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弑逆の烽火

 草原の民にとって、狩猟は遊牧と並ぶ重要な生業(なりわい)であり、また軍事訓練としての意味を持つ。

 そして王自らが主宰する“御狩(おか)り”は、それらに加えて、王の指導力を示し一族の結束を固めるという重要な儀式としての側面も持っていた。


 今回の“御狩(おか)り”は、内にあっては後継者問題を巡る無節操さ、外にあっては東のズーン、西のバローンという二大勢力からの圧迫に対する無為無策により、いささか求心力が低下してきているトゥマンが、今一度ヒュンナグ王の権威を誇示しようというもの。

 そして同時に、ジムスを今回初めて“御狩(おか)り”に参加させ、傘下の氏族の者たちに後継者として認めさせようというものだった。


 ションホルは緊張の面持ちで、親衛隊(ケシク)の同僚たちと共に王太子(ボルドゥ)に付き従っていた。

 謀反の決行は今を()いて他にはないと、おそらくボルドゥも考えているだろう。

 結局、トゥマン王側の協力者を得ることはできなかった。

 サラーナから、ジムス王子とその側近に(つな)ぎが取れたとは聞いたが、それでも謀反を阻止しトゥマン王の命を救うには、戦力不足に過ぎるだろう。


(やっぱり、これ以外に手はなさそうだな……)


 ボルドゥがトゥマン王に鏑矢(かぶらや)を射かけた瞬間に、自分はボルドゥに向けて矢を放つ。父王を弑逆(しいぎゃく)しようとしたまさにその時に、自身が狙撃されるとは、さすがのボルドゥも思うまい。

 サラーナは、馬鹿な真似をするなと怒るだろう。だが、ボルドゥを討てるのならば命など惜しくはない。


 暗い決意を胸に秘めたションホルをよそに、狩りは進められていく。

 ジムス王子が見事に兎を仕留め、初めての獲物を王に献じるという流れになった時、ションホルの緊張は頂点に達した。ボルドゥにしてみれば、父王と異母弟を同時に討つまたとない好機のはずだ。

 しかし、ボルドゥは動かなかった。王の護衛と王子の護衛、両方が側にいる状況は、むしろやりづらいと判断したのだろうか。


「ジムス、次はもっと大きな獲物を狙ってみてはどうだ?」


 優しい兄の表情で、ボルドゥは異母弟に語り掛ける。


「そうだな。まだまだ日も高い。頑張ってみなさい」


 溺愛する末息子の筋の良さに、トゥマン王も上機嫌だ。


「手勢が五人ではいささか少ないかな? よし、俺の配下を何人か付けてやろう」


 親切ごかしにそう提案するが、真意は見え透いている。トゥマン王とジムス王子を分断した上で、(トゥマン)を討つと同時に(ジムス)も暗殺しようという腹だろう。

 この時ジムスに付いていたのは、例の姉妹と、やはりラムナル妃の氏族に連なる男たち三人。彼らを代表して姉妹の姉オルツィイが前に進み出て、


「お心遣(こころづか)い、感謝申し上げます。されど、我らだけで十分手は足りております(ゆえ)


 そう丁重に断ったが、ボルドゥも引き下がらない。


「そうは言っても、大物を狙うならやはり手勢は必要だろう?」


 確かにボルドゥの言うとおり、大きな獲物――たとえば群れで行動する野生馬などを狙うのなら、群れを追い込むのに手勢が五人では心許(こころもと)ない。


「では……お言葉に甘えさせていただきまして、三人ほどお貸しいただけますでしょうか。それと、厚かましいお願いではございますが、殿下の配下にはションホル殿という弓の名手がいらっしゃるとか。そのお方を付けていただけましたら、感謝に()えません」


 断るのは無理と判断したオルツィイが、妥協案を出した。ションホルが同志だということはサラーナから聞かされており、せめて一人でも味方についてくれれば、という判断だ。

 当のションホルも、自分の名前が出ていささか驚いたが、何としてでもジムス王子を守りたい彼の側近たちの立場も理解できたので、成り行きを見守ることにする。


 と、そこで突然ジムスが異を唱えた。


「いえ、兄上。そのような弓の名人はぼくにはもったいないです。兄上のおそばにあってこそ、真価を発揮できるというものでしょう」


 その言葉に、オルツィイは思わず(あるじ)の方を振り返る。何事か訴えかけるような眼差しで年若い(あるじ)をじっと見つめるが、ジムスは緊張の面持(おもも)ちのまま、兄と相対し続けた。


