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「本日から一ヶ月短気アルバイトをしてくれることになった藍川大気君だ」
「藍川大気です。宜しくお願いします」
と次長に紹介された青年は元気良く挨拶をする。
どこから見ても美青年。
茶髪ぽい長髪に片耳ピアスが、よく似合っている。
身長は175㎝ある次長より遥かに高い。
どこか遊び人ぽい面影があるけれど、本当はとっても頼りになりそう。
だって瞳が透き通っていて、キレイだから。
それがあたしの第一印象だった。
「藍川です」
「あ、桃山飛鳥です。宜しくお願いします」
藍川さんは、あたしの隣の空いている席に座った。
半年前に、転勤になったあたしの指導官が座っていた席。
この会社って、結構いい加減なんだなってその時思ったもん。
だって、入社して半年も経たないバカ女に仕事を任せちゃうんだよ。
「藍川君には、桃山さんが主にやっていた業務を手伝ってもらいます」
「え?」
「その変わり桃山さんは、桜沢課長の業務をして下さい」
リーダーの言葉に、あたしは少しだけ目眩がした。
ああ、ようやく自分の仕事に慣れてきたのに、また新しいことを覚えなくてはならないのか。
「まあまあ、そんなに落ち込まないで、桃山さんならすぐにできるようになるから」
がっかりしているあたしに、課長は微笑みながらそう言う。
何よ、前は物覚えが悪いって怒ってた癖に。
今日は、機嫌がいいみたい。
本当いい加減なんだから。
あたしの勤めている会社は、自分で言うのもなんだけど、一流の証券会社。
一応本社採用なんだけど、配属先は地元の工場。
どんな仕事をしているのかと言うと、製品にするための原反を買っている。
職場の人達は、真面目そうに見えるけれど、笑い上戸の志村リーダー。浮き沈みが激しい桜沢課長。イケメンの河田さん。冗談好きの伊根さん。お母さん的存在派遣社員の田瀬さん。そしてあたしの七人。
本当は、先月までパートの須々木さんって言う人がいたんだけど、先月の土曜日入院したらしいんだ。
あたしは須々木さんのことが好きじゃなかったから、清々しているんだけどほんの少しだけ心配。
あ、だから、藍川さんを雇ったのか。
みんな、三月が終わるまで忙しいっていつも言っているもん。
あたしにとって、初めての三月だからわからないけど。
それにしても、藍川さんっていくつなんだろう?
気になるな。
「桃山さん食堂に案内してくれませんか?」
「え?」
昼休みになるなり、藍川さんに尋ねられる。
あたしは、びっくりして藍川さんの顔をまじまじ見てしまった。
「駄目ですか?」
「あ、いいですよ」
今日はたまたまお弁当を持ってきてなかったので、了解した。
コンビニで買わなくて良かった。
「本当、ありがとう」
ニコ
藍川さんが、笑った。
そしてあたし達は、四階の食堂に向かった。
「桃山さん、食堂のおすすめってあるんですか?」
食堂はやっぱり込んでいた。
あたし達は最前列に並び順番を待っていると、藍川さんがあたしに尋ねる。
「すみません、私もあんまり利用したことないので」
「いいですよ、謝らなくって」
「あ、でも確か今日の課長のオススメは、B定の餃子フライとかに玉風味のオムレツだったと思います」
課長が毎週食堂の献立表に、オススメ品をラインマーカーを引いてあるのを思い出した。
一説によれば、ただ適当に引いているだけだという噂もあるのだが。
「そうなんですか」
藍川さんは、あたしの答えに満足したようだ。
今度はあたしが質問してみよう。
「あの、藍川さん」
「はい?」
「藍川さんって、おいくつなんですか?」
朝からずっと気になってたことを聞いてみた。
短気アルバイトって言うのだから、大学生?
二十代前半ぐらいだと思うんだけど。
「十九、大学一年です」
「え、なんだ。あたしと同い年じゃん」
藍川君(同い年なので、君でいいよね。)の答えにあたしは緊張の糸が解れた。
「やっぱり、俺もそうじゃないのかなって思ってたんだ」
藍川君も、丁寧語を使うのを辞めた。
私から俺。
なんか、俺の方がカッコイイ。
そうか、同い年か。
入社して初めてだな。
そりゃ、入社式の時は同い年がたくさんいたけれど、ほんの一時だけ。研修なんか部長と一対一でやってたもん。
やっと、あたしにもチャンスが回ってきた。
よーし、藍川君と仲良くなって男の子紹介してもらおう。
「藍川君、あたしと友達になりましょう」
勢い余りあたしは、突然意味不明なことを言ってしまった。
すると、藍川君は、
「ぷっ」
笑い出す。
まさか、あたしのことおかしな子だと思った。
なんで、こんな子に案内を頼んだこと後悔している?
