セト ダイキという男の願いは
ラピスにとって、前世の記憶とは教科書だ。辞書、と言っても良い。
漁れば何かしらの知識が出てきて、いつも王都を発展させるための方法を教えてくれる。
ラピスにとって、セト ダイキとはテキストの著者だ。
記憶という本を綴り、まとめ、遺した者だ。
ただのマニュアル。ただの作者。それ以上でもそれ以下でもない。
あまりにも自然に自分の中にありすぎて、前世の記憶があることに何も考えたことは無かった。
少年にとって、いま目の前にいる男は道具と同じだった。
『問おう。お前にとって、記憶とはなにで、俺とはなんだ?』
ダイキが再び問いを投げる。
ラピスは一切の迷いなく冷酷に言い渡した。
「それらは全て道具だ。お前もこの記憶も全てな」
ギリ……と黒髪の青年が歯を鳴らした。
拳が触れるほどに握りしめられ、前髪の奥の黒曜石の瞳が明確な敵意を乗せる。
金色の目でその視線を受け止めると逆に問い返した。
「なら、お前は何がしたいんだ?この体の主導権を奪うわけでもなく、何かを邪魔する訳でもない。それなのに俺の中にいられるのは酷く不愉快だ」
リーシェならそんな状況をこう例えるだろう。「一帯のキャベツ畑のなかに1つだけ混じるレタス」と。
ラピスという存在はキャベツだが、その中に似ているが少し違うレタスが紛れ込んでいる。
でも遠目からでは気づかない。今のようにクローズアップされて、ようやく存在を感知する。
共存しているようで孤立していて、孤立しているように見えて共存している。
ラピスのなかにセト ダイキという男は確かに存在しているが普段は忘れられていて。
忘れられているのに無意識のうちに利用されている。
ただの畑だったなら特に何も思わなかったかもしれないが、それが自分の精神の中で起きていると考えればだいぶ変わってくるだろう。
言うなれば、そう……毒のない蜘蛛のようなもの。
ラピスという存在には害をなさない。しかし、知識という牙を持って役に立ってくれる。それなのに、気味悪く思うしありがた迷惑だったりもする。
では蜘蛛自身は、何を目的に記憶という人格を保っているのか気になるのは、ごく自然な事だとラピスは思うのだ。
『俺の目的は生前も今も変わらない。宇宙に行くことだ。あの無限の黒海にまた行ってみたい』
「そうか。だからお前は、俺が都を発展させることに手を貸してくれていたのか」
『「知の力」を持つお前と発展したテクノロジーの知識を持つ俺の記憶が合わされば、いずれ宇宙にもたどり着けると考えた』
「なるほど。利用されていたのは俺だったみたいだな」
肩を竦めれば、幾分顔つきが穏やかになった青年が淡い笑みを浮かべる。
『それに、お前の中にいればあの子にも会える』
「あの子……?まさか、リーシェのことか?」
正解だったようでダイキは小さく肯定した。
『俺を宇宙の一部にしてくれたあの赤浅緑のコメット。あの子は間違いなくその生まれ変わりだ』
「だろうな」
『俺はあの輝きに導かれてこの世界に来た。「知の力」を所有するラピスの中に誕生と同時に宿った。そして運命のようにリーシェと巡り会った』
「……宇宙に行ってどうしたいんだ?また死ぬかもしれないんだぞ」
リーシェについて語り合うのは長くなる気がしたのでそれとなく話を逸らす。
そして彼の目的のその先について問いかけた。
セト ダイキは文字通り人生の全てを宇宙に捧げた。幼少の頃から宇宙以外のことにはあまり関心を示さず、しかし少しでも宇宙に関係あることなら全て覚えた。
科学も、数式も、言葉の意味も、全部勉強しているうちに、その世界のテクノロジーのほとんどを理解してしまった。
それらの努力は宇宙に行くという念願の夢を叶えるためだった。
しかし、20数年かけてたどり着いた宇宙に飛び立った瞬間、目の前の男は宇宙の藻屑と化したのだ。
実際に宇宙に行けるかどうかは置いておいて、行った場合生還できるのかが重要だ。
「お前は確かに宇宙へ行った。だが現にお前はまだ満足していなくて、未だに宇宙へ行きたがっている。ということは、お前が夢を達成したと考えるには、それなりの時間を宇宙で過ごす必要があるだろう?」
『そうだな。宇宙で死ねて幸せものだと思っていたが、俺はかなり欲深い性格をしていたようだ。できることなら宇宙に住みたいくらいだが、それは無理だろうな』
諦めたように彼は笑う。
寂しそうな笑顔を見てラピスは気づいてしまった。
リーシェが辛い過去を捨てて今を生きているように、この男も当時の喜怒哀楽を全て高き空へ捧げ生きたのだと。
なのに、酷く中途半端に彼の人生は閉ざされてしまった。
リーシェの場合で考えれば、せっかくたどり着いた安楽の地を突然追い出されるようなものだろう。
そう考えるととても息が苦しくなって、胸が傷んだ。
そして「助けたい」と。「夢を叶えさせてやりたい」と思ってしまった。
俯いたセト ダイキにラピスは「できないことは無いぞ」と声をかけた。
弾かれたようにこちらを見た青年に、少年は子どもっぽく笑いかける。
「リーシェは『重力』を操れる。俺には一流技能士であり一流宇宙飛行士のお前の記憶がある。そして俺には『知の力』がある。材料は十分に揃っているんじゃないのか?」
『酸素は?酸素はどうする?宇宙には酸素がないんだぞ?』
「それもどうにかなるだろうな。いや、してみせる、が正しいか。ただ……途方もない時間と費用がかかる」
前世の記憶を元にこの世界でテクノロジーそ再現するには、一体どれだけの時間がかかるだろう。人員と費用がかかるだろう。それ以前に、宇宙について知ってもらい、飛行船について説明し、説得するのにもかなり時間がかかる。
現実的ではないが不可能なことでは無いのだ。
だからこそ、この障害物を回避するためにダイキの知恵が必要になってくる。
「最初に言った通り、お前は道具だ。俺の教科書だ。だから、いつでも俺に教えてくれよ。何が正しいのか。何が悪いのか。マニュアルがなきゃ、俺は何も分からないままだからな」
清々しい微笑みを頬に乗せながら、「俺を付与するしか能がない無能にしないでくれ」と言った。
道具呼ばわりされ顔を顰めていた青年がキョトンと目を丸くさせる。
そして弟を見る兄のような表情を作った。
『そうだな』
前世の記憶の持ち主であるセト ダイキと、この時初めて意気が統合したのだった。
次回はリーシェです。アズリカもまだ中途半端なので、決着をつけさせてあげたいですね。
さてお察しの通り、この物語、だいぶ後になりますが宇宙にも行きますよ。そこまで進んだらキーワードにSFでも追加しようかな。





