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寵姫の受難

 ヒューーーーーッ!


 ボルドゥが放った鏑矢(かぶらや)が、悪霊の叫び声にも似た甲高い音を立てて飛び、彼の側室(そくしつ)たちの中でもひときわ寵愛(ちょうあい)厚いサラーナの身に突き刺ささる。

 それに続いて、兵たちが放った矢も次々と彼女の体に突き立っていく。

 サラーナは、何故自分が殺されねばならぬのかも理解できないまま、地に倒れ伏した。

 そして――。


 ザシュ! ザシュ! ザシュ!


 ボルドゥは剣を(ふる)い、矢を射ることを躊躇(ためら)った兵たち三名を斬り捨てた。


「言っておいたはずだ。俺が鏑矢を放ったら躊躇わずその的を射よ、躊躇うものは斬る、と」


 血に濡れた剣を(ぬぐ)いながら、ボルドゥは親衛隊(ケシク)の兵たちに言った。


「今一度問う。我らヒュンナグの王の名は?」


「は、トゥマン陛下です!」


「ならば、お前たちの(あるじ)の名は?」


「は、ボルドゥ殿下です!」


「そうだ。そのことを忘れるな」


 ボルドゥは満足げに(うなず)くと、(むくろ)をその場に打ち捨てたまま、兵を率いて去って行った。



 騎竜(きりゅう)の足音が遠くに去った後、数十本の矢を受けた(むくろ)がぴくりと動いた。

 (むくろ)――。そう、これほどの矢をその身に受けて、生きていられるはずがない。

 しかし、サラーナはむくりと上体を起こすと、体に突き立った矢を一本ずつ丹念に抜いていった。


「ひぎっ! うくぅっ!」


 一本矢を抜く(たび)に、いっそこのまま死んでしまった方がよほどマシだと思えるほどの苦痛がサラーナを(さいな)む。それでも彼女は懸命に耐えた。


「ど畜生(ちくしょお)! ボルドゥの野郎(ヤロー)絶対(ぜってー)ぶっ殺してやるからな!!」


 苦痛を紛らわせるように、呪詛(じゅそ)の言葉を口汚く吐き捨てながら、ようやくにして最後の一本を抜き終えたサラーナは、(かざ)(ひも)で首から下げていた瑠璃(るり)色に輝く板状のものを取り出した。

 それは、手のひらほどもある大きな(うろこ)。サラーナがボルドゥの(もと)輿入(こしい)れする際に、一族の守り神たる竜神から(もら)ったものだ。

 サラーナの命を繋いできた身代わりの護符たる竜神の鱗は、役目を終えると粉々に砕け散り、そして彼女の全身の傷は、きれいさっぱり消え去った。


 とは言うものの、流れ出た血が完全に元に戻るわけではなく、体力も著しく消耗している。

 そして、この場を離れようにも、騎竜(きりゅう)の一頭とてここにはいない。

 サラーナの乗騎も殺された兵たちの乗騎も、他の兵たちが()いて行ってしまった。


「まいったね……。このままじゃ結局野垂れ死にだよ。野生の騎竜(きりゅう)とか通りかかってくんないかな」


 騎竜(きりゅう)とは、発達した後肢(うしろあし)だけで歩行する、馬くらいの大きさの地竜(ちりゅう)の一種だ。

 この地のような生物密度が極めて低い草原地帯では、大気に満ち溢れる魔素(マナ)は飽和して夜のうちに結晶化し、地面に微結晶が散らばることとなる。騎竜(きりゅう)はそれを(かて)として繁殖し、草原の民は古くからこれを乗騎として利用してきた。


 騎竜(きりゅう)は本来、卵から育てることではじめて人に()らすことができるもの。野生の騎竜(きりゅう)がいたとしても、その背に乗るなど到底不可能だ。

 しかし、余人(よじん)ならばいざ知らず、竜神の里で育ち、一族の守り神たる竜神の覚えもとりわけめでたいサラーナならば、たいていの竜種(りゅうしゅ)に言うことを聞かせることができる。


 ただ問題は、そんなに都合よく騎竜(きりゅう)が見つかるかどうかなのだが――。


 などと思案していると、いつの間に近付いてきたのだろうか、一人の中年男性が、ボルドゥに斬り捨てられた兵たちの亡骸(なきがら)の傍らに立っていることに気が付いた。

 旅人のような装いではあるが、こんな草原の真っただ中を、騎竜(きりゅう)にも乗らず徒歩で? と、サラーナが疑問に思っていると、男は突然変貌した。

 突き出した口吻(こうふん)からは鋭い牙が覗き、(とが)った耳に、(まば)らに毛が生えた頭部。正体を現した魔物は、濁った血のような暗赤色の瞳でサラーナを一瞥(いちべつ)するや、兵の亡骸をむさぼり始めた。