自己嫌悪に落ちるあたし。
しかし藍川君は、
「おもしろいこと言うね?」
そんなこと、全然思ってなかった。
おもしろい?
あたし、そんなにおもしろいこと言った?
今度は、あたしが目が点になる。
「桃山ってよく幼いて言われるだろう?」
ブン、ブン
首を大きく縦に振る。
やっぱりあたしって、幼く見えるんだ。
童顔だから余計かも。
「どういう所が、幼っぽい?」
「そうだな、全部」
「え~、それじゃ直せないよ」
「いいじゃん、直さなくても」
「そうかな?」
「そうだよ、可愛らしいし」
子供相手にからかうかのように藍川君が言った。
完全に子供扱いされている。
頭に来るより、あたしはあいつの顔がふっと頭によぎった。
あたしにとって唯一の青春。
あの時は、毎日が夢のようだった。
高校時代あたしは、三年間毎日のように放課後になると、図書室へと通っていた。
図書室にはいつも工藤がいた。
あたし達は毎日遅くまで、くだらないおしゃべりをしていたり、勉強をしたり、たまに一緒に帰ったりしていた。
工藤はよくあたしを子供扱いしてからかってた。
でもあたしは、そんな工藤のことが大好きだった。
優しくって、いざという時は頼りになるそんな男子。
今思えば、絵に描いたような青春を送っていたんだな。
「桃山」
「はい」
藍川君の声で、あたしは我に返った。
「俺なんか悪いこと言った?」
「へ、なんで?」
「いや桃山、一瞬だけど寂しい顔になったから」
「気のせいだよ」
「そう」
すごい観察力。
本人ですら、そんな顔した覚えないのに。
なんとなくあたしは、藍川君の顔をのぞき込む。
堀深い目鼻立ち。
赤く染めたようなみずみずしい唇。
輪郭もしっかりしている。
こんがり焼けた肌の色はスポーツマン。
近くで見ると、難癖も付けられない程のイケメン。
こんな人の恋人はどんな人だろう?
この時は、まだこれから起きる事件など想像もしなかった。
まして彼が、あたしの人生を変えることなど。
「桃山、今日はバスじゃないんだ」
藍川君がそう言いながら、あたしの所に駆けよってくる。
「あ、藍川君。うん、今日はよりたいところあるから」
「そうなんだ。どこ行くの?」
「新しくできた激安店」
片手に持っていたチラシを藍川君に見せる。藍川君は、チラシを見るなり、
「俺も、行こうかな?」
と呟く。
「じゃあ、一緒に行こうよ」
「そうだな」
そう藍川君は、いつもの笑顔で答える。
ドキン
突然胸が熱くなり、鼓動が早くなった。
藍川君が来て、早いもので二週間が経つ。
須々木さんは、依然入院したまま。病気なのか怪我なのか、どこに入院しているかさえ不明。
それなのにリーダー達は須々木さんの話などまったくしていない。
まるで前からいなかったように。
なんか少し寂しい気がするが、あたしも変わりに来てくれた藍川君がいるのでそんなに気にはしていない。
藍川君は外見と違って、真面目なのだ。
仕事は速いし、正確。
のろまなあたしの仕事を手伝ってくれる。
あたしは、新しい仕事にまだ慣れないって言うのに。
今では、どっちが正社員なのかわからなくなってきている。
このままでは、あたしがクビになるかもしれない。
それから、藍川君は優しい。
あたしのドジをフォローしてくれる。
こんなあたしを、嫌がらず接してくれる。
「ねぇ、藍川君?」
交差点に差し掛かった時、あたしは思いきって藍川君に話しかけた。
「ん?」
「藍川君って、彼女いる?」
「な、なんだよいきなり」
お、照れてる照れてる。
「だって、こんな風にしてたら彼女に勘違いされそうだから」
照れている藍川君に、あたしはいたずらぽく答える。
「いないから、大丈夫だよ」
「ウソだ~!!」
「本当だよ、本当」
「だったら、理想が高すぎるの?」
「そんなことはないよ」
「じゃぁ、好きな人いるとか?」
「好きな人じゃないけど、気になる奴はいるよ」
「やっぱり、どんな子?」
すっかり藍川君は、あたしのペースになっている。
「幼馴染み、すごい心配性で家庭的な奴」
藍川君は、月を見ながらちゃんと正直に答えた。
空には、月と星が五、六個見える。
こんな言い方は変かもしれないけれど、都会で星がこんなに出てるなんて知らなかった。 あたしずーと、星なんて一、二個見えればラッキーだと思ってた。
「ふーん、恋愛小説の黄金パターンね」
あたしは、ワザとつまんなそうに言い返す。
まぁ、本当に黄金パターンなんだけど。
「悪かったな、黄金パターンで。そう言うお前はどうなんだ?」
そう来たか。
「星が、きれいね」
あたしも空を見ながら、話題を変えようとした。
「まさかとぼけたりなんかしないよよな。俺に散々聞いといて」
藍川君の視線が痛い。
どうやら、話題はそう簡単には変えられないらしい。
「わかんない」
しばらく沈黙が走った後、あたしは独り言のように呟いた。
「なんだよ、それ?」
「高校の時、すごい仲良くしてた男の子がいたの。だけど卒業してからは会ってない」
あたしは、人事のように明るく答える。
「……ごめん」
「あ、気にしないで」
謝る藍川君に、あたしは手をばたばたさせる。その時、あたしは何かにつまずいたらしく、バランスを大きく崩した。
「きゃぁ?」
思わず、声を上げた。
転ける~?
