まずは1階層から
直前まで冬だったせいで余計冷え込み、鬱蒼とした魔境谷を進むこと3日。
適度に休憩をはさみ、時折道に迷いながらも、ようやく最奥部の神殿へ辿り着いた。
まるで迎え入れるように扉を大きく開けた神殿は真っ白で、いつも薄暗い魔境谷っぽくない。
見上げるほどに大きな神殿に慎重に入ると、だだっ広い部屋が待ち構えていた。部屋の奥にはさらに扉がある。
だが、奥の扉よりもリーシェたちの意識を集中させたのは、中央に立っている窶れた老婆だった。
記憶にあるよりもずっと老け込み、汚れたその姿に、リーシェは思わず足を止めた。
老婆……スティは、シワだらけの口元を不気味なほど歪めニタリと笑った。
「来たね。リーシェ」
掠れ、嗄れた声がやけに響いた。
リーシェは1歩踏み出すと声高らかに言葉を発する。
「スティおばさん!なぜ、私をここへ呼んだのですか?あなたの目的は一体なんなのですか?あなたは、何者なんですか?」
「年寄り相手に次々に質問するんじゃないよ。だが、1つ目の問いには答えてやろう」
次の瞬間、何のきっかけもなしに奥に扉がゆっくりと開いた。
暗闇から噎せ返るような、獣と血の匂いが流れ込み、リーシェも後ろのラピスたちも顔を顰めた。
「あんたに死んでもらうために、この場所に来てもらったのさ」
「なんで、ですか……?」
「次の質問はこの扉の奥……『ダンジョン』を10階層まで到達したら答えよう」
逆さ三日月に歪められた目がリーシェを飛び越えてラピスに向けられる。
「『知の力』の小僧。お前に教えてやろう。あたしの目的は、キージスとおんなじさ。そしてここで、あんたらは『伝説の意味』を知ることになるだろうね」
「伝説の意味?」
「聡明、賢明、才人と名高いのに1度も不思議に思ったことはないのかい?」
スティは『誰もが知らないうちに語り継いでいた伝説は、一体どこから始まったのか?』『前例はどこにも記されていないのに、なぜ知れ渡っているのか?』『なぜ伝説の力は2つに分かたれてはいけないのか?』そして、『なぜ殺すことで欠けたものを合わせられるのか』と次々と疑問を提示した。
気まぐれなのか。それとも別の理由があったのか。
彼女は多くの情報を話すと、忽然と姿を消してしまった。
確かにさっきまでそこにいたのに、瞬きをしたうちに姿は見えなくなっている。
茫然としていたリーシェとラピスの隣で、アズリカがカチャと鎖を鳴らした。
それをおもむろに、大口を開けた扉の中に放つ。
短い断末魔が暗がりから響いて、奥から重なるように様々な咆哮が轟いた。
「チッ!化け物だらけだな。いつまでも突っ立ってる訳には行かないぞ。奥からアイツらが出てきたら、大陸中に化け物が散るぞ」
どうやら外に出そうになっていた化け物を、アズリカがいち早く察知して駆除したらしい。
アズリカが先陣を切って走り出していく。
我に返ったラピスが仕切り直すように鞘から剣を抜く。
後方で待機していた騎士たちが一斉にアズリカに続いた。
「リーシェ。行くぞ。まずは10階層までだ」
「は、はい……!」
リーシェもラピスと一緒に走り出す。
扉を潜ると見計らったように閉じた。押しても引いても開く気配のない扉を、意識の外に追いやり少女は目の前の状況に集中した。
中に入り、いっそう濃くなった血の匂いに耐えながら視覚から入る情報を整理していく。
ダンジョンの1階層には見たことがない小柄な人型の化け物がいた。
成人男性の腰ほどまでしかない頭に髪の毛はなく、壁に埋め込まれた光る鉱石で緑色の体が闇の中で浮かび上がる。
意味をなさない声を上げながら無差別に襲いかかっていく。
騎士の鎧に噛みつきに行くこともあれば、味方の首を食い破ることもあった。
まさ敵も味方も関係ない、野生の本能のままに動く化け物。知能も極端に低い。
「これは一体……」
数え切れないほどいる小柄なモンスターを少年はこう呼んだ。
「ゴブリンだ」
見るのは初めてだな、と遠い世界の記憶を持つ彼は呟く。
異形を相手に騎士たちは動揺し戸惑うものの、危うげなく駆逐していた。
中でも、一撃で数十匹を屠っていくアズリカの実力は目を見張るものがある。
『ルナ·シュヴァリエ』は「知の力」の付与効果があるゆえの動きだが、アズリカには特に何もエンチャントされていなかったはずだ。
伊達に魔人序列6位ではなかったということだ。
奮闘する青年の背中を見て、ようやくリーシェも心が決まった。
腰に帯びていた2本の長剣を握り、不格好に走ってきたゴブリンを斬り殺す。
闇に慣れた目で返り血を避けるとラピスの力のおかげで軽い体を駆使して、化け物の群れの中へ切り込んで行った。
【人魔争乱編】でアズリカが「体術も出来なければ勝てない敵は大勢いる」という言葉を聞いたリーシェは、影ながら体を鍛えていたという裏秘話があります。鍛えた筋肉は、畑での鍬さばきに重宝され、ダンジョンでは剣さばきに役立っています。





