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鏑矢の鳴る頃に~謀反の練習台として矢の的にされた寵姫ですが、このままで済ませるつもりはありません~  作者: 平井敦史


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20/21

王弟の陰謀

 明け方、心地よい眠りの中にあったアルタントヤーは、侍女たちが何者かと言い争う声で目が覚めた。


「無礼者! アルタントヤー様はまだお休みです。お目通りを望むのならしかるべき筋を通しなさい!」


「ええい、邪魔立てするな! 斬り捨てられたいか!」


 穏やかでないやりとりに、アルタントヤーは眉をひそめる。

 侍女たちが皆対応に当たっているようなので、自分で上着を羽織り、重い腹を抱えながら、幕舎の入り口付近で言い争っている侍女の一人に声を掛けた。


「一体何の騒ぎですか」


「あ、アルタントヤー様……。お眠りを妨げてしまい申し訳ございません」


「いえ、それは構いませんから、事情を聞かせてちょうだい」


 困惑するアルタントヤーに、険しい表情をした男が言う。


「アルタントヤー妃。あなたがヒュンナグと内通していることはすでに証拠が挙がっている。潔く身を処していただきたい」


「は!?」


 思わず間の抜けた声を上げてしまったアルタントヤーだったが、喉元まで出かかった反論の言葉は呑み込んだ。

 男の顔には見覚えがある。王弟ホルガンの側近の一人だ。

 アルタントヤー、ひいては夫であるエルデニに、ヒュンナグと通じているとの濡れ衣を着せて糾弾し、同時にヒュンナグに対しても開戦の口実にしようという腹なのだろう。

 ならば、いくら無実を訴えたところで意味はない。


 しかし、どうやってこの場を切り抜けたものか。

 元々アルタントヤーには男たちを制圧できるような戦闘力はないし、ましてや今は臨月の身だ。


「とにかくホルガン様のところまで来ていただく。拒まれるならば()()()()()()してもよいと言われている」


「そ、そんな無体むたいな!」


 侍女の抗議を歯牙にもかけず、男はアルタントヤーの腕を掴もうとしたが、


「アルタントヤーに触れるな、下衆ゲスが!!」


 風のように駆け込んできた若者に、思い切り殴り飛ばされた。


「エルデニ様!」


「アルタントヤー、逃げるぞ!」


 愛妻の手を取って、エルデニが叫ぶ。

 大体の事情は聞き及んでいるのだろう。

 叔父ホルガンが自分たちをおとしいれようとしているのなら弁明は通用しないと、彼も判断しているようだ。


 エルデニが引き連れて来た配下たち十人あまりがホルガンの手勢を追い払い、アルタントヤーは夫とともに騎竜きりゅうの背に跨った。

 いつ陣痛が来てもおかしくない状態での騎行は正気の沙汰ではないが、このままホルガンに捕らえられたら、良くて拷問、いやそれどころか、死人に口無しと問答無用で殺されてしまう可能性すらある。

