ハウンドと交戦です
ゴブリンと何度か交戦を重ねながら、白亜の階層を進んでいく。
化け物との戦闘にも慣れてきた頃、まだ戦ったことの無いモンスターと遭遇した。
白い地面を踏みしめる4本の足。ピンと上を向いた逆三角の黒い耳。剥き出しになった鋭い牙。そして喉を鳴らす獰猛な唸り声。
見ただけでゴブリンより知能が高いことを窺わせ、モンスターのレベルが上がったことにアズリカは舌打ちをこぼす。
犬と同じ形のモンスターをラピスはこう呼んだ。
「ハウンドか」
ハウンド、と呼ばれたモンスターは少しずつ頭数を増やし、最終的に20体にまで増えた。
先の崩落で頬にかすり傷をつけた少年は、顎に手を当てて前世の記憶を掘り下げ始めた。
「どうしますか?王子殿下」
考え込んでいるラピスに小声で指示を仰いだのは、あの蜂蜜色の髪の少年騎士だ。
結論を出した黒髪の少年は、凛と貼った声で注意点を上げた。
「奴らは統率力が高く、力も素早さもゴブリンとは段違いだ。同族討ちということもないだろう。よって、1対1ではなく必ず3人体勢で挑め」
「「はっ!」」
「「ウォォォーン!!」」
騎士の揃った返事と被せるようにハウンドたちが遠吠えをする。
静かに状況を見守っていたリーシェが、緊張状態に入る騎士と化け物から2振りの剣へ視線を向けた。
スッと目を細めると、白銀の刀身に紅蓮の焔を纏わせた。
疾走し、今にも動き出そうとしていた騎士を追い抜いて単身でハウンドの群れに突っ込んで行った。
単身で走ってくる少女に疾駆してくるハウンドたち。
激突の瞬間、白亜の階層を一瞬だけ閃光が満たした。
「〜っ!」
大きく開いたアギトを境目に真っ二つに切断された1匹のハウンドが、走った勢いのまま騎士の中に飛び込んできた。
完全に絶命している様を見て、誰もが息を飲み、弾かれたように少女を見る。その先に鬼神がいた。
低い姿勢で剣を1振りだけ前方に突き出し、もう1振りの剣で牙を防いでいる姿があった。
まるで剣の扱いを熟知しているような。
まるで戦い方を知っているような。
まるでズレていた感覚を取り戻していくように。
戦乙女となったリーシェは、唸り声を出しながら噛み付こうとしていたハウンドを切り捨てた。返り血を軽い首の動きで避ける様すらなぜか似合っていた。
「リーシェ……?お前……?」
アズリカが名前を呼ぶと、リーシェはハウンドを何匹も相手取りながらこう答えた。
「もう、ルブリスさんのような犠牲者を出したくないのです」
2階層に着いた瞬間、突然崩れた天井からラピスを庇い大怪我をした騎士。もちろん生きてはいるが、帰りの道中が完全に安全とは言いきれない。
先を進むアズリカたちと、道を戻るルブリスと10人の騎士。
互いの様子など分からないし、こうしているうちに脱出隊が全滅している可能性だってある。
つまり「死んだかもしれない」ということだ。
そしてその可能性は一定数存在し、命の危険は常に付きまとっている。
「これ以上、誰かが傷つく姿を見たくないのです」
アズリカとラピスはリーシェに力を使わないようにと念を押していた。
それでも、少女は剣に「焔刻」を纏わせ、今も力を行使している。
それだけ少女が騎士を守りたいと強く思っている証拠だ。
だが……。
(誰だ……?リーシェはこんな雰囲気だったか?)
それは暖炉に使う薪がいつもより少ない程度の違和感。気の所為で済まされてしまうような、認識のズレ。
しかし確かに実感する違和感だった。
そしてこの違和感をアズリカは知っている。
イグラスでイグレット王とリーシェが話していた時のことだ。
セルタを滅ぼし王都を蹂躙しようか、と言ったイグレットに対しリーシェが怒った時に纏っていた空気によく似ている。
(スイッチを……切り替えたのか)
声だっていつもはもっと穏やかで温かい温度のある声をしている。
だが、それは幻聴だったのではないかと思ってしまうほどに冷淡な声が少女の口から発せられる。
たまに何かをきっかけにして出てくる、別人のような側面。
それはいつもは一瞬だけ表に出てくるだけで、すぐに温かいリーシェに戻っていた。
しかし目の前で敵を葬っていく少女は、ずっと「スイッチ」を切り替えたままだ。
例えるなら……そう。「昼に月が輝いている」ような。
明るくて温かい空に、冷たく浮かぶ孤独な白い月を、今のリーシェに重ねてしまった。
それではまるで伝説の一説ではないかと青年は冷や汗を垂らす。
器用に長剣を扱いながら少女は酷薄に笑った。
「ルブリスさんは私の大切な友人。騎士の皆さんも守りたい存在です。ならば、それに危害を加える者に、容赦はいらないですよね?」
舞うように、踊るようにリーシェがくるりと回る。
黒いマントが風に膨らみ、白いバトルドレスの裾がはためき、真っ赤な髪が激しく揺れる。
霧のような血飛沫が飛び散り、5匹のハウンドが一斉に一刀両断された。容赦の無い攻撃に見る見るうちに敵の数が減っていく。
肉の焦げる匂いが周囲に充満した。真っ白だった壁は赤く染まりあがり、鮮血階層へとその姿を一変させる。
余裕を持って戦っているその背中に、青年はなにか危ないものを感じて届くはずもないのに手を伸ばした。
その横を1人の騎士が駆け抜けていく。
その騎士はリーシェの隣に躍り出ると、ハウンドの首を切り落とした。
リーシェに憧憬の念を抱いているらしいあの少年騎士だ。
守護対象が最前線に出てきたことにリーシェは目を見開き表情を険しくさせた。
桜色の唇から言葉が紡がれる前に少年騎士が儚く笑う。
「僕たちは頼りないですか?」
「え……?」
「僕たちの覚悟は信用できませんか?」
「何を言ってるんですか?私はあなたたちを守りたくて……!」
「僕たちが何のために禁足地に足を踏み入れたか、あなたは知っていますよね」
リーシェ様をお守りするためです、と小さな声で彼は言った。
小さいのに耳に残る不思議な声で騎士は力強く諭していく。
毛を逆立てる猫を手懐けるように笑い、暗闇に怯える子供に手を差し伸べるように笑っていた。
「僕たちがここに来た意味を。ここに来た覚悟を。僕があなたへ捧げたい思いを。あなたが泥に捨てないでください」
何かに気づいたようにリーシェが肩を揺らした。
死ぬことも視野に入れ、しかし生きることを諦めない覚悟は生半可にできるものでは無い。
相当悩んで、決意に決意を重ねたはずだ。
しかし、本来守られる対象であるリーシェが先陣切って戦うことは、彼らの懊悩と覚悟を無に返すこと同じことなのだろう。
すなわち、騎士たちを守りたい、というリーシェの思いはただの自己満足に過ぎず。
すなわり、騎士たちの存在意義を他ならないリーシェが叩き潰す事になる。
「確かに僕は頼りないかもしれません。でも、先輩方はあんな化け物たちに負けやしません。だってほら、見てください」
少年騎士がリーシェに周りを見るように促す。
少女に視線が釘付けにされていたアズリカとラピスも、ようやく周囲の様子に気がついた。
見た先には、残り少なくなったハウンドと、上手く連携をとりながら確実に勝ちを掴んでいる騎士たちがいた。
いつの間にか攻勢に出ていたらしい。
連携は一糸乱れず、ハウンドを効率よく倒していっている。
「この時のために死ぬほど修練を重ねてきたんです。だからあなたは、安心して守られていてください。僕たちが本当にリーシェ様を必要とした時に、ちゃんとあなたを呼びますから」
この時アズリカは見た。
過去の凄惨な経験から、少しだけ人間不信だった少女が信頼と信用を騎士に預ける姿を。
凛と立っていつもの穏やかな笑みを浮かべているリーシェに、騎士が跪いて頭を垂れる。
まるで物語に出てくる騎士物語のようだと、柄にもなくアズリカは思ってしまった。