「グ……食屍鬼(グール)!? まだ日も高いのに?」


 それは、人の(しかばね)をむさぼり食う魔物。元々は遠く西方の砂漠地帯が発祥だというが、このあたりの草原にも時折出没する。

 人間に擬態する能力を持ち、夜になると、草原で野営する旅人を騙して近寄り、死体にして喰らう。


 食屍鬼(グール)は死体をむさぼりながら、これをたいらげたら次はお前だからおとなしく待っていろと言わんばかりに、時折サラーナを濁った眼で睨む。


「ど、どうしよう。走って逃げきれるような相手じゃないし……」


 手元には弓矢もなく、魔法も飲料水を出したり灯りをともしたりする程度しかできないサラーナには、なす(すべ)がない。


 と、その時、はるか彼方(かなた)から、一頭の騎竜(きりゅう)がこちらに向かって走ってくるのが見えた。野生の、ではない。その背には人間を乗せている。そしてその騎手は、食屍鬼(グール)に向けて矢を放った。


 とすっ!


 矢は狙い過たず食屍鬼(グール)の頭部に突き立ったが、それだけでは魔物を仕留めるには至らない。食屍鬼(グール)は濁った赤い眼に怒りの炎を灯し、騎手に向き直る。

 その胸に、二本目の矢が突き立った。


 がちっ!


 固いものがぶつかる音がして、食屍鬼(グール)は断末魔の叫びと共に倒れ伏した。


「サラーナ! えーっと、生きている……のか?」


 そのまま騎竜(きりゅう)を操り駆け寄ってきた男の名は、ションホルという。ボルドゥ直属の親衛隊(ケシク)の一人であると同時に、サラーナと同じ竜神の里の出で、同い年の幼馴染でもある。


 喜びと困惑が入り混じった面持(おもも)ちで、ションホルは幼馴染の娘に尋ねた。


「もしかして、竜神様のご加護のおかげか?」


「それ以外に、あんな状態にされても生きていられる方法があると思う?」


 美しい顔立ちに(けん)のある表情を浮かべ、サラーナが言う。


「いや、無いだろうな。というか、竜神様のご加護がこれほどのものだとは思っていなかったよ」


 そう言いながら、ションホルは騎竜(きりゅう)の背から降り立った。

 長い尾でバランスを取りながら、強靭な後肢(うしろあし)で大地を()ける騎竜(きりゅう)

 ションホルの愛騎(あいき)はサラーナとも顔馴染みで、状況をわかっているのかいないのか、何やら心配するような眼差しで彼女を見つめている。

 そしてその(あるじ)はサラーナに歩み寄り、彼女の細い体をぎゅっと抱きしめた。


「生きていた……。サラーナが生きていた……」


 鍛え上げられた(たくま)しい体躯(たいく)の若者は、幼馴染の体を抱いたまま、嗚咽(おえつ)を漏らし始める。

 サラーナも思わずつられて泣き出しそうになったが、ぐっと(こら)え、言った。


「感激するのはいいんだけど、あたし今こんな格好だしさ。それより早く、どこか(あった)かいところに連れてってくんない? あとお(なか)()いた」


 こんな格好、と言われて、ションホルはあらためてサラーナの姿を見た。体の傷こそ治っているものの、着ていた服は穴だらけで、流れ出た血で真っ赤に染まっている。そして、破れた服のそこかしこの穴から白い肌が覗いているという、なんとも形容しがたい状態だ。


「すまん。とりあえずこれを羽織っておいてくれ」


 そう言ってションホルは上着を脱ぎ、サラーナに羽織らせた。上着を手渡しながらも顔を真っ赤にしてそむけている幼馴染の様子に、彼女はくすっと笑う。


「まったく、相変わらず初心(ウブ)ね、あんたは。そんな恥ずかしがるような間柄(あいだがら)でもないでしょうに」


「わ、悪かったな。いまだに女は苦手なんだよ」


 まったくこいつときたら――。サラーナは口の中で小さく呟く。


「で、それはそれとして。一体、(なん)であたしは殺されなきゃならなかったわけ?」


 サラーナは、草原の民ヒュンナグの王太子であるボルドゥの側室たちのなかでもひときわ美しく、彼の寵愛(ちょうあい)も厚かった。もちろん、彼に(そむ)くようなことも、不興(ふきょう)を買うようなことも、した覚えがない。