 エルデニも無茶を承知の上で妻をくらの前に乗せ、騎首きしゅを西へと向ける。


 と、そこへ一騎の騎竜きりゅうが駆け寄ってきた。

 その背に跨る少女は、エルデニの正妻ニルツェツェグだ。


「エルデニ様、私もお供いたします!」


 どうやら彼女も事情を聞きつけて馳せ参じたようだが、そんな妻をエルデニは慌てて怒鳴りつけた。


「駄目だ! お前はダラエの義父上ちちうえもとにいろ!」


 びくっとすくみ上がり、叱られた子犬のような表情を浮かべるニルツェツェグ。

 その姿にエルデニは少しばかり胸が痛んだが、彼女を巻き込むわけにはいかない。

 追いかけて来たお付きの者たちがニルツェツェグを引き留める様子を確認して、エルデニは騎竜きりゅうの腹を蹴った。



「エルデニ様……」


 夫の騎影を見送って、ニルツェツェグは袖で涙をぬぐった。

 邪険にされたわけでないことはもちろん理解している。

 ニルツェツェグが治癒魔法に秀でているといっても、他の者で代わりがきかないほどではなく、むしろ足手まといになる可能性の方が高いだろう。


「そうよ……。モーショボーさんも言っていたじゃないの。私には私だけの力があると。父上にお願いして、ダラエをエルデニ様支持に動かす。それこそが今私がすべきことよ」


 断固たる決意を込めて、ニルツェツェグはまっすぐ顔を上げた。



 騎竜きりゅうの背に揺られながら、アルタントヤーがエルデニに問いかける。


西ヒュンナグへ向かわれるのですか?」


 ヒュンナグとの内通を疑われている状況でそちらに逃げようとするなど、疑惑を自ら塗り固めるに等しい行いだが……。


「仕方がないだろう。東へ行ってウジュ殿の世話になるというのも考えたが、シュシェンも一枚岩ではないからな」


 ズーン領の東の果てに暮らす少数民族シュシェン族は、「ボルドゥの乱」に際し、ズーン=ジムス同盟に付いた。

 ウジュというのはシュシェンの指導者の一人で、親ズーンというより親エルデニ派というべき立場であり、ボルドゥに面と向かって啖呵を切った人物だが、戦後、親ボルドゥだった一派を押さえつけようとして、一族内で軋轢を生じている。

 そして、不満を抱く反主流派に対し、ホルガンが手を差し伸べているとの情報もあった。


「北には逃げ込める場所などないし、南――中原ちゅうげんのチャン殿を頼ろうにも、ハンダンは遠すぎる。それに、ヒュンナグへ逃げるのはやつらの思うつぼ、だからこそ、西に張った網は手薄な可能性が高い。今はお前の身の安全が第一だ」


「……わかりました。賢明なご判断だと思います」


「うむ。それで、だ。叔父上が言うには、アルタントヤー(おまえ)の幕舎の側で怪しいヒュンナグ人を見咎めてそれを討ったのだそうだが……、これはやはり例のふみの?」


「そうですね、おそらくは」


 一昨日、アルタントヤーのもと飛竜ひりゅうふみを届けてきた。

 万一人目に触れることを用心してか、「使いの者を寄越よこすのでよしなに」という一言のみ、誰から誰に宛てた文なのかさえ書かれていなかったが、差出人はサラーナか、あるいはその主君であるジムス王以外にありえない。

 ひとまずエルデニには報告し、使いの者とやらの話を聞いたうえで判断するつもりだったのだが……。


「どんな用件だったのかはわからぬが、ヒュンナグが持ち込んできた厄介事だ。世話になってもばちはあたるまい」


 軽口を飛ばすエルデニ。それに対し、アルタントヤーは曖昧に笑っただけだった。

 ヒュンナグからの使者がホルガンの手の者に見咎められたのが単なる偶然とは考えにくい。

 どこかから情報が漏れたのであろうが、アルタントヤーは、くだんふみのことは乳姉妹ちきょうだいでもある最側近の侍女一人にしか伝えていない。

 一体、ホルガンはどこから情報を得たのだろうか。

 薄気味悪さを感じつつも、アルタントヤーは夫が手綱を取る騎竜きりゅうの背に身を委ねるのだった。




「取り逃がしただと!? 馬鹿者! それでやつらはどちらへ向かったのだ?」


 配下の報告を受けてホルガンは怒りをあらわにしたが、エルデニたちが逃げた先が西の方角と聞いてほくそ笑んだ。


「馬鹿め。ヒュンナグと通じていると自白したようなものではないか」


 ホルガンとしては、最も懸念していたのは南の中原ちゅうげんへ逃げ込まれてしまうことだった。

 エルデニは中原の大商人チャンとの交渉を取り纏めた実績もあり、そこで匿われてしまうようなことになれば手が出せない。

 ズーンからの距離を考えればあまり現実的ではないとはいえ、それだけは阻止するべく、南の方に最も手勢をいて網を張っていた。


「東へ逃げなかったのは、敵ながら中々に賢明でしたね」


 エルウェヘーが言う。

 シュシェン族は部族全体としてはエルデニ支持に回っているが、日陰に追いやられた元親ボルドゥの反主流派にホルガンが手を差し伸べ、密かに味方につけた。

 そしてその者たちへ、エルデニが逃げ込んで来たら暗殺するよう依頼する使者を送っている。


 ちなみに、北には針葉樹の森林が広がっており、馴鹿トナカイぼくする少数民族が家族単位でまばらに暮らしている程度で、一時的に逃げ隠れするだけならともかく、庇護をあおげるような者は存在しない。


「できることならさっさと捕殺してしまいたかったが、次善の状況だ。ヒュンナグもろとも叩き潰してやろう。なあ、()()()()()()


 はい、と思わず応じかけて、エルウェヘーは固まった。

 今、ホルガンは自分のことを何と呼んだ?


