アマサスの二か国語テキスト
本稿に登場する米国の考古学者、サイラス・ゴードン博士は、1980年代初期に、エジプトのルクソールからカイロへ帰る飛行機の中で、偶然、父と隣の席となって会話が始まり、古代文明につき種々、見解を披露した由です。
これは1914年、ドイツ人の研究者Ernst Sittigが、キプロス南西部、アマサス(Amathus)地区にて、リマソールの骨董品店で手に入れた黒い大理石の石板である。彼が写真入りで公表した後、米国に運ぶ途中で失われた由で、その後の研究は、全てこの写真が根拠と思われる。ICS196は、フランス人の研究者O.Massonの付した番号。「Eteocyriot Oxford Classical Dictionary」で検索すると解説が得られる。
元々、1913年、アマサスのアクロポリスで発見された由。ギリシャ文字とキプロス音節文字で記述された2か国語テキストであり、J.チャドウィックが「線文字B 古代地中海の諸文字」の中で取り上げている。
アマサスは、ギリシャの歴史家ヘロドトスの「歴史」によれば、キプロスでアケメネス朝ペルシャに対する反乱が起きた際、最後までペルシャに忠誠を示し、協力を拒否した特異な土地である。
フランスの研究者Thierry Petitは、2007年、ニコシアのシンポジウム「From Evagoras to the Ptolemies. Cyprus in the 4th century B.C.」に提出の論文「The Hellenization of Amathus in the 4th century B.C.」(紀元前4世紀のアマサスのギリシャ化)の中で、アマサスには、貨幣や原典から6人の王が知られているが、ギリシャ語が公用語となったのは、最後のAndrokles王がアレクサンドロス大王に忠誠を示した、紀元前332年以降としている。
この他に2点、ギリシャ語と現地語の2か国語テキストがあり、両方ともAndrokles王の時代(前332年‐前312年頃)に由来するので、ICS196も同時代と推定される。
1.ギリシャ文字
Η ПΟΛΙΣ Η АΜАΘΟΥΣΙΩΝ ΑΡΙΣΤΩΝΑ
ΑΡΙΣΤΩΝΑΚΤΟΣ ΕΥΠΑΤΡΙΔΗΝ
米国の研究者 C.ゴードン (Cyrus Gordon) のローマ字変換と英訳は、次の通り。
He polis he amathousion Aristona Aristonaktos eupatriden
The city of the Amathusans (honored) the noble Ariston (son) of Aristonax.
アマサス市の人々は、アリストナックスの令息アリストンに敬意を表した。
2.キプロス音節文字
キプロス音節文字の方は、未解読のまま、C.ゴードンにより次の通り、右から左の方向で、ローマ字に変換されている。冒頭のAは、HAとも読める由。
(参考)C.ゴードン「古代文字の謎」(津村俊夫訳。社会思想社。初版1979年)
[文字列1]
A/HA-NA-[・]- MA-TO-RI-[・]- U-MI-E-SA-I-MU-KU-LA-I-LA-SA-NA-[・]-A-RI-SI-TO-NO-SE-[・]- A-RA-TO-WA-NA-KA-SO-KO-O-SE
[文字列2]
KE-RA-KE-RE-TU-LO-SE-[・]-?- TA-KA-NA-?-?-SO-TI-[・]- A-LO-[・]- KA-I-LI-PO-TI
[・]は、記号と記号の間の中ポツ。「?」は音声不明の個所。
3.文字列1の日本語訳
(1)欠落部分の補充
文字列1の中ポツ「・」の個所を、線文字Aの場合と同様に「い」、「や」、「し」、「の」で補えば、次の通り。
A/HA-NA-[NO]- MA-TO-RI-[JA]- U-MI-E-SA-I-MU-KU-LA-I-LA-SA-NA-[NO]-A-RI-SI-TO-NO-SE-[JA]- A-RA-TO-WA-NA-KA-SO-KO-O-SE
(2)素直な解釈
花の祭りだ、アクロポリスから、海へさ、イムクライ(出向こう)。らさな(成果/子種)(の)アリストン乗せ(や)。アラトワナカ/アラト王 (の)子押せ/ 支持せよ。
Let us head for the sea from the Acropolis of Amathus on the festive day of flowers and lend support to Ariston (on that boat), son of Aristonax/ King Aratus.
