竜脈の守護
ションホルたちヒュンナグ人の一行は、チャン=シュンの屋敷があるハンダンの町を発ち、フォンという町へと向かった。
そこはチャン=シュンの叔父チャン=リァンが現在仕えているリウ=バンという人物の故郷で、リウはそこを陥とすべく陣を構えているのだという。
チャン=シュンはざっくりと南へ千里(1里=約400m)と言っていたが、正確に言うと南東の方角だ。
リウという男は、いい年をして遊び人暮らしをしていたが、親分肌で人望があり、フォンの近くのペイという町で役職に就きはしたもの、ろくに仕事もせず、子分たちを集めて飲み明かすような生活を送っていた。
しかしある時、都シャンヤンで行われる土木工事に従事する人足を送り届ける役目を仰せつかった際、人足たちが相次いで逃亡し、役目を全うできなくなると、自分もそのまま逃亡生活を送るようになった。
そんな彼の下に、同じようにチンの過酷な労役や兵役を逃れて逃亡していた連中が集まり、一端の勢力を形成した。
ちょうど折りから、チェン=シェンらの反乱が勃発。チンへの忠義を守るか反乱勢力に与するか決断を迫られたペイの町の有力者たちは、中央から赴任してきていた太守を斬り、リウの勢力を迎え入れた。
そして現在、より大きなフォンの町を手に入れようとして、攻めあぐねている状況だという。
「誤解しないでいただきたいのですが、フォンの町を力ずくで陥とすこと自体は、決して難しくはないのです」
ションホルと対面し、そのように豪語したのは、年の頃は四十前後、整った顔立ちでいかにも書生然とした男だった。
もっと若い頃は、女性と見紛うほどの美貌だったろう。
これがチャン=シェンの叔父のチャン=リァンで、さすがに甥と叔父の間柄だけあってよく似ている。
彼の左隣、ションホルの真正面に立膝で座っているのが、やはり四十がらみの男。背が高くがっしりとした体格で、妙に縦長な顔立ちは、どこか竜を連想させる。
こちらが、チャン=リァンが仕えるリウ=バンという男だ。
リウのさらに左隣には、二人より若干年嵩の、いかにも役人らしい雰囲気の男が座っている。
ションホルたちと同行したチャン=シュンの荷駄隊が到着するやいなや、木簡にびっしりと書きつけながら荷の整理を取り仕切っていたのが印象に残っている。
名はシァ=ハーといい、見た目のとおりペイの町で役人をしていたのだが、リウが兵を起こした際、太守を斬ってリウを引き入れた首謀者だという。
リウの背後には、一際体格優れた偉丈夫が仁王立ちしている。
ファン=クァイという名のこの男は、リウの護衛役であるが、同時に彼とは古い付き合いで、親友の間柄なのだとか。
一癖も二癖もありそうな連中にさっと目をやって、ションホルは尋ねた。
「なるほど。力攻めを避けておられるのは、やはり犠牲が大きいからですか?」
「仰るとおりです。我々の兵力ももちろんのこと、フォンの兵力も、できることなら損なわずに手に入れたい。そのための仕込みに、少々時間を取られてしまいました」
「仕込み、ですか」
「はい」
そう言って笑うリァンの表情は、どこか無邪気に見えた。
「わかりました。それで、私たちはどのようなお手伝いをすればよろしいのですか?」
ションホルの問いに答えてリァンが語るところによれば、フォンの町には不相応なほどに太い竜脈が流れ込んでいるのだそうだ。
竜脈によって注ぎ込まれる魔素は、城塞都市の守備側の魔力を大幅に強化するのみならず、近郊の畑で栽培される農作物の出来にまで影響する。
「はあ。では、その竜脈を断つお考えなのですか?」
ションホルは内心首を傾げた。
彼も、ボルドゥの親衛隊だった時に中原の攻城戦については学ばされた。
その知識によれば、都市に通じる竜脈は確かに重要だが、相応に大きな都市であれば、竜脈を断たれても数ヶ月、時には1年以上、都市に溜まっている魔素でやりくりが可能だ。
フォンの場合、都市の規模がそう大きくないので、竜脈を断つことに即効性はあるかもしれない。
しかし、一度竜脈を断ってしまったら、回復させるのには多大な時間と労力がかかる。
つまり、フォンの町を手に入れて新たな拠点にしようと考えているのなら、竜脈を断つというのは悪手だということだ。
それでもやるというのだろうか。
「ご心配にはおよびません。そのあたりのことは考えております」
リァンが自信ありげに言う。
まあ、別に自分たちがフォンの町に入るわけでもないしな、お手並み拝見と行こうか、と、ションホルは少し突き放した目で見ることにした。
「それで、竜脈の守りはどのようになっているのですか?」
普通は、砦を築くなどして竜脈を守っていることが多い。
ただ、リウたちの陣に入る前にフォンの町を遠めに見たが、それらしき守備施設は見当たらなかったように思うのだが。
「人の手による守りはほとんどありません。フォンに通じる竜脈を守っているのは、人にあらざるものです。……そのものは、別に人間のために守ってやっているつもりなどないのでしょうが」
フォンの町の北側に、小高い丘があり、そこには古くから巨大な白蛇が住み着いているのだという。
長さは二十丈(1丈=約230cm)ほどにもなり、胴回りは一抱えほどあるという。
「えっ、それってまさか位の高い竜なのでは?」
思わずションホルは尋ねた。
もちろん、それほど大きな蛇がただの蛇なはずはなく、おそらく竜の類なのは間違いない。