 主従の様子を、笑顔の仮面を張り付けたまま観察していたボルドゥは、さらに笑みを深めて言った。


「遠慮するな、ジムス。実を言うと、俺も最初からそいつを付けてやるつもりでいたのだ。それと、やはり三人では少なかろう。五人付けてやるから、存分に使いこなして見せるがいい」


 そこまで言われては、ジムス側もこれ以上拒み続けるわけにはいかない。結局ジムスは、異母兄(ボルドゥ)親衛隊(ケシク)を五人押し付けられることとなり、その中にはションホルもいた。


 こうなっては仕方ない。トゥマン王は見殺しにするしかないし、ボルドゥを討つ機会も他日を期するしかない。何としてでもジムス王子だけでも救い出し、ボルドゥに対抗する旗頭になってもらおう。

 苦渋の思いで方針を切り替え、ジムス王子に付いていこうとしたションホルに、ボルドゥがすっと寄って来て、耳元で囁いた。


「よろしく頼むぞ、ションホル。何をすべきかはわかっているだろうな」


「はい。心得ております」


 ボルドゥの意図は、ジムス王子を確実に仕留めろということだろう。ションホルの弓矢の技量はボルドゥの親衛隊(ケシク)の中でも一二を争う。それでジムス側が名前を挙げたのを幸い、刺客として送り込んだつもりなのだろうが。


(誰がてめえの思惑通り動いてやるか。()鹿()


 心の中で舌を出したションホルだったが、ふと振り返ってボルドゥがほくそ笑むのを見て、かすかな疑念が生じた。

 もしかして、ボルドゥはションホルの真意を見抜いており、(てい)よく遠ざけられたのではないか?


 いや、もし仮にそうだとしても、ションホルのやるべきことに変わりはない。

 ボルドゥが謀反を起こしたら、ともにジムス王子に付けられた四人を排除し、ジムス王子を逃がす。それだけだ。

 親衛隊(ケシク)の同僚たち個人に対しては、恨みは抱いていない。サラーナを射たのも、ボルドゥに命じられてのことだ。しかし、いざ互いに矢を向け合うような状況になれば、情に(ほだ)されるほどションホルも甘い人間ではない。


 ボルドゥとトゥマン王の一行の姿が遠くの点にしか見えなくなった頃、鏑矢(かぶらや)が唸る音が聞こえた。




 後継者にと考えている末息子が見事に獲物を仕留め、自身も毛並みの美しい狐をはじめ何匹かの獲物を仕留めて、トゥマン王の機嫌はすこぶる良かった。今回の“御狩(おか)り”は大成功だと言っていいだろう。


「これでヒュンナグ王の権威も高まることだろう」


 高揚した声でそう言った王に、王太子は()()えとした声で応えた。


「そうですな。新たなる(たけ)き王の(もと)、ヒュンナグの名は天下に轟くことでしょう」


「? 新たな?」


 ボルドゥの言葉に疑問を覚え、振り返った王が見たものは、自分に矢を向ける息子の姿だった。


「ご機嫌良う、父上」


 冷笑とともにそう告げるや、ボルドゥは鏑矢を放ち、そして何十本もの矢がトゥマンの体に降り注いだ。


「お、王太子! ご乱心召されたか!」


 驚き怒ってボルドゥに詰め寄ろうとした老臣の額に、彼が放った矢が突き刺さる。


「今この時をもって、ヒュンナグ王はこの俺だ。異議のある者は他におるか?」


 親衛隊(ケシク)に矢をつがえさせたまま、周囲を睥睨(へいげい)するボルドゥ。

 その継承の手段はともかくとして、知勇に優れた王太子(ボルドゥ)の即位を待ち望んでいた者も多く、命を賭してまで異議申し立てをしようという者は、他に誰もいなかった。




 鏑矢の音を聞いて即座に行動を起こした者は、ションホル以外に()()いた。

 ボルドゥの親衛隊(ケシク)の四人と、もう一人、元々ジムス王子の護衛に配されていた男たちのうちの一人だ。


 親衛隊(ケシク)の二人がションホルに矢を向ける。一瞬早く放たれたションホルの矢が一人を射倒(いたお)し、もう一人が放った矢はぎりぎりで(かわ)して、二の矢でもう一人も仕留める。