 いや――。実を言えば、殺されても文句を言えないようなことをやらかしてはいる。

 一年ほど前のこと。一族のためにと父親はじめ里の主だった者たちから懇願され、しかたなくボルドゥの(もと)輿入(こしい)れすることになった当時十六歳のサラーナは、前々から想い合っていたションホルに、純潔だけは捧げてきたのだ。


 生娘(きむすめ)でないことに気付かぬほど、ボルドゥは愚かではないはずだし、意外と寛大な人物なのだろうかと、斬られる覚悟も決めていたサラーナはほっと安堵の息を()いたものだ。

 しかしすぐに、ボルドゥは別に寛大なわけではなく、ただ単に、そんなことには頓着していないだけなのだということに気付かされた。


 彼の寵愛(ちょうあい)ひときわ厚いといっても、決してサラーナに愛情を(いだ)いているわけでも、心を許しているわけでもない。ただただ、その美しい顔と体を()でているだけ。そしてそれは、サラーナに限ったことではなく、どの女性に対しても、ボルドゥという男は冷ややかだった。


 その代わり、妻たちの貞操に関しても、ボルドゥはひどく無頓着だった。

 彼の正室からして、浮気をしていることが公然の秘密になっている始末だ。

 そんな女たちに比べれば、輿入れ後は一応身を慎んでいるサラーナなど、可愛いものだと言っていい。

 それなのに、糾弾されることもなくいきなり殺されかけた理由には、正直心当たりがない。


 小首を傾げるサラーナに、ションホルは表情を曇らせながら言った。


「ボルドゥ殿下は……、いや、ボルドゥは、以前俺たち親衛隊(ケシク)に、こう命じたんだ。自分が鏑矢(かぶらや)を放ったら躊躇(ためら)わずその的を射よ、躊躇うものは斬る、と。最初は狩りの獲物の(けもの)たちだったが、この間、ツァガーンを射たんだ」


「ツァガーンって、あの綺麗な白い鱗の騎竜(きりゅう)? ボルドゥがすごく大切にしていた……」


「そうだ。そして、躊躇った兵が二人斬られた」


 ただでさえ、草原の民にとって騎竜(きりゅう)は大切なものだ。貴重な財産でもあり、卵の時から育て、我が身を預ける友ともいうべき存在。それ(ゆえ)(いくさ)以外で騎竜(きりゅう)を傷つけたり、盗んだりすることは、非常に重い罪とされている。(あるじ)が大切にしている騎竜(きりゅう)を射ることを躊躇う者がいたのも、仕方のないことだ。


「で、今度は側室の中でも特にお気に入りだったお前を射て、躊躇う者たちを斬った」


親衛隊(ケシク)の忠誠心を試しているってこと? それってまさか……」


「そうだ。最終的に目指すところは、間違いなくあのお方だろう」


 ボルドゥの父である、ヒュンナグ王トゥマン。彼を弑逆(しいぎゃく)することが、ボルドゥの最終目標――。その恐ろしい想像に、サラーナは慄然(りつぜん)とした。


「まあ、ボルドゥが陛下に恨みを抱くのも、仕方のない部分もあるのだけどな」


 それはサラーナも承知している。

 トゥマン王は、ボルドゥの生母の死後、若く美しい後添(のちぞ)えを新たな正室に()えたのだが、そのラムナルという後妻が生んだ息子に、跡を継がせたいと考えるようになった。