「……『エルウェヘー』とはどなたのことでしょうか?」


「とぼけるなモーショボー、いや、エルウェヘー。ヒュンナグ人の一人が懐に入れていたふみにその名が書かれていた。お前のことなのだろう? そしてその者がゲレルをかどわかしたと書いてあった。あの小僧は一体何者なのだ?」


 ホルガンの厳しい視線を受けて、エルウェヘーは一つ深呼吸した。


(落ち着くのよ。いずれ正体がばれるというのは覚悟していたこと。ここが正念場だわ)


 しおらしげな表情を浮かべ、深々と頭を下げる。


「殿下をたばかったこと、心よりお詫び申し上げます。仰せのとおり、私の本当の名はエルウェヘー。かつてヒュンナグ王ボルドゥの寵愛を受けた者にございます。そして、ゲレルという名のあのお子は、ボルドゥ王の忘れ形見に他なりません」


 それを聞いて、ホルガンの顔に不快の色が浮かぶ。


「我がズーンにおいて、『ボルドゥ』という名がどんな意味を持つか、知らぬわけではあるまいな?」


 それはもちろん承知している。

 ズーンを侵略しようとしたボルドゥに対するズーン人の感情は最悪と言っていい。


「重々心得ております。されど、ボルドゥ王はもうこの世におりませぬ」


 胸の痛みを押し隠し、平坦な口調でそう告げる。


「かのお人の忘れ形見を血祭りにあげて一時溜飲を下げるか、それとも傀儡として担ぎ上げヒュンナグ征服に役立てるか。殿下はどちらをお望みですか? それに……殿下にはお嬢様もいらっしゃいますね」


「ふむ……」


 ホルガンは考え込んだ。

 ボルドゥはその生前、たけき王としてヒュンナグ人から一定の支持を集めてはいたが、彼亡き後にその幼子おさなごを担ぎ上げたとて、歓迎する者はほとんどいないだろう。

 しかし、対外的には、ズーンによるヒュンナグ征服の大義名分とはなりうるのではないか。

 弱肉強食の草原においても、無名むめいいくさは非難の的となる。

 そして、エルウェヘーが指摘したとおり、ホルガンには三歳と二歳の娘がおり、そのどちらかをゲレルとめあわせるという選択肢もある。

 せっかく転がり込んできた駒を利用しない手はない。


「よかろう。我らズーンの手でジムス王を討ち、先王ボルドゥの遺児ゲレルを新王に擁立する。族長たちを招集しろ。戦支度いくさじたくだ!」


 ホルガンが配下の者たちに命じるのを聞いて、エルウェヘーはほっと安堵の溜め息をいた。


 が――。


 同時に、胸の奥に違和感が湧きおこる。

 王の弟にすぎないホルガンが、何故バーブガイ王を差し置いてズーンの方針を決め、族長たちに号令しようとしているのか。


 そこへ、一人の男が血相を変えて駆けて来た。


「王弟殿下、一大事でございます! へ、陛下が、射られました!」


「な、何だと!? 何者の仕業だ!?」


 ホルガンも驚いて男に詰め寄る。

 が、その素振りも声も、どことなく芝居がかっているように、エルウェヘーには思えた。


「はっ! シュシェンの者どもが用いる矢で、やじりにはトリカブトの毒も塗られていたようです」


「何と! おのれエルデニ、ヒュンナグと内通したばかりではなく、シュシェンを使って陛下をしいし奉ろうとするとは! 絶対に許せぬ!」


 激昂する――あるいはそのように振舞って見せるホルガンと裏腹に、エルウェヘーの心は真冬のように冷えていった。

 まがりなりにも王太子の立場にあるエルデニに、父王を弑逆する理由などない。

 ホルガンが仕組んだことであるのは、エルウェヘーの目には一目瞭然だった。


 ホルガンに対しては彼の娘とゲレルをめあわせる可能性を示唆したが、エルウェヘーの真の構想は、ゲレルをバーブガイ王の娘婿とするというものだった。

 このお調子者はいずれ兄王への叛意を告発するなり何なりして排除し、バーブガイ王に乗り換えるつもりだったのだ。


(……いえ、物は考えようよ。したたかなバーブガイ王よりも、このお調子者の方が踊らせやすいことは間違いないのだし……)


