第五十一話 帰りましょう、セルタへ。
「魔人序列一族居住区」は一瞬で戦場と化した。
人間と魔人が入り乱れて戦う状況を何とか収めようと、リーシェは奔走していた。
「夢室」で全員眠らせることも考えたが、区内全てを陣で補足することは出来ず、詠唱中のリスクも高いので諦めた。
だから、少女は走っていた。
耳元でうるさく鳴る心臓の音を無視して彼らに叫び続けた。
「戦いをやめてください!!」
だけど、少女の声は届かない。
人間も魔人も、初めて見る異種族に興奮して敵対心を剥き出しにしていた。
それでも少女は訴え続けた。
「どうか争わないで」と。
イグレット王の心が人間との交流へ向き始めた。エグゼの訪問で魔人の印象は良い方向へ向いていた。
それなのにここで争ったら、いま犠牲者を出したら全てが無駄になってしまう。それどころか今まで以上に壁が高くなってしまう。
何としても止める必要があった。この無益な戦争を。
何としても無くす必要があった。異種族に対する敵対心を。
リーシェは喉が枯れるほど叫んだ。
しかし、平和を願う少女の声は、雄叫びをあげる戦士たちに遮られ誰にも届くことは無い。
(なんで……)
声が届かない苛立ちが心を淀ませる。
(なんで……)
声が届かない悲しみが視界を揺らす。
(なんで……!)
無力な自分に対する悔しさが足を止めた。
「戦争を……戦争を、やめてください!」
それでも叫ぶ。
それでも訴える。
涙を流す訳には行かないと歯を食いしばって、力で解決する訳には行かないと地面を踏みしめる。
背後でアズリカが心配そうに手を伸ばしかけたとき、荒々しい声に満ちていた居住区に凛とした声が届いた。
『両軍!剣を下ろせっ!』
声がした方……王城の演説バルコニーに立った一人の女性が、何らかの魔法を使って声を響き渡らせた。
レイラ·フィリアル·アクレガリアインだ。
その近くには、しょげた様子のイグレット王もいる。
土埃を立たせる魔人序列一族居住区をまっすぐ見てレイラは命じた。
『戦いをやめなさい!これは王命です!!』
魔人たちが渋々と剣を下ろす。「夢室」に巻き込まれなかった序列一族たちも動きを止めた。
人軍もラピスの指示で臨戦態勢のままバルコニーを見つめた。
『魔人に告げる!捕獲を命じたリーシェ·フィリアル·アクレガリアインをゲートの間へ通せ!これ以上、彼女に危害を加えることは誰であろうと許さない!』
リーシェと会った時とだいぶ違う女王としても姿に、普段からレイラを見ているアクレガリアインの者たちは大人しく従った。
いつの間にか近くまで来ていたグレイスも、感情の読めない顔で剣を鞘にしまう。
素直なその姿に首を傾げると彼は拗ねたように呟いた。
「母上が動いたのならもう何も出来ん。父上は花婿でな。正当に王族の血を引いているのは母上の方だ。政治ごとを好まないので普段は父上に一任しているが、行動した時の命令優先度は母上の方が高い」
驚く事実にアズリカと揃って目を丸くさせるとグレイスは続けた。
「父上から言われた命令は現時点で無効になった。魔人はもう、お前を狙わない。人軍についてはあの王子の動き次第だがな」
深紅の目がゲート付近にいるラピスを見た。
少年は魔人が動かなければ攻撃する気は無いのか、待機命令を騎士たちに出しているところだった。
「アズリカ」
不意にグレイスが青年の名を呼んだ。
表情を固くしたアズリカは次の言葉を待つ。
しばらく沈黙が続いた。
何十秒か経過したころ、神経質な男の顔が僅かに緩められた。
「行くのか?」
短い問い。
「ああ」
短い答えだった。
それだけで十分だったのかグレイスはどこかへ立ち去っていく。
それに背を向けてアズリカもリーシェの手を引いて走り出した。
「ゲートの間」へまっすぐ進む。
魔人たちが道の両脇で頭を下げていた。
妨害がなければゲートまではあっという間に到着する。
黒髪の少年はシンプルなゲートの前で微笑みながら待ってくれていた。
「リーシェ。二ヶ月ぶりだな。怪我はないか?」
「私は平気です。ラピス様はしばらく見ないうちに背が高くなりましたね」
「嘘つけ。そんなに伸びていない」
身長がリーシェと少ししか変わらないラピスは唇を尖らせてから、厳しい表情でアズリカを見た。
「お前、見覚えがあるな。二ヶ月前、魔境谷にいた序列一族だろう」
「ああ。そういうお前は『知の力』保有者、ラピス·ラズリだな」
「リーシェの脱出に手を貸してくれたようだがここまでで十分だ。丁重にご退場願おうか」
「そうはいかない。俺はもう序列一族の名を捨てた。リーシェと一緒にセルタへ行くと決めている」
初対面のはずなのにバチバチと火花を散らす二人。
触れたら爆発してしまうそうな空気にリーシェは無理やり割り込んだ。
「ラピス様。アズリカをセルタへ誘ったのは私です。きっちり面倒を見るので許してくれませんか?」
「俺は捨て猫か何かか?」
静かにツッコミを入れた青年を少年は複雑そうに見つめた。
さすがに無理かと思ったところで助け舟が出される。
『ラピス王子殿下。私からもお願いするわ。アズリカは悪い子じゃないし、どうせ今後魔人と交流するなら、今一人受け入れても損は無いはずよ』
おばあ様バージョンのレイラだ。女王バージョンはひとまず消えたらしい。
レイラのもっともな言葉にラピスはようやく首を縦に振ってくれた。
「分かった。セルタの住民への説明も必要だし、一度ラズリに行って色々と聞くが良いか?」
「尋問か。別に構わない」
アズリカを連れていくことは成功したようだ。
こうして、リーシェの魔人国家脱出作戦は幕を閉じた。
ゲートをくぐる間際、最後の最後まで助けてくれたレイラを振り返る。
母とよく似た暖かくて優しい祖母は、遠目でもわかるほど穏やかに微笑んで少女を送り出した。
その脇で王の首が死なない程度に絞められ固定されていたのを見て、王族の中の力関係を悟った。
ゲートで大陸を移動する不思議な光に包まれながら、リーシェはレイラに頭を下げた。
「ありがとうございました」と。
次回から新章突入します!
また、魔人との本格的な交流はここから始まるので、魔人のキャラたちもまた登場します。
応援よろしくお願いしますm(_ _)m