石板の発見された、アマサスのアクロポリスは、海を見下ろす、見晴らしの良い高い丘にある。「アリストンを乗せた船が見えたぞ。アマサスの海岸へ降りて、かつげ、歓迎しよう!」との呼びかけと思われ、アラトワナカをAristonaxとすれば、C.ゴードンによる、ギリシャ文字の英訳と符合する。次の指導者として、現国王の息子を支持する宣伝文句だろう。
ミケーネの王は、ワナックス(wanax)と呼ばれていたので、アラトワナカをアラト王とする事も可能だが、Thierry Petit が正しければ、この当時の国王はAndroklesなので、アラト王が誰を指すのか、検証すべし。
なお「イムクライ」は、日本語として違和感があるが、弥生時代の日本語を再現すれば、移動を表す動詞の前には「イ」が加えられる場合があった由。
(3)音価を修正した場合
(ア)文字列1は、基本的に上記(1)の通りですが、MA(4番目)とSE(末尾と、末尾から12番目)は、キプロス音節文字の50音表には無い、曖昧な記号である。そこでMAの記号に付き、上部の斜め十字をLO、支えをSIとして、合成記号SILO。またSEにつき、KEから斜線を1本抜いた(KENASI、転じて)KESINA、あるいはKESEと読み換えれば、次の通り。
A/HA-NA-[NO]- SILO-TO-RI-[JA/NO]- U-MI-E-SA-I-MU-KU-LA-I-LA-SA-NA-[NO]-A-RI-SI-TO-NO- KESINA /KESE-[JA]- A-RA-TO-WA-NA-KA-SO-KO-O-KESINA/ KESE
花の白鳥や/(オネシラスの)城取りの海へさ、出向こう。子種のアリストンを消しなや/消せや。アラト王を泣かそう、子を消しな/消せ。
From the heights of the flowery swan(s), let us head down for the sea of Amathus, known for the siege by Onesilus. Go kill the offshoots, Ariston. Make King Aratus cry, by killing his heir.
趣旨が大きく変わり、アラト王の息子暗殺を教唆する内容となる。オネシラスとは、アケメネス朝ペルシャに対する「イオニアの反乱」が起きた際、キプロスで各地域を動員しようとした、サラミス王のオネシラス。アマサスで反対に遭い、海上から攻撃した由。SILOの記号を漫画とすれば、断崖の上の屋根に見える。
(イ)冒頭の「花の白鳥」とは、高台から海を見下ろす、絶景のアマサスのアクロポリスに置かれた、高さ1.85メートル、重量14トンの白く、巨大なボウルを指すだろう。昔は、この様なボウルが2つ置かれ、象徴的な存在だったが、その後、片方は仏に運ばれ、ルーブル美術館に展示された。アクロポリスに残った、もう片方には、YouTubeの番組を見ると、把手の部分に菊の紋章が彫ってある。従って「花の白鳥」は「アマサスのアクロポリス」と解釈できる。
(注)Journal of Mediterranean Archaeology 12.1 (1999)のThierry Petit論文「Eteocypriot Myth and Amathusian Reality」の図2は、アマサスのアクロポリスで発見された白い器ボウルの写真で、右からA[・]NA[・]MAと刻まれており、記号の間の短い縦棒2本で、2つの巨大な白いボウルを表したのだろう。
(参考)逆方向
左から右へ読めば、次の通りに読めます。左端の記号を「しろ」と読み換えた。
しろ おこそうかなわ とらあし けなしの としり あの なさらい らくむしさえ みう りと しろのなか
「城を起こそうかな」は、トラ足(酔っ払い)で毛無しの、トチリ。あの運動は(能天気な)楽虫さえ、「身売りだ」と、城の中。
“Let me wake up the castle,” is a mistaken call by the hairless drunkard. The campaign is seen as a betrayal by even the most uninitiated, and they stay inside the castle.
