圧政
「それでは行きましょうか」
チェックインを済ませてから二人がホテルの外に出ると、サファルがいつもの張り付いた笑みを浮かべて入口で待ち伏せていた。
「げっ……」
サファルが視界に入った瞬間にライは嫌そうな顔を浮かべて顔を逸らした。
「……軍のアジトまでどのくらいかかる?」
「車を使えば五分ほどですが、街の様子を見るために歩きで向かうので四・五十分ほどかかります」
「そうか……なら早く出発しよう」
サファルが嫌いなライに代わって軽く言葉を交わすと、メイは早速軍のアジトへ向かって出発した。
出発してすぐは中国でも有数の都市ということで、高層ビルなどが立ち並び道行く人達も多く活気のある街並みだった。
「本当にこの街に軍のアジトがあるのか?」
「心配しなくてもありますよ。僕は情報を伝えないことはあっても嘘を伝えることはしませんよ、情報の信憑性が無くなったら僕を生かす価値も無くなりますから」
メイの疑問に前を歩いて道案内をしながら、サファルは振り返ることなく答える。
「そうか……マフィアのアジトがあるっていう割には都会ってだけで他は普通に感じたから」
「心配しなくてもいいですよ、軍のアジトは中心部から外れた所にありますからもう少し行ったらその影響が見えて来ますよ」
メイとライがチェックインしたホテルは中心部と街外れの境目辺りにあり、出発してから二十分ほど経つとサファルの言った通りマフィアが根城にしてそうな暗い雰囲気が漂ってきた。
道から見える家屋の壁は所々壊された様な跡がありすれ違う人々も皆活気がなく、どんよりとした空気で満ちていた。
「なぁ、サファル。軍の父親が危篤状態になったのはいつ頃かわかるか?」
家屋や人の様子を見て何かに気づいたメイがサファルに問いかける。
「正確な日時まではわかりませんが、約一年ほど前くらいのはずですけど……それがどうかしましたか?」
「いや……ふと気になっただけで特に深い意味はないよ」
(一年前か、軍が実権を握ってからこうなったのかと思ったけど……一年前からにしては町の人は疲れた顔をしてるけど、そんなにやせ細ってないし服もそんなにボロボロじゃない)
メイはすれ違う人や壊された家屋を観察しながら思考を巡らせる。
(人や家の感じからするとこうなったのは長くて一月前くらい……普通に考えれば神の力に目覚めたことがきっかけだと思うけど……それで急に街を荒らすようになるのか?)
メイは詳しい話を聞きたいと思って道行く人々に目を向けるが、皆厄介事から逃げるようにメイから距離を取り顔を背けて通り過ぎていく。
「これじゃ声かけられないか、そもそも俺中国語話せな――っと」
メイが道行く人達に気を取られていると、歩いていたすぐそばの民家から男の子が飛び出して来てメイの足にぶつかった。
ぶつかると男の子は震えながら怯えた様子でメイを見上げた。
「対不起」
「えっと……ライ、この子なんて言ったの?」
子供が中国語で震えながら何か言ったが、メイは男の子が何と言ったか分からずライに尋ねる。
「えっ……あぁ『ごめんなさい』って言ってるだけだよ」
「そうか、だったらえっと……」
メイは知っている僅かな中国語を思い出しながら、男の子に目線を合わせた。
「モーマンタイ」
正しい発音などは解らないため不安だったが、メイがそう言って頭を撫でてあげると男の子は安心したように笑った。
「你在做什么!」
男の子が笑った次の瞬間、女の人の声で中国語の怒声が聞こえてきた。
メイが声のした方に顔を向けると、男の子の母親らしき女性が眉間にシワを寄せて立っていた。
「ちょっ――」
母親は小走りでメイに近づくと、男の子をメイから剥ぎ取るようにして抱え込んだ。
「滚蛋!」
母親は男の子を抱えたまま、メイに向かって中国語で叫んだ。
何と言ったのかはわからなかったが、「出ていけ」の様なニュアンスだということは何となくわかりメイは何も言わず急いでその場から離れた。
「災難でしたねメイさん、何も悪い事はしてないのに怒鳴られて」
怒鳴られた家から離れるとサファルが嬉しそうに笑いながらメイに話しかけた。
「別に気にしてない……」
サファルに挑発されるも一切気にする様子を見せず、メイは一応返事だけしたものの別の事を考えているようで先程の親子が住んでいた家を鋭い目をして眺めている。
「なんか気になるの、兄ちゃん?」
真剣な顔をして民家を眺めるメイを見て、ライが横から話しかける。
