第6話 急変
◆第6話 急変
公園の入口につくと、展望台へと続く長い階段が姿を現した。
「この階段、結構な勾配があるけど、大丈夫そう?」
「うん、大丈夫だよ」そう言うと幸はぎゅっと聡の腕を握りしめた。
「しっかりつかまっててね」
二人は階段を上り始めた――。
「わぁーっ!綺麗!!」彼女の瞳は輝いていた。
「何とか無事登りきることができたね。この展望台からは、横浜港の一面を見渡すことができて、ここから見える夜景はとても綺麗なんだ。ほら、あそこにはベイブリッジがあるよ」聡はその方向を指さした。
彼女の反応はなかった。
しかしその瞳はさらに輝きを増し、まるでこの展望台から見える夜景のすべてを見渡して、その美しさにとらわれているかのように思われた。
夜景、気に入ってくれたのかな――。
「ねぇ、幸。もうすぐ付き合って1年になるね」
「うん」
「一年前に告白したときに、幸が俺に言ってくれた言葉、覚えてる?」
「うん、覚えてるよ」
「あの……さ。こういうのは男の方から言ったほうがいいのかなって思って…」聡はカバンのファスナーを開け、DIARと書かれた箱を取り出した。そうしてその箱をゆっくりと開き、彼女の方に差し出した。
「花のネックレス……?」箱の中に上品にしまわれた透明のネックレスを見ながら、幸はそう小さく言葉を発した。
「うん。シロツメクサのネックレス。花言葉は『幸運』と『約束』。君の名前に含まれる『幸運』の『幸』と、1年前の『約束』を果たしたいという思いを掛けて、この花のネックレスを選んだんだ」
――しばらく彼女からの言葉はなかった。しかし彼女の顔には目から溢れ出た大粒の涙が頬をつたっているのがわかった。
彼女は頬の涙を指で拭った。そしてその唇はわなわなと震えていた。
「幸、最初は君の方から言ってくれた結婚の話だけど、今となっては俺も心から君とずっと一緒にいたいと思っているし、必ず幸せにすることを誓うよ。だから…僕と…結婚してくれませんか」
彼女は左手を右手の上に重ね合わせ、その手を唇の方へと持ってきた。そしてその手も僅かに震えていることを聡は察した。
「あの……ね……。私…聡くんに謝らないといけないことがあるの……」
青年の胸はひどくざわついた。この美しい夜景が一瞬にして暗黒面に染まってしまったかのような感覚を覚えた。
青年もネックレスの箱を持つ手が徐々に震え始めていることを自覚した。
「私ね……実は……」そう言うと、少しばかりの小さな静寂が訪れた。
青年は彼女の顔を見ることができなかった。
が、その言いかけた言葉の続きが気になり、勇気を振り絞って彼女の方へ顔をやった――。
彼女の手は真っ赤に染まっていた。そしてその紅色の雫がゆっくりと腕をつたって地面に落ちていく様を目の当たりにした。
青年は目の前で何が起きているのか全くわからなかった。ただ、彼女の鼻からは大量の血が流れ出ているという事象だけは目がとらえていた。
「さちっ!!大丈夫っ!?血が…血がでてるよ!!」
スッ――――――。
彼女の体が、力なくゆっくりと、それでいて直立した状態で真後ろに傾き始めた。
「あぶないっ!!」
聡はすぐに倒れかけた彼女の体をカバーするよう正面から抱き寄せた。その首は糸の切れた操り人形のように力なく垂れ下がっていた。
――――彼女は意識を失っていた。
◇◆◇◇◆◇
「隊員さん、こっちです!!」担架をもって足早に向かってくる救急隊員へ向かって聡は大きな声で叫んだ。
彼女は救急車に乗せられた。そうして救急隊員によって非常に手際よく、それでいて機械的に上半身の衣服がまくられ、心電図を取り付けるために下着が取り外された。
「脈は今のところ正常ですね」その言葉に聡は安堵した。そして、彼女の尊厳と自身の矜持のために、今の状態の彼女の体を見ないように心掛けた。
「付添人の方、お兄さんはこの方とどういった関係にあたりますか?」
「交際相手です」
「彼女さんはどのような感じで倒れられましたか?」
「大事な話をしていて……。その時急に彼女の鼻から大量の血が流れ出て、それから意識を失ったように倒れました」
「わかりました」救急隊員は無線でその状況を病院へ伝えているかのようだった。
「お兄さん、この方のご家族の連絡先は知っていますか?」
「いえ……。ご家族の方とはお会いしたことがないので知り…」その時、聡の頭には1年前に目にした赤色で白い十字のマークがついたカードケースのようなものが脳裏に過った。
「あ、あの、緊急連絡先が書かれたカードケースなら、彼女のカバンに入っているかもしれません」
「君の方でそのカードケースを探してもらえるかな」
聡はカバンの中を漁った。すると見覚えのある赤いカードケースがすぐに見つかった。
「あ、ありました!」そう言うとカードケースをすぐに救急隊員に手渡した。
「これは……ヘルプマークカード……。裏面にご家族のお名前と連絡先が書かれているようですので、搬送先の病院から連絡してもらうよう依頼します」
救急車のサイレンは夜道を赤く照らした。その音はまるで青年の心と共鳴するかのように夜の街に鳴り響いた――。