そして、竜神が竜の姿をしている時の長さがおおよそ三十丈ほどだから、それに迫るほどの大きさだ。
もっとも、以前聞いた話だと、それも彼女の真の姿というわけではないのだそうだが、ならばその白蛇も、真の姿を隠していないとも限らない。
「いえいえ、そこまで畏れ多い存在ではありませんよ。一口に竜といってもピンからキリまでありますから。せいぜい地竜の端くれと言ったところ。容易い相手だとは申しませんが、倒すことは十分可能でしょう」
やはりその白蛇を倒すつもりでいるらしい。
「竜」と聞いて身構えてしまうのは、ションホルが竜神の里の生まれだから、というのも確かにあるのだが、それにしてもこの中原人たちは恐れ知らずだ。
「それに、道具も用意しましたしね」
そう言って、チャン=リァンは左のシァに視線を向けた。
シァは無言で頷き、傍らに置いていた布で包まれた細長い棒を取り上げる。
包みをほどいてリウに差し出したそれは、一振りの剣だった。
宝玉で飾り立ててあり、抜き放たれた刀身は霜が降りたかのように冷たく冴え冴えとして、よく見ると何か文字が刻んである。
リァンが言うには、「赤霄」という二文字で、空が朱に染まる様を表す言葉なのだそうだ。
「甥に頼んで作らせた剣です。これがあれば、怪力乱神の類も恐るるに足りません」
ションホルが見るところ、確かに魔力を帯びてはいるようだ。
柄や鞘に嵌め込まれた宝玉は、単なる飾りではなく、呪術的な意味を込めた配置になっているのだろう。
しかし、それが位の高い竜に通用するほどのものなのかどうかは、ションホルにはわからない。
少なくとも、竜神にはかすり傷すらつけられないであろうことは間違いないが、さて、件の白蛇とやらは、どの程度の存在なのか。
チャン=リァンは自信ありげだし、リウも彼に全幅の信頼を寄せているようだ。
リウは思いのほか気さくな様子で、ションホルに頭を下げて頼んだ。
「塞北からのお客人、お手を煩わせて申し訳ないが、どうかご協力をお願いしたい」
まさか竜と戦わされる羽目になるとは――。
しかし、今さら後には引けない。
内心戸惑いつつも、ションホルは首を縦に振るしかなかった。
会談を終えて、ションホルはシァの案内でリウ軍の陣を見学させてもらった。
逃亡者たちの寄せ集めながら、それなりに規律は保たれているようで、訓練にも熱が入っている。
リウの人望のなせるわざなのか、あるいはリァンあたりが明確な目的意識を持たせたからなのか。
そして、いくつかに分けられた部隊の中には、魔法――中原で言うところの神仙術――の訓練をしているものたちもいた。
戦で役立つような術が使える者は非常に貴重であり、それだけで仕官が叶う。
なので、こんなところにたいした術が使えるような者はそうそういないはずなのだが……。
「水は火に剋ち、土は水に剋ち、木は土に剋ち、金は木に剋ち、火は金に剋つ……」
隊の者たちが何やら呪文めいた文句を唱和している。
どういう意味なのかとションホルが問うと、シァが説明してくれた。
「神仙術は、五行という考え方を基本としておりまして。木火土金水の五つの元素それぞれに基づいた術を操ります。今唱えているのは、元素相互の相性、何は何に対して強みを発揮する、という基本中の基本ですな」
「はあ、そうなのですね」
ションホルは得心顔で頷いた。
草原の民の魔法は、中原から伝わったものと西方から伝わったものが混じり合い、独自の発展を遂げているので、中原生粋の神仙術は、正直なところ理解できてはいなかったのだが。
「妙なことになったなあ」
その夜、割り当てられた幕舎でションホルから話を聞かされて、ムンバトは呆れたように呟いた。
彼は竜神の里出身ではないが、現在主君と仰ぐジムス王の妃の正体はもちろん知っている。
瑠璃色の髪に琥珀色の瞳、一見すると愛くるしい美少女にしか見えないそれが、まかり間違っても人間ごときが歯向かおうなどと考えてはならない存在だということは、実際に対面してみれば理屈抜きで理解できた。
そして、そんな存在を妻にしてしまったジムス王に対しては、正直なところ尊敬半分呆れ半分といったところだ。
「大丈夫、なんだよな? まさか王妃様に匹敵するほど位の高い竜だったりは……」
「いや、俺に聞かれても困るんだが……。まあ、リウ殿たちも元々はフォンの出身なんだし、その白蛇がどの程度の存在なのか、わかってないはずはないだろう。その上で、十分倒せると踏んでいるのなら、信用するさ」
そう言いつつも、ションホルは我知らず懐に手を入れて竜神の鱗を握りしめた。
出立の際、サラーナに頼まれたからと言って竜神が直接手渡してくれたものだ。
致命傷を負うことになろうとも肩代わりしてくれるだけでなく、災いを未然に避ける効果もあるお守りだ。
それに、彼女はこんなことも言っていた。
「よもや関わり合いになることは無いとは思うが、もし万が一、中原でかの地の竜とまみえることがあれば、これを見せてやるがよかろう。たいていは恐れ入るか、少なくとも丁重には扱ってくれるはずじゃ」
中原には竜神様と並ぶほどの竜もいるのですか、とションホルが尋ねると、儂とて天地のすべてをしろしめしておるわけではないからの、などと韜晦していたが、その時の態度からして、少なくとも彼女の威光がまったく通用しないほどの竜はそうそういない、少なくとも普通に遭遇する心配はしなくても良いようだ。
そう考えると、多少は気が楽になるションホルだった。