天の声だったりしない
「あれ、こんなところで何してるの?」
透き通るような、穢れの無い声色。
正体を確かめるべく、相坂は首を回すも、見当たらない。
「僕は上空に居ないけど?」
どうしようかと思い、曇天を眺めていたままだったのを、幼そうな声の持ち主に笑われた。
相坂の脳内は、突沸寸前だった。
「不覚だった?一生の恥になった?」
「ならない」
一文字一文字強めに言い、頭をどうにか冷やし、改めて目を左右に動かすと、たちまち黒い靄が流れ込んできた。
「…何これ?」
相坂は、声の正体をまだ、捉えられていない。
「天の声、とかだったりする?」
「しないよ。目の前にいるじゃないか」
相坂の目の前、黒い靄と、隙間から見えるコンクリの壁。
声の正体は、黒い靄だった。
「声帯どうなってるの?」
「そこかよ…。知らないけど」
相坂が不機嫌そうに明後日の方を向くので、黒い靄は苦笑いを見せた。
「じゃあ、君は何なの?」
「僕は…何だろう、そうだね。鯖、とでも名乗っておこうか」
靄が鯖を冠するとは何事か。
「鯖、此処は何処なの?」
「知らないよ。僕も迷い込んじゃったからね」
「迷い込んだ…そうか、同じなんだ」
「うん。ねぇ、ところで、出口、あるよ?」
「…は?」
「見えない?ほら、あれ」
「ごめん…見えない」
出口があるなら早く言って欲しかったが、虚言ならば許さない。
「君もだめか…」
「出口があるなら鯖は出ればいいよ」
「見えないよ。君は、見えるのかなって、気になっただけ」
何だろう、鯖のペースに乗せられているせいか、無性に苛ついてくる。
しかも、嘘、嘘、嘘。次は刺す。
「いや、悪気はなくて…君が出れるなら、早く出たほうがいい。それを伝えたかったんだ」
「普通に言ってくれれば」
「遊び心が無いなぁ…まぁ、そんな悠長な事、言ってられるのは今のうちだけかもね」
「何か、あるんだ…?」
「まぁ…僕も、元の姿は覚えていないけど、人間の形ではあったのは、覚えてる」
黒靄は、急に自分語りを始めるが、今のうち、が嫌なほど頭に残ったのもだから、相坂は興味が未だ湧いていないが、黒靄の話を聞くことにした。
「それが、段々今の形になって、日付感覚が狂ってきてるから何年ここに居るか分からないけど」
「今は、21XX年—月—日」
「あれ、三十年も経ってらぁ」
若々しい声に、黒靄は小学生程度の子供を連想させられたが、三十路だったとは。
「次は刺す」
胸元から取り出した、値段が少し高めのペン先が鋭いボールペン。相坂は心中思っていたことを実践しようとしていた。
「待ってよ。その約束、僕としてないよね?ちなみに僕は口約束は信用できないから書類を通して、締結して」
「面倒くさい事言わないで。こっちのルールに合わせて」
思ったより相坂が傲慢であったので、鯖は怒るかと思われたが、意外にも、噴き出して笑い出す。
子供みたい、何て言いながらお腹を抱えて笑っていた。