NY・メト美術館の三角形の石板には、頭頂部まで髪を失った人物が登場し、刻まれたキプロス音節文字を読むと、オネシラスと判明する。従って「毛無し」とは、オネシラスと推定される。
4. 文字列2の日本語訳
(1)C.ゴードンが、右から左へローマ字転換した文字列で、5つ目の「小屋」形の記号は、TU でなく合成記号で KOYA/YAKO。7つ目の記号は、文字列1のSEに準じて SINAKE/NAKESI。最後の記号は、TIでなく、TIWOだろう。すると次の通り。
KE-RA-KE-RE-YAKO/KOYA-LO-SIKENE/NAKESI-[SI]- TA-KA-NA-?-?-SO-TI-[NO]- A-LO-[I]- KA-I-LI-PO-TIWO
ヘラクレスや、殺しかねし/この野郎、泣かしたかな/知ったかな(?)(?)そち(の)習い/呪い、帰り路を/ポチを。
Hercules, we might not hesitate to kill you/ you idiot! Did we make you cry? / Now you must know. Take the lesson/ meet the curse and become a poodle on your way back.
(2)アマサスは、ヘラクレスの子供アマソス(Amathos)が設立したとされ、ヘラクレス信仰があった由。然るに「ケラケレ」は「ヘラクレス」と推定され、ギリシャ語テキストに登場する、アリストンの様な、ギリシャ系指導者で、アマサス到着時には威張っていても、現地で教訓を得て、大人しくなれ、との趣旨だろう。
アマサスは、キプロスの諸王国の中でも、長年、アケメネス朝ペルシャに忠誠を示していた。しかしアレクサンドロス大王がペルシャを滅亡させ、彼の死後、ヘレニズム時代に入ると、キプロスは、ギリシャ人の支配するエジプト・プトレマイオス王朝の一部となった。アマサスでは、ヘレニズムの潮流が伝統、文化、言語を損なうと受け止め、反発していたのだろう。
(参考)逆方向
今度は、SIKENAをKESINA/SINAKE、KOYAをKOSIとして左から右へ読めば、次の通り。
WOTI-PO-LI-I-KA-[・]-LO-A-[・]-TI-SO-?-?-NA-KA-TA-[・]-KESINA/SINAKE-LO-KOSI-RE-KE-RA-KE
おちぶれ いかやろう あやしそう??なかった やけしな/いしなけろ こしれ けらけ。
落ちぶれイカ野郎。怪しそう……無かったし、焼けて死ね/石投げろ。子を知れ、ヘラクレス。
The fallen squid-man. He is sinister and without……let him burn to death/ throw stones at him. Recognize your children, Heracles!
ヘラクレスの最後は、騙されて、倒した相手の毒が仕込まれた衣を身にまとってしまい、その苦痛に耐えきれず「焼き殺してくれ」と人に頼み、壮絶なものだった。
(注)ギリシャ人(ホメロスの言う、Achaians)を「イカ野郎」と呼んだとすれば、ギリシャ戦士の兜に特徴的な飾りに着目した結果。あるいは、この世の権威を「北のタコ」に求めていた場合、権威ぶるギリシャ人を「タコならぬ、まがい物」の意味で「イカ」と称した可能性があり、これは「イカもの」に通じるだろう。
5.結論
この石板のキプロス音節文字には、独創的な合成記号が混じっており、キプロス祖語(古代の日本語)を良く理解し、これらの合成記号が読めない限り、本来の政治的な意図は察知困難である。
作者は、仮にこの石板が、ギリシャ系住民の手に落ちても「抵抗するつもりはない」と言い抜けるため、キプロス音節文字を読解困難にし、ギリシャ語の記述は、文字列1だけに対応し「アリストンとの来訪者に敬意を表した」旨にとどめている。
(参考)オネシラスの石板(NYメトロポリタン美術館の所蔵。紀元前3世紀)
右側に、肩をはだけた男性の半身像が描かれ、左側に、キプロス音節文字が3段。男性の衣服や文字列が、赤く塗られている。左側の斜め半分が欠落。文字列をローマ字転換すれば、次の通り。
(上段)A RO O SI NA O
(中段)KA I TO SALO TE NE SO
(下段)TE LO KA I TO
右から左へ「オネシラスは、すねて去ろうとしているのか? ……と怒りながら/問いながら」と読める。
ヘロドトスの「歴史」第5巻によれば、(紀元前499年)アナトリアでアケメネス朝ペルシャに対する「イオニアの反乱」が勃発し、キプロスでは、サラミス王のオネシラス(Onesilus)が首謀者となり、島全体を動員しようとしたが、アマサス王国が例外的に拒否したので、オネシラスはアマサスを攻撃。その後、反乱は鎮圧され、彼は殺害された。従って石板の男性が、オネシラスであり、アマサス産の物だろう。