第四十六話 初めまして。おばあ様
リーシェは部屋の机で植えた野菜の栽培で気をつけることを紙に書き出していた。北の大陸で育成できる花や野菜は、注意点も含めて既に別紙に記載済みだ。
自分がイグラスを離れても、問題なく作業ができるようにという配慮だった。
魔人国家に来て二ヶ月が経過している。
ラピスが筆頭になって北の大陸への来訪を試みているようだが、イグレットが権限を使ってゲートを封鎖しているせいで来られなくなっているらしい。アズリカに教えてもらった情報なので確証はないが、きっと真実だろう。
イグレットがゲートの封鎖を解除しない限り、ラピスはイグラスに来れないし、リーシェも西の大陸へ帰れない。
そして王は絶対に封鎖を解除することは無いだろう。
もどかしい気持ちを噛み締めていると、侍女が短い挨拶とともに入室してきた。
彼女は二ヶ月間、ずっとリーシェを世話してくれた魔人だ。当初は人形のように堅苦しかった表情はだいぶ柔らかくなり、大人びた微笑を浮かべながら頭を下げた。
「リーシェ姫殿下。女王陛下がお呼びです」
その単語にハッ目を見開く。
女王陛下……レイラ·フィリアル·アクレガリアインは、リーシェの祖母にあたる人物だ。同時に、ラズリを訪問したエグゼに、リーシェを手助けするように命じた人でもある。
二ヶ月、一切接触はなかったが聞けば体調を崩し別城で療養していたという。回復したのでつい先日、ベリアの主城に戻ってきたようだ。
急いで支度を整えて、女王陛下が待つ「蒼穹の間」へ向かう。そこは、始祖の時代に神が初めて蒼穹石を埋め込んだと言われる場所だ。
いくつもの青い宝石が埋め込まれた荘厳な扉に触れるのを躊躇い、扉越しに声をかける。
「呼び出しに応じ参上しました。聡明なる女王陛下にご謁見願います」
「入りなさい」
すぐに返事が聞こえて、意を決して扉を開ける。
レイラは、イグレットがいる「王の間」と同じくらい広い部屋の中央に設えられたソファに腰掛けていた。
優しい赤毛に優しい瞳。母と瓜二つだと言っていたエグゼの言葉に内心頷く。
記憶に焼きつかせている母が、少しだけ歳を取った姿の女性が穏やかな顔で待っていた。まるで母を見たような気持ちになって、思わず目頭が熱くなる。
滲んだ涙をまばたきで払い落としてから、リーシェは近くまで歩みよった。
二ヶ月の間に教えこまれた作法は、厳しい教えもあってすっかり体に染み付いている。
ドレスの裾を軽くつまんで腰を下げた。
「この度はお呼び頂きありがとうございます。体調が芳しくないと聞いておりましたが、お元気そうな姿に安心しました。ご回復、お喜び申し上げます」
侍女に教えられたとおりに言葉を述べていく。
リーシェは元々、敬語を使うのでそこをさらに丁寧にするだけだったので、喋っていて違和感はなかった。
綺麗なフォームで女王の言葉を待っていると、着席を促す声がかけられた。
レイラと反対側に座るのを確認したレイラは、懐かしそうに目を細める。
「あなたがディアナの娘。そして私の孫。リーシェね?」
テーブルの向こう側から白魚の手が伸びてくる。
滑らかだが少しだけ冷たい彼女の指が、記憶をなぞるように頬をなぞった。
「その顔。この肌。あの子にそっくりね。翡翠の瞳もとっても綺麗」
「母を……恨んでいますか?」
聞きたいと思っていた。
王族の責務を果たさず、駆け落ちしたディアナを恨んでいるのか。
「なぜエグゼ様にあのような命令をしたのですか?」
聞きたいと思っていた。
どうして見たことも、存在も確かではないリーシェのために、エグゼ様にあんな命令をしたのか。
すると彼女はどこまでも温かく笑った。
「ディアナを恨んだことなんて一瞬もない。だってあの子は私の娘だもの。母と子の絆に、王族のしがらみなんていらないわ」
頬を撫でていた指が戻される。レイラはその指を胸の前で組んだ。
「イグレットの忠告も聞かず、真っ直ぐに飛び出したディアナ。あの子の感情のままに授かったあなたを、私は助けたかった」
「しかし、そのせいで戦争に発展しました」
「そうね。でも、この戦争のおかげでイグレットの目は外へ向いたわ。ありがとうなんて、言ってはいけないけれど、無意味ではなかった」
「……私は、大切だった居場所から引き剥がされ、今もこうして鎖に拘束されています」
手首の二の腕のものは既に無いが、ドレスの裾に隠れた鎖を見せると彼女は申し訳なさそうに眉を寄せる。
しかし、一秒後には雰囲気を少しだけ引き締めさせた。
「今日はそのことについて呼んだの」
人払いがされた部屋。リーシェとレイラ以外、誰もいない空間なのに声を潜めて言った。
「あなたを逃がしてあげる」
「え……?」
「女王の権限を使ってゲートの封鎖を解除するわ」
まさに天の福音のような響きにリーシェは言葉を失う。
帰れる可能性ができた。それだけで、曇っていた心が洗われた気がした。





