十二
五歳の頃のことだ。
その年の暮れ、私は父母と共に二人の故郷である岸村を訪れていた。
本格的な和解を果たしたし正月は郷里で迎えようということになったのだ。
父が仕えている豪族の方も快く父を送り出してくれた。
何なら土産もたんまり持たせてくれた。家族が和解できたのは良いことであると。
『……帰って来るんじゃなかった』
ただその年の冬は全国的にかなりの寒さで降雪も酷かった。
岸村も例に漏れずガン降りで寒さが嫌いな父がそうぼやくぐらいだった。
しかし当時の私は子供。加えて強い霊力を備えていたからな。
『わひゃあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!』
そりゃもう大はしゃぎよ。
現代と違ってロクな防寒着もないが強い霊力のお陰で大した寒さではなかった。
今のように自由自在に気を操れるわけではないが生存本能というやつだろう。
肉体が適応できるようにと勝手に身体を強化していたのだ。
そういうわけで私はその日も大はしゃぎで大雪の中を駆けまわっていた。
新年が近付いているという高揚感もあったのだと思う。
村の子供たちですらいやもう家にいるわ……と引きこもっていたがお構いなしだ。
『あばばばばばばば!!』
奇声を上げながら走り回り、私は村はずれの廃寺に辿り着いた。
今両親の菩提を弔ってもらっている寺とはまた違う寺だ。
何かあって曰く付きとなり廃棄され近付く者は居なかったが私は気にもしていなかった。
散歩に出てはしゃぐ柴犬の如く寺の周りを駆け回ってから突入。
『……』
女人が居た。黒い黒い女。
本堂の片隅で己が身を抱くように蹲っている彼女は緩慢な動きで顔を上げた。
闇で塗り潰したような虚ろな瞳が幼い私を射貫いた。
しかし、何を言うでもなく直ぐに彼女はまた俯いてしまった。喋るのも億劫だったのだろう。
場所が場所だし長い長い黒髪も相まってすわ幽霊かと思っても不思議ではないが幼い私は恐怖などまるでなく、
『ぁ』
迷わず彼女を抱きしめていた。
『なに、を』
『さむそうだから』
女の頭を抱え母がそうしてくれるように撫でた。
子供だったからどうしてそんなことをしたのか自分の中で明確に説明はできなかった。
ただ幼いながらに、ものを知らぬ子供ながらに感じるものがあったのだろう。
こうするのが正解だと、特に根拠もないまま信じ切っていた。
『……そう』
『うん』
どれだけそうしていたことか。
今なら分かるがあの時の私は彼女を温めようと無意識のうちに陽気を放出していた。
知識も技術もない子供がそんなことをすれば普通はガス欠になり命の危険だってあった。
だが幸いにして人より霊力が多い私は精々眠くなるだけで済んだ。
気付けば私は眠っていて心配して私を探しに来てくれた父に起こされた頃にはもう彼女はいなかった。
それからも気にはなっていた。岸村滞在中は折を見て寺に足を運んだが結局、一度も会うことはなかった。
「あの時のお姉さん、ですよね?」
「……覚えて、いたのね」
「はい。常に意識していたわけではありませぬが心の片隅で気にはなっていたので」
「その割には最初はそうと気付いていなかったようだけど。髪を切っただけよ、私」
咎めるようなジト目。
みちる殿の言うように外見的な変化は髪型と服装ぐらいのもの。
年齢的な変化は一切見られない。老いが緩やかなのは……気にはなるがそういう事例もないわけではない。
強い霊力を持っている人間は老化が遅くなるし、何らかの秘術でなどという可能性もある。
私が見る限り強い霊力は感じないが、隠の技術に長けているのなら不思議ではない。
それはともかくだ。気付けなかったのは忘れていたからではない。
見た目は殆ど変わっていないのに気付けなかったのは別の理由だ。
「だってあなたが幸せそうだったから」
「――――」
また、みちる殿の目が大きく見開かれた。
だがそんな自分を恥じたのか目を伏せ変わらず抑揚のない声で言った。
「こんな時間に無縁仏相手に鬱々と経をあげているような女が、幸せ?」
華やかな着物も煌びやかな装飾品もなく化粧っ気もない。
陰鬱な黒衣に身を包みふらふらと夜中、出歩く女。客観的に見れば幸せとは言い難いのかもしれない。
「物的な充足を否定するつもりは毛頭ありませぬ。それは十分幸福に寄与しているでしょう」
私もそう。ついこないだも漲る物欲でほっくほくだった。
ああそうとも。決して否定はしまい。