だけど、あたしは転けなかった。
藍川君が抱きかかえてくれたのだ。
「だ大丈夫か?」
「うん、あありがとう」
慌ててその場を離れた。
藍川君の腕暖かい温もりだった。
がっしりした体。
これが、男の人。
もう、心臓がバクバク鳴っている。
顔だってリンゴちゃんになっているだろう。
体に悪いよ。
それに本当に藍川君のことが好きになっちゃうんじゃない?
そんなことになったら、絶対に駄目なんだからね。
どうせ、藍川君には幼馴染みがいるんだから。
もしいなくっても、あたしなんか藍川君が相手にしてくれるはずがないじゃない。
チラリと藍川君を見ると藍川君は平然な顔をしている。
あたしは、激安店まで藍川君と無言のまま向かったのだ。
「ところで、桃山は何しに来たんだ?」
暗い外とは違い、お店の中は明るい。
人も結構いてにぎやか。
「え、お菓子とか日用品だけど」
「え?」
「ここ、定価より半額近く安いから。同じものを買うなら、一円でも安い方がいいじゃない。ほら、ちりも積もれば山となるってよく言うでしょう」
バックから取り出したチラシを見ながら、あたしは元気良く答える。
すると、後ろからかすかな笑い声が聞こえた。
あたしは後ろを振り返ると、藍川君が笑っている。
「藍川君?」
「桃山、今のセリフおふくろの口癖と同じ」
しまった。
つい口が滑った。
あんなセリフ今どきの若い娘は言わないよ。
なんか藍川君といるとホットして本当のこと言っちゃうんだよね。
そう、あいつの時見たいに。
なんでも、話せる。
「桃山は、いい奥さんになれるよ」
藍川君が笑ったまま何気なくそう付け加えると、あたしはなんだか寂しくなった。
「冗談はやめてよ」
「冗談?」
「そう、あたしが結婚できるはずないじゃない。自己中心でバカでおまけに障害者。すべてが変な奴なんだもん」
明るく言っているうちに悲しくもなる。
「桃山は純粋で素直だよ。それに障害なんて関係ないよ」
「ありがとう。ごめん、あたし帰るわ」
と、あたしは何も買わずに店を飛び出した。
なんで、あんなにムキになったんだろう?
友達とだったら、素直に喜んでたはず。
藍川君に、言われたから?
もしかして、あたしはもうすでに好きになっているのかも。
優しくって、かっこよくって、ワイルド系。
まるで童話に出てくる勇者みたいだもんな。
普通の女の子なら誰だって好きになっちゃうよ。
それにしても、純粋で素直か。
障害なんか関係ない。
初めてだなそんなこと言ってくれた男の人。
でも、赤の他人だからそんな風に言えるんだよね。
なんか、すごくみじめ。
結局あたしは、あの時の繰り返しになるんだ。
終わりなき迷宮。
昔そんな漫画読んだっけ。
主人公は、本当の出口を見つけられないまま同じ過ちを繰り返しの日々を送っていた。
最後は、幼馴染みが助けてくれる。
だけど、あたしにはそんな人いない。
あたしには本当の出口なんかないんだ。
このまま、ずーと死ぬまで迷い続けているんだろう。
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