな魔獣は僕の姉で次女のエリザベス・ライフアリーだ。
あとはあれだ。誰でもいいから、僕の代わりに魔獣の監視をお願いします。
絶対に物壊すよ、あれ。
* * *
そんな朝の騒動から一日が過ぎて、学園での講義も昼休憩を挟んで終わった。
朝の廊下での一件を思い返しながら、僕は今日のもう一つの用事に向かう。
まさか、エリー姉さんとライアンさんの喧嘩を朝から見るとは思いもしなかった。
一日の始めにエリー姉さんの癇癪を見ることになるのは三年振りだったが、ライアンさんまで大きな声を出すとは。
物静かそうな人だと思ってはいたけど、やはり見かけで判断してはいけないね。
元々、学園での講義内容など幼い頃から教え込まれていたし、新しい発見というか学びは特にない。
だけど今日は、毎月恒例の用事がある。逸る足を押さえながらも少し小走りで目的地に向かった。魔術課教授室と名の付いた木製のドアをノックする。
どうぞ。と部屋から声が聞こえた。
「失礼します。教授。今月の締め切りは大丈夫です?」
学園では、何人か教授という講義内容を監修する人がいる。その内の一人が目の前で座りながらお茶を飲んでいる人だ。
濃い茶髪を後ろで括り、堀の深い顔立ちと左目に片眼鏡を付けている。少しダボついている紺色のフードから覗かせる彼の白い肌は、健康な人の肌とは思えないぐらいに白い。
そんな彼が、部屋に入った僕を目を合わせると儚げそうな笑みを出す。
「あれの時期かぁ。ちょっと待ってね、ファビオ君」
そう言って、椅子から立つと側にあった紙束から僕の目的のものを取り出した。
良かった。今回もちゃんと書いてくれていたことに安堵すれば、自ずと、ありがとうございます。と言って教授に向かって紙束を受け取る。
「今ある分は渡しておくよ。支払いはいつも通りで問題ないからね」
お茶でも入れるよ。と言ってくれる教授に恐縮しながらも、余っている椅子に腰掛けた。
支払いのことは、すぐにでも行うようにしよう。締め切りを守ってくれるのがこの人ぐらいだし。
「君のお姉さんのことだけど、喧嘩したんだってね。ファビオ君は大丈夫だった?」
「最悪ですよ。目の前で見ることになったんですから。兄に報告しないといけないですし」
本当に最悪の気分で一日を過ごすことになったのだから文句の一つや二つ言ってやってもいい。拳が飛んでくるのでやらないが。
僕の返事のどこにおかしなことがあったかは知らないけど、クスクス笑われる。
「それは災難だね! けど、本当に君は巻き込まれやすいよね」
えぇ本当に。だけど、巻き込まれるのは家族限定だ。特にエリー姉さんのことだけ。
「お守り的な魔術とかないですかね。本当に」
「そんな魔術があったらいいよねぇ」
ないかぁ。あったら一生かけてお金払ってもいいぐらい本気で欲しいまである。
教授は僕の分と自分の分のお茶を淹れれば、椅子を動かす。なるほど。僕と喋るみたいだ。
だったら、僕の愚痴の一つや二つは聞いてもらおう。
教授と、近況を話していれば、扉からノックの音がした。
「アースコット教授、失礼します。ここにファビオ・ライフアリー氏が来ていると聞きましたので」
どうぞ。と教授が言えば、少しくたびれた様子の女性が入ってきた。
学園の事務の人だろうか。あまりそっちの方とは関わりがないからよく分からないが、僕がそうですけど。と返す。
少しため息をする女性に、お世話になるようなことをした覚えがないが少し緊張する。
「エリザベス・ライフアリー氏の備品損壊証明書と損害賠償請求書をお渡しします。ここにサインをください」
なんで僕ぅ。本人に渡せばいいじゃないか。僕がサインしたら僕のせいにならない?大丈夫?
「あぁ、損害賠償はエリザベス氏の証明ができていますが本人が早々に帰宅されたので。親族のサインが必要なんです」
「そうだって。ファビオ君、ペン貸すよ」
事務的に話す女性の話に落ち着きはしたが、横でずっとクスクス笑う教授。
まさに人ごとではあるけど腹が立つ。
空笑いしか出来ない僕は、教授からペンを借りて書類にサインした。
では。と、女性が口にすればそのまま僕に、封筒に入った書類を渡してくる。
受け取るけど、封筒の中の書類は見たくもない。
姉の恥の尻拭いを弟がやるとは。本当に文句言ってやりたい。もう殴られてもいい。
「教授。僕も今日はこの辺で帰ります。書類のこともありますし」
笑っている教授に言えば、ニコニコしている顔が見える。
こうして見れば、儚げだった顔も赤みがでて、いたずらっ子のような印象もあった。
「あぁ。私の分も忘れないで持って帰っておくれよ」
あぁ、もらっていたことを忘れていた。教授の分と先にもらった書類を鞄に入れる。別れの挨拶をしてから教授室から出た。
結局、あの魔獣は止まらなかったみたいだ。
なんですぐ、物を壊すかね。
こんなだから、ライアンさんから婚約解消の話がでるんじゃないか。本当に。