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タンポポ畑の魔女は王国の没落王子と恋に落ちる

 夜の闇に沈んだ森を、あてもなく進む。追手の凶刃をどうにかかわして、この森に逃げ込んだものの、自分が今どの辺りにいるのか定かではなかった。

「ぐっ……」

 ぐらぐらと揺れる身体を引きずりながら、どうにか足を前へ前へと進める。脇腹の傷口を押さえた手から、どんどん血が外へと流れ出て行く。

 この傷では、もう手遅れかもしれない……。

 そんな考えが脳裏を過った瞬間、目の前の視界が急激に晴れた。

 満点の星々が、暗闇に覆われていた世界に輝きを落とす。それまで執拗に進めていた足が自然と止まった。

「……ああ、美しい」

 夜の空を見上げるのは、いつ以来だろうか。

 こんなにも、星空は美しいものだったのか。

 自分の身体から、急速に力が抜けた。次に目を開けた際に視界を覆ったのは、ギザギザの黒い影だった。それがタンポポの葉だと気づくのに、しばらく時間を有した。

 こんな森の中に、タンポポ畑があったのか。

 重くなる瞼を必死に開けようとしていると、さくっと草を踏みしめる音がした。

 追手か……?

 起き上がろうとするも、一度脱力した体は言うことを聞いてくれなかった。

 その間にも、足音はすぐ傍まで近づいてくる。

 目の端に、黒いドレスの裾が翻る。残った力を振り絞り、顔を動かす。するとこちらを覗き込んでいる紫水晶(アメジスト)の双眸と目が合った。

「あら……お客様なんていつ以来かしら?」

 どうやら年若い女性のようだ。

 何故、こんな森の中に女性が一人で住んでいるのか。

 警戒のまなざしを向けたまま、ある単語が脳裏を過る。


「魔女」


 大昔、彷徨いの森に封じられた魔女がいるという言い伝えを聞いたことがある。

 迷い込んだ人の血肉をすするだの、美しい娘の生気を吸って若い容姿を維持しているのだとも言われていた。

 まさか、俺を食べるために……。

 魔女が伸ばしてくる手に、思わず全身が強張る。彼女の白い指先が、前髪をそっと撫でた。

「大丈夫、ここは――」

 そこから先の言葉は拾うことができなかった。目の前が真っ暗になったかと思うと、急に体が軽くなったように意識が途絶えた。


               ◇◆◇


 次に目覚めた場所は、清潔に整えられたベッドの上だった。

 木目の天井をしばらくぼんやりと見上げる。

 ここは……?

 鈍麻した思考を必死に巡らし、頭を動かして室内を見渡す。

そこはこじんまりとした部屋だった。木の円卓(テーブル)と椅子、分厚い本が詰め込まれた本棚に、作業机らしき薬瓶やすり鉢、乾燥させた薬草らしき束がいくつも並べられていた。

「確か……森の中で倒れて……」

 記憶を手繰り寄せるように呟いていると、目の前の扉が外から開けられた。入ってきたのは、水の張った桶を手にした年若い女性だった。

「あら、騎士さま。目が覚めましたか?」

 若い女性は花が綻ぶように微笑む。その邪気のない笑顔に、返事も忘れて見入ってしまった。しかし、ベッドの傍に女性が歩み寄ってくると、その紫水晶のような色合いの双眸に目がいった。