 そして今から三年前、ヒュンナグの西の大勢力であるバローン族に対し、ボルドゥを人質に出し、しかる後、わざと攻撃を仕掛けた。彼らの手でボルドゥを殺させるためだ。

 しかしボルドゥは、バローンの騎竜(きりゅう)を盗んで逃亡。追手を振り切り、脱出を果たした。


 ヒュンナグに帰還したボルドゥは、怒って攻め込んできたバローンとの(いくさ)でも武勇のほどを示し、見事敵を撃退してみせた。

 そんなボルドゥに対して、トゥマン王は手のひらを返し、一転、直属の親衛隊(ケシク)を編成する権限も与えて重用するようになった。

 しかし、ボルドゥは殺されかけた恨みを忘れず、また、いずれは粛清されるだろうという危険も感じ取って、ひそかに牙を研いでいる、というわけだ。


「事情はわかった。でも、だからってあたしが黙って殺されてやる筋合いは無いよね。あの野郎(ヤロー)、絶対に目にもの見せてやる!」


「そうだな。俺も、お前をあんな目に()わされて黙っているわけにはいかない」


 心の中で怒りの炎を燃え上がらせる二人。

 が、それはそれとして――。いつまでもこんなところにいるわけにもいかない。


「じゃあ、ひとまずは里に戻って、(かくま)ってもらうことにしようか」


 二人が生まれ育った竜神の里。ヒュンナグ王に(おもね)って嫌がるサラーナを半ば無理やり王太子の側室に差し出した連中は、正直信用がならないが、いざとなれば守り神たる竜神様に睨みを利かせてもらえばいい。


「うん。でもその前に。食屍鬼(グール)がまかり間違って生き返ったりしないよう、魔石(ませき)は取り出しておいた方がいいよ。それと、この人たちの亡骸(なきがら)、なんとかしてあげられないかな?」


 斬殺され食屍鬼(グール)にむさぼり食われた兵たちの亡骸(なきがら)に目をやって、サラーナは言った。

 その心の内がどうだったのかはわからないが、ともかく自分に矢を射かけることを躊躇ったせいで殺された者たちだ。このまま放置するのはしのびない。


「そうだな。運んでいくのは無理だけど、せめて埋葬くらいは……」


 ションホルは食屍鬼(グール)に刺さった矢を抜き取ってから、その胸を短刀で(えぐ)り、彼の矢で砕かれた魔石(ませき)――魔物の体内で凝縮された魔素(マナ)の結晶体――を取り出す。

 それが終わったら、土魔法を発動して、三人を葬れるだけの穴を掘った。


「おお、すごいすごい!」


 サラーナが感嘆の声を上げる。


「まあ、時間が掛かるから実戦ではあまり役に立たないんだけどな」


 そう言いながらも、まんざらでもなさそうな様子のションホルは、遺体を運んで穴の底に安置すると、再び土魔法を発動して()(たいら)に埋めた。


「本当は俺も、お前に矢を向けるくらいならいっそ殺されようかとも思ったんだ。けど、そうしたらお前の亡骸(なきがら)は、この場で狼の餌になるしかない。……狼どころか、食屍鬼(グール)が出て来るとまでは予想してなかったけどな」


 だから、血を吐く思いでサラーナに矢を射かけ、後でその亡骸(なきがら)を回収して生まれ故郷の里に(ほうむ)り、その墓前で自害して果てるつもりだった、とションホルは語る。


「そっか。でもその判断、大正解だよ。あんたが来てくれなかったら、せっかく死なずに済んだのに、結局食屍鬼(グール)に食い殺されるところだったしね。それに、あんたが射た矢ってこれでしょ?」


 そう言って、サラーナは一本の矢を拾い上げた。

 狩りであれ(いくさ)であれ、誰が射た矢かわかるよう、目印を付けておくのは草原の民の習わしだ。

 ションホルの矢の矢柄(やがら)には、彼の恋人の名にちなんで、百合の花(サラーナ)を模した紋様が刻んである。


「これ、あたしを傷つけないよう、服のたわみと体との隙間を射抜いてたよ。さっき食屍鬼(グール)を仕留めたのといい、相変わらずすごい腕前だね」


 幼馴染から称賛を受けても、ションホルの表情は晴れなかった。


「それでも、お前に矢を向けたことに変わりはない。この償いは俺の命で……」


「ああ、そういうのいいから。それより、あたしの復讐に協力してよ」


 かすかに瑠璃色がかった夜空色(よぞらいろ)の瞳に不敵な光を(とも)して、サラーナが言う。


 ションホルにとって、ボルドゥは憧れの存在だった。

 親衛隊(ケシク)に抜擢された時は、それはそれは誇らしく思ったものだ。

 サラーナが王太子(ボルドゥ)の側室となることが決まり、我が身を引き裂かれる思いではあったが、王太子が彼女を幸せにしてくれるのならそれでいいと思ったし、彼女と一度だけ関係を持ってしまったことについても、ずっと罪悪感に(さいな)まれ続けてきたのだ。

 そんな彼の思いを、あの男は最悪の形で踏みにじった。


「もちろんだとも。絶対に許してたまるものか」


ションホルは、(こぶし)をぎゅっと握りしめて頷いた。

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