 しかし、その間に残る二人の親衛隊(ケシク)が放った矢が、ジムスの護衛の男たちの二人を射倒していた。

 そして、ジムスの護衛の男の残り一人――鏑矢の音を聞くや否や行動を起こした六人目の人物は、護衛対象であるはずのジムス王子に向けて矢を放ち、その矢はジムスの胸板に突き立った。


「殿下ぁ!!」


 (ツェレン)が悲痛な叫び声を上げる。そんな彼女に向けて矢を放とうとした親衛隊(ケシク)の男は、(オルツィイ)の矢で射倒され、主君が射られても一顧(いっこ)だにせず反撃してきたオルツィイに、信じられぬものを見たような目を向けたまま息絶える。それで我に返ったツェレンは、主君を射てなかば虚脱したようになっていた同僚に向けて矢を放つ。

 その間にションホルは親衛隊(ケシク)の最後の一人を仕留め、立っているのはションホルと姉妹の三人だけとなった。


「「殿下!」」


 オルツィイがジムスに駆け寄り抱き起す。


「追手が来る。手当てよりも逃げるのが先だ!」


 ションホルが叫ぶ。

 姉妹は(あるじ)に気遣わしげな表情を向けながらも、それぞれの騎竜(きりゅう)(またが)った。


 駆け出す前に、ツェレンは(むくろ)となった男を一瞥(いちべつ)し、悲しげに呟いた。


「チョローンバル、まさか裏切っていたなんて」


 ボルドゥに買収されたのか、それとも人質でも取られていたのか。

 しかし今はそんな詮索をしている場合ではない。姉に促され、その後を追ってツェレンは騎竜(きりゅう)の背を叩く。


 ションホルはジムスを自分の騎竜(きりゅう)の前に乗せて、左手で抱きかかえながら、右手で手綱を取り、姉妹にやや遅れて駆け出した。


 南にある天の山に向けて騎竜(きりゅう)を駆けさせながら、三人が後ろを振り返ると、十騎あまりの追手が追いすがって来ているのが目に入った。その先頭にいるのは、他でもないボルドゥだ。


 姉妹が振り向きざまに矢を放ち、二騎を脱落させたが、ボルドゥをはじめとする追手との距離は段々詰まってくる。

 ジムスが自分で騎竜(きりゅう)に乗ることが出来る状態ならばまた違ったのだろうが、子供とはいえションホルと二人乗りなのでどうしても足が遅くなり、またションホルが矢を射ることもできないというのは圧倒的に不利だった。


 そして、ボルドゥが矢を射放(いはな)った。


「ぐはっ!」


 矢はションホルの背中に深々と突き刺さり、思わず苦鳴を漏らす。

 しかしションホルは、痛みを(こら)え、ジムスの体を取り落とすこともなく、騎竜(きりゅう)を走らせ続けた。

 だが、このままいけばいずれは追いつかれる。


 万事休したかに思われたその時――、黒雲が空を覆い、激しい雨が降り出した。

 年間を通じて雨の少ない草原地帯にも、時として激しい雨が降ることはある。それにしても、これほどの豪雨は珍しい。

 完全に視界を遮られ、また落雷の危険性もあって、ボルドゥはやむなく引き上げることにした。


「まあ良いわ。完全に肺を突き破った致命傷のはず。騎竜(きりゅう)から転げ落ちなかったのは天晴(あっぱ)れという他ないが、助かるはずもない。せっかく目を掛けてやったというのに、たかが女一人のことで血迷いおって。愚か者め」


 ジムスの胸に深々と矢が突き立っているのも確かに見た。いささか不可解な点もあるが、二人とも生きながらえることは不可能なのは間違いない。

 ボルドゥは気持ちを切り替えた。彼が新たなヒュンナグ王として権力を掌握するためには、まだやるべきことが残っている。それをさっさと終わらせるため、ボルドゥは兵たちを率い、王宮へと向かった。

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