「ですがそれは心の充足が前提にあってこそのもの」
以前、任務でとある貴族の旅行に護衛として就くことがあった。
退魔師の仕事じゃないと? その通り。だが退魔師は百鬼夜行はぶった斬れてもおちんぎんへの勝率は低いのだ。
外道働きを強制されるとかでない限り退魔衆へ金を支援してくれる相手には強く出られない。
……話がずれた。私はその家の嫡子と縁を結んだが彼は決して幸せではなかった。
今日生きるのも精一杯な人間からすれば殺したいほどに物的な充足を得ている。
だがそこに心の充足はなかった。本当に必要なものを彼は持っていなかった。
食べることにさえ事欠く人間はお腹いっぱい食べるだけで幸せになれる。
だがそれは食事が体だけでなく心を満たしたからだ。
お腹いっぱい食べたいという希望がまず心にあり、食べることで腹と一緒に心も満たされるから幸せになれる。
「では心の幸せとは何でしょう」
僧に説くような話かと苦笑が浮かびそうになるが噛み殺す。
みちる殿がじっと私の目を見つめているから。
真剣なまなざしを向けられているのに茶化すのは違う。
「心の寄る辺、と私は考えます」
愛、希望、夢、言葉も形も様々だが心を支えるそれが存在することが幸せなのだ。
「幼い私があなたに理由を問われて返した言葉を覚えていますか?」
「……さむそう、だから」
「はい。あの時のあなたは心の冷たさに震えておられた。ここで晒されていた縁なき骸と同じように」
幼い私には冬の寒さも理由の一つであったと思う。
だがそれ以上に寄る辺なき心に吹き付ける現実の風に凍えていたように思えたのだ。
今でこそ言語化できているが当時は自分自身ちゃんと理解できていなかった。
だがそんな幼い私にとっても寄る辺なき孤独の冷たさはとても悲しいことだというのが分かった。
だから少しでもその心が温まるようにと抱きしめたのだ。
私は知っていた。母の温もりを。父の温もりを。抱きしめられると心が温かくなる。
少しでも凍える心が温まりますように。私の熱が生を諦め死を望む彼女がまた歩き出すための一助となりますように。
そう、願った。
「今のあなたは寄る辺を得られたように見受けられます。恐らくは唯一無二の何かが」
私にとっての寄る辺は沢山ある。
清明のような親友、亡き父母、龍一たち退魔衆の戦友たち。
皆という名の寄る辺があるからこそ私は幸せでいられる。
だが多ければ多いほど良いというものでもない。唯一無二の絶対というのも一つの正答だ。
ようはその人間の心に合った形であれば良いのだ。
そしてみちる殿はそれを見つけられた。
「……そうね。見つけられたわ。“貴方のお陰”で」
「それはよう御座いました。まあ、そういうわけで直ぐには気づかなかったのですよ」
心しか見てねえのかテメェは、と言われたらごめんなさい。
いやでも私にとってはあの時の印象があまりに強過ぎたのだ。
心の在り方というのは見た目にも出てしまう。パーツはさして変わっていなくてもやはり記憶とは重なり難いのだ。
「いや言い訳ですな。申し訳ない」
「良いわ。貴方はそういう人だもの」
「ご温情感謝致しまする」
懐のでっけえ女子である。
「一つだけ、と言っておいて何ですがもう一つだけよろしいか」
「ええ」
「みちる殿。あなたは今、幸せですか?」
何を、と思うかもしれないが私は欲張りだからな。
しっかりと言葉で教えて欲しいのだ。
「ええ、幸せよ。とても、とても」
「嗚呼、良かった。本当に良かった」
「――――」
またしても大きく開かれる目。
そりゃそうだ。少し関わっただけの赤の他人にこんなこと言われても戸惑うだけだろう。
でも嬉しいものは嬉しいのだ。孤独に震え凍え切ったその心に春が訪れたという事実が。
「ありがとうございます」
「……何故、貴方が感謝をするの? それはこちらが伝えるべきだと思うのだけど」
「ほろ苦い冬の記憶が温かな思い出に変わった」
これから先、あの時のことを思い返しても胸が痛むことはない。
みちる殿は今、私の憂いを一つ取り去ってくれたのだ。
「だから感謝を申し上げたのです」
「……小さな貴方は今も変わらず貴方のままなのね」
「はっはっは」
未だ縁殿へかける言葉は見つからないが気分が軽くなった。
変に煮詰まった頭で考えるよりはマシ、ということにしておこうか。
「では私はこれで」
「待って」
今度は私が呼び止められた。
「どうなされた」
「……顔」
「うん?」
顔面偏差値チェック?
「ここに来た当初の貴方は何か、深刻な顔をしていたわ」
「ええ、まあ少し悩み事がありまして」
「話ぐらいは聞いてあげられるわ。……あの時のお礼、というわけではないけれど」
何と。
「僧の真似事をしているし少しは力になれる……かも」
嫌なら別に良いわ、とみちる殿。
「まさか! そういうことでしたら少し話を聞いて頂けますかな?」
「ええ」
「実はとある事情で罪悪感に胸を痛める少女がおりましてな」
詳しいことは伏せつつ事情を説明すると、
「?」
みちる殿は心底不思議そうに小首を傾げていた。
何だろう。えらく可愛いなこの人。
「まあ、こんなことを言われても困り」
「何故、貴方が悩んでいるのかが分からないわね」
「はい? いやそれはいたいけな少女が胸痛めておるなら」
「違う。既に答えは持っているのに何故悩んでいるのかということ」
んんん?
「小さな貴方も今の貴方も変わらない。変わらず不器用なまま」
「は、はあ」
「それとも何? 貴方、自分が器用な人間だと思っているの?」
「い、いやそんなことは」
「なら簡単じゃない」
え? 何どういうこと?
「貴方が他人を救えるとしたらそれは貴方が心のままに思いを伝えることだけ」
小さく息を吐きみちる殿は続ける。
「そのやり方で誰もかれも救えるわけではない。
その真っ直ぐな心が逆に相手を傷つけることもあるでしょう。
光だけが万人の救いには成り得ない。これは当たり前のことよ。
善行は時に傲慢に繋がる。強い光を持つ貴方なら尚更。でも貴方にはそれしか出来ないでしょう?」
……。
「それ以外にないのならそうするしかないわ。だって、救われて欲しいのでしょう?」
通じるかどうかは分からない。逆効果になる可能性だってある。
それでも誰かの救いを願うのであれば自分にできるやり方でぶつかれとみちる殿は言う。
「あの冬の日に、小さな貴方が私を抱き締めたようにね」
みちる殿がそっと私の手は取る。
冷たい手。だけど握られた手から伝わる心が私の胸に熱を帯びさせていく
「少なくともここに一人。その一途な優しさで救われた女が居るわ」
だから大丈夫。淡い雪のような微笑みだった。
「……はは」
馬鹿の考え休むに似たり。私には私ができることしかできない。
そんな当たり前のことを言われるまで気付けないのだからつくづく愚か者だ。
だから、馬鹿は馬鹿なりに精一杯やってみよう。
「力に、なれた?」
「この上なく」
「そう。貴方にはちゃんと届くのね」
繋いだ手が解ける。
みちる殿はそっと私の頬を一撫でし踵を返した。
「またどこかで会いましょう」
「楽しみにしております」
その背を見送り深々と息を吐き出す。
「帰ろう」
そして眠ろう。
「ぐっすり寝て、たっぷり朝ごはんを食べて」
そして伝えよう。嘘偽りない私の心を。




