全て「私」に任せて……
『汝に問う。汝にとって汝とは何であるか?』
呼吸ができる湖の中にラピスたちの姿は見えない。
だが、見たことがない少女が目の前に立っていた。風もないのに緑の髪が揺れ、薄暗闇のなかで不思議な瞳が妖しく光る。
『答えよ。汝は一体なんだ?』
リーシェはその問いにはっきり答える。これまで様々なトラブルと向き合ってきて、自分のことはよく分かっている。
「私はリーシェです。畑が好きで、自然が好きで、あの町が大好きなリーシェです」
『違う』
自信を持って答えた解答に否を唱えられて眉を寄せる。
本人がそう言っているのだから、誰がなんと言おうとこれが真実では無いのだろうか。
怪訝に思っていると、見知らぬ少女は冷たく言い放った。
『汝は人殺しだ』
その言葉にハッとなった。
リーシェの前世は宇宙を漂うコメットだった。
無重力の星海を長い時間揺蕩い、その終わりは不思議な飛翔物体との衝突だった。
その物体の中には人間が乗っていたのが一瞬見えた。
『汝は、汝の最後に1人の男を殺したのだ。人殺し以外の何者でもない』
本当は分かっていた。王都で前世のことを知ってから、心の奥底では認識していた。
リーシェは人を殺して生を終え、この世界に生まれた。
今思えば、あの悲惨な10年間はその報いだったのかもしれない。
全く関係ないと切り離せるはずなのに、リーシェにはそういう風に思えてならなかった。
『そして汝が殺した相手もこの場所にいる』
混乱している頭に告げられた衝撃の内容にリーシェは放心する。
一体誰なのだろう。前世でリーシェが殺してしまった人は、リーシェの前世のことを知っているのだろうか。
「誰、ですか?私が殺してしまった人は、一体誰なんですか!?」
泣きそうな程に顔を歪めた少女に対して、感情のない顔で少女は言う。
『ラピスだ』
「……ラピス、様?」
ずっと近くにいたのだ。
最初から隣にいた人物を、リーシェは前世で殺したのだ。
「彼は知っているのですか?」
『あぁ。知っているし、お前のことにも気づいている』
罪の罪悪感に押しつぶされそうになる。
早々に膝を折ろうとしたリーシェに少女は続けた。
『汝らは殺し合う運命にある。伝説が2つに分かたれたのも、宿命が汝らを殺し合わせようとしているのだ』
「違う。前世がどうであれ、私とラピス様は共存するためにこの世界に生まれたのです!」
『そんな綺麗事は聞いていない。汝は人殺しである。そんな自分を汝はどう思う?』
考えたくない。
平穏を求めていた。平和を願っていた。安寧を祈っていた。
でも、誰よりもそれらから遠い恋をしたのは自分だった。
かけがえのない、1人の人間の人生を終わらせた自分に、平穏を望む資格はない。
そう思ってしまった。
リーシェには平和に過ごす資格がなく、あの優しい人々の輪の中に入る権利もない。
認めたくない。
自分が人殺しなんて事実なんて。
認めたくない。
平穏に過ごす資格がないという現実なんて。
認めたくない。
少年と殺し合わなけれはならない宿命なんて。
「私は……そんなもの、認めたくありません!」
『なぜ?』
「だってあまりにも残酷じゃないですか!前世が人殺しだったから、私に平穏は来ないなんて酷すぎるじゃないですか!」
『嫌なの?』
「嫌に決まってます!痛いのも、辛いのも、苦しいのも、私は大嫌いなんです!!」
『なら、汝が消えてしまえばいい』
静かなのに妙に響いた声。
穏やかなのに妙に刺さった言葉。
無表情なのにどこか歪んで笑っている顔。
猛烈に嫌な予感を感じた。
だけど、もっともな言葉にリーシェは声を失ってしまう。
(消える?私が?)
『痛いなら消えてしまえ。辛いなら消えてしまえ。平穏を望む心を消してしまえ。そうすれば……ほら、もう苦しくない』
少女の手がリーシェの両目をそっと覆う。
強い眠気が瞼を重くさせて、罪悪感に激しく揺さぶられていた心が沈んでいく。
『安心して。私があなたの代わりになってあげますから。苦痛も悲哀も罪悪も後悔も、全部私が請け負ってあげる』
声が出ない。呼吸の仕方が分からなくなる。全身から力が抜けて、熱いような、寒いような感覚が体を満たした。
最後に指の間から見えた自分とそっくりの顔は、艶然と微笑んでいた。
『私はあなたの力。私は私を以て、最適の道へ駒を進めてあげます』
言葉の意味を理解する思考力も湖の底に沈み、リーシェの意識は暗転した。
リーシェはなにかに体を乗っ取られてしまった、という認識でOKです