 それまで身体を横たえていたベッドから跳ね起きる。すると、脇腹に刺すような痛みが走った。傷口を押さえて蹲る。

「急に動いてはいけません。酷い怪我をしていたのですよ」

 魔女の指摘の通り、腹部には清潔な包帯が巻かれていた。おそらく、目の前でこちらを覗き込んでくる魔女が手当てをしてくれたのだろう。

「……何が目的だ?」

「え?」

 痛みから、食いしばった歯の間から声を絞り出す。魔女は少し困ったような顔でこちらをじっと見つめてきた。

「お前は彷徨いの森に封じられた魔女だろう? 魔女は人の血肉をすすって糧としていると聞く。それが、何故負傷した人間の手当てをするのだ?」

「魔女……そうですか。『外』では私は『魔女』と呼ばれているのですね」

 男の詰問に、魔女は怯えるどころか、どこか憂いた様子で表情を曇らせた。

「質問に答えろ。何が目的で私を生かした!」

 男は再度問いかける。しかし、魔女はどこか泣きそうな笑みを浮かべただけだった。

「私があなたに求めるものはありません。理由もありません。どうせ、誰も私を救うことなどできないのですから」

 魔女はそれだけ言うと、持ってきた桶を清潔な手ぬぐいとともに円卓へ置いた。

「お腹が空いたでしょう。朝食を準備してきますから、それまでにこれで体の汚れをとってください」

 そうして魔女は部屋を出て行った。男はしばらく、部屋を出て行った魔女の後ろ姿を目で追っていた。やがて、円卓に置かれた手ぬぐいへそっと手を伸ばす。


               ◇◆◇


 魔女は言葉通り、男に何も求めてはこなかった。

 男はタンポポの花が咲き誇る庭で、毎日の習慣であった鍛錬をしている。木刀を振るい、傷の回復具合を見ながらふと息をついた。

 彼の視線の先では、離れた場所でタンポポを収穫している魔女の後ろ姿があった。

 初めてこの小屋で目を覚ましてから二週間近く、魔女は甲斐甲斐しいほどに男の傷の手当てをしてくれた。男は魔女の献身とも思える厚意に戸惑うばかりだった。

 むしろ、何か打算のようなものがあれば扱いもしやすいものを……。

 男は戸惑いから日々、魔女の行動を観察するようになった。それがやがて自分の意思とは関係なく彼女の仕草に引きつけられ、気付いたときには後戻りできない恋慕の念を抱くまでになっていた。

「……今日もタンポポ尽くしの料理か?」

 食卓に並べられる料理を眺めながら、男はため息をついた。

 二週間、この小屋に滞在していてタンポポを使った料理が出ない日はなかった。

 タンポポの若葉を使ったサラダに、花びらを練り込んだパン、同じく花びらをオレンジと漬け込んだジャムに、根とそのほかの野菜や干し肉を一緒に煮込んだシチュー。日ごとに多少の違いはあれど、だいたいこんなメニューだった。

「だって、たくさんあるんですもの」

 そう言って悪気なく笑う魔女に、男はげんなりした顔つきになる。

 いくら庭一面にタンポポが植えてあるとはいえ、食卓にまでそのタンポポを持ち出さなくてもいいだろうに。

「タンポポは花から根まで全て食べられるんです。せっかくなら有効活用したいじゃないですか」

「意外と合理的なんだな。とはいえ……食事の度に出してこなくても……」

 干し肉ばかりでなく、焼いた肉を丸ごと食べたい。

 男がもらした本音に、魔女は申し訳なさそうに眦を下げた。

「『外』へ買い出しに行ければいいのだけれど……私はここから出られないから」

「……君は、どうしてこの土地に縛り付けられているんだ?」

 男は伏せていた顔を上げた魔女の顔を凝視した。タンポポの若葉をドレッシングに絡めて口へ運ぼうとしていた手が止まる。

 どこか張り詰めた沈黙が、二人の間に流れる。それでも、男の好奇心は止まらなかった。

「君は俺が伝え聞いている『魔女』像とはだいぶかけ離れている。それに、人を殺したことがあるようにも見えない」

 男の疑問に、魔女は沈黙を貫いた。平静を装うためか知らないが、止めていた食事の手を動かす。そんな魔女の行動に、ムッとした男は魔女の手からするりとフォークを取り上げた。顔を上げた魔女の紫水晶の瞳と男の碧眼が間近で絡み合う。