 エルウェヘーは自分にそう言い聞かせた。

 人形がすでに自分の手を離れて勝手に踊り出している、という事実から目を背けて――。




 エルデニ一行は、ズーン領内を出て「れずの地」に入っていた。

 途中、一度ホルガンの手の者に見つかってしまったが、幸い相手は一騎だけだったので、五騎がかりで仕留めた。


「もう少しでヒュンナグ領に入る。そうすれば、もう叔父上も追っては来られない。……おい、アルタントヤー! アルタントヤー、大丈夫か!?」


 しばらく前から無言だった妻は、気がつけばだらだらと脂汗あぶらあせを流していた。


「お前まさか、陣痛が?」


「だ、大丈夫です、エルデニ様。もう少しでヒュンナグなのでしょう?」


「馬鹿、大丈夫なわけがあるか!」


 エルデニは慌てて妻を騎竜きりゅうの背から降ろし、草むらの上に横たわらせた。


「誰か、お産に立ち会った経験のある者は……、いるわけがないか」


 残念ながら、彼に付き従ってきたのは武骨な戦士たちばかり。

 そのほとんどが既婚者であっても、妻の出産に立ち会ったことのある者は誰もいない。

 こんなことならニルツェツェグを連れて来るのだったと後悔したが、どうしようもない。


 と、その時、遠くで甲高い呼子笛の音が響き渡った。


「ちぃっ! 叔父上の追っ手か!」


 アルタントヤーを置いて逃げるわけにはいかない一行は、二十騎ほどの兵に取り囲まれた。

 兵力差は二倍、しかも周りを包囲されて、アルタントヤーを守らねばならないのでうかつに動くこともできないという最悪の状況だ。

 エルデニが唇を噛んだその時――。


「ガゥゥゥッ!」「グルルルルッ!」


 低い唸り声と、兵たちの叫び声が轟いた。


牙竜がりゅうだと!? しかも二頭!?」


 つがいらしい二頭の牙竜がりゅうが、エルデニ一行を取り囲んでいた兵たちに襲い掛かる。


「馬鹿な! 牙竜がりゅう騎竜きりゅう兵の集団を襲うなど、聞いたことが無い!」


 牙竜がりゅうは貪欲で獰猛だが、それなりに知能も高く、弓矢を携えた人間の危険性は理解している。

 一人や二人程度ならまだしも、騎竜きりゅうに乗った射手が集団でいるのに対して、襲い掛かってくるようなことは通常ありえない。


「落ち着け! まずは一頭ずつ仕留めるのだ!」


 兵たちの領導リーダーが指揮を執り、やや小柄な雌の牙竜がりゅうに集中して矢を射掛けようとするが、もう一頭の雄がそれを妨害する。

 そちらに矢を射掛けようとすると、今度は雌の方が邪魔をする。

 二頭は完璧と言っていい連携を見せた。


 そして奇妙なことに、牙竜がりゅうたちは食欲に突き動かされて襲い掛かって来ているのではないようだった。

 騎竜きりゅうの背から人間を引きずりおろしてはしても、食い殺すどころか牙を立てることすらしない。

 そのことがかえって不気味に感じられ、兵たちの士気が地に落ちたところで、領導リーダーの足元に一本の矢が突き立った。


「ズーンの方々、何を争っておられるのかは存ぜぬが、劣勢な方に味方させていただく」


 牙竜がりゅうに気を取られているうちに、ヒュンナグの騎兵たちがこちらも二十騎あまり、すぐ側まで迫って来ていた。

 矢を射掛けてきたのは、若い女だ。

 と、その女の隣にいた男が、素っ頓狂な声を上げた。


「エルデニ殿下!? え、そこの金髪は、もしかしてアルタントヤー様!?」


「何だと? ああ、たしかにアルタントヤー様に違いない!」


 女もアルタントヤーを見知っているらしい。

 これで完全に、ヒュンナグ人たちはエルデニの味方につくと決めたようだ。

 不利を悟ったホルガンの兵たちは、何とかエルデニの命を奪おうと矢を放ったが、矢は風魔法で吹き散らされ、誰を傷付けることもできなかった。


「おのれ! 王太子殿下、父王陛下を裏切りヒュンナグに通じた報い、いずれその身に下りましょうぞ!」


 捨て台詞を残して、ホルガンの兵たちは走り去って行った。

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