ライに話しかけられるとメイは、集中していた所に話しかけられて一瞬ビクッとしてから反応した。
「うん? あぁ……ちょっとさっきの母親の反応が気になって」
「母親? 確かにすごい気迫だったけど……」
メイの返事を聞いて、ライは先程の母親の反応を思い出して家の様子を一緒に見つめる。
「気迫もだけど、俺は母親の怒り方が気になったかな……子供が俺達に何かされたと思って怒ったと言うよりは、子供が俺達に関わったから怒ったような――」
ライと話している途中で複数の視線を感じ、メイは話を止めて視線の主を探して辺りを見渡す。
ライも向けられる視線に気付き、メイと同じように辺りを見回す。
(どこからだ? 殺意や攻撃の意思は感じないけど……)
(この感じ……一人じゃないな)
二人がしばらく辺りを見渡すと、追い出された民家以外の家の窓から疲れた顔をした住人達が先程の親子とメイ達を鋭い視線で睨み付けていた。
「どうやら、この集落には何かしらがありそうだね」
ライは睨んでくる住人達を牽制するように睨み返しながら、メイに話しかける。
「あぁ……中国だから国柄とか国民性とかで、日本と多少違う所もあるだろうけど……それを踏まえても、ここの雰囲気は異常だよ」
メイはそう言いながら睨みつけてくる住人達一人一人を見つめた後に、二人の横で笑みを浮かべるサファルに視線を移す。
「サファル……お前、ここについてどれくらい知ってる」
「軍さんが実権を握ってからの事でしたら一通り」
メイに聞かれるとサファルは普段と変わらない調子で淡々と応えた。
「そうか、なら今ここの人達がどういう状況なのか説明してもらえるか? 軍に直接関わることじゃないから無償で教えても問題ないはずだろ」
サファルが事情を知っていると聞いて、メイは急かすように問い詰める。
「……では歩きながら話しましょうか、軍のアジトまではもう少しかかりますから」
二人は軍のアジトへ向かいながら、この集落で起きていることに付いてサファルから説明を受けることにした。
「ここらへんの集落がこうなったのは、お二人が思っているとおり軍さんの仕業です……」
道行く人や通り過ぎる民家の中から鋭い視線を向けられながら、サファルはいつもの漂々とした笑みを浮かべながら二人に説明を始めた。
「元々ここら辺は町の中心から離れている事や、『民盾会』のアジトがあることも関係して警察も手が出しにくく治安はあまりよくありませんでした」
「確かに街外れに来てから警察やパトカーを見てないな」
二人はサファルに言われて、ホテルを出てから今まで警察やパトカーを一度も見ていないことを思い出す。
「ただ治安が悪いと言っても商売好きで日本の関西人に近い明るい人達が多く、『民盾会』も薬物の売買など黒いこともしてましたが喧嘩の仲裁をするなどこの集落の秩序を保つ自警団の様な役割も担っていました」
「……どうしてそんな場所が、今はこんなどんよりとして活気がなくなったんだ?」
今の集落の雰囲気から、サファルの話の様な場所だったとは想像しにくくメイは思わず聞き返した。
「なぜそうしたのかの理由はわかりませんが……一ヶ月くらい前に急に民盾会が集落の人達からお金を取る様になったんですよ」
「金?」
メイが思わず聞き返すと、サファルは歩きながら道脇にある民家の方を向いて続きを話した。
「はい、お金です。民盾会は住民に対して『統治代』と称してかなり高額の請求を行いました。急に言われたことですから当然払えない人も出てきます……」
サファルは二人に対して説明を行いながら、少し先にある外壁がボロボロになり窓や入口のガラス戸が割れた廃墟を指さした。
「あの廃墟見えますか? いつ頃住人が出ていったと思いますか?」
「いつ頃って……あの廃れ方は、少なくとも一年以上は経ってるだろ」
サファルの質問の意図がよく分からなかったが、メイは一応目測を立てて回答した。
「三日前です」
「えっ?」
「あの家から住人が出ていったのは三日前です。一応言っておきますがあの家は一週間前は他の家と変わらない普通の家でした」
サファルの説明に驚いて、メイとライは思わず廃墟と他の家を交互に見比べる。
「あの家に住んでいたのは老夫婦で、貯金を切り崩して最初の『統治代』は払えたようですが……」
サファルは廃墟について話しながら、二人の方に振り向く。
「あなた方との戦いに備えて民盾会が行った追加の徴収を払えなかったようで、一週間前から金目の物を没収されたり急かすために家の一部を破壊され最終的には三日前にアジトにある労働施設へと送られてしまいました」
「……」
廃墟となった家に住んでいた老夫婦の一件に、直接ではないとは言え自分達が関係していると言われて二人は気分が重くなる。
「まずこれがこの集落に漂う廃れた空気の原因です。そして次は先程からむけられている鋭い視線と、メイさんを怒鳴り付けた母親に付いてですね」
気分が重くなって二人の表情が暗くなったのを確認してニヤリと笑うと、サファルは説明をしながら再び前を向いて歩き始めた。
「さっき説明したように今ここの住民は、『統治代』と称される大金を民盾会に払わさせられています……ただその『統治代』を免除される方法が一つだけあります」
そう言いながらサファルは、遠くの民家の窓から自身を見ている人物と目を合わせてニコリと微笑んだ。
「その方法は外部からきた不審者や怪しい行動や民盾会に対して反抗的な言動をした人間を密告すること」
「……密告」
「密告」という言葉を聞いただけで、二人は何となく自分達に向けられる視線の理由を察した。
「密告した者は『統治代』の免除に加え、民盾会から報奨金がもらえます。ただそうは言っても住人たちは知り合いを売ることを躊躇って最初は密告しませんでした。しかしお金に困った一人目の密告者がでた瞬間に状況は一変します」
サファルの説明を受けて二人は、自分達に向けられる視線の主達を見つめ返す。
「全員が『統治代』を免れるために密告をするようになり、密告をする対象を探すために家の窓際に常に座って身近な人間同士で監視し合う様になりました。これが今僕達に向けられている視線の正体です」
「……それで、密告された人はどうなるんだ?」
視線の正体に付いてはわかったが、先程の母親があそこまで焦っていた理由が分からずメイは質問する。
「密告された人は払わされる『統治代』の額が数倍になります。何倍になるかは内容によりますけど、一番低い倍率でも到底一般人が払える様な額じゃありません。そして払えなかった人はさっき話した老夫婦のように――」
「……労働施設へ送還される」
サファルが廃墟の前で話した内容を思い出してメイが呟く。
「はい、『統治代』を払えなかった人は民盾会のアジトにある労働施設へ送られて奴隷の様に朝から晩まで強制的に働かされます」
「だからあの母親はあんなに焦ってたのか……よそ者の俺達と子供が話してる所を密告されたら一家全員が労働施設へ送られるから……」
サファルから軍がこの集落でしている事を聞き、二人は衝撃を受けると共にそれを打ち消す程の怒りが湧いてきた。
「とんだクソ野郎だな、軍って奴は。歴史上の暴君や独裁者みたいなことしやがって」
サファルの話を黙って聞いていたライだったが、軍のあまりに酷い支配の仕方に我慢できなくなり思わず怒りを口にした。
「あぁ……元々容赦なく殺すつもりだったけど、今の話を聞いてどこか残ってた殺すことへの躊躇いも無くなったよ」
強い殺気を放つ二人を見て微笑みながら、サファルはその場で足を止めた。
「お二人とお待たせしました……ここが軍さんの根城、民盾会の本部です」
三人が立ち止まったすぐ傍には、今まで見てきた民家十倍以上の敷地に映画に出てくるような黒い瓦屋根に白い外壁をした巨大な屋敷が建っていた。
「ここが……」
軍のアジトに到着して、メイとライは固唾を飲んで屋敷を見上げる。
「どうします、このまま正面から入りますか? コッソリ侵入したいなら裏口を案内することもできますけど?」
サファルにそう聞かれると、二人は真剣な顔をしたまま首を横に振った。
「いや、正面から堂々と乗り込むよ。あいつは正面から叩き潰してやりたいから」
メイは屋敷をじっと見据えたまま、サファルに応えた。
メイの返答を聞くとサファルは二人に軽く頭を下げる。
「わかりました、では道案内はこれで終了ですね。僕は戦わないのでここでお別れとさせてもらいますね……では――」
サファルは軽く頭を下げたまま二人に別れを告げると、すぐに神器を発動して風の様に消えていった。
「……行こうか、ライ」
サファルが去ると、メイは右手をアジトの正面を固く閉ざす巨大な木製の扉にかざす。
「……うん」
ライも同じように左手を扉にかざす。
「「……ふぅー」」
二人が深呼吸をして同時に木製の扉を押すと、ゆっくりと扉が開いて行くのであった。