「モーディフォードのモード」①
※この章には、一部残酷に感じられる展開・表現があります。苦手な方は読むのをお控えください。
――『ワイバーン』について話そうか。
――ワイバーンは前足が翼で二本足を持つドラゴンとよく似た生き物。とされて
いるが、ワイバーンは本当の意味でドラゴンじゃない。
――ワイバーンには伝説/神話が無い。故にして無限の想像で産物たる幻想だ。
――人間の権威欲から生まれた象徴で、想像で形作られる『虚構の
竜種』。
――ワイバーンの物語で好きなのがある。
――舞台となるはイングランド南西部のヘレフォードシャー。騎士王伝説にまつ
わる巨石が残っている伝統ある土地でもある。彼の王もドラゴンと言われる
ね。
――ヘレフォードシャ―にあるモーディフォード村の教会には、ワイバーンが描
かれた壁画があるんだ。
――今日は、その壁画に描かれた物語『ワイバーンと少女』についてだ。
モーディフォード村のモードという少女は動物が大好きだった。けれど、両親に禁止されているせいでペットを飼えなかった。
同年代の村娘たちと裁縫や家事仕事をするよりも、男連中と混ざって家畜の世話を焼いたり、森に行って動物たちと戯れる方が楽しかったモードにとって、ペットを飼えないのは苦痛だった。
そんなある日。
モードは森で、弱ったヒナを拾った。
ヒナを助けたい一心で、モードはヒナを家に連れ帰って精一杯介抱した。
少女の献身で元気を取り戻したヒナは、モードを親のように慕った。
元気になったヒナの姿を見たモードは喜んで、誇らしい報告を両親に伝えた。
両親はヒナの姿を見て驚愕した。
――ヒナは、ワイバーンだったのだ。
両親は怒り狂って、モードにヒナを森に捨ててくるように迫った。
わめき散らかす両親の言葉の意味は理解できないが、その勢いのままヒナを殺されるかもしれないとモードは恐怖を感じて、ヒナを抱えて家を飛び出した。
モーディフォード村に、遍歴の囚人騎士が滞在していた。
村長の家でたくましい大男が樽酒をあおっている。この男が村長の家に宿泊してまだ一週間も経っていないが、すでに村長の家にあった酒は飲み干されそうになっていた。
「んぐんぐんぐ……プハッ。いやぁ、はは! これもいい酒だ。ここはいい村だな、村長」
「そ、それはどうも……」
男の名はガーストン。戦場で偵察任務に失敗し、味方に損失を出す罪を犯して領主から実刑が言い渡された。しかし、正規の騎士であるために、領内で功績を上げる事で免責を受けられる囚人騎士制度の対象となった。今は遍歴し、各地で猛獣退治や賊退治をやって免責分の功績を集めていた。
囚人騎士を示す錠前付きの首輪の上から首を掻くガーストン。
「チッ。汗で痒いったらねぇ。おい、村長。この辺りに川はあるか?」
「ええ、あります。森の中に」
「そうか。水浴びも考えねばな。まあ、今はいい。それよりも酒だ」
「あの、騎士殿。もう酒の在庫は……」
おずおずとそう告げた村長に、ガーストンは見向きもせずに手を振って返事をする。
「元より、この樽で最後にするつもりだった。十分に英気は養えたからな、明日からは調査を始めねばならん」
「あのぉ。そもそも、騎士殿はどうしてこの村に?」
「ふっ、聞きたいか? ワイバーン退治に来たんだよ」
「わ、ワイバーン⁉ まさか遂に申請が受け入れてもらえたのですか!」
「ああ。ああ。そうだそうだ。……フハハハ」
村長の驚く様を見て、堪えきれなくなって大笑いするガーストン。
モーディフォード村の周辺にワイバーンが出没するようになったのは半年前から。何か大事がある前に、と村長が領主にワイバーン退治を申請していた。その頃、ちまちまとした悪党退治でなく、一発大きな功績を上げてさっさと罪の清算をしたいと考えていたガーストンが狙ったのはワイバーン退治。
そして、領主の下に届くはずの申請書類を盗んで村の情報を知った。
まさか申請が横取りされていると知りもしないで、盗人のような自分に期待のまなざしを向ける村長をバカだと笑っていた。
「し、しかしワイバーンの目撃は森ですぞ。この村に姿を見せたことはない」
「知っている。ここには調査で滞在する予定だ。情報もないのに突撃するなど、ただの無謀だからな。もちろん、調査の間は村を守ってやる。俺は正規軍にも参上したことがある騎士だ。こんな田舎じゃ到底雇えん優良株だ。ありがたく思えよ。ハハハ!」
「は、はぁ。まあ、ワイバーンをなんとかしていただけるなら酒も安いか……」
ワイバーンの縄張り調査と警護という大義を押し売りして、ガーストンはモーディフォード村に正式に滞在することになった。
夜。村外れの森の中。
「ごめんね、ジェリー。パパもママも、お前を勘違いしてるんだよ。こんなに可愛いのに」
「キュイ!」
ワイバーンのヒナをジェリーと名付けたモード。抱きかかえるジェリーに語り掛けながら、出来るだけ村から遠い場所に行こうと歩く。
ジェリーは少女に頭をすり寄せている。完全に信頼しきっている。
その愛らしさが、さらにモードの心を痛く締め付けた。
渋々とではあるが、モードは両親の言いつけに従うつもりだった。
親の言うことは絶対。大人は正しい。それが、モードが教わって来たことだったから。
森の奥まった所にある広場――よく森に来るモードだから知っていた秘密の空間――に到着した。
モードはジェリーを地面に降ろした。
キョロキョロとジェリーは首を振る。
ジェリーが周囲に感心を向けている間に、モードはだっと来た道を駆け出した。
「キュイ、キュイイ!」
「ッ!」
ジェリーの悲痛な叫びを背に受けると、モードの足が止まってしまいそうになる。
それでもモードは走った。逃げるように家へと。
数日後、モードは森に戻ってきた。
何をしていてもジェリーのことが頭から離れない。最後のあの叫びが、まるで自分を責めるようにずっと耳にこびりついていた。
例の広場には、ジェリーが残したと思われる糞や遊びに使った木の棒が散乱していた。けれど、肝心のジェリーの姿がなかった。
「ジェリー? ああ……」
糸が切れた人形のようにモードはその場にへたり込んだ。少女の顔は絶望に染まった。
満足に餌も得られずに守る者もいない環境で、ジェリーはもう死んでしまったのではないか。ならば、それは間違いなく自分のせいだ。
そう思ってしまって、モードは胸がきつく締め付けられる。
うずくまって胸の右あたりを強く握る。
「――キューイ!」
幼く甲高い声が聞こえて、はっと顔を上げるモード。
広場に転がる倒木の中から、ジェリーが飛び出してモードの下に駆け寄った。
「ジェリー、ジェリー!!」
モードはジェリーを力いっぱい抱きしめる。
「ジェリー、あたしのジェリー……こんなに瘦せてしまって。ごめんよ、ホントにごめん。誰に何を言われたっていい! あたしがお前を育ててみせる。あたしはお前とずっと一緒に居る!」
「キュイ~」
それからというもの。
モードは村の人間に見つからないように、ミルクや干し肉を持って足しげく森に通った。森で狩りが行われる時には先回りして、ジェリーを狩場から避難させて、人目につかないように気を付けた。
日をおうごとにモードの身体はがっしりとしていって、服がいつも土で汚れていた。
両親は、モードが日ごとに女の子らしくなくなっていくのを心配していた。いつか彼女が大人となったとき、当たり前の幸せを手に出来ないのではないかと。
親の心配をよそにして、少女は活きいきと駆けまわって笑顔だった。