Ep.15 給与交渉
●前回までのあらすじ:
武器屋の店主は、店をつぶし女房にまで逃げられてしまい、酒場でのバイト生活を送っていた。
一年が過ぎた頃、酒場客の若くて地味な女経営者の投資で武器屋を再開することになった。
店舗の改修がすんだ時、偶然にも向かいの道具屋から店主の元妻が出て来た。
彼女は赤ちゃんを抱いており、その子が店主の子供だと言う。
地味な女社長は給与増額を条件に、元妻とよりを戻すよう店主に迫った。
店主は、迷いの中復縁を決断した。
しかし、契約書の取り交わし担当である営業マン風の男には、給与改定の話が伝わっていなかった。
●主な登場人物:
・武器屋の店主: 裏通りで武器屋をやっていた店主。経営に失敗し、女房にも逃げられてしまった。地味な女社長の出資で武器屋を再開することになった
・地味な女社長: いつも田舎くさい地味な服装の若い女経営者。どのような会社を経営しているかは明らかでない
・武器屋の元女房: 店主とは離婚したが、なぜか向かいの道具屋に
・営業マン風の男: 地味な女社長の部下。武器屋と本社を繋ぐパイプ役
武器屋店舗の会計スペースの奥の扉が開き、赤ちゃんを抱いた店主の元妻が出て来た。
「あら、おはようございます、どちらさまで?」営業マン風の男が朝イチで店舗に来ていたのだ。
店主は、元妻の服装が店に出るにしてはまだ整っていないことに気がついた。
「こちらは本部の担当のお方だ。社長の部下の方だよ。失礼のないようにな」
そして、店主は営業マン風の男に彼女が何者なのかを説明する。
「あの、こちらが元妻です。私が面倒を見ることになりました。すみません、こんな格好のままで」
「彼女が昨日そこの道具屋に居たとおっしゃってた例の?」営業マン風の男は、目をぱちくりさせている。
「はい。昨日、あなたがお帰りになった後ですね……」
店主は、昨日の改装作業が終了して営業マン風の男が帰った後、地味な女社長や元妻が現れたことを説明したのだった。営業マン風の男は、うすら渋い顔つきで店主の話をただ聞いた。
「……そうですか。社長から聞いた事と合わせて、だいたい掴めました」
話をしている間に奥へ戻った店主の元妻が、茶を淹れて来て営業マン風の男に出した。左肩に抱かれた赤ちゃんが彼を興味深そうに見つめている。
「どうもありがとうございます。可愛い赤ちゃんですね」彼の目は、元妻に抱かれた赤ちゃんに向けられた。
「ありがとう。そうでしょう?女の子なんですよ?」
元妻は体を少し捻って赤ちゃんの顔を営業マン風の男に向けた。すると、彼は何かに気がついたようだった。
「ええ。……おや?この子」
「どうかしたかい?」
横で見ていた店主が不思議に思って尋ねたが、彼は「いいえ、何でもありません」と答えるだけだった。
店主は自分の分のカップを受け取りながら、元妻に言った。
「そういやお前、昨日の給料の話が社長さんから伝えられてないんだってよ」
それを聞いて妻は目を丸くした。
「ええ?どういうことだい?ま、まさか、あの話は嘘だったのかい?」
営業マン風の男は、むせながらカップを口から離し、平手を出して制止するような仕草で元妻へ言った。
「ちょっと待ってください。その件は私も今聞いたんです。後ほど社長に確認しますよ」
元妻は営業マン風の男に近づいて、改めて赤ちゃんの顔をのぞかせる。赤ちゃんは涙の膜で覆われたつぶらな瞳をキラキラさせ、笑顔で営業マン風の男に目を合わせていた。営業マン風の男も、純粋な赤ちゃんの笑顔に釣られて自然と笑みがこぼれた。その表情を確認した元妻がさらに言葉を加えた。
「この子のこと可愛いって言ったろ?もし、お金が足りなくなって、こんな可愛い子がひもじい思いをしてもいいってのかい?」
「そうは言いませんよ……」さすがに彼も困った様子だ。
「じゃあ、担当さんから社長さんに一言声をかけてやっておくれよ?」元妻の懇願に合わせて店主も詰め寄った。
「私も、一気に家族が二人も増えると思うと、あの金額じゃちょっと心配です。サインした時は独り身でしたので……」
さらに店主は自分の頭を撫でながら言った。
「それに娘ができたとなると、今のうちから毛生え薬を使ったほうが良いと思います。そのためにも……」
営業マン風の男は、横目で店主の頭頂部に一瞬目をやったが、すぐに目を逸らした。
「お気持ちは分かりますが、それはどうでしょうか……」
「無駄だと言いたいんですか?」珍しく店主の声が強くなった。
「い、いやその……」営業マン風の男が対処に困ったが、間髪置かず突っ込んだのは元妻だった。
「無駄だよ」
「お、お前、どっちの味方なんだ!?」
「あんたの頭に金を使うんなら、この子やアタシの美容に使ったほうがいい……!」
「そ、そ、そんな……。でも、そうかもしれないな……」
営業マン風の男は、一瞬妻の顔に目をやったが、とてつもない速さで目を逸らした。そして、悲しくなった店主の顔を覗き込んだ。
「本当に納得するんですか?」
「訊かないでください!」店主は声は震え、上ずっていた。
その言葉の後、店一面が静まり返って混沌とした空気が漂った。その空気を断ち切るかのように、突然音が鳴った。
ドタン!チリンチリン。勢いよく店の扉が開いて、ドアに設置された呼び鈴が鳴ったのだ。開いたドアからは職人風の中年男が現れた。
「おう、武器屋!久しぶりだな。また店、始めるんだって?」
「工房の親方さん!」
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