白蛇の実力
翌日は白蛇討伐の準備に費やした。
具体的には、作戦の打ち合わせと、ヒュンナグ人一行が持参した矢に破邪の呪文を書き込む作業だ。
「当初は弩兵隊を連れて行くつもりだったのですが、あなた方が来てくださって大変助かりました。出来る限り少数精鋭で行きたいものですから」
チャン=リァンがそんなことを言う。
「弩」とは、溝が刻まれた台座と弓で構成された飛び道具で、台座に取り付けられた引き金を引くことで矢を発射する仕組みになっている。
チン王朝による統一以前の戦乱の中で発達してきた武器で、普通の弓矢よりもはるかに強力ではあるが、矢をつがえるのに手間がかかり、連射できないという欠点がある。
少数精鋭にこだわるということはつまり、弱卒を投入しても無駄な犠牲が増えるだけだと考えている、ということだろう。
たしかに、ションホルたち草原の民が射る矢ならば弩にも引けは取らぬ上、速射性、連射性においても中原の弓をはるかに上回るが、そんな危険な作戦に巻き込まれるのは正直嬉しくない。
そしてさらに翌日、いよいよ白蛇討伐に赴くことになった。
参加者は、リウ=バンとチャン=リァン、ファン=クァイ、それにリウやファンの幼馴染だというルー=ワンという男。そして、ヒュンナグからはションホルとムンバトだ。
ルーはとても気さくな人物で、昨日の顔合わせの時から、すっかりションホルたちとも打ち解けている。
「白蛇が竜脈を守っている、なんて言っても、実際のところは竜脈の上に居座って魔素を吸い取ってるだけなんだよな。けどみんな怖がって手を出そうとしなかったんだ。もし白蛇にわざわざ喧嘩を吹っかけるような向こう見ずがいるとしたら、リウの兄いくらいのもんだろうって昔言ってたのが、まさか本当になるとはねぇ」
しみじみと呟くルー。
彼はリウとは同い年、それどころか同じ日に生まれたのだそうだが、リウのことを「兄い」と呼んで慕っているようだ。
先ほどから、子供の頃からリウが起こした騒動に巻き込まれていかに苦労させられたか、というような話を面白おかしく語っているが、無論リウに対して含むところなど皆無なようで、一方のリウも、目の前で悪口(としか思えない)を言われても泰然としている。
そのあたり、たしかに器の大きな人物ではあるようだ。単に無神経なだけかもしれないが。
白蛇が棲みついている丘は、藪が茂ってはいるが、高い木はあまり生えておらず、あまり大型の動物も生息してはいなさそうなので、本来ならば巨大な白蛇を養えるだけの餌がない、ということになるが、魔素さえあればそれで十分だということなのだろう。
「チャン殿、くどいようですが、その白蛇、本当に人が触れるべからざる存在などではないということで間違いないですね?」
いよいよ白蛇の領域に足を踏み入れるということで、ションホルがチャン=リァンに念押しする。
「ええ、間違いありません。先日も一度この辺りまでは近付いて確認したのですが、本当に危険な存在であるならば、漂ってくる霊気はこの程度で収まるはずがありませんから」
確かに、竜神の御座に漂う神聖な気は、こんな生易しいものではない。
そう思って安心しかけて、ションホルは首を振った。
竜神はあまりにも別格であって、そのはるかに下のところで人間が太刀打ち出来る出来ないの線引きの参考にはならないだろう。
油断は禁物だ。
丘の天辺近くに大きな洞穴があり、白蛇はそこを棲み処として
いるという。
その入り口が視認出来る距離まで近付くと、さすがに霊気はかなり濃密なものになっている。
「御座とは比べ物にならないけど、あそこと比べても無意味という気もするし、判断が難しいな」
ムンバトが小声で囁く。
彼も竜神の里を訪れたことがあり、竜神が別格であることは十分に承知しているからこそ迷っているようだ。
「気を付けてください。いつ白蛇が洞穴から姿を現すかわかりませんので」
チャン=リァンがそう注意を促した時、不気味な声が響き渡った。
「愚かな人間どもよ。我が領域に足を踏み入れたるは、死を覚悟してのことであろうな」
そして、巨大な白蛇が洞穴からするすると這い出てくる。
「えっ、今の白蛇の声か!? ちょっと兄い! 白蛇が喋るなんて話は聞いたことねえぞ!」
ルーが焦り顔でリウに向けて叫ぶ。
「俺だって聞いたことねえよ! 町の年寄りどももそんなことは言ってなかったはずなんだがな」
こちらも少々焦った様子でリウが首を傾げる。
「それはそうであろうよ。我の領域にみだりに立ち入る愚かな人間はめったにおらぬのでな。人語を喋るのはざっと六十年ぶりになろうか」
嘲笑うような口調で白蛇が言う。
「血迷った愚か者どもが、我を退治するなどと息巻いてやって来おったが、一人残らず潰してやったわ。……よもや貴様ら、この期に及んで生きて帰れるなどと甘いことは考えておるまいな?」
やばいやばいやばいやばいやばい。
ションホルは背筋がぐっしょり濡れるのを感じながら、どうやってこの場を切り抜けるか、なけなしの知恵を巡らせていた。
草原にも魔物の類は色々と存在している。
太古より草原に巣食っているといわれる悪鬼や、西方からやって来たとされる食屍鬼など、人間に近い姿をしていたり時には人間に化けるものもいるが、それは単なる擬態であり、人語を解したり喋ったりするわけではない。
人語を解するということはもはや神に近しい存在だということだ。
絶対に逆らってはならない。
ションホルは懐から竜神の鱗を取り出し、それを掲げて見せながら白蛇に語りかけた。
「御身の平穏を妨げたこと、心よりお詫び申し上げる。俺の名はションホル。北辺の地をしろしめす竜神アヤンガの縁に連なるもの。かの神の御名に免じて、我らがこの場から立ち去ることをお許しいただきたい」
中原人たちの驚きと困惑の視線が集まるが、気にする余裕はない。
ションホルの必死の訴えを、しかし白蛇は一笑に付した。
「ふん、そのような田舎の神など知ったことか。文句があるならここまで来てみよ」
その言葉が終わるや、長大な尻尾を揮ってションホルを叩き伏せようとする。
辛うじて尻尾の一撃を躱し、ションホルは盛大に舌打ちした。
竜神は中原の竜属相手にも自分の威光が通じると言っていたが、その期待は甘かったようだ。
「竜神様、帰ったら文句を言わせてもらいますよ!」
そうだ。こんなところで死ねるわけがない。
サラーナと、そしてまだ見ぬ我が子が待っているのだ。
必ず生きて帰るとの決意を固めて、ションホルは矢を射放った。
がちっ!
金属音が響き、破邪の呪文が書かれた矢が白蛇に突き刺さる。
それが開戦の合図となり、人間たちの攻撃が白蛇に降り注いだ。
ムンバトもションホルに遅れじと矢を射放つ。
さらに、チャン=リァンが放った呪符が焔の塊となって白蛇の鱗を焼く。
ファンは重さ百斤(この時代の一斤=約260g)ほどもありそうな大刀を揮い、白蛇の体にがんがんと叩きつける。
白蛇の鱗はどうやら鋼に匹敵するほどに硬いようだが、逆に言えばその程度で、人間たちの攻撃が全く通用しないわけではないようだ。
「ええぃ! 小賢しい人間どもめが!」
怒りの叫びとともに、白蛇は虚空に何本もの剣を生み出して、人間たちに向けて放つ。
しかし、そのほとんどは、リァンの呪符が変化した胴の長い狐のような姿の式神に絡め取られ、残りも躱されるか、ルーが掲げた大型の盾に阻まれる。
ルーが持っているのは全身を覆い隠せるほどの大きさの長方形の盾で、木製だが薄い鉄板が張ってある。魔力の剣をはじき返しているところを見るに、おそらく呪術的な強化も施されているのだろう。
その盾で大将たるリウを守るのが彼の役目だ。
「だから申しましたでしょう、ションホル殿。そこまで危険な存在ではないと」
リァンがそんなことを言ってくる。
白蛇の体に、ションホル、ムンバトの矢が何本も突き刺さり、リァンの火炎魔法が鱗の一部を溶かしている。そしてファンの怪力から繰り出される斬撃で鱗が何ヶ所も剥がれ落ちている。
確かに、ただ人語を解するというだけで過大評価してしまったションホルよりも、リァンの見立てのほうが的確だったようだ。
しかし――。
リァンに誤算があったとすれば、「倒せない相手ではない」と「実際に倒せる」との間が予想以上に大きかったということだろうか。
白蛇もかなり弱ってきてはいるが、人間たちにも疲れの色が濃い。
そして、ここ竜脈の上では、白蛇は魔素の供給を受けて徐々にとはいえ回復できるのに対し、人間たちはそうはいかない。
このまま我慢比べが続けば、先に音を上げるのは人間の側である公算が大きいだろう。
(攻めあぐねておるようじゃな)
不意に頭の中で声が聞こえて、ションホルは思わず周囲を見回した。
(えっ、り、竜神様!? 来てくださったのですか!?)
(きょろきょろするでないわ、馬鹿者。竜脈を通じて思念を飛ばしておるだけじゃ。さすがにそちらまで行くわけにはいかんのでな)
以前竜神は、竜脈の上ならば距離は無いも同然、などと言っていたが、さすがに遠すぎるとことだろうか。
(いや、行こうと思えば行けないことはないのじゃがな。今の状態では、のう……)
竜神にしては珍しく、何やら歯切れが悪い。
人間のように体調不良などということはないだろうに、と思いつつ、ションホルが心の中で問いかける。
(具合がお悪いのですか?)
(いやぁ、その、何じゃ。ここだけの話にしておくのじゃぞ。実は、ジムスの妃になったことを天帝に咎められてな)
(えっ!?)
「天帝」とはこの天地すべてをしろしめす最高神だ。
竜神が人間界に過度に干渉してはならない、といった決まり事も、すべては天帝がさだめたもの。
その最高神の勘気に触れたとなれば、大変なことだ。
(人間と夫婦になって子を為すくらいならまだしも、王の妃となれば見逃すわけにはいかぬ、すぐに別れよなどとおっしゃるものだから、嫌じゃと言うたら、向こう百年の間、力を十分の一ほどに封じられてしもうてな、はっはっは)
(いや、笑い事じゃないでしょう!)
(何、それでもそこの蛇程度ならば二、三発殴って黙らせるくらいは出来るのじゃが、黄竜のなわばりである中原に足を踏み入れて、やつの機嫌を損ねるのはさすがにまずいのでな。多少力は貸してやれるが、自力で何とかせい)
(そうしたいのはやまやまなのですが……)
(ふん、世話の焼けるやつじゃ。蛇めの頭の天辺に、三つ目の赤い眼があるのがわかるかの?)
そう言われてあらためて見てみると、確かに白蛇の頭頂付近に赤い眼のようなものがあるのがわかった。
(ひょっとして、あれを射抜けと?)
大きさはせいぜい大人の握り拳程度。
おまけに角度的にも難しい上、頭部は激しく動き回っている。
(ヒュンナグ一の弓矢の名手であろうが。つべこべ言わずにやってみせ……、おっと危ない)
(えっ、どうかしましたか?)
(いや、ジムスの頭が膝から転げ落ちそうになっただけじゃ。気にするな)
どうやら、向こうでは膝枕をしている最中らしい。
お幸せそうで何より、と皮肉の一つも言ってやりたい気分になりながら、ションホルは腹を括り、白蛇の前に躍り出た。
「皆さん、俺に任せてください。手出しは無用です!」
叫ぶ彼をじろりと見て、白蛇が虚空に剣を出現させる。
それこそがションホルの狙いだった。
魔力の剣を出現させ、それを放つ際、白蛇の頭部はほぼ固定状態になる。
ヒュッ!
ションホルの放った矢は、狙い違わず白蛇の第三の眼を貫いた。
そして、同時に放たれた魔力の剣を、転がるようにして躱す。
万一刺さっても竜神の鱗で蘇生は出来るが、中原人にそんなところを見せるのは色々とまずい。
剣が一本、右脚をかすめたが、さほど大きな傷を負うこともなく、ションホルが顔を上げると、白蛇が苦しげに悶えていた。
「ぐあああああああ!! おのれ、おのれ人間めが!!」
「我が主、今です!」
チャン=リァンに促されて、これまでほぼ何もせずに守られるだけだったリウが剣を抜く。
「赤霄」という文字が刻まれた宝剣を揮い、リウは白蛇の首を刎ね飛ばした。