第四話 さぁ!平穏な暮らしを始めましょう!
リーシェを試した女性はアンと名乗った。
圧巻の大泣きの演技を見せた男の子シュウは、アンの一人息子で、川の流れが穏やかだった時に遊んでいたところリーシェが流れてくるのを見つけたという。
近くにいたアンを呼んで引き揚げてくれたそうだ。
つまりは、シュウは第一発見者であり命の恩人である。
その事実を知って彼を拝んでしまったのはつい数分前のこと。
シュウは顔につけた染料を落とすために家に帰り、アンはリーシェが使う予定の空き家へと案内してくれていた。
町のど真ん中を通る一本道を抜けて、緩やかな坂道を登った丘の上に空き家はポツンと佇んでいた。
一目見ただけでも、非常に立派な造りをしていて家の横には家と同じくらいの面積の畑もあった。
空き家の扉や窓を開けて換気をしながら、アンはこう言った。
「ここは数ヵ月に何日か王都から泊まりに来るヘルっていう爺さんが使ってたとこでね。頻繁に来るもんだから、家具やら器具やら最低限のものは揃えてある。自由に使いな」
「え、ヘルさんの宿泊場所を使ってしまっても良いのですか?」
頻繁に来るというなら、次も近いうちに訪れるのだろう。リーシェが使ってしまったら、ヘルは困るのではないだろうか。
不安になりながら訊ねると、少し寂しそうに笑う女性の笑顔が見えた。
「この前、王都で流行ってる病で亡くなったって報せが届いてね。あの爺さん、あっちじゃかなり有名人だったから、けっこう大ニュースになったみたいだよ」
誰もいない家のなかにヘルの面影でも見ているのか、アンはじっと屋内を見つめる。
その様子になにも聞けなくなって、リーシェも黙り込んでしまった。
一瞬の沈黙のあと、アンは自然な笑みを浮かべる。
「あの隠居ジジイも、ここを若い女の子に使って貰えんなら嬉しいだろうさ。……さて!湿っぽい話は終わり!家のなかを案内するからついておいで」
雰囲気を入れ換えるように手を一回叩いたアンの背中を追って、いよいよ空き家内に入る。
北向の玄関から入ると南へ向かう廊下があり、その廊下を挟んで「客間」と「キッチン」があった。廊下の奥には「物置」があり、収納に困ることはなさそうだ。
「キッチン」には東向の窓があって、朝日を遮るための薄い暖簾がかけてあるので、眩しさに困ることはないだろう。収納ケースに納められている調理器具も、包丁やまな板などの必要最低限のものは揃えられていた。状態も新品同然のように良いものばかりである。
「キッチン」と「リビング」は繋がっていて、「リビング」には既に机と椅子一式が置いてある。基本的に家や家具は木材を使用しているようで、木の一体感がとても美しかった。
「リビング」には小さな南向の窓と大きな東向の窓があるので非常に開放的である。東向の窓から畑が見えるようになっているので、野菜の様子はすぐに確認でき、穫った作物などはすぐに台所で調理できるだろう。
「客間」には暖炉があり、こちらにもソファーとテーブルが揃っていた。北に向かう窓があり、これも大きかったので、程よい明るさが「客間」にぴったりだ。
「客間」のすぐ横には「お手洗い」があり、「台所」からも「客間」からも直行できるようになっている。よほど我慢していない限り間違いは起きないだろう。
入ってすぐにあった南向の廊下を西へ曲がると、「脱衣所」と「お風呂場」があった。プライバシーのために「脱衣所」に窓はないものの、「お風呂場」の天井近くに南向の大きな窓があった。こちらはすりガラスになっているので、外の景色は見えないものの、外からも中の様子は窺えないようになっていた。
「脱衣所」と「お風呂場」の前には、もうひとつ廊下の曲がり角があって、手前から順に「衣装部屋」「居室」となっているようだ。
誰も使うことがなかった「衣装部屋」はもちろんなにも入っていなくて、リーシェにはこれからも使う予定はない。
「居室」を覗いたところ、どうやらそこにも衣装収納スペースがあるからだ。
リーシェは贅沢を好まないし、服に対してそこまで執着はないので必要最小限の衣服で済ませることにしていた。
「衣装部屋」の天井に窓があるので、服が日に当たって褪せるということもないだろう。もし使うことがあるなら、の話だが。
「寝室」は、クローゼット・鏡・寝台・机・椅子・暖炉が設置されていて、部屋の角をなぞるように西向と北向の窓があった。
リーシェはずっとスティおばさんにこき使われてきたので、家の良し悪しや立地がどうだとかは詳しくは分からないが、それでも立派だと分かるほど開放的で頑丈な家だった。
本当に自分がこの家を使うのか申し訳なくもあり、ちゃんと管理できるか不安でもある。
「……本当に、こんなに立派な家を使わせていただいてよろしいのでしょうか?」
ポツリとこぼれた言葉に、アンはどこか安心したような表情を見せた。
それから、俯いたリーシェの背中を軽く叩きながら豪快に笑う。
「この家は確かに立派さ。畑の土も、家の状態も、立地も、部屋区分も、たぶん町で一番のものだろうね。だからこそ、あんたに使って欲しいんだ」
「え……?」
「あんたは自分が流れ者だから立派な家は申し訳ないって思ってんだろ?」
思っていることをズバリ当てられて、リーシェは頷いた。
「私は、訳ありの放浪者です。そんな私に、町で一番の家は不釣り合いな気がして……」
「逆だよ。あんたはこの町で暮らしていく決意をした。だからこそ、あんたがどこまで町の宝を守れるか、あんたがどこまで強くなれるか、試してるのさ」
「でも、もしどこか壊してしまったらみなさんに顔向けができません」
「甘ったれるんじゃないよ。物はいつか壊れる。畑だって上手くいかないこともあるだろう。だからこそ、最後まで逃げずに頑張ることが大事なんだよ。心が強くなきゃ、畑とは向き合えない。心が強くなきゃ、どこに行っても逃げちまう。なら今からここで、頑張りな。壊れちまっても、みんなで直しゃ良いんだ」
"いつかは壊れるものを壊さないように弄らないのではなく、いつでも直してあげられるように、家も畑も知り尽くしておけ"、とアンは言った。
命なんて捨てて、平穏な暮らしを夢見て、リーシェは川に身を投げた。
きっとアンや診療所の方々は知っているのだろう。リーシェがなぜ川を流れてきたのか。全身に巻かれた包帯が、すべて見たことを物語っている。
リーシェが暴力から逃げてきたことを知っていて、死ぬ気で川に飛び込んだことも悟っていて、もしかしたらそんな自分を臆病者だと卑下していることも、アンたちは見抜いているのかもしれない。
"そんなことはない"。"お前は良く頑張った"。そう言うのは息を吸うように簡単なことだろう。しかし同時に、その言葉たちはリーシェにとって"もう頑張らなくてもいい"という言葉と同じ意味を持つ。
だから、アンは"どこまでやれるかやってごらん"と、リーシェがリーシェを認められるようになる切符を投げているのだろう。
それが、管理が大変な家と畑の主になることだ。
一見、厳しいように感じる。そんなのも無理だと逃げることも簡単だ。
だが、この家と畑を自分で管理して初めて、リーシェは自身を認められるのだろう。これは確信に近い直感だ。
リーシェは試されている。
ここで逃げれば、もう自分にかけた汚名を返上する機会はないだろう。
ならば、応えなければ。
こんな自分に、アンたちは期待してくれているのだから。
リーシェがこの試練を乗り越えると信じてくれているのだから。
リーシェはアンの瞳をまっすぐ見て、はっきりと告げた。
「私がこの家と畑の管理を手放すとき。それはきっとずっと遠い未来になるでしょう。私は自分に自信がないから、命が尽きるまでここに居座るかもしれない。それでも、ここで暮らしても良いでしょうか?きっと、向こう80年は独占してしまいますが、構いませんか?」
少しだけ強気になった家出娘に、1児の母である彼女はニヤリと笑った。まるで、何かの挑戦を受けて武者震いをすような、そんな獰猛な笑みだ。
「もちろん。やれるもんならやってみな」
そう言って、アンはシュウの面倒を見るからと、町に向かって丘を下っていった。
家にはリーシェだけが残される。
怪我が治るまではなるべく安静にするように診療所の職員さんから言われているので、今日はひとまずお湯を沸かして疲れを癒し、傷が治り次第、畑に野菜を植えることにした。
「さて。自分に立てた自分への挑戦状。受けてたちましょう。この町で、この場所で、私は第二の人生を始めます。その第一歩は、お風呂の準備からです!」
そう息巻いたリーシェだったが、数分後、お風呂のお湯の沸かし方が分からず町へ走っていくことになった。





