⑳新しい人が現れました
先生の言葉のすぐ後でした。
ドタバタと廊下を駆け抜ける足音が聞こえます。
「旦那様こちらです!」そういいながら誘導する人と共に、一人の男性が現れました。
先程の公爵夫人の髪色とは全く違う深海を思い起こさせるような深い藍色を靡かせながら、その人はやってきました。
「メアリー!!」
耳を擽るような低い声。
そんな声で、余程急いでいたのか汗を流しながら私の名前を叫ぶのです。
ツカツカと長い脚でその人が歩くので、扉から私が横たわるベッドまではすぐでした。
「メアリー……」
男性は私をみて、眉を寄せました。
とても辛そうな表情は見ている私の方が胸が痛みます。
ふと男性は手を伸ばしました。
私に伸ばされるその手に、私は何故か恐怖を感じました。
痛いと悲鳴を上げていた頭を誤魔化し、体を咄嗟に動かすと痛みで声が洩れましたが、私に近づけていた男性の手が止まります。
「………どういうことだ…」
先程よりも低い重低音は、心地いいというよりも恐怖が占めました。
同じ人から発せられている筈なのに、こんなにも印象が違うことはもう尊敬しかありませんでしたが、私もメイドもそしてシェフもガクガクと体を震わせていました。
唯一、イルガー先生は平然とした面持ちで、にこやかに窓の傍に立っていました。
「どっちでもいい、説明しろ」
男性が指示を出すとドンという音が聞こえました。
頭を持ち上げて何とか二人がいる方向に目を向けると、二人は膝から下を床に付け、頭を深々と下げていました。
そんな二人の姿が見るに堪えず、私は勇気をもって声を掛けました。
「あ、あの…このような体勢のままで申し訳ございません、…二人を許してあげていただけませんか?
この方々はなにも悪いことはしていないと思うのです」
「…なんだと?」
「私には目が覚めてからの記憶しかありませんので、詳細を説明することは出来ませんが、私が目が覚めた時メイドの方は布を桶の淵に掛けた状態で部屋へと戻ってきました。
恐らく私の看病をする為です。そしてそちらのシェフの格好をした男性は私をここまで運んでくれた方と…認識しております」
私は推測ではありましたが、考えられる状況を伝えました。
シェフの男性が実際に何をしていたのかを具体的に説明されていませんが、メイドの方にもイルガー先生にも流石に私を持ち上げることは出来ないでしょう。
それにイルガー先生はこの屋敷に案内された。と仰っていました。
公爵家の主治医を務めているという言葉から、ここは公爵家ではなく、その為招き入れる人が必要です。
もしかしたらあのシェフの方が、私をベッドまで運んだあと、イルガー先生を呼んできてくれたのだと私は思いました。
勿論どれも推測ですが。
「記憶が、ない?」
「は、はい。ございません」
「では、君は、俺の事も、わからない、のか?」
どこか縋るような、そのような思いが込められた瞳が不安そうに揺れながら私を見つめて来ました。
イルガー先生の情報から考えるとここは公爵家ではないということは確信してもいいと思います。
ではどこか。
公爵夫人と呼ばれた女性がいらっしゃっていた、そしてイルガー先生をこの屋敷の方々が頼りにしたということは、公爵家に関わる方が住む屋敷という事。
そして私はメイドの話からするに婚姻をしているということ。
でも公爵夫人の様子からすると、私は公爵夫人の血縁者ではないと思うのです。
普通家族ならば、心配の言葉が先に出てきてもおかしくありません。
それなのに第一声が仕事をするようにという言葉では、家族というのもあやしいでしょう。
では公爵夫人の息子さんが今目の前に立つ男性なのでしょうか?
「…………」
私はじっと男性を見つめます。
公爵夫人は紫がかった黒髪をしていましたが、目の前の男性は深い藍色の髪色をしています。
明暗の括りで言えば同じでしょうか、受ける印象が全く違うのです。
それに顔立ちも公爵夫人はまるで狐のような印象を受けますが、この方は違います。
まるで狼のようなキリッとした力強さとでもいうのでしょうか。
とにかく似ている部分を見つけようと思いましたが、あまりにも似ていませんでした。
目の前の男性が夫人ではなく父親似という可能性も捨てがたくはありますが、一般的に男性は母親に似るといわれています。
となれば公爵家の御子息ではないという事は、私の夫でもないということ。
それなのに親し気に名前を呼んでいるということは、友達、という関係だったのでしょうか?
それとも幼いころから交流があった幼馴染のような関係?
とにかく、男性の方が公爵家とは関わりのある方ではないと結論付けた私は悩んだ末答えました。




