第三十九話 花嫁とかお断りです!
重苦しい沈黙が続く。
一瞬も目線を逸らすことなく睨み合っていた緊張を先に解いたのは、イグレット王の方だった。
「アズリカはいるか」
短い呼び掛けに、序列六位の緑髪の青年は暗がりから音もなく現れた。
半分アフロになっていた髪は綺麗に整えられ、左右対称に肩の上で揺れていた。
「お呼びでしょうか?イグレット王」
アズリカは片膝を床について深々と頭を下げると、王の言葉を待った。
まだ若い彼を王はしばらく見ていたかと思ったら、唐突にこんなことを言い出した。
「神の申し子の捕獲の任務、一番の功労者だと我が息子より聞いている」
「恐れ多くもありがたいお言葉にございます」
「よって、お前に褒美を与えよう」
アズリカに向けられていた視線がリーシェを見る。赤い瞳の奥でなにかが怪しく光った気がした。
猛烈に嫌な予感が背筋を駆け抜けて、リーシェは無意識のうちに右手をピクリと動かした。
手首に装着されている鎖が音を立てた直後に、王は褒美の内容を告げる。
「我が孫娘を、お前の花嫁とする」
「は……?」
「……??」
何故そうなったと理解が追いつかなくなるリーシェと、リーシェよりもっと状況が飲み込めていないアズリカが同時に首を傾げた。
思わず口に出てしまった疑問符を飲み込んでから、矢継ぎ早に捲し立てる。
「ちょっと待ってください!私は西の大陸に帰せと言ったのであって、花嫁として送り出せなんて言っていません!何を血迷ったことを言っているのですか!?」
「チャンスを与えよう。我が愛しき孫娘よ」
話を聞いているのか聞いていないのか、王様は愉快そうに笑うとそう宣う。
理解できる範疇を限界突破したリーシェはやけに冷静になることが出来た。
「アズリカ·レイギア·ミシュエルを夫とし見事その者を殺した暁には、人間の国へ帰ることを許可しよう」
最近リーシェは、自分は実は短気なのではないかとよく疑う。
相手が言うことに酷く苛立ち、抑えきれずに爆発させてしまうのだ。
または短気なのではなく、相手がこの上なくゲスい人物の場合もある。
イグレット王の場合はまさに後者だった。
最初に抱いた優しそうな印象など今はもう一欠片も残っていない。
ゲスく、ドロドロに黒い感情を隠し持った赤サソリのようだと、リーシェは軽蔑の目を向けた。
「人の命をなんだと思っているのですか?
余興に使う道具?限りなく湧いてくる虫と同じもの?そう考えているのではありませんか?」
リーシェの中にあるスイッチが切り替わる。
優しく、慈悲深く、平和が大好きなリーシェは、平凡な少女として生きてきた側面だ。
気高く、正義感が強く、確固たる意思を宿すリーシェは、神が与えた力が少女に影響させた申し子としての側面だ。
あり方が特殊ゆえに一度スイッチを切り替えれば、雰囲気も顔つきも言動もガラリと変わる。
それまでは、怒る一人の人間としてあった者の変貌に、王は僅かに背筋を伸ばした。
「この世に二つと同じ命はありません。イグレット王が死んで後釜がその席に座ろうと、あなたという人物はあなただけなのです!アズリカだって、ここにいるアズリカしかいないのです!それなのに、殺害を試みている者の隣に並び立てと言うとは、どれだけあなたは腐っているのですか!?」
リーシェだって、今すぐ鎖を壊してセルタに帰りたい。だが誰かを殺したい訳では無い。
もちろん、セルタやラズリに危害を加えればそれ相応の攻撃を仕掛けるが、自分が居場所へ帰るために命を散らすのは嫌だった。
彼にはそれが分からないのだろうか。
この世に同じものは一つもないのだということが。
同じ「奪う」行為でも、その過程によって意味合いが大きく変わってくることが。
強い視線で見続けていると、特に何も響いた様子のないイグレット王は「話は終わりだ」と席を立った。
一度もこちらを振り向くことなく退室していき、部屋にはリーシェとアズリカだけが残される。
気まずい沈黙が流れた。
すぐにいつもの平凡な少女へスイッチを戻したリーシェを、アズリカは跪いた状態のまま見上げた。
「驚いた」
突然、そんなことを言う。
「てっきり、容赦なく殺そうとしてくるかと思ったが」
「私が私利私欲にために命を奪うとお考えですか?」
「いいや?別に何か考えてた訳じゃない。ただ意外だなと」
アズリカは未だ座り込んだままだ。
まるで、首を切るのなら切れと言っているように、うなじをさらけ出している。
「何のつもりですか?」
「何が?」
「殺せと言うように首を差し出して」
「あぁ」
「殺しませんよ」
「そうなのか?」
「はい。私はあなたを殺しません」
「残念だな」
「はい?」
淡々とした会話の末に彼は気だるそうに立ち上がった。
その新緑に瞳にはなにも写されていない。青年の目は酷く虚ろだった。
リーシェが怪訝な顔をすると、アズリカがなんでもないように言う。
「褒美……嬉しかったのだが。ようやく死ねると思った」
「何を言っているのですか?」
「嬉しかったんだ。王の褒美が自分を殺そうとしている人を隣に置くことだったことが」
やっと潔く死ねると思ったのに、とアズリカは落胆しながらボヤくと、部屋の扉の向こうに消えた。
アズリカ、めっちゃ重要人物なのでピックアップしてご覧下さい。