「あ……」

「君の身に、一体何があったんだ?」

 男の青空を思わせる碧眼を前に、魔女はその血の気の薄い白肌に朱を差した。スッと視線を外す魔女を、男は目をそらすことなく見据えた。

「昔……王国の魔術師に王が命じたのです」

 魔女は観念したように口を開いた。

「王国の王は美しい娘をたいそう好み、囲われることを拒絶する娘たちには様々な罰を下しました」

 私も、その一人……。

 魔女は今にも泣きそうな顔で微笑(わら)った。

「王の妃の一人になることを拒絶した私は、この森に閉じ込められました。それ以降、この森を訪れた人間は誰一人としていません。どれだけの時が経ったのか、私に知る術はありません。ただ……解けぬ呪いの中で変わらぬ日々を送る。それが私の受けた罰です」

「……なんと酷なことを」

 男はギリッと奥歯を噛み締めた。魔女はただ寂しく笑うばかりだった。


               ◇◆◇


 男は衣服の上から防具を纏う。鉄と鉄がこすり合う音が、狭い部屋で響いた。

「もう、立たれるのですね」

 すっかり武装を整えたところへ、魔女が顔を覗かせた。その表情には様々な感情が浮かんでは消えている。中でも、ひどく男の目を引き付けたのは、魔女がこちらへ向ける確かな熱だった。

「正直……時間がかかるかもしれない」

 男は魔女に向き直ると、傍に歩み寄って彼女の手をとった。その白い手の甲に、己の唇を落とす。

「私は王宮を追われた身……。あなたをこの地に縛り付ける連中を倒すためには、信頼のおける仲間が必要です」

 男は決意のこもった声音でそう魔女に告げる。その碧眼には、魔女への慈しみと心からの愛情が見え隠れしていた。

「愛しい人。私は必ず貴女を迎えにきます。どうか、それまで待っていてほしい」

 男は魔女の腕を引き、その華奢な体を腕の中に閉じ込める。

「貴女が私に希望をくれたように、私も貴女をこの呪縛から解き放ちたい」

 己を抱きしめる腕に力がこもる。魔女は黙って男の胸に顔を埋めると、震える手を男の背に回したのだった。

 そうして、タンポポ畑の先へと姿を消した若者の背を、魔女はどれほどの時を待ち続けただろうか。一か月、二か月と月日が流れるうちに、魔女の胸を焦がす男への思いは膨れ上がっていった。

「ああ、あなたもまた、ひどく残酷な人……」

 魔女の唇からこぼれた恨み言は、太陽に向けて咲き誇るタンポポの黄色い花弁に落ちて消える。雲一つない空を仰ぎながら、落ちた雫がタンポポの花弁を静かに濡らした。

 男がこの森を出て五年。

 魔女は今日も食材となるタンポポを摘みに庭へと出た。

「え?」

 小屋の扉を開け、魔女は思わず目を見開いた。立ち止まった彼女のつま先が、白い綿毛を散らす。

どれほどの時が流れようと、大地を一面に黄色で覆っていたタンポポが真っ白になっていた。真っ白に彩られた大地に、見慣れない人物が佇んでいることに遅れて気づく。

 顔はやややつれた様子だったが、こちらを見つめる優しい碧眼は忘れもしない。

「あ、あ……」

 抱えていた籠を地面に落とす。パッと白い綿毛が虚空へ散った。

「遅くなり、申し訳ありません」

 豪奢な外套(マント)の隙間から、男がこちらへ腕を伸ばす。すると、一面を覆っていた白い綿毛が風に吹かれて飛び立ち、青空の風景を消して彷徨いの森の木々の緑へと風景を塗り替えていく。

「あぁ……やっと、やっと……」

 魔女は差し出された男の手を取り、そのまま彼の胸の中へと飛び込んだ。

「約束したでしょう? 必ず貴女を迎えに来ると」

 男の囁きに、涙で濡らした目を閉じ、何度も首を縦に振る。

 大地に縛り付けられていた呪縛は解かれ、白い綿毛となったタンポポの花はどこまでも自由に森の外へと飛び立っていったのだった。

Copyright(C)Itsuka Kuresaki